第六十六節 水面下で覗き込む
キルシュが保護された日の翌日。
彼の怪我はレイの治癒術により完治して、立って歩ける状態にまで回復。他の子供たちがキルシュを遊びに誘っていたことで、固かった表情が少し綻んでいた。ひとまずは安心した。嬉しいと感じていることは、この子にとっては幸せなことだ。ヤクとスグリはそう言って、彼らを微笑ましそうに見ていた。
レイもまた彼らと同じく、キルシュの様子に安堵していた。自分も気に入られたのか、朝食の時は彼が横にちょこん、と座っていた。不思議そうに、用意されていた朝食を見る姿が可愛らしくて、一つ一つ丁寧に教えた。おっかなびっくりで一口食べ、好みの味だとわかると初めて笑顔になる。楽しいこと嬉しいことを覚えて、実験台にされていたことを忘れてくれればいいのだが。
しかしそれは、エイリークに昼食を届けて屋敷に戻った時だった。
「お引き取りください」
やたら威圧のあるヤクの声が聞こえ、彼のところに向かう。
屋敷の縁側に立っていたヤクは、視線を庭の先に向けていた。彼の背や足には、キルシュや屋敷の子供たちがしがみついている。何かに怯えているようであり、目を強く閉じているうえに身体が震えているようだった。全貌が見えるようにと一度縁側とは反対側へ回り込み、ヤクの背後に立つようにして部屋に入る。柱の陰から覗き込むように様子を窺う。
庭の先では、石造りの壁──塀と教えてもらった──から顔を出し、こちらを窺っている中年の男性が見える。嘲笑染みた、卑しい笑みが張り付いている男。いい印象は持てなかった。
「そんなに邪険にしなくともいいではないかノーチェ。久し振りの再会なのだからもっと喜んでくれると、俺も嬉しいのだが?」
「……子供たちが貴方を怖がっていること、わかりませんか?」
「そう言われてもだなぁ……。俺だって子供たちの様子が気になって、こうして会いに来たんだが……」
ヤクの言うことなどどこ吹く風と、男は真剣に取り合おうとしない。自分が言われているわけではないが、腹立たしくなってきた。何か文句の一つでも言ってやろうかなと、足を向けようとする。それよりも早く、廊下からヤナギの声が響いた。
「何をしておる!?」
「おっと、時間切れのようだ」
廊下に現れたのは、ヤナギとスグリだ。ヤナギは、今日はエイリークの修行には付き合っていなかったらしい。スグリもヤナギも塀の奥にいる男性には好意的ではなく、寧ろ敵意のようなものを抱いているような態度だ。
「何をしておると尋ねたぞコウガネ!」
「なんにもしてませんよヤナギ領主代理。ただ子供たちの様子が気になったので、近くに寄ったついでに顔を出そうと思いましてねぇ。そしたら懐かしい顔ぶれがいたものですから、つい話し込んでしまって」
「戯言を……。早くこの場から立ち去れ」
「そんなに怒らなくてもいいじゃないか、元次期領主のスグリ坊ちゃん。俺だって喧嘩しに来たわけじゃないんだから」
のらりくらりと、ヤナギとスグリの言葉を躱す男。やがてヤクも含めた三人からの鋭い視線に、ため息を吐きながら答える。はいはい、と肩をすくめた。
「わかった、わかりましたよ。俺だって氷漬けにされるのは勘弁なんでね。ここらでお暇しますよ」
男は最後に一度、ヤクを一瞥してからその場を立ち去った。
完全に視界から消えたことを確認すると、ヤクたちは子供たちに向き直った。声をかけると、いつもの明るさは何処へやら。しがみついて泣き始めてしまう。ヤクたちは子供たちの頭を撫で、彼らを慰める。そこでようやく自分も我に返り、泣いてる子供をあやす為に傍に向かう。
「師匠?」
「ああ……お前か」
「その、さっきの人って誰だったの?」
一人の子供が自分にしがみつく。ぽろぽろ涙を流し、頭を押さえつけてくる。いたたまれなくて、背中をよしよしと撫でる。ヤクの代わりに、ヤナギが自分の問いに答えてくれた。
「あの男はコウガネ・ベンダバル……。先代領主の弟君であり、そして一族の面汚しにあたる男よ」
「面汚し?」
「……まぁ、色々やらかしてくれた輩よ。あやつの行動の犠牲になったのが、この子達でな……」
それでトラウマになり、顔を見るだけで怯えてしまうのだという。詳しく聞こうにも、それ以上ヤナギも、さらにスグリもヤクも何も答えてはくれなかった。言いたくないのなら、無理に聞くのはいけない。
いつか、話してくれるかな……。そんな淡い願望を抱きながら、子供たちが落ち着くまで部屋から離れなかった。
******
その後子供たちは落ち着いて、泣き疲れたのか寝てしまう。全員を布団に寝かせる手伝いをした後、レイは一人村の外れまで歩いていた。ヤクたちは何か話をするらしく、ヤナギに呼ばれていたのだ。手持無沙汰になり、とりあえず村をしっかり見てみようと思っての行動である。
ふと土手を歩いていると、一人の男が少し離れた場所から村を窺っている。普通に村を見下ろしているのならまだしも、隠れるようにして様子を見ていた。言ってしまえば、明らかに不審者である。
この村に最初に来た時の、ヤナギの言葉を思い出す。ここ最近、この土地に何やら不穏な兆しが見られている。あの男が原因かもしれない。万が一にと持ってきていた杖で、男に向かって攻撃した。
「
「へ?」
男は初めてレイの存在に気付くも、時すでに遅し。防ぐ手立てもなかったらしく、攻撃が直撃したらしい。情けない悲鳴を上げた男の生存を確かめるべく、男のもとに向かう。地面に倒れ、伸びていたその人物に杖を向けて警告した。
「大人しくしろよ、この不審者!」
「な、なんだよ突然!?俺はただの考古学者だって!」
「嘘つけ!ならなんで隠れながら村を見てたんだよ!?」
「は?村?俺が見てたのはこの土!ここの土の下に何かいないかなって、調べてただけだってば!」
男は自分が持っていた道具や、レポートを挟めている紙を見せた。さらに旅券なども見せ、敵意がないことを示してきた。それに対し冷静に男を観察する。
……確かに敵意の類は感じられない。見せられた旅券も本物だ。偽装されている痕跡もない。ただ一つ気になり、それについて尋ねることにした。
「じゃあその弓みたいなのは、なんだよ?」
「これは護身用。魔物に遭遇した時とか、狩猟のとき獲物をしとめるために持ち歩いてんの。考古学者って言っても、俺はまだ駆け出し。傭兵を雇えるだけの金はないの。わかったか?」
「……ごめん、俺の思い違いでした」
「わかってくれたのならいいさ」
いてて、と腕を抑える男。謝罪についでに、男の怪我に治癒術をかけた。完治した腕を見て、男は驚嘆の声を漏らす。
「お前、こんな強力な治癒術使えるんだ?」
「使えるといっても、ここ最近のことだよ。えーっと……?」
「ああ、自己紹介がまだだったな。さっきも言ったけど、俺は考古学者をしているラント・ステル。ラントでいいぜ」
「俺はレイ。レイ・アルマだ。よろしく」
二人はしばらく、その場に座って様々な話をする。案外気が合って、ラントの話を聞くことを楽しく感じていた。ふと思いついたのか、彼に尋ねる。
「考古学者って事はさ、ラントは土地に詳しいんだ?」
「詳しいっていうか、一度行ったことのある場所のことなら覚えてるぜ」
「じゃあ、アウスガールズにあるウールズの泉。どこら辺にあるか知ってたりするか?」
「ウールズの泉?観光にでも行くのか?」
その質問に、そんなところだとはぐらかす。まさか自分は女神の
フヴェルゲルミルの泉の潜在意識の中で出会った、ウルズという女神から聞かされたことを思い出していた。自分は、スクルドに逢わなければならない。全ての真相を彼女から聞くために。そのためにも、ウールズの泉に行かなければならないのだ。
ラントは目を閉じて、思い出そうとしていた。そして数分ののち、思い出したと顔を上げた。
「ここからなら、ウールズの泉まではそんなに遠くないぞ。一日もあれば行って帰ってこれるからな」
「本当か!?」
「おお。なんなら、今から行ってみるか?」
その誘いに乗ろうとしたが、ふと考える。
魅力的な誘いだが、仲間たちに何も言わないで勝手に遠出することは憚られる。それに泣いていた子供たちのことも、まだ心配だ。幸い、ミズガルーズ国家防衛軍からの使者もまだ来ていない。一日二日なら、まだ猶予はあるだろう。そう考えて、断った。
「今日は、いいや。まだやらなきゃいけないこともあるし」
「そっか。なら、そこまでの地図書いてやるよ。俺はもう行かなきゃならないけど、地図さえあればどうにかなるだろ?」
「いいのか?」
「袖触れ合うも他生の縁。これも何かのきっかけってことだろ。それにもう、俺たち友達だろ?」
「友達って、まだ会ったばかりじゃねぇか」
「細かいことは気にするな!いいじゃねぇのよ、好意があってのことなんだからさ」
ラントが白紙の紙を取り出し、地図を描いていく。案外几帳面な文字を書くんだなと、書かれた文字を見ながら思った。失礼になると悪いから、言わないけども。
やがて綺麗にまとめられた地図を渡される。見やすい上にわかりやすい地図だ。これなら迷子になる心配もなさそうだ。嘘を書き込まれているかもしれないが、ラントが誠実な人間だということを信じるしかない。万が一迷ったら、次もし遇えた時にキツイおしおきをくれてやるまでだ。
「ありがとな」
「おうよ。ウールズの泉は綺麗な場所だからな、きっと癒されるぜ」
「楽しみにしとく」
さて、とラントは立ち上がる。次の観測地を探すらしい。
「稼げるように頑張れよ」
「ありがと、じゃあまた」
「ああ」
ラントと別れる。空を見上げると、だいぶ陽が傾いていた。
遅くならないうちにと、レイも屋敷へ踵を返した。
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