第六十九節 亀裂を入れるのは

 ヤクは馬を借り、森の中を駆けていた。

 葛藤や不安、苛立ちが心の中で渦を巻いている。これではいけない。幸いにも近くには川がある。ここまで休まずに走らせた馬も休ませなければ。自分も岸に腰を下ろし、一度大きく息を吐く。


 あの時、自分はなんてことを言ったのだろう。頭に血が上っていたとはいえ、言ってはならないことを口走ってしまった。

 あの子レイが、自分の力について知ろうとした。それは師匠という立場としては、喜ばしいことのはずなのに。彼が語った力の正体が、よりにもよって女神の巫女ヴォルヴァの力だとは思いもしなかった。


 信じられなかった、いや、信じたくなかった。女神の巫女ヴォルヴァとなった人間の末路を、自分は知っている。だからこそ、その力を彼に使って欲しくはなかった。

 何故それが素直に言えなかったのか。とはいえ最早何を言っても、後の祭りにしかならない。我ながら情けない。こんなにも自分は、弱い人間だったか。


「私は……」


 ざわりと、風が変わる。

 休ませていた馬が、ブルルと鼻息を荒らす。何かを感じ取ったのだろうか。落ち着かせてから辺りを警戒する。

 ……確かに、何かがいる。ある一点から視線を感じ、牽制のための一撃を放つ。その一撃は弾かれ、近くの木に直撃した。攻撃が弾かれた場所の空間が歪み、ある人物が姿を現す。見覚えのある人物だ。


「こんにちは。ミズガルーズ国家防衛軍、魔導部隊部隊長……ヤク・ノーチェ」

「ヴァダース・ダクター……」

「数日振りですね。と言っても、貴方はあの時気を失っていましたか」

「……今度はなにが目的だ」


 一歩後ろに下がり、いつでも動けるように構える。初めて対峙した時から、この男からは異様な雰囲気を感じていた。近付いてはならないと、第六感が告げている。目の前の男はそんなことはいざ知らずと言った様子で、余裕のある態度で近付いてくる。


「目的、ですか。貴方ならこの状況を考えれば、すぐにお分かりになると思いますが?」


 この状況。周りに、自分と目の前の人物以外の気配はない。ましてやここは村から外れた川のほとり。この付近に集落の類もない。


 バルドル族であるエイリークには、最初から興味がない様子だった。それは彼からグリムとケルスだけを奪ったことからも、明らかである。まずこの可能性は消える。次に考えられるのは、レイの拉致。しかし女神の巫女ヴォルヴァの疑惑を持つレイを奪いたいのならば、彼が一人でいる時を狙うはず。すると必然的に、この選択肢も消える。

 付近の村の襲撃についても、ないと断言できる。この付近一帯の村はなんの変哲も無い、普通の村ばかりだ。これがマナの豊富な土地であるならばいざ知らず、どちらかと言えば貧困なマナの量だ。無闇矢鱈に魔物をけしかけて支配するにも、得るものが少なすぎる。この男のことだ、無駄な労力は使わないだろう。

 そうすると、可能性としては一つ。


 ……恐らく、私個人なのだろう。


 敵対している立場の人間であり、尚且つ役職にも就いている。捕虜にするのが目的か。それともレイを奪うための、交渉の材料にでもするつもりか。だが易々と捕まるわけにもいかない。イヤーカフを外し、杖の状態に戻す。


「おや……見かけによらず、血の気が多いのですね。交渉できるかと思ったんですが」

「敵である貴様と交渉できる要素など、一つもないと思うのが普通では?」

「これを見ても、そう思いますか?」


 ヴァダースが指を鳴らす。彼の奥から、ある一体の魔物が姿を現した。その口に、あるものを咥えて。目に捉えた瞬間、全身の血が凍りつくかと思ってしまった。


「キルシュ!!」


 魔物が咥えていたものは、見覚えのあるキルシュの服だ。魔物に引き摺られているキルシュは、両膝を擦りむいて出血していた。意識を失っているようで、がっくりと項垂れている。

 彼の頬をする、と撫でるヴァダース。


「健気ですね、この子。どうやら村から単身で出てきた貴方を、追いかけようとしたみたいですよ?」

「貴様……!その子は関係がないだろう!」

「生憎私は合理的主義者でしてね。利用できるものは、何であろうと使いますよ」

「この……!」

「それこそ、貴方とこの子はなんの関係もないのでは?どうなったところで、貴方になんの支障もないでしょう?」

「ふざ、けるな……!」


 杖を握る手が、怒りで震える。


 実験台にされ、逃げてきたキルシュ。そんな彼に、ようやく安息の地が授けられたというのに。それを、こんな。また恐怖に晒されることなど、あってはならない。彼が意識を取り戻す前に、あの魔物から必ず彼を助け出す。


"牙よ御身を氷結せん"アイスシュトースツァンッ!」


 空間上にマナを凝縮させ氷の牙を生成し、地面に向けて放つ。幸い川のほとりであるこの場所は、大小さまざまな大きさの石がある。それらを術で飛来させ、相手の視界を奪おうとした。


 石が飛び交い、土煙が舞う。

 瞬間、駆け出す。


 土煙の奥から魔物の悲鳴が聞こえた。何処かに直撃したのだろう。キルシュに当たらないように注意は払ったが、はたして。


 今は考える時間は惜しい。ひとまずは彼の奪還が先だ。

 手を伸ばす。


 もう少し、というところで鋭い殺気を真横から感じた。咄嗟に防御の術を展開する。直後に受けた攻撃は思った以上に、重い。

 防ぎきれないことはないが、数メートル吹き飛ばされた。


 土煙が収まり、視界が晴れる。奪還を試みたキルシュは、ヴァダースの腕の中。魔物の手前、自分が今しがたいた場所には、一人の男が構えていた。異形の両腕を持った、黒い制服を身に纏う男。


「新手か……!」

「……俺の攻撃、受け切る。お前初めて」

「そうですか。それは残念ですねリエレン」

「幹部、残念違う。俺、感動している。強い奴、まだこの世界、いた」


 カーサが二人に魔物もまだ健在。そのうえキルシュの略奪は、結局失敗。思った以上に分が悪い。

 その時、キルシュの瞼がふるりと震える。ゆっくりと目を覚まし、状況が把握できないのか辺りをキョロキョロと見回す。


「おや、お目覚めのようですね」

「え……?」

「キルシュ!!」

「あ……お兄ちゃん!」


 自分を見つけ手を伸ばすキルシュだが、ヴァダースに阻まれて身動きができないでいた。

 近付こうにも魔物が一体、リエレンと呼ばれた接近戦タイプのカーサが一人。さらにヴァダースの妨害まで加わる。ただし隙がない訳ではない。魔物はこちらに向かって、一直線に突撃してくるばかり。怪我を負っている状態では、長くは続かないだろう。先に魔物を倒せば、まだいくらでもキルシュを救出できる機会はある。


 じりじり、とお互いに間合いを測る。


 一つ、深呼吸をして。

 風が強く、吹いた。


 まず咆哮をあげた魔物が突進してくる。


 それを躱し、短く詠唱する。背後の魔物を標的にして、術を放つ。


"氷のつぶて"ヘイル!!」


 降り注ぐ氷の塊。雹にも似たそれらは、魔物めがけて一斉に落ちていく。

 背中で魔物の悲鳴を受け、そのままヴァダースを目指す。


 それを易々と通してくれるカーサではない。


 いつの間にか、リエレンが上空に飛んでいたらしい。気配に気づき視線を上に向ければ、彼の足の防具が赤く変色していた。


"炎熱が刻む刻印"ヴェルメシュテンペル


 隕石のように熱を纏いながら、リエレンがキックをする体勢で落下してきた。


 二歩ほど後ろに引き下がる。

 そこにリエレンの追撃が襲ってくる。

 掌底を繰り出そうとした彼の右腕を避けつつ、逆にその腕を掴む。

 詠唱はもう唱えてある。


"抱擁せよ氷の華"ライフウムアルムング!」


 "抱擁せよ氷の華"ライフウムアルムング。凍結の術の一つ。絶対零度にほぼ近い超低温のマナを対象の物質に纏わせることで、その活動を停止させる術だ。


 術を受けたリエレンの右腕が凍る。これで凍傷は負ったはず。

 一瞬怯んだ彼の隙を、見逃さなかった。


 前蹴りをリエレンの腹部に食らわす。

 力を入れ、容赦なく蹴る。

 崩れ落ちるリエレン。しばらくは動けまい。


 掴んだ腕から手を離し、ヴァダースの方に向き直る。しかし、彼の腕の中にいたはずのキルシュがそこにいない。

 一体どこに、と考えるよりも先に背後で何かが落ちる音がする。ちらりと一瞥した視線の先、魔物の眼前にキルシュがいた。

 魔物は、興奮状態に陥っている。先程の一撃では仕留めきれていなかったのか。


 魔物が突進を始める。


 何よりも先に、咄嗟に身体が動く。間に合え。

 魔物が突進するよりも先に、キルシュを守るように腕に抱く。


 直後に、背中に激痛が走った。あまりの衝撃に、一瞬息が止まる。受け身は取れなかったが、キルシュを守るその一心で自分を下に地面を滑る。川の周りだったこともあり、石の上を滑ることになった。


 何本か骨が折れただろうか。痛みで意識が朦朧とするが、腕の中のキルシュの無事を確認する。


「おにい、ちゃ……!」

「キルシュ……無事だ、な……?」

「やだ、お兄ちゃん、血が出てる……!怪我してる!死んじゃやだ……!!」


 とりあえず、膝の擦りむき以外に怪我はしていないようだ。そのことに安心すると、一気に意識が遠のいていく。気を失っては駄目だと理解はしていたが、身体がそれを拒否していた。


 ぼやける視界の奥で、見慣れた人物たちが駆けてくるような姿を、捉えながら。

 ゆっくりと意識を、完全に手放した。

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