第五十四節 影使い
ヤクが目を覚ました頃と同時刻。
スグリもまた目を覚まし、辺りの様子を窺っていた。あまりの眩しさに最初は目が眩んだが、ようやく慣れてくる。
今いる空間は、やたら神聖な雰囲気を感じられた。それもそうだ、両脇には豪勢なステンドグラスが飾られている。そこから陽の光が差し込み、模様が床に映し出されていた。スグリ自身の影も、くっきりと表れている。
空間の奥側には、見覚えのある絵画が嵌められてある。いつか港街ノーアトゥンの、ユグドラシル教会で見たものと同じ。運命の女神を模したとされる絵画。間違いなくここは、礼拝堂だ。
「強制転移させられたってわけか……」
自分が嵌められた罠について、大方予想は出来た。こんなにも早く仕掛けてくるとは。相手はどうしても、レイのことを手中に収めたいらしい。恐らくヤクも同じ考えだろう。次にやるべき行動は、一刻も早くレイとエイリークを探しに向かうこと。
勿論、自分も踵を返そうとした。だが、そう簡単にいかないようだ。感じる気配から、殺気もピリピリと伝わってくる。剣の柄に手をかけたまま、その気配の方へ声をかけた。
「俺が気付いていないとでも?……いい加減出てきたらどうだ」
奥の祭壇の裏から出てくる、一人の女性。
葉巻を吸いながら品定めをするような目に、余裕を感じられる。身に纏う黒い制服が、自分の敵であることを物語っていた。
「あら、やっぱり気付いていたの」
「女……?」
「いたらおかしい?アンタ達防衛軍にだって、女はいるでしょ。アタシはシャサール・ソンブラ、カーサ四天王の一人よ」
「四天王がわざわざお出まし、か」
成程、つまりは足止めに来たということか。どういう戦法で来るかは未知数だが、長話をするために出てきたわけでもなさそうだ。こちらとしても、悠長にしている時間はない。即座に終わらせなければ。
臨戦態勢として、構えをとる。最も得意とする、抜刀の構え。目の前に対峙する女性もスグリの構えに応え、腰に下げていた鞭を手に取った。重苦しい沈黙が、今か今かと圧し掛かる。
先に動いたのはシャサールだった。
「
一度大きく鞭が
「"抜刀 鎌鼬"」
スグリの戦い方は、主に抜刀術と居合、そして剣術によるもの。マナも扱えるが、自身の強化や簡単な治癒術のみに充てている。
引き抜かれた刃が、向かってきた鞭の先を目に留まらない速度で斬る。あっけなくバラバラと床に散らばる破片。
ぐっ、と右足を踏み込み、地面を蹴った。加えてマナで身体強化として、風のブーストを脚に付与させ、移動速度を上げる。
それにより相手が思うよりも早く、一気に間合いを詰めることができる。
「"秘剣 疾風"!」
左切り上げに剣を振るう。斬撃の直後、風圧にマナを加え風の刃にするこの術。間合いを詰めていたことから、普通なら避けられるわけがない。
しかしシャサールはそんな刃を、上方に飛ぶことで回避した。軌道の範囲外に避けられれば、斬りようがない。やはりカーサの四天王。この術では、傷を負わせることは出来ないか。だが──。
「随分と遅い攻撃ねぇ」
綺麗に着地して、使えなくなった鞭を床に放り投げるシャサール。咥えていた葉巻を口から離し、灰を落とそうとした。
しかし葉巻は灰どころか、その本体が真っ二つに切れていた。そして続くように、彼女の左腕から血が噴き出す。
その事実にシャサールは、何が起きたのか理解するまでに数秒かかったようだ。
「そっちこそ、戦闘中に喫煙とは随分余裕だな」
風は常に変化するもの。確かにシャサールは風の刃を、上方に退避することで直撃を防いだ。しかし避ける際にも、僅かばかりだが風は吹く。
今放った「秘剣 疾風」の真骨頂。それは剣の風圧であっても、追尾機能があることだ。相手を切り裂くのはもちろんのこと、相手が生み出した風に乗ることで、軌道も共に流すことが可能となる。
今回の場合彼女が攻撃を避ける際に吹いた風に乗り、相手を切り裂いた。そこに、この術の真意はある。
「疾風とは災害をもたらす"悪風"の一つだ。あんまり調子に乗らないでもらおうか」
本当は脚を狙ったつもりだった。とはいえ腕一本であろうとも、戦力は落ちるはず。スグリの目的は彼女の殺害ではなく、無力化だ。それが達成できれば、この場所からの離脱ができる。
シャサールは斬られた左腕を見ていたが、やがて笑みを浮かべる。幾ばくかの狂気を孕んだ笑みに、改めて警戒した。まだ終わってはいない、と。
「ふふ、いいわアンタ。確かに、アタシは見くびっていたようね……」
床に落ちた葉巻を忌々しそうに踏みつける。
何か仕掛けてくる。迎撃のため、剣を鞘に納め構えを直した。
シャサールが詠唱を始めた。すると床全体から何か、別の気配が蠢くのを感じる。それにもかかわらず、姿が見えない。何処から攻撃してくるか。柄を握る手に、力が入る。
詠唱と共に、彼女の影が大きく歪む。やがて、ゆっくりと地面から這い上がった。影は捏ねられている粘土のように蠢き、象られていく。
「これは……」
「我の御使い、永久に消えぬ影の使者!
作り出されたのは、シャサール自身の影だった。それが彼女に操作されるように動き、スグリに向かってくる。
最初こそ動揺しかけたが、所詮は影。斬れないものではない。半身引いて、間合いを見極める。
一歩、二歩、三歩。
(ここだ!)
一歩踏み出す。相手が大きく振り被ったと同時に、身を屈ませる。
影の懐に入り、一直線に剣を抜いた。
「"抜刀 水切"!」
水を切るような刃の流れで、影を一刀両断にする。手ごたえはあった。
素早く描かれた軌道の前に、影は抵抗することなく倒れる。床に溶け込むように消えた影。ただ影を使役するための術だったのだろうか。……いや、そんなことはあるまい。とにかく次の一手を打たれる前に決着をつける。
もう一度、シャサールとの距離を詰めようと駆けた。
「アンタさっき、疾風は悪風だって言ってたわね。アタシもそれに倣おうかしら。影は不滅のもの……変幻自在のそれに、隔たりはないのよ」
隣に突如として現れた影。それに動揺しつつも、振り下ろされた武器を剣で防ぐ。
いや待て。
振り下ろされた……?
影を押し返し、数歩後ろにさがる。ひとまず態勢を整える。その影の姿を目で捉え、驚愕することになる。
「俺、だと……!?」
そう、目の前にある影。それは紛れもなくスグリ自身の姿であった。動揺する自分に、シャサールがポケットから葉巻を取り出しながら答える。
「言ったでしょ、変幻自在だって。それにね──」
右肩に激痛が走る。
気配は一切感じられなかった。シャサール自身が動いた様子はない。
では何故。右肩を貫いていたのは、黒い刃だ。背後から襲撃を受けたのか。
後ろに顔を向ける。そこには自分の影が、もう一人。
「こうやって増やすことも出来るのよ」
右肩から刃が引き抜かれる。血が溢れかえる。白い軍服が、赤く染まっていく。襲う激痛に顔を歪め、しかし剣は手放してはならないと握りしめた。
よりにもよって、利き腕の方を潰された。
迂闊だった。もっと慎重に、注意を払うべきだった。
「アンタのその抜刀術に剣術、アウスガールズ特有のものね。でももうそんな肩じゃ、剣を振るうのだって難しいでしょうねぇ」
二つの自分の影を前に、嘲笑うシャサール。
痛む肩を無視して、再び剣を振るった。
「"秘剣 天の川"!!」
「何っ……!?」
これには予想外だったらしく、シャサールが僅かに焦りの表情を見せた。
剣の軌跡から無数の光の刃を放つ。一直線に放たれる無数の光が、彼女の目を暗ませる。光が刃に変化し、見えない刃として自身の二つの影を斬り刻んだ。
当然激痛が走る。顔を一段と歪ませながらも、睨むその目に光を宿す。
「肩を潰したからって、舐めるな……。俺はまだ、折れてはいないぞ……!」
「そう……。でもアンタこそ、それを倒したからって、終わったと思わないことね。
彼女が詠唱する。再びスグリを模った影が、今度は四体も現れた。
「こいつらはアンタ自身の影だから、アンタと同じように右肩は使えないけど……今のアンタには、こいつ等で十分」
その言葉を皮切りに、一斉に自分の影が襲い掛かってきた。
一体目の影が振り下ろす剣を、同じ剣で受け流す。突撃してきた二体目は身を翻して躱し、背後からの三体目には一閃を浴びせる。最後の四体目の首を斬り落とそうと、剣を振るう。
ギリギリの状態で受け止められた。痛む肩の影響で力が入らない。徐々に刃が押し返されていく
高みの見物を決め込んでいたシャサールが、そうそうと言葉を続けた。
「確かにそいつ等はアンタの影だけど、全部が全部、アンタと同じじゃないわよ」
四体目の影が、剣の柄から左手を放す。その手に、マナを収束させて。
気付いた頃には、ガラ空きだった胴体に手が添えられていた。
瞬間、波動のような衝撃に襲われる。防げるはずもなく、直撃を受け吹き飛ぶ。入口方面に安置されていた長椅子に、叩きつけられるように倒れこんだ。
思った以上に衝撃は強い。咳き込んだ時に、鉄の味が咥内を満たす。
これは、肋骨が何本か折れたか。
彼女の言う通り、あの影たちはただ単に、自分を移し取ったものではないようだ。あのような衝撃波を放つ術を、自分は習得していない。シャサールの術を使いながら、こちらの技も使えるというのか。厄介なことこの上ない。
「じゃ、これで終いにしましょうか」
四体の影が、各々構える。黒い四本の刃に、それぞれ別の力が付与されていく様子が見て取れた。
この体の状態では、退避することは不可能だ。せめて防ぎきらなければ。
残りのマナを総動員させて、刃に力を乗せた。
四体の影が一斉に技を放つ。それらは途中で混ざり合い、大きな砲撃となって向かってきた。
「"秘剣 防護刃"!!」
剣に乗せたマナで、剣を盾に見立てて防ぐ技。
それを構えて数秒後、砲撃と衝突した。ビリビリと空気が震える。想像以上の威力に、じりじりと圧されていく。肩の痛みが増す。
均衡を保つため力を注いでいたが、その刀身から悲鳴が聞こえ始めた。
頼む、持ちこたえてくれ。
祈るように、愛刀に残り全てのマナを注ぐ。しかしそれは、呆気なく打ち砕かれることになる。
音を立ててひび割れる剣。散らばる破片。音をなくす一瞬。声を出すことも出来ずに、砲撃に呑まれた。
礼拝堂全体が、衝撃で震えた。しばらくののち振動が収束し、空間に静寂が戻る。
入口の方で、一振りの剣が倒れている。破片に守られるように横たわっていた剣──スグリは、パッキリと折れてしまっていた。
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