第五十八節 敗北

 一番最初に目に入ったのは、溢れんばかりの竹だった。辺り一面は竹に囲まれ、地面はカーペット代わりと言わんばかりに、笹の葉にまみれている。ただしその緑一面な光景に感嘆の息を漏らせるだけの心の余裕は、今のエイリークにはなかった。


 つい今しがたの光景を思い出す。自分の目の前でまた、捕らえられることになってしまったグリム。最後まで一度もこちらを振り返ることなく、再び彼女と離れ離れになってしまった。

 いったい自分は、何をやっていたんだ。いつも助けるだなんて口ばかり。結局自分は何一つ出来ていない。何がバルドル族だ、何が守るだ。ヴァダースとの戦いだって、レイにまで迷惑をかけた。どこまで情けないのだろう。無力なんだろう。自分自身が許せない。


「エイリーク……」


 レイの、自分を呼ぶ声で思考が現実に戻る。振り向けば、心配そうに自分を見る瞳とぶつかった。


「どうしたの?」

「どうしたのって、お前……。その、ごめん。俺……」

「レイは何も悪くない。俺ばっかり足引っ張って、ごめんね」

「そうじゃない!そうじゃなくて……」


 レイは一度俯いてから、絞り出すように言葉を続けた。


「折角仲間に出会えたのに……何にもすることができなくて」


 彼が言うには、ヤクとスグリに術を施している間、ちらりとこちらの様子を窺っていたとのこと。それで知ったらしい。グリムが自分たちを助けてくれたこと。彼女の発動させた空間転移の術で、あの場から離脱したということ。そして必死にグリムを呼んでいた、自分のこと。

 手を差し伸べることもできなかった。手伝うだなんて言っていたのに、何もすることができなかったと。そのことで謝りたかったと述べるレイに、大丈夫だと返す。


「けど!」

「あの時……グリムが言った言葉が聞こえたんだ」


 待っているぞ。


 あの時確かに、彼女は言った。信じているのだ、自分がまた必ず来てくれると。いつも言葉少ないグリムだが、自分との間には絶対的な絆のようなものがある。普段なら誰に頼ることもない彼女が、待っていると言った。だからきっと。


「だからきっと、必ず会える。会いに行って今度こそ助ける。だからレイが俺に謝る必要なんてないんだよ。大丈夫」

「エイリーク……」


 笑う自分を悲痛な面持ちで見ていたレイだったが、やがて一つ頷く。

 その様子に納得して、気になっていたことを尋ねる。ヤクとスグリのことだ。レイの治癒術を受けても、未だに二人は目覚めない。顔色は、だいぶ良くなったようにも見えるが。


「一応、止血は出来たよ。あの時の俺に残っていたマナを、限界まで注いだ。小さな傷は塞がったけど……スグリの肩とか師匠のマナの消耗までは、治すことができなかった」


 悔しさに耐えるように、レイは苦々しく呟く。こんな時にソワンがいてくれたら、と呟いた。横顔を見れば、憂いが顔に張り付いている。不安も、あるのだろう。自分も不安を隠せない。

 せめて安全が確保された場所で、ゆっくり休ませたい。ただここがどこか分からない以上、無暗に動くことも危険だ。


 考えろ、ここがどこなのか。そも大陸を跨いでの空間転移は不可能だ。確かにグリムは強い。デックアールヴである彼女は、マナを豊富に吸収することもできる。扱いにも長けていた。

 しかしいくらそんな強い彼女でも、大陸間での空間転移は無理だ。空間転移の術は、そうそう使えるものでもない。使った後のマナの消費による身体への負担だって、普通に魔術を使う時の倍以上大きくなる。


 グリムの、あの時の目的はなんだ。あの時は彼女を除いて、自分を含めた仲間は全員、満身創痍だった。回復薬で助かったレイも、すぐに動けるわけでもなかった。目の前にはヴァダースを含め、腕の立つ敵が三人。


「そうか……」


 彼女の目的は、自分たちをカーサから離脱させること。つまりあの空間内から放り出すことだ。ならばここはまだ、アウスガールズ国内だということになる。

 ただし国内だと分かったとて、土地勘がない以上動きようがないのも事実。


 さてこれからどうしようかと悩む二人を、激しい物音が邪魔をする。近付いてくるそれらを警戒して、臨戦態勢に入る。今ここで戦うのは危険だ。消耗している自分たちに、数で襲われたら圧倒的に不利である。

 ……追い払うことができれば、あるいは。


 竹林の間から出てきた集団は、一様に軽装に身を包んでいる。腰にはスグリと同じような、細長い鞘を下げていた。柄に手をかけたままであり、じりじり、と独特な進み方で近付いてくる。それにしても、なんなのだろうか。この感じたことのあるような出で立ち。


 少しずつ追いつめられ、後ずさる。後ろにはまだ倒れたまま、目を覚まさないヤクとスグリがいる。これ以上近付かれたら、迎撃に出るしかない。

 大剣を構え、いつでも反応できるようにと集中する。ふと自分たちを取り囲んでいた人物の一人が、エイリークたちの足元を見て動きを止めた。その人物は、隣にいた年老いている男性に耳打ちする。彼もその人物と同じように足元を見て、一驚する。小さい声で呟く声が聞こえた。


「若様……!?」


 知り合いでもいるのだろうか。相変わらず警戒して構えていたが、年老いた男性から殺意が消えた。柄から手を放し、敵意がないということを訴えかけてくる。驚くことに老人が構えを解くと、周りの人物たちもそれに倣うように殺気を解いていった。

 突然の行動に、レイと共に動揺する。一番最初に警戒を解いた男性が、一歩前に出て話しかけてきた。


「少年たちよ、武器を納められよ。我らは誤解をしていたようだ」

「え……?」

「誤解……?」


 顔を見合わせて、どうしようかと悩んだ。とはいえ相手から敵意が消えたことは本当だ。何が起こっているか理解できないでいたが、どうやら切り捨てられる心配はなくなったようだ。こちらも武器を下す。


「感謝する。ところで、後ろの御仁の方々は怪我をなされているのか?」

「は、はい。えっと、その……どこかに休められそうな場所か、医療施設はありませんか?」

「残念ながら、ここは古い土地。病院の類は、この付近にはない」


 突きつけられた現実に、顔から血が引く。それはレイも同じようだった。

 そんな自分たちを見て、しかし、と男性は言葉を続けた。


「休める場所というならば、我らが屋敷が近くにある。安全は保障しよう」

「本当ですか!?」

「然り」

「エイリーク……」


 不安そうにレイが見上げてくる。確かに一抹の不安はある。罠ではないと言い切れることもできない。だがここでその誘いを断って、そのあと安全が保障できると確信はできなかった。

 ここは、その誘いを受けてみよう。一つ頷いて、男性に向き直る。


「案内を、お願いできますか?」

「承った」


 男性が右手を上げる。合図だったのだろうか、周りを囲んでいた人物たちが一斉に動く。彼らはヤクとスグリを落とさないようにと、丁寧に抱えた。

 準備が整う。先頭を年老いた男性が歩き、その後ろにエイリークとレイがつく。その後ろに抱えられたヤクとスグリ。殿を、手の空いていた残りの人物が務めた。


 竹林を抜けると、村が見えた。段々畑がそこ彼処に点在して、村人であろう人間が農作業をしている。水車が回っている屋敷もある。一見すると、穏やかな村だ。


 歩き続けていると村の奥の、一際大きな屋敷に通された。見たことのない造りをしている。随分と立派な屋敷だ。敷地も広い。この村を収める領主の家なのだろうか。

 スライド式の扉を開けると、玄関が広がっている。靴を脱ぐように指示され、言われた通りに従う。靴を脱いで中に上がれば、ひんやりとした廊下の木の温度が伝わってくる。


「そちらの御仁たちは、部屋にて安静にさせよ」


 男性の指示に、的確に動いていく他の人物たち。不安で思わず目で追うが、安心するように言われる。取って食ったりなどはしない、と。

 男性から話があるとのことで、広い部屋に通される。見たことのない、若草色のタイルが敷き詰められていた。


「少年たちは、畳を見るのは初めてか?」

「タタミ?」

「アウスガールズの僻地の家々は、このように草を編んだ板を敷き詰めるのだ。好きに座られるとよい」


 タタミ、の上に四角いクッションのようなものが置かれる。そこに座っていい、ということか。好きなように、とのことでその上に胡坐で座った。その反対側に男性が座る。


「さて、まずは自己紹介と参ろうか。某は名をヤナギ、姓をベンダバルと言う」


 男性のその名前に、エイリークとレイは驚愕することになった。

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