第七十節  攫われた雪景色

 それはヤクとレイとの言い争いを鎮めて、直後のこと。スグリはヤナギと共に、道場で向かい合うかたちで会話をしていた。スグリの目の前には、先日の戦いで折れてしまった愛刀が、鞘から抜かれた状態で置いてある。

 刀を悲痛な面持ちで見るヤナギ。スグリは一度それを手に持ち、話始めた。


「この刀を、再刃してほしい」

「それは、構いませぬが……若様自身の刀はいかがされるのです?」


 問いにすぐに答えずに、一度目を閉じる。

 静かに、ある言葉を口にする。


「……"草薙"」

「な……」

「あるんだろう?父上の遺した"草薙"が、まだこの屋敷に」

「若様、なぜそれを……」


 ヤナギの声色が、動揺の色を濃くした。まさか自分が"草薙"と呼んだ刀を知っているとは、微塵も思ってなかったのだろう。


 "草薙"とは、代々ベンダバル家に受け継がれてきた宝刀のことだ。その昔その刀は世界戦争の折に、ある大蛇の腹の中から出てきたと云われている。

 約五百年前に行われた第三次世界戦争終結後。当時アウスガールズを治めていたリョースアールヴが、協力関係にあったベンダバル家の領主にそれを授けた。今考えれば、和平条約の証のようなものだったんだろう。第三次世界戦争終結後の勝利者の、人間による種族差別や狩りの歴史が始まっても、その土地では種族の壁を隔てずに共存していたのだ。授けられた刀はそれから今に至るまで、ベンダバル家を守っている言わば守り神。


 その話を、自分の父から聞いていたのだ。本当は大人になるまで聞いてはいけないという事実を、知っていながら。当時の父は戦に負け、衰弱していた。その話をしたのも、自分が後先短いと知っていたからなのかもしれない。

 自分が家を捨てた日、そしてアウスガールズを出た日。その刀を取りに行ける時間はなかった。今もここにあるはずだと、だからヤナギに話したのだ。


「ただ折れたから"草薙"が欲しいわけではないんだ。俺は、俺の守りたい人を守りたい……たとえそれが、相手の傷を深くしてしまうとわかっていても」

「ヤクの、ことですかな」

「この土地で起きたことについては、全部があいつのアキレス腱だ。刺激されることでまた、自分を追い込むともわからない……」

「若様……」


 昨日ソワンから聞いた、ブルメンガルテンの事情。あの時のヤクの表情は、と同じだった。恐怖と絶望が入り混じった、十二年前と。

 二度とあんな顔をさせたくなかった。彼の中では過去は吹っ切ることもできたのだと、自分も信じていた。それが自分の楽観視だということに、気付いていながら。そう思い込むことで、自分に言い聞かせてしまっていた。

 結局、自分は逃げていたという事実から目を背けて。残酷なことをしていたと、思う。SOSを、見て見ぬふりをしていたのだから。

 だからこそ、もう二度と。


「俺は、逃げないと決めたんだ」


 顔を上げた自分の表情を見て、ヤナギに去来したものはなんだろうか。静かに瞳を閉じ、語り始める。


「……諸行無常。万物流転の如く在る姿、天上を円転する星々に同じ。是即ち太極思想」

「それは……昔俺に説いた教え、だったな」

「左様です。これはベンダバル家の教え。立ち止まることは、苦しみを生み出してしまうこと。そしてその己を縛り付ける枷を外せるのは、己のみということ。……この思想を忘れないこと、亡き先代に誓えますか、若様」


 その言葉に対し左膝をつき姿勢を正して、ヤナギに首を垂れる。


「一度家を捨てた身なれど、思想は常に我が身の内に。亡き先代への敬意は、常に我が心の内に」

「……しかと、聞き届けました」

「爺……」

「強く、なりましたな。その姿であれば、"草薙"も若様を主と認めることでしょう」


 保管してある場所から用意する、とヤナギは立ち上がる。

 ふと、道場の外から自分とヤナギを呼ぶ声が聞こえてきた。切羽詰まったようなその声に、ただ事ではないと悟る。屋敷の方角に急いで戻った。

 庭にナカマドやエイリーク、レイやソワンがいる。彼らの足元にいる屋敷の子供たちは、どこか不安そうな面持ちだ。声をかければ、ナカマドが説明してくれた。


「若様、ヤナギ様。キルシュが行方不明になったと、子供たちが」

「行方不明?……ゆっくりでいい、説明してくれないか?」


 怒らないからと、頭を撫で彼らを落ち着かせながら訊ねる。


 それはヤクがつい先程単身で屋敷を出たとき、キルシュと一緒に子供たちはその姿を目撃していた。屋敷を出る前に彼らに声をかけ、別れの挨拶を告げてから、ヤクは出て行ったとのこと。淋しかったが、また逢える時が来たら来ると約束してくれたそうだ。しかし一人だけ、キルシュは彼が気になっていた。ちらちらとヤクが消えた方角を見ては、そわそわしていたという。そして目を離した隙に、キルシュがいなくなっていたのだと。


 それを聞いてスグリは確信する。キルシュは、ヤクを追いかけに行ってしまったのだと。捜索に行くほか、選択肢はなかった。

 キルシュはただの子供ではない。世界保護施設の実験台にされていた子供だ。万が一にも奴らがキルシュを見つけてしまったら、再び誘拐されかねない。事態は思っている以上に一刻を争う状態だ。

 屋敷にレイとソワン、ヤナギを残す。ナカマドは村周辺を、自分とエイリークで馬を使い、遠くの川など探すことにする。屋敷に人員を残す理由として、行き違いを防ぐためだ。もし帰ってきたら、レイが合図として空に術を放つよう指示する。

 各々が理解して、行動を起こす。何故か、嫌な胸騒ぎを感じながら。


 馬を走らせて数分だろうか、知っている感覚のマナを感じた。ヤクのそれだ。

 何故、ヤクのマナを感じるのか。あいつはただ軍に戻るだけのはず。

 誰かと戦っているのだろうか。まさか相手は、世界保護施設の人員か?


「エイリーク、急ぐぞ。ヤクが誰かと戦っている」

「はい!」


 頼む、どうか。

 どうか


 森を抜けた先に広がる、川の景色。その岸に、倒れているキルシュの姿が目に入る。

 そして、黒い人物が二人。そのうちの一人が、何かを抱いている。

 空色の髪、白い軍服。見間違うはずない。


「ヤク!!」


 気を失っているのか、呼ばれても動く気配がない。彼を抱いている人物──カーサのヴァダース──が、こちらに気付く。


「案外早い到着ですね、スグリ・ベンダバル。そんなにこの彼のことが心配なんですか?」

「貴様、目的は女神の巫女ヴォルヴァのレイじゃなかったのか」

「いいえ?もちろん彼も目に付けてますよ。しかし私個人としては、この彼に興味があったのでね。もらっていきますよ」


 それに飛び出したのはエイリークだった。


「そんなことさせるか!"小さな雷撃"プティトネル!」


 エイリークの手の中で生み出された電撃がヴァダースに直撃する前に、もう一人の黒い人物が立ち塞がる。片手を突き出すだけで、彼の電撃を払った。初めて見る人物だったが、エイリークは顔見知りだったようだ。忌々しく説明する。


「アイツ、俺とソワンさんがレイを助けるために行った、フヴェルゲルミルの泉にいたカーサ四天王の一人です……!」


 とすると、最後の四天王の人物というわけか。両腕が異形のモノになっている。左腕のある一点だけ、違和感に感じるほど赤く腫れあがっていた。この人物がヤクと戦っていたとするなら、凍傷でもさせられたか。

 そちらにばかり気を取られ、ヴァダースが詠唱していることに気付くのに遅れてしまう。しまったと思った時にはすでに術は展開されていた。彼ともう一人のカーサの足元に広がる、空間転移の陣。


「待て!」

「それではまた、ごきげんよう」


 手を伸ばすが、掴んだのは空だけで。

 ……また、守ることができなかった。


「くそっ……!」


 あんな不安定な状態のヤクを、どうしてあの時追いかけなかったのか。自分が本当に情けない。いつも口先だけじゃないか。


 自分を責めるが、エイリークの声で我に返る。倒れていたキルシュは、両膝を擦りむいていた。ひとまず川の水で洗浄してから、応急処置として自分の使える治癒術を使う。ふるり、と瞼が揺れる。ゆっくり目を覚ましたキルシュ。


「キルシュ、良かった……」

「……空色の、おにいちゃんが……」

「……すまん。助け、られなかった……」

「ちがうの、ぼくのせい!ぼくが……ぼく、が……!」


 キルシュは、ぽろぽろと涙を流す。キルシュのせいじゃない。ひいては全て、自分の甘さが招いてしまったことだ。大丈夫だと小さな背中を撫でながら、強く後悔するとともに、必ず助け出すと誓った。

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