第七十二節 光あれと願う

 ヤクがカーサに連れ去られた。


 戻ってきたスグリとエイリークからそう聞かされ、ひどく後悔した。反省はしているが後悔はしていない。あの時そう思ってしまった自分を殴りたい。

 もしあの時、ウールズの泉について話さなければ。自分がヤクと喧嘩をしなければ。ヤクが一人で村を発つこともなく、カーサに連れ去られることもなかった。たらればを言っても仕方のないことだが、考えずにはいられない。こうなってしまった原因は、自分のせいなのではないかと。

 キルシュは無事に見つかり、今は部屋で休ませているとのこと。身体は無事だったが、心労の方が酷いらしい。彼もまた、自分のせいでヤクが連れ去られたと責めていたと聞く。彼は目の前でその悲劇を目撃してしまったというのだ。その事実が小さな男の子に、大きな傷を負わせてしまったと。

 その事実を踏まえた上で、スグリから告げられる。


「……時間がない。レイ、このままウールズの泉に行くぞ」

「で、でも……」

「行きたいと言ったのはお前だ。行かないのならそれでもいいが、軍艦に戻ってから機会が来るなんて思わないでほしい」


 非情にも見えるが、彼の言っていることは正しい。感傷に浸っている猶予はない。ヤクが連れ去られた以上、一刻も早く取り返さなければならない。そのためにも、時間は必要になってくる。

 自分の我儘を聞いてもらっているのだ。やっぱり行かない、なんて勝手は言えない。この機会を逃せば、次いつ向かえるか、わからない。


「……わかった。行く」

「お前には俺が付く。ハート、エイリークと共に先に軍艦に戻れ。急いで先遣隊とは別の部隊を編成するよう、騎士団長命令として伝えてくれ」

「わ、わかりました……!」


 スグリは最後に、ヤナギへ振り向く。


「世話になった。キルシュのことと、再刃の件……頼んだ」

「若様も、達者で。そして、こちらを」

「ああ」


 ヤナギは大切そうに一振りの刀剣をスグリに差し出す。その刀を、スグリは真剣なまなざしで見つめてから手に取ると礼を述べた。

 それに続いて、エイリークとソワンも一礼する。自分も同じように頭を下げる。


「ヤナギさん、ありがとうございました」

「其方たちも、達者でな。ああ、最後に少しだけレイ殿と話がしたい。手短に済ませる。良いですかな、若様」

「手短にな。レイ、俺は外で待っている」

「あ……うん」


 部屋に自分とヤナギを残し、みんな各々出ていく。話とは何だろうか。

 

「レイ殿。其方は女神の巫女ヴォルヴァについて、どこまで知り得た?」

「どこまで……?」

「左様」


 突然の質問に驚いたが、ヤクと言い争っていた時にその単語を聞いたらしく、尋ねたかったらしい。それならと、フヴェルゲルミルの泉で聞いたことを話す。

 女神の巫女ヴォルヴァは運命の女神に選ばれた者しかなれず、また選ばれた者はその運命から逃れることは出来ないということ。女神から予言を賜り、語り継ぐ役目を負うこと。少しでも人々や世界を守る責務が課せられること。

 それらから、自分は逃げないという選択をしたこと。話を否定も肯定もしないで、ヤナギは聞いてくれた。


「其方も知っておろうが……女神の巫女ヴォルヴァは全員で三人いる。彼らは自然に惹かれ合い、その運命を共にすると聞く」

「運命を、共に?」

「それは生まれるより前に、命に定められておるらしい。何もかも、仕組まれた神の摂理に他ならぬ。それでもなお受け入れ、進む勇気が其方にあるのであれば。きっと残り二人の巫女ヴォルヴァを導けよう」

「その言い方……。聞いただけとはいえ、随分と詳しいですね」


 試しに問いかけてみるも、ヤナギはそれ以上のことを告げる気がないらしい。最後に優しく笑い、こう言葉を投げかけられた。


「己の信じる道を進まれよ。それが、運命を切り開く鍵にもなろう」


 己の信じる道。

 それが何かはまだわからないけども、その言葉は深く響く。最後にもう一度礼をしてから、部屋を後にした。

 屋敷の外では、スグリが馬を用意して待っていてくれていた。ソワンとエイリークは先に発ったようだ。


「終わったのか」

「うん。待たせてごめん。……行こう」

「わかった」


 馬に乗り、自分が先導する形で村を出た。時刻はちょうど昼を過ぎた頃。先日出会ったラントという青年が書いてくれた地図を頼りに、馬を走らせる。最後の泉、ウールズの泉。そこにいるスクルドに出会えば、全部がわかると信じて。

 地図はどうやら正確なものだったらしく、しばらく走らせていると目の前にそれらしき泉が広がる。適当なところで馬から降りて、待っているよう指示を出す。大人しく賢い馬たちのようで、言葉がわかるのか素直に従う。

 そばに刺さっている立て看板には、"ウールズの泉"という文字。間違いない。ここが、目指していたウールズの泉だ。フヴェルゲルミルの泉と同じように、泉を取り囲んで守るように生い茂る木々が瑞々しい。


「ここか?」

「うん。ここだよ」


 やっぱり、ここでも誰かに呼ばれているような錯覚に陥る。声なんて聞こえないはずなのに。それでも自然と足は動いて、目的の場所へと歩を進める。


 わかる。

 感じる。

 ここが、自分の魂の、帰る場所。


 少し進んだ先に、一際大きな樹木が鎮座している。脳内に響く、雫の滴る音。呼んでいる。この音はあの時と同じ。初めて泉の潜在意識の中に、入りこんだ時と。

 一度振り返り、スグリに告げた。彼がこの様子を見るのは初めてだ。混乱させないようにと、あらかたの流れを説明する。


「わかった。なら俺は、お前が起きるまで待てばいいんだな」

「うん。……ありがとう──」


 我儘を聞いてくれて。

 目を閉じて幹に手をかざす。意識がふわりと、体から離れていく感覚を覚える。それに逆らわずに、されるがままに。光に包まれ、潜在意識へと送られるのであった。


 ******


 以前の二回は、自分の意思とは関係なく沈んでいた。今回は自らの意思で潜っている。なのに、当たり前のように手順を知っている自分がいる。なんとも不思議な感覚だ。


 もう大丈夫、目を開けてもいい。誰かに声を掛けられる。

 ゆっくりと目を開ければ、最早見慣れた光景が広がっている。足で空を蹴る。やはり導かれるように身体が動く。ミミルの泉ともフヴェルゲルミルの泉とも似ているが、やはり異なる泉だ。

 ここはその二つの泉よりも、圧倒的に神聖な空気が多く漂っている。まるで神の憩いの場のような。そんな気さえしてくる。

 そしてそこに、さも当然のように佇んでいる女性。


「ようやく、逢えましたね。私の力を受け継ぐ巫女ヴォルヴァ。ウルズ姉様から聞いていました。貴方がいずれ、ここに来ると」

「じゃあ、お前がスクルド……?」

「はい。未来を司り、世界の予兆を感じ取れる運命の女神……。それが、私です」


 ふわりと優しく、しかし何処か寂しそうに笑うスクルド。その笑みに幾ばくかの引っ掛かりを覚えるが、彼女に言葉を紡いだ。


「知りたいことがあるんだ。教えてくれ」


 一歩、泉に近付いた。

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