第六十五節 小さな泣き声

 夢を見た。

 村を、炎が取り囲んでいる。見知らぬ村だ。村の中に、ある施設があった。なんの施設かはわからないが、何故かそこを見ると苛立ちを覚える。そこまで気付いて、自分は今誰かとシンクロ状態にあるのだと理解した。

 視界に広がる景色は自身が見ているのではなく、自分以外の誰かが見ている。自分はそれを、共有しているような感覚だ。施設が大きな音を立てて爆発する。


 と思った。

 

 何を悲しむ必要がある。逃げ惑う人間を助ける義理が、どこにある。嗚呼、いい気味だ。


 そんな中、ズボンを引っ張られる。視線を落とせば、そこにいたのはボロボロになっている一人の少年。助けを求めるような、でも何処か絶望してそれを受け入れたような、生気のない表情。彼を見て、胸が締め付けられる。


 


 そう思わざるを得なかった。少年は最後に、儚く笑う。


「お願い、殺して……?」


 ……彼はもう、自分が死ぬ以外に自身が解放されることはないと。抱いていた希望を打ち砕かれ、絶望の果てに、その考えに至ってしまった。ならば自分ができることは、彼の望みを叶えてあげることだけ。

 一つ、謝罪する。それに対し少年は一言返す。


「ありがとう」


 その言葉を最後に、炎と血飛沫が視界全体を覆った。


 ******


「……変な夢……」


 見上げた先には見慣れた土壁と、梁と呼ばれる木の枠が見える。

 女神の巫女ヴォルヴァの力を理解して以来、時々こうして誰かとシンクロしているような夢を見るようになった。これから先に起こる未来を予知したのだろうか。ただこの夢は世界の危機、という夢ではないように思えた。寧ろもっと身近な、自分たちの身に降りかかる出来事なんじゃないかと漠然と感じる。

 起き上がり、布団をたたむ。朝食を食べなければならない。エイリークはどうやら修行に出かけたようだ。精が出るな。


「ん?」


 廊下の先がなんだか慌ただしい。何か問題でも起きたのだろうか。やがて反対側からボロボロの子供を抱えたナカマドと、ヤクが来た。自分がいることがわかったらしいヤクに、名前を呼ばれる。


「レイ、すまないが来てくれるか」

「どうしたのさ師匠、そんな慌てて……」

「詳しくは後で話す。お前の治癒術で、あの子を癒してほしい」


 ヤクは強力な魔術は使えるが、治癒術だけは使えない。今この屋敷にいる人物たちの中で、治癒に最適なのは自分だけだと伝えられる。理由を必ず話してくれることを約束し、彼と共にナカマドを追った。

 向かった部屋では一人の子供が、ナカマドによる傷の手当てをされていた。手伝うと伝えて、子供に治癒術をかける。蒼白だった顔色に、ほんの少し血が通う。出血していた箇所も癒せたことで、血が止まる。


「レイ殿、感謝する」

「いや、これくらいならお安い御用です」

「この村の近くには医者がいないからな、お前がいてよかった」

「へへ、それ程でもないよ」


 安静にさせるため、ナカマドが子供を布団に寝かす。その顔を見たとき、脳裏にあの夢が蘇った。見間違うはずもない。この子は今朝見た夢に出てきた、あの子供だ。


 じゃああの夢は、これから誰かの身に起こる未来だというのか。


 固まっていたところに、ナカマドから声をかけられる。意識が現実に戻された。何でもないと誤魔化して、一緒に子供の様子を窺う。

 元から屋敷にいた子供たちが部屋に入ってくる。騒ぐことなく自分やヤク、ナカマドの隣に座って、同じように眠っている子供を見ていた。


「師匠、この子いったい……」

「この子は、ここから三つほど離れたハイマート村から逃げてきた子供だ」

「逃げてきた……?」


 ヤクの表情が険しくなる。何かに対して、ひどく憤慨しているような雰囲気だ。そんな彼の代わりに、ナカマドが答え始める。


「……ハイマート村には、世界保護施設の研究所があってな」


 世界保護施設。人体実験、他種族の研究、殺処分という悪逆非道を行い、人間の能力開発にまで手を出している施設。スグリから聞かされていたが、実際に被害に遭っている子供を目の前にして、言葉が出なかった。


「じゃあまさか、この子供も……!?」

「……隙を見て、逃げてきたのだろう。倒れているところを、俺が見つけてな」

「……レイ、この子の足首を見てみろ」


 氷のように鋭く冷たいヤクの言葉。言われたように足首を見ると、ある機械が嵌められていた。そこに記されている文字を見て、血の気が引く。


『実験台 被験者番号09』


 これではまるで、奴隷と何も変わらないじゃないか。あまりにも惨い現実だ。握り拳に思わず力が入る。

 徐にヤクから自分と子供たちに、少し離れるよう告げられる。それを聞いた子供たちが、レイのところに集まった。何をするのかと様子を窺えば、ヤクが機械の上に手を翳して小さく詠唱を唱える。弱めの攻撃魔法の呪文だ。

 ヤクが術を発動させ、足枷になっていた機械を破壊する。彼はそのまま壊した機械を手に持ち、冷気のマナをそれに送る。やがて凍り付き脆くもなったそれを、力一杯に握り潰した。パラパラと呆気なく崩れる機械。機械を壊す時ヤクがどんな表情をしていたか、はっきりと目にしていた。


 あんな、何かを強く恨んでいるような師の表情を見たのは、初めてだった。


 子供が身じろぎをする。意識が戻るのだろうか。ゆっくりと開かれた瞳は、透き通る綺麗な萌葱色。キョロキョロと辺りを見渡し、小さく呟く。


「……どこ……?」

「ここは、ガッセ村のある屋敷だ。……自分の名前、言えるか?」

「なまえ……。……実験台、の?」


 この子は、自分が実験台にされていたことを理解していた。それがなんとも痛ましく、自分の名前よりそちらを優先させることが不憫でならない。

 ナカマドは首を横に振り、子供に伝える。


「違う。お前自身の名前だ」

「……言って、いいの?」

「もちろんだ。ここには、お前に酷いことをするような人間はいないぞ」

「……キルシュ……」


 子供、キルシュはそう名乗る。一度頭を撫でたナカマドが、自己紹介をしてから自分たちのことを紹介する。キルシュは一通り全員を見てから、小さな手を布団から出し、ヤクの着物を掴む。

 何か感じるものでもあるのだろうか。ヤクもナカマドがしたように、優しくキルシュの頭を撫でた。


「……セルブル、は……?どこ……?」

「セルブル……?」


 キルシュが言うには、どうやら逃げる際、他にも一人いてくれたらしい。その子が脱走の機会を見つけてくれて、途中までは一緒だったとか。隠れながら逃げ出していたが、見つかりそうになった。その時に二手に分かれよう、あとで必ず合流できるからと言われたとのこと。

 その言葉を信じ逃げていたが、身体の痛みからか記憶がない。ここで目を覚ますまで、自分がどこで倒れていたかも分からないのだと。


 彼の告白に顔を見合わせる。ナカマドは声は出さずに、小さく首を横に振る。キルシュを見つけた時、そばには誰もいなかったと。彼の態度が、その事を告げていた。


「……キルシュ、そのセルブルって子の特徴とか分かるか?俺たちが協力して、必ず見つけ出す」

「……セルブル……」


 不安からか、身を屈めて丸くなる。その瞳が潤んでいた。そんなキルシュを、ヤクが頭を撫でて慰める。


「……ナカマドさん。今は……そっとしておきましょう」

「そう、だな。思えば、まだ起きたばかりだったな……悪いことをした」


 キルシュは、きゅ、とヤクの着物を掴んで啜り泣く。慰めるように、屋敷の子供たちも優しく頭を撫でていた。

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