第七十七節 守りたいものと天秤

 ソワンの銃弾は、確かにフットに直撃したはずだった。

 空間内の時間が止まったかのような錯覚に陥る。


 ソワンの銃弾が、何者かに弾かれたのだ。纏う雰囲気がまるで違ったが、その人物の顔には見覚えがある。

 以前に一度だけ、港町メヒャーニクにて出会った吟遊詩人。機械人形オートマチックについて情報をくれた、その人。


「カウト!てめぇ……」

「おっと。俺に噛み付くよりも、早くその怪我治療した方がいいんじゃない?」

「チッ……任せたからな」


 そう毒づいて、フットが離脱した。

 フットを庇った人物──カウト・リュボーフは、エイリークたちに乾いた笑顔を向けた。纏う雰囲気は、ただの吟遊詩人が纏えるものではない。こちらに向ける明らかな敵意と殺気に、以前の陽気な様子は微塵も感じられない。

 沈黙していたが、彼の方から話しかけられる。


「いやぁ、えげつねぇ術を使うんだな、女神の巫女ヴォルヴァって。さっきのあの暗闇に変える術、見たことも聞いたこともねぇよ」


 カラカラと笑う笑顔は以前見たそれと同じはずなのに、うすら寒いものを感じてしまう。油断も隙も一切見受けられない。


「お前……なんで……」

「答えて。なんでカーサに入ったの?それとも元からカーサの人間だったの?」


 自分の動揺はよそに、ソワンは冷静に銃を突き付けて問いただす。切り替えが早い。彼も動揺しているはずなのに。冷静でいられるのは、訓練された軍人だからだろうか。対してカウトも至極冷静に、淡々と話し始めた。


「別にカーサに成り下がったわけじゃない。あくまでしているにすぎないさ」

「協力だって?」

「そう。正直言えば、メヒャーニクの街でお前たちと初めて出会ったときは、本当にただの吟遊詩人だったさ。だがな、自分の許婚が囚われてると知っちゃ、行動しないわけにはいかないだろう」


 カーサに囚われている。許婚。

 その事柄から連想される答えが、頭をよぎる。ありえない話だが、可能性としてはゼロではない。可能性は二つ、あることにはある。とはいえ性格的な面から、一つは絶対に違うと断言できる。そうなると残りの一つの可能性だが。

 思わず言葉が零れ落ちた。


「まさか……ケルスの……?」


 カーサに今囚われているのは、グリムとケルスだ。

 グリムは自分が知っている限り、人間という種族を毛嫌いしている。一時期はそのことで暴走していたこともあったらしい。だから人間であるカウトとの結婚なんて、不可能だ。そうなってくると、考えられる可能性はただ一つ。ケルスとの結婚だ。


「待てよ!ケルスが許婚?そんなことありえないだろ!ケルスはリョースアールヴの一族で、アウスガールズの国王なんだぞ!?一般人との婚約なんて、できるはずがないだろ……!?」


 レイの意見ももっともだ。ケルスは今や国王。一般の人間がそんな相手と、結婚はおろか話だってできるわけがない。自分はわけあって、彼と話をしたり旅をしていたけれども。普通に考えれば、それは奇跡のようなことだ。

 そんな混乱の中、ソワンが呟く。


「カウト……。あなた、一般的な市民じゃないんでしょ?」

「さすが、可愛い軍人ちゃんは気付くかぁ」

「……何者なの」

「そうだねぇ、俺は……」


 手持ち無沙汰らしく手にしていた得物をくるくると回していたカウトだったが、目付きが一瞬で変わる。そのまま得物である槍の穂先を突き出し、レイに向かって突進。常人では追いつけないような速度だ。最悪の想像をしてしまい、すかさずレイを確認する。


 槍はレイに届く寸でのところで、彼が張った防御魔術に弾かれていた。レイの無事に胸を撫で下ろす。一瞬の不意を突いたカウトの速度は恐ろしいものだが、反応できたレイも凄い。


「無駄だ。その槍は俺には効かないぜ」

「チッ……不意打ちを狙ったんだがな、やるじゃねぇか。さすが、女神の巫女ヴォルヴァ様ってところか」

「その槍のことは知ってるぜ。神代の頃、神が使っていたっていう槍だろ。世界樹ユグドラシルから生み出された、神の槍。でも世界樹から生み出されたもので、俺に傷を負わせることなんてできない」

「……なるほど。そういうわけか。それじゃあ、俺の槍が通じるはずもないな」


 どこか納得したらしいカウトたが、エイリークにはさっぱりだった。それでも一つだけ、わかることがある。それは言わなければ気が済まなかった。


「ケルスは、そんなこと望んでない!カーサに協力した引き換えに助け出されたって、ケルスは喜ばない!!」


 エイリークの言葉を聞いたカウトから、一切の温かみが消えた。表情は氷のように鋭く冷たくなり、宿す瞳の光は冷徹だ。

 売り言葉だったのか、憎しみの感情すら感じる表情で吠えられる。


「ケルスさんがカーサに捕まったのは、元を辿れば貴様のせいだろう!狂戦士族のバルドル!貴様が守れなかったせいで、ケルスさんは俺の前から消えてしまった!貴様では信用ならんから、俺がこうして救おうとしている!それを邪魔されるいわれはない!」

「だからカーサに協力するって?冗談じゃない!そんなの間違いしかないじゃないか!逆にケルスを苦しめるだけだ!」


 エイリークの意見に、カウトはいよいよ額に青筋を張らせ、激情を噴火させる。


「黙れ!俺はヴァラスキャルヴ第一王子、カウト・リュボーフ・フォン・ヴァラスキャルヴ!アウスガールズの国王ケルス・クォーツを救出し、一国を収めなければならない。その為なら己の命など、惜しいものか!!」


 癇癪にも似たカウトの咆哮。一つ息を吐いて、彼は構えた。

 纏う殺気が一層強くなる。対峙するように、エイリークもまた大剣を構える。


 緊張が走る。


 いざ激突しよう、というタイミングで邪魔が入った。カウトの槍に嵌められている核が、何かに呼応するように点滅を繰り返す。今一度舌打ちしたカウトが、構えを解いた。左手をズボンのポケットに入れる。


「お上からの呼び出しだ。……バルドル、俺は貴様を許さない。ケルスさんにとっても、貴様は毒だ。いつか必ず殺してやる」


 ズボンのポケットからカウトが取り出したのは、手のひら程度の大きさの鉱石。それを床に叩きつけると、見覚えのある陣が展開された。何度も見た、空間転移の陣。赤い光に包まれたカウトは、そのままその場から消え去る。


 気配が完全に消えたことを確認して、エイリークもまた大きく息を吐く。

 手が痛い。思った以上に力強く、大剣の柄を握っていたみたいだ。大剣を鞘に納め、レイたちの方に振り向く。


「そっか……彼が、あのヴァラスキャルヴの第一王子だったんだね」

「知ってるのか?」

「うん。このアウスガールズにおいて、二番目に大きくて、強い国。それがヴァラスキャルヴと呼ばれる、人間が治める国」


 さらに過去の世界戦争の折に、リョースアールヴと共闘関係だった国とのこと。共闘関係だった二つの国はやがて、同盟を結んだ。

 カウトにとってはそんな兄弟みたいな国の片割れが、突如として攫われたのだ。彼の行動も、納得できるものではないが理解できなくもない。レイとソワンの意見はそこに落ち着く。

 でも自分は納得してはいけないし、わかってもいけない。


 何故ならそんなことをしたとケルスが知れば、彼は必ず悲しんでしまう。彼が自分自身を責めてしまうと、エイリークには予想ができたからだ。ケルスを泣かしてしまうようなことは、エイリークには許容できかねた。


 いつか、カウトとは決着をつけなければならない。


 思い出したように、レイが倒れていたヤクに駆け寄る。

 エイリークとソワンも、彼の様子が気になった。未だ気を失っている彼に、レイが治癒術を施す。ソワンは触診と目視で、彼に大きな怪我がないことを確認した。ひとまずそのことに安堵する。

 レイの治癒術の光が消えると、ふるり、と睫毛が揺れる。ゆっくり開かれた瞳が、自分たちを捉える。


「……れ、い……?」

「師匠!」

「……わたし、は……」

「大丈夫、カーサはいないよ。よかった……本当に……」


 まずは一刻も早く休ませよう。ソワンの提案に賛成し、ヤクを連れて急ぎ足で軍艦に戻るのであった。

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