第六十四節 膨らむ疎外感
ベンダバル家の使いの人が、屋敷を出てから三日が経つ。この村に来てからは実に八日目。使いの人は、そろそろ港町エーネアに着いた頃合いだろうか。一人、森の中を進みながら考える。
最近エイリークは強くなるために、ヤナギから言い渡された修行メニューをこなす日々を送っている。スグリも時間がある時は、道場で鍛えている姿を目にする。ヤクはどうやら屋敷に住んでいる子供たちに気に入られ、よく連れ回されているようだ。
自分だけが、何も出来ていない。今だってこうして、森の奥にある川の麓で修行をしているエイリークに、昼食を届けることしかできない。
何処と無く、孤独感に苛まれていた。
森を抜けると、流木を渡っているエイリークの姿が見えた。ヤナギが進行を妨害している中、するすると渡っている。あと少しというところで、足元がもつれ川に転落してしまった。思わず駆け出す。
「エイリーク!?」
「あれ、レイ……?」
川から顔を出し、自分が来ていたことに驚いたようだ。少し目を丸くして、こちらを見ている。どうしたのと尋ねられ、手に持っていた包みを見せた。
「もうすぐお昼だから、弁当持ってきたんだ。ヤナギさんの分もありますよ」
「これはかたじけない。それでは昼食にするか、エイリーク殿」
「はい!レイも一緒にどう?」
「サンキュ。実は自分の分も持ってきてたんだ」
川から上がったエイリークに乾燥の魔術をかける。便利だとヤナギが笑う。川の麓に座り、昼食を共にした。お弁当の中身は、おにぎりと鶏の唐揚げ。
おにぎりの中身は、焼いた鮭をほぐしたものと梅干し。おにぎりは台所に立っていた給仕の人に頼み込んで、自分も握った。自分のできることと言ったら、それくらいしか思いつかなかった。
一口ほおばる。硬すぎず柔らかすぎず、程よく握られていたおにぎりはほんの少しの塩味。二口食べれば、焼き鮭のうま味が口の中にふわっと広がる。冷めても美味しく食べられるよう、鶏の唐揚げは味を染み込ませていた。からっとした食感と噛むほどに味が染み渡る、特製だと教えられた衣の具合もばっちりだ。
「美味しいよこれ!」
「まこと、美味なり」
「うん、上手くできててよかった」
外でこうして食べるからだろうか。普通のおにぎりのはずだが、一段と美味しく感じた。お弁当に舌鼓を打ちながら、しばし談笑する。
「それにしても、ずっとこんな修行してるのか?」
「まぁね。最初は全然だったけど、漸く体が慣れてきたんだ」
「エイリーク殿は、潜在的な身体能力が高い。吸収も早く、某も感心しておる」
「ありがとうございます」
嬉しそうに笑う彼を見て、嬉しく思う。邪魔をしてはいけないな。
「じゃあ俺戻るわ。修行頑張れよ」
「ありがとうレイ」
「レイ殿、屋敷に戻られたらナカマドに伝言を頼めるだろうか?某は本日は夜は戻らぬ、例の場所の様子を見に参る、と」
「はい、わかりました」
ヤナギの内容も気になるが、詮索はしないでおこう。食べ終わった三人分の弁当の包みを持って、その場を後にする。
なんだか、エイリークが強く見えた。体じゃなくて、心が。強くなるための目標があるからだろうか。一回り大きく見えた。
無事に屋敷に戻り、ナカマドを探す。この時間帯、彼は恐らく自室で写経をしているだろう。ここ数日で、この屋敷内にいる人たちの行動はある程度把握していた。
彼の部屋の前で声をかけ、ヤナギからの伝言を伝える。伝言を聞いた彼は、一瞬表情を曇らせたがすぐに元に戻った。礼を述べられ、手に持ったままの包みを台所へ持って行く。誰もいなかったので、水場をお借りしてそれらを洗った。
さて、何をしよう。当てもなく屋敷内を歩いて、辿り着いたのは道場だ。やたら静かで誰もいない、と思ったがそこには先客が一人。道場の真ん中で、瞑想をしているように見受けられた人物。スグリだった。
声をかけようとして、先にスグリの方から名前を呼ばれた。
「レイか?」
「よくわかったね。……何してるのさ?」
「坐禅だ」
「ざ、ぜん?」
坐禅とは、無念夢想の境地で精神統一するということ。 調身、調息、調心と言われ、姿勢、呼吸、心を整えるためのものだという。やってみるか、と誘われたのでご一緒させてもらうことにした。
心は解き放ち、浮かんでくる想念を追いかけないようにする、とは言われたものの。頭には次から次へと、心の中で思ったことが浮かんでくる。その様子を想像できていたらしく、スグリは笑っていた。
「お前にはまだ難しかったか」
「ごめん。これじゃ俺、ただ邪魔しているだけだよな……」
「まぁ、最初のうちはいろいろ浮かんでしまうものだ。気にするな」
「ありがとう……」
「だがこうして精神統一をして、己の中と向き合うのは、魔術の修行にも繋がる。鍛えられた精神があれば、自分の中のマナを滞りなく伝えることができるからな」
ということは自分の師匠のヤクも、こうして坐禅なり瞑想なりをしていたのだろうか。そういえば、今ここには自分とスグリしかいない。気になっていたことを聞くには、ちょうどいい環境だ。
「……スグリさ、両親っていないの?」
「どうしたんだ、突然?」
「なんていうか、その……。俺、スグリのこと全然知らなかったんだなってさ。こういう機会でもないと、聞けないからって思って」
「俺のことなんて大して面白みもないぞ」
「それでもいいよ」
スグリは口を閉ざす。拒否、されているのだろうか。少し不安に駆られる。しばらく沈黙していたが、やがて彼は答え始める。
「母親は、俺を産んですぐに亡くなった。父親は、俺が十二の時に死んだ」
「……ごめん」
「お前が気に病むことじゃない。それに、父上は俺に多くのことを残してくれた。感謝している」
「そっか……」
偉大な父親だったんだ、と思った。
自分には、親の記憶がない。ない、というよりは覚えてないと言った方が正しいかもしれない。生きているのか死んでいるのかもわからない。しかしどっちだろうと別に構わなかった。だって自分には、幼い頃から彼やヤクが傍にいてくれたのだから。
でも、だからこそ気になった。
「そんなお父さんがいたのに、なんでスグリは家を捨てたんだ……?」
なんだかんだ、スグリとも付き合いは長い方だ。彼の人となりは、それなりに把握しているつもりである。彼は誠実だし、物事を冷静に判断できる人物だ。
そんな彼がそう簡単に家を、しかも次期領主という立場だったのに、捨てるなんて。よっぽどのことがなければ、ありえないと思ったのだ。
彼の答えを待つ。風が庭の木々の葉を揺らす。さわさわと音が鳴る
「家よりも守りたいものを見つけたからだ」
「家よりも、守りたいもの……?」
「そうだ」
そう答える彼の表情は真剣だった。景色を見ているのではなく、その"守りたいもの"を見ているようだった。
……守りたいものがあるから、みんな、強くなろうとしているのかな。
「お前にも、いつか必ずわかるさ」
「え?」
心の中で思っていたことだったのに、口に出していたようだ。視線だけをこちらに向け、スグリは笑う。
「焦らなくても、きっと見つかるはずだ。心から大事だと思える、何かが」
「……ありがとう」
「坐禅、もう少しやっていくか?」
「うん」
もう一度姿勢を正す。
頬を撫でる風が、まるで頑張れとエールを送ってくれているようだった。
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