第五十六節 指揮者の演奏

 レイのいた地面が、燃え盛っている。

 辺り一面を覆い尽くす、火の海。


「そんな……レイ……!」


 絶望的な状況。一瞬にして、怒りが全身を満たす。レイの笑顔が、頭をよぎった。


「ヴァダースゥウアアア!!」


 全身の血が沸騰するんじゃないか。それくらい強い怒りを抱く。身体の傷の痛みなんて知ったことじゃない。あの男を倒したいと。ここまで強い憤怒を感じるのは、いつ以来だろう。自制が効きそうにない。目の前で起こった事を信じたくなくて。


 殺してやる。

 怒りが身体を突き動かそうとする。その足を駆け出せと命令を送る。大剣の柄を壊しかねないほど力強く握った。


 大剣を振りかぶる。

 技を放とうとした。


 その横を一直線に、強い光が走った。


 その光は、自分の先にいるヴァダースを狙っていた。高みの見物をしていた彼は、突然の攻撃にダガーで弾き返そうとする。

 光の炸裂の後、弾かれたのはヴァダースのダガーの方だった。


 何があったのかと後ろを振り向く。

 火の海の中に一箇所だけ、ぽっかりと大きく穴が開いていた。その周りの火は、凡そ通常ではあり得ないような動きをしている。ある一点を中心に、渦を巻いているように見えた。何かに吸収されていくように、それは波打っている。

 いったい何が起きたのか。目を凝らして凝視していると、火の海から光が漏れ出す。光は火をかき消すように広がっていき、やがて収束する。その動きにつられ、火が掻き消されていく。光を操る人物の姿が、目に入った。

 思わず笑みが零れた。何故なら、彼が無事だったと理解できたからだ。


「レイ!」


 光のオーラを纏い、見据える瞳には威厳も宿っている姿。何度も見た、女神の巫女ヴォルヴァの力を解放したレイの姿だ。

 レイが杖をヴァダースに向ける。いつもは淡い黄色の光を灯している杖の核の部分が、赤く煌めいている。中に封じられているエネルギーは、もしかして。


「返すぜ、これ。ケナズ!」


 古代文字を唱えたのだろうか。聞き慣れない言葉を唱え、レイが力を放つ。

 杖の核から放たれたのは、先程目にしていた火の海の力だ。力を増しているのか、威力が上がっているように見えた。

 回避は不可能と判断したのか、ヴァダースが再び緑色のダガーを取り出す。先程と同じように旋風を巻き起こし、返された火の海を飲み込もうとはしていた。しかし徐々に受け止めきれなっているのか、後退していく。

 そして勢いそのままに、火の海はダガー諸共ヴァダースを壁へと追いやった。


 衝撃で壁が一部崩れ、土煙が舞う。

 そこを見計らったのか、レイが自分の元まで駆け寄ってきていた。


「レイ……!」

「心配かけてごめんな。ちょっと、動かないで?」

「あ、うん。わかった」

「……"精霊よりの抱擁"ガイストウルアルムング


 杖を自分に向け、詠唱を唱えた。

 杖の核が淡く光り、身体が包まれる。それらが受けていた傷に触れると、痛みも丸ごと吸い上げられていく。

 淡雪のような光が儚く消えた時には、傷は完治していた。これも女神の巫女ヴォルヴァの力、なのだろうか。


「良かった、完治したな。……どうやら、この力を解放したらいつもより、マナが大量に巡るみたいなんだ」

「そう、なんだ?」

「いつも使う術が、いつもより力を増してるから。間違いないよ」


 立てるか、と差し出された手を握り立ち上がる。


 構え直し、前方へ視線を見据えた。

 土煙が収まり、視界が鮮明になる。


 壁に衝突したにも関わらず、ヴァダースにはまだ余力があるように見えた。口の端から血が出ていたが、相変わらずこちらを嘲笑うかのような表情。多少の怪我はしているはずなのに、何事もないように歩くその姿。

 本当に奴は人間なのだろうか。


「成程……それが、巫女ヴォルヴァが使える古代魔術の一部ですか。良いですね、興味深い」

「マジかよ……あれだけの攻撃を跳ね返されたのに!?」

「ヴァダース……!!」


 青いダガーを両手に持ち、自分とレイに対峙するヴァダース。雰囲気が、少し変わった。目の色が違う。纏うオーラが冷たくなったことに、いち早く気付けた。


「レイ下がって!」

"流るる水の夢想曲"フルストロイメライ!」


 放たれた青いダガーは、柄の先にマナで生み出された水のロープが付与されている。ヴァダースははマリオネットのようなったダガーを、自在に操っているらしい。

 放たれたダガーは二本。これなら防げる。飛来してくるダガーを難なく躱し、反撃に出ようとした。ヴァダースが笑みを深くしたことに気付けたのは、攻撃の姿勢を取ろうとしていた時だった。


 ヴァダースが指をくんっ、と曲げる。

 何の障害にもならないと思った水のロープの部分から、それは飛び出してきた。


 肌が切り裂かれる。一瞬感じた熱の直後、痛みが傷を中心に駆け回った。いったい何処から攻撃してきたというのか。周囲を一瞥すれば今しがた回避した水のロープが、自分とレイを挟むような形で左右に浮遊している。それもつかの間、水のロープ部分から水が滴る。まるで小さな滝のようになり、壁のようにも見えた。


 それに気を取られ、背後からの攻撃に気付けなかった。再び痛みが走る。後ろを確認する。ちょうど自分の腕の位置と、同じ高さにある水の部分が波打っていた。次に反対側に視線を移す。柄の部分が、滝の中に吸収されていく様が見て取れた。


「まさか……!」


 この術は予め無数のダガーを水の中に隠して、相手を挟んでから攻撃していく技なのか。だとすると、罠に嵌ってしまったということになる。。

 技の正体に気付いた自分を見て、にこりと笑うヴァダース。


「どうやら気付いたようですね。そう、貴方達はすでに網に捕らえられた魚のようなものです。さて、それに気付いたのならば──」


 両脇の滝から、無数のダガーが顔を出す。殺傷能力が高そうなものばかりだ。


「遊んでくださいますね?」


 ヴァダースが指を動かし、ダガーを操る。厄介なことに飛び出してくるダガーの位置はランダムで、一つを躱しても別の一つが突き刺さりそうになる。

 どうしたらいい。このままではヴァダースに近づくことはおろか、逃げることすらままならない。せめて大剣で、片側からの攻撃を防ぐために盾にする。


「ダエグ、エイワズ、エオロー!」


 背後から聞こえたレイの声。自分とレイがそれぞれ、光のドームに包まれる。そのドームを覆うようにして、三つの古代文字が記されている帯が浮かんでいた。

 いつか見た、レイが無意識に発動させた光のドームと同じ。今回はしっかりと、自分の意志でそれを使えたのか。


 ダガーがそれに直撃する度、金属が弾かれる音が響く。弾かれたダガーは、再度突進することはなく、滝の中に吸収されていった。

 自分と同じように所々に傷を負っていたレイが、叫ぶ。


「エイリーク!この状態ならダガーは当たらない!これならアイツに近付けなくても攻撃できるから、早く!」

「ありがとうレイ!!」

「解明されていない古代文字を、自在に操る能力……。いいですね、疑惑ではなくなりました。貴方は正真正銘、女神の巫女ヴォルヴァ!その力、カーサがいただきます……!」

「させるかっ!」


 大剣を地面に突き刺し、そこに土のマナを付与させる。ある程度貯まった後、大剣を地面から引き抜くように、下から上へと薙ぎ払う。


"泣き喚き叫べよ大地"トランブルマン・ドゥ・テール!!」


 地面の中で行き場を失った、マナの拡散。それは大地を揺らし、地響きを起こす。やがて地割れを作り出し、ひび割れた地面がマナによって形状が変化する。鋭い槍の先端のようになったそれらが、ヴァダースめがけて突き出ていく。


 対するヴァダースは鋭い地面を躱していく。とはいえダガーを操りながら、それらをすべて回避することは難しいようだ。致命傷には至らないものの、避けきれなかったところを岩の槍が掠めていく。


「ふふ、いいですよバルドルの者。ですがまだ及びませんね。それに先程言ったでしょう?貴方は前のめりになりすぎだと」


 ピキピキ、と足元の地面が鳴く。ひび割れを起こしていた。

 これは、自分の技で出来たヒビではない。これはヴァダースの技の──。


"産声上げる大地の前奏曲"エールデフォーアシュピール!」


 黄色のダガーが、ひび割れた地面から勢いよく這い出てくる。ダガーはこちらに向かって来るや否や、次々に肌を切り裂いていく。回避できたものは刺さることはなかったが、近くで音を立てて破裂する。

 破裂の衝撃波で体勢を崩し、地面に座り込む。砕けて破片となったダガーが、足に突き刺さった。破片とはいえ、元はダガーだ。突き刺さり、肉を抉るには十分な鋭利さは持ち合わせている。


「エイリーク!!」

「貴方も考えましたが、まだ甘かったようですね。足元がお留守ですよ」

「あっ……!」


 自分の背後のレイが、自分が受けた同じ技をその身に浴びたらしい。


 振り返った先にあった光景は、這い出てきたダガーの中でもひときわ大きなそれが、レイの後頭部付近で破裂した場面だった。当たり所が悪かったらしく、衝撃も大きかったためか、彼は意識を失う。そのまま彼は、力なく崩れてしまった。


 そしてレイが倒れたことで、今まで自分と彼を守ってくれていた光のドームが崩壊する。光の粒子となってしまったそれが、未だに飛翔しているダガーに切り刻まれる。


「レイ!」

「さあ、フィナーレです」

「っ!」


 一度滝の中に消えたダガーが、今度は一斉に自分に向かって飛来する。

 それらを全て防ぐための手立てもマナも、自分にはもうなかった。

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