第七十三節 戦の樹

「教えましょう、貴方の知りたいことを」


 スクルドが向き直る。まず第一に聞きたかったことを、いきなりぶつけてみた。


「ウルズは、俺の女神の巫女ヴォルヴァに選んだのはお前だって言っていた。なんで俺なんだ?」


 フヴェルゲルミルの泉でウルズに聞いたあとも、ずっと考えていた。何故自分が女神の巫女ヴォルヴァに選ばれたのか。

 特段力を持っているわけでもない。ましてや一流の魔術師でもない。何処にでもいるような、半人前の魔術師だ。それなのに。


 ──レイ・アルマ。貴方は私たちにとっても、また他の女神の巫女ヴォルヴァにとっても大切な光。


 ウルズに告げられたことが、理解できないままでいる。自分でなければならない理由があるなら、知っておきたい。

 スクルドは一度目を閉じてから、物語を語るように言葉を紡ぎ始めた。


「それは、貴方が干渉者となりうる存在だったからです」

「干渉者……?」


 聞き慣れない単語だ。オウム返しに尋ねる。


「干渉者とは、全ての時間軸に介入できる存在のこと。過去、現在、未来に影響を与え、世界の行く末を定められる存在のことです。それこそ、世界の運命すらも」

「は……!?」


 まるで意味がわからない。そもそもの話、スケールがあまりにも大きすぎる。世界の行く末を定められるだなんて、自分には力不足もいいところだ。はいそうですかと、簡単に納得できるものではない。いや、納得するしない以前の問題である。


「待ってくれよ!ちょっと待った!俺がそんな大層な存在なものかよ、だって俺は普通の人間だぞ?そんな干渉者とかいう特別な存在だなんて、ありえないだろ!」


 自分はただの人間だ、そのはずだ。幼い頃の記憶は曖昧だが、確かに自分は──。

 狼狽えるレイに、スクルドは静かに真実を口にする。


「貴方は、原初の人間の子孫。この大樹ユグドラシルから産まれ落ちた、"戦の樹"」


 ──トネリコの樹が立っているのを私たちは知っている。それはユグドラシルと呼ばれる高い樹で、輝く土壌で濡れている。そこから露が垂れ、谷に流れ落ちる。それは永遠に緑で聳えるウールズの泉の上に。


 スクルドの言葉の直後に、頭に思い浮かんだ詩。ユグドラシル教会で目にして、理解してしまった古代文字。

 その詩の本当の意味を、完全に理解した。理解、してしまえた。

 ありえないと糾弾したかった。嘘だろうと笑い飛ばしたかった。しかし、否定したくてもできなかった。何故なら自分はここに来るまで、何度も思ったのだ。


 と。

 と。


 今なら、わかる。懐かしいも何も、ここがなのだ。

 本能的に理解したとはいえ、愕然とするしかないとはこのこと。

 同時に襲ってきたのは、喪失感だろうか。


 自分は普通の人間として産まれて、育っていたのだと思っていた。人並みに、母親と父親がいるものだと、信じていた。ただし実際はそんなことなかった。淡い期待が崩れ去ったせいだろうか。膝に力が入らない。


「ごめん……ちょっと、待って……。衝撃的すぎて、俺……」


 冷静になれと命令を送る。額に手を当て、大きく息を吐く。ひとまず落ち着かなければ。混乱したままでは整理ができない。


 ……この大樹から自分が産まれたと仮定すれば、確かに納得できることもある。初めて来るはずの場所なのに、潜在意識への行き方を知っていたことも。雫の滴る音を、呼ばれていると感知していたことも。

 何故それらの事実がすんなりと頭に入ってくるのか。それはこの潜在意識が帰る場所なのだと、魂に刻まれているからだ。例えるならば、家である。大樹から滴る雫は、自分の力の大元。自分の一部、いわば家族のようなもの。雫は自分に、おかえりと声をかけていたのだ。


 妙な気分になる。この身体には確かに、血が通っている。肉の感触がある。見た目は普通の人間と、全く変わらないのに。まさか自分が、世界樹から産まれた存在だなんて。


「俺、普通の人間じゃ、なかったのか……」

「それは、否定しません。ですが貴方は確かに人間です。産まれ方は違えども」

「そうは言うけど……。……ついでに聞くけど、俺に幼い頃の記憶がないのも、その"戦の樹"ってやつだから?」


 そうとしか考えられないが、念のために尋ねてみる。スクルドは一つ、頷いた。肯定の意味だ。そこで一つ、疑問が生じる。

 自分はユグドラシルから産まれ落ちた。もし赤ん坊のまま産まれたとして、ずっと樹の潜在意識の中で生活していたのだろうか。誰にも世話をされずに、ひとりぼっちで。神秘だなんだと絡んでも、さすがに放っておくだけで人間が育つものか。


「……母親代わりって、いてくれてたの?」

「……いました。彼女は誰よりも慈愛に満ちて、貴方を心から愛していました」


 その彼女が、いつも身に着けているペンダントを渡してくれたのだと語られる。

 いつからか持っていたペンダント。肌身離さず持ち歩いて、もはや自分の一部になっている小粒のそれ。

 スクルドの言葉を聞いて安堵する。少なくとも自分は、誰かに愛されて育てられていたのだと知れた。ミズガルーズの街に、ただ置き去りにされたわけではないのだと判明した。その事実が、自分を落ち着かせてくれる。

 深呼吸を一つ。大事なことを聞いておきたい。


「……"戦の樹"って、なに?」

「"戦の樹"とは、この惑星カウニスで産まれ落ちた最初の人間を指す言葉。数百年単位で樹は成熟し、世界の危機を知らせるかのように、一人の子を成すのです」

「それが、俺……」

「はい。そして世界樹ユグドラシルより直接マナを与えられた、生きる生命源」


 故に"戦の樹"となった人物たちはこれまで、常に女神の巫女ヴォルヴァとなり、その生を全うするのだそうだ。世界樹から賜ったマナを世界へ還元する。それこそ、時間な流れを無視してまでも。干渉者とはそういうことらしい。

 これから起きることへ。起こっていくことへ。起きるであろうことへ。

 マナを送り、見定め、管理する。それが生きたままのヒトの身で出来る、唯一無二の存在。それこそが"戦の樹"に与えられた役割だと、スクルドが説明する。


 思っていた以上だ、と心の内で呟く。女神の巫女ヴォルヴァとしての役割の大きさに圧倒されてしまう。そのうえ自分は、ユグドラシルから産まれた存在。今聞いていることの方が、どこかにある御伽噺のようだ。

 とはいえここで狼狽えている場合ではない。まだ訊ねたいことがあると考えを切り替えた。


「女神の巫女ヴォルヴァは、全員で三人なんだよな。俺以外にもあと二人。それは誰なんだ?自然に惹かれ合い、その運命を共にするって聞いたけど……。その人たちも"戦の樹"なのか?」

「いいえ、今代の"戦の樹"は貴方だけです。しかし貴方達は遠い昔から、既に出会っています」

「え……」


 遠い昔から既に出会っている、だなんて。

 なんでだろう、どうしてか頭の中に二人の人物が思い浮かぶ。


「貴方は確かに、幼子の頃は彼女に育てられました。ある事件がきっかけで、別たれてしまいましたが……。それでも当時の貴方にはまだ、土壌が必要でした。人としての成長と、マナを扱えるための技量のために」


 ……待って。


「そのための種子も、芽吹かせる必要がありました。故に私たちは貴方が産まれる以前より、用意をしなければなりませんでした。貴方が正しく覚醒するために」


 待ってくれ……。


「残酷なことだと貴方は思うでしょう。ですが全ては、世界を崩壊より守るため。いずれ来たる世界戦争より、世界の命を救うためでした」

「待ってくれ!!」


 思わず叫ぶ。叫ばずにはいられなかった。だって、そうじゃないか。

 もし今の話が本当なら──。


「じゃあ、あの人たちの運命は……俺のせいで……?」


 生きたかった生き方を、選べなかったということになるのか?

 責任を感じずにはいられない。先程とは別の意味で、膝から崩れ落ちそうになる。

 そんな自分をスクルドは見据えたが、優しい声色で諭すように告白される。


「確かにお膳立てをしたのは、私たちです。ですが清き御霊の子レイ・アルマ。あの遠い雨の日。貴方の手を取ったのは、あの方自らの意思に他なりません。手を取らないという選択も、ありました。それでも、あの方は手を取るという選択をした」

「っ……!」

「あの日に貴方が感じた想いは、本物です」


 その言葉に、何よりも安心感を覚える。救われた気がした。自分を助けてくれたあの人の優しさは正しいと、証言してくれたようで。涙腺が緩む。


 だが悠長なことは考えてはいられない。

 寧ろ理解できたからこそ、覚悟を決められる勇気が沸く。


 目元を拭う。

 光を宿した瞳で、スクルドを見る。


「ありがとう、教えてくれて。お陰で俺、これでようやくハッキリと決められた。俺はこの運命を受け入れる。女神の巫女ヴォルヴァとして、やれるべきことをする」

「いいのですね、それで」

「うん。これが、俺の命の使い方だ」


 にこりと笑う。それにスクルドも笑顔で返し、現実世界への扉を開けてくれる。

 最後に一言だけ、こう伝えて。


「ですが清き御霊の子レイ・アルマ。私たちは貴方の生存を、祈ります」


 光が出迎える。


「ありがとう。遠い昔の、俺の姉さんたち」


 一歩、レイは踏み出した。

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