第五十三節 張り巡らされた罠

 目が覚める。身体を動かしてみる。多少の痛みはあるが、動けない程度ではない。立ち上がり辺りを見渡してみた。

 そこは何処か、城のエントランスを思わせる場所だ。なぜこのような場所に、と思い返す。確か自分は、軍艦を港に停泊させてアウスガールズの地に立った。その直後に、背後からエイリークの慌てる声が聞こえて──。

 そこまで思い出して、息を呑む。そうだ、あの時背後でレイがある魔術に囚われかけた。それを救おうとエイリークが必死に手を伸ばし、二人が同時にその場から消失してしまったのだ。そして自分と、隣にいたスグリも同じように罠に嵌められた。


 一瞬しか見えなかったが、あの時足元に展開されていた陣を思い出す。あれは間違いなく空間転移の陣だった。対象を、自分の指定した空間へ転移させる術。使用するためのマナの消費が激しく、使用後は暫く魔術の類を使うことは出来ない、ハンデの大きい術だ。

 そもそもが高度な魔術であるため、使用できる人物もそう多くない。そんな術を、一気に四人を対象として使うなどと。無謀にも見える。しかし裏を返せばそれは、それほどのリスクを冒してまでも自分たちを誘い込む必要があったということ。そんなことができる人物は、一人しか思い付かない。


「……いや、考えるのはあとだ」


 まずは仲間を探さねばならない。この空間に、自分以外の気配は──。


「っ!?」


 背後から何かが飛んでくる気配を、直撃する前に感知できたのが幸いだった。振り向きざまにマナで編み出した氷の盾で、それを弾く。衝撃はさほどでもない。あっけなく床に落ちたそれは、黒い針。見覚えのあるそれに、警戒を強めた。

 エントランスの奥側から、悠然とした足音が聞こえる。黒の制服を隠しもせず、やがて目の前に対峙した男。カーサのアジトを初めて襲撃した際に、相見えた人物。窓から入ってきた太陽の光が、その人物を照らす。


「カサドル・スヴァット……」

「覚えていただき光栄だ。ミズガルーズ国家防衛軍魔導部隊部隊長、ヤク・ノーチェ」

「カーサ……。貴様らの仕業か」


 身体の神経を張り巡らせ、すぐ動けるように構える。以前相見えた時も感じたことだが、このカサドルには何か、異質な雰囲気が見えるのだ。違和感、とでも言えばいいのだろうか。正体の掴めないそれに、言い知れぬ不安を覚える。

 そんな自分に、カサドルは涼しい顔をして視線を飛ばしている。


「お前とは一度、サシでり合いたいと思っていた。機会をくださったヴァダース様に、感謝せねばなるまい」

「やはり、奴が空間転移の術を……」

「お前なら、その先の事柄を予測できよう?ヴァダース様の戯れの邪魔はさせん。こちらはこちらで、楽しもうではないか」


 そう言うとカサドルは空間上にも、己の武器である黒い針を展開させる。

 彼の目を欺き、ここを脱出することは不可能だろう。否が応にも戦わなければならない。ならば一刻も早く、目の前の彼を倒すしか道はない。カサドルの言うように、ヤクにはヴァダースのしようとしている事が予測できた。


 空間転移の術を使用して、レイとエイリークを自分の元へ転送する。その最大の理由は、十中八九レイの奪取だ。女神の巫女ヴォルヴァの疑惑があるレイは、カーサにとっては至上の獲物に他ならない。

 国王であるケルスを拉致するくらいだ。自分たちの支配に使えそうなものを略奪するくらい、造作もないのだろう。そしてレイもエイリークも、現状ではヴァダースに手も足も出ない。レイがカーサに陥落するのは、最早時間の問題であることは明白。


(そんなこと、やらせる訳にはいかん)


 ここを突破するために。何より、レイとエイリークを救いに行くために。


 イヤーカフを外し、そこにかけている物質変化の術を解く。するとそれは、自身の身の丈程ある、愛用の杖に変化した。構えを取り、間合いを測る。

 相手は針と、自然現象を核として発動させる魔術を主体としている。中長距離での魔術の展開が主なこちらとは、相性は悪くも良くもない。早期決着を目指すが、果たして。


「ゆくぞ」


 先に動いたのはカサドルだ。一直線に黒い針をこちらに投擲する。前回はアジト全体が暗く距離感を掴みかねていたが、今回は違う。

 エントランスに差し込む陽の光のお陰で、黒い針はしっかりと視界に捉えることが出来る。後ろへステップをしてそれらを難なく躱し、詠唱する。短い詠唱を唱え、杖の核にマナを送った。


"氷のつぶて"ヘイル!」


 放たれた氷のつぶては、確実にカサドルへと向かう。

 とはいえ相手も、こんな小手先の術は苦でもないのだろう。あっさりと躱される。やはりこの程度の術では、相手にならないか。


「どうした、その程度ではあるまい?」


 挑発を受けるが、それに乗ることはない。

 さて、どうする。大きな術を展開するには性急かもしれないが、今回はことが事だけに、急がねばならない。それに相手が自然現象を核とする術が得意であるならば、その術をある程度無力化させる必要がある。

 カサドルが動く。また黒い針を投擲される前に、再びマナを収束させた。



「来よ、其は汝を留める永久凍土の使い!"永久に眠れ白銀の彼方"シュネーザルク!!」


 威力の高い範囲攻撃魔法。マナで生成され、放出された氷の塊は弧を描く。

 床に落ちて拡散された氷の塊は砕け散る。超低温の氷のつぶてが、エントランス全体を包むように広がっていく。カサドルも攻撃を中断して、様子を窺った。


 氷の塊が一気に散りばめられたことにより、エントランス内の気温は一気に下がる。超低温の空間が二人を包む。床も何も、すべてが凍てついていた。

 氷の上での移動は、それこそ慣れていなければ四苦八苦する。うまく身動きが取れないようで、カサドルの表情が幾分か曇った。そこを突かないわけにはいかない。

 氷上での戦いはそれこそ、ヤクの専売特許。氷の地面を走るように駆け、一気に距離を縮めた。


"牙よ御身を氷結せん"アイスシュトースツァン!」


 空間上に氷の牙を生成し、一斉に放つ。止めどなく放たれるそれらを躱せる手段を、カサドルは持ち合わせていなかったようだ。黒い針を複数本組み合わせ、盾として構える。


 付け焼刃の盾と、攻撃の意志を纏う牙。

 盾を突き崩す威力は十分。


 防ぎきれずに、バラバラと砕ける盾。それでも止まらない牙たちは、カサドルを切り裂いていく。苦痛に表情を歪めるカサドルに、追撃の手を加える。


「仕舞いだ!」


 杖の先に氷の矢じりを付与させる。そして確実に先端はカサドルを貫いた。


 そう。貫いた、はずだった。


「な……!?」


 目を見張る。

 氷の矢じりは、カサドルに届いていない。カサドルの前に、黒い棍棒があった。

 

 いや棍棒ではない。針だ。

 彼の使う黒い針が幾重にも重なり、それがまるで一本の棍棒のように変化している。カサドルはそれを使い、すんでの所で防いでいたのだ。


「やはりお前は称賛に値する男だ、ヤク・ノーチェ。それには私も、それ相応の力で返さねばならないな」


 その言葉の直後、腹部に強烈な蹴りが入る。咄嗟のことで防ぐことが出来なかった。一瞬息が詰まった後、体勢が崩れたところに棍棒での突きが襲う。

 思った以上に威力は強く、かなりの距離まで飛ばされる。受け身を取ることもできないまま、氷上に叩きつけられてしまった。


 すぐに態勢を立て直そうと立ち上がるが、カサドルは眼前に迫っている。せめて直撃は防がなければ。幸いにも杖を手にしたままだ。今度はヤクが彼の棍棒をそれで防ぐ。

 ただしこの状態では術の展開はおろか、詠唱すらままならない。


「私の魔術を封じるために、戦場の状態を上書きするとは予想外だ。それが吉と出ればよいがな?」

「こ、の……舐めるな!」


 杖で棍棒を振り払おうとするも、それよりも早く棍棒がバラバラと解けて黒い針の状態に戻った。バランスを大きく崩す。嵌められてしまったと理解したが、すでに時は遅い。


"罪人を裁く黒き針"シュヴァルツリーヒテン!!」


 床に散らばった黒い針が、一斉に上っていく。針の軌道上にいたヤクは、なす術もなくそれらを身に受けてしまった。容赦なく突き刺さる針は、一本一本の威力は弱くても複数本となれば話は別だ。

 足を潰され、その場に膝を着く。氷上に赤い水たまりが出来上がっていく。さらに攻撃しようとしたカサドルに、牽制のための"氷のつぶて"ヘイルを放つ。

 その場から退避するカサドルだが、余裕の表情は崩れない。


「よく耐えた。しかしここまでだ。氷上を見るがいい」


 彼の言葉の真意を確かめるべく、自分が張った氷を見渡す。すると不可解な事実に気付く。


 溶けているのだ。マナで作り出した、通常ならば溶けないはずの、氷が。


 何故、と驚く眼前に入り込んだ、陽の光。

 まさか、と言葉が漏れる。この陽の光は、自然の光ではなく──。


「そう、その光は私の術で疑似的に作り出したものだ」


 カサドルが、自分の心を読んだかのように答える。

 そもそも考えてみれば、彼はこの空間では一度も、魔術を用いていない。攻撃も針による物理攻撃のみだった。魔術による攻撃が主体な自分に、物理攻撃だけで対抗するには無理がある。以前一度戦ったのだから、彼自身もそれを理解していたはずだ。

 そして自分が、氷の術が得意ということも知っていたはず。闘いの中で、氷の術が展開されることを予め予測して。それに対して最も有効な、陽の光を核とした自然魔術を既に展開をしておいたのだとするのなら──。


「まさかここまでの術を展開させるとは思っていなかったが……。だが感謝するぞ、それがお前の敗因だ」


 光が消える。頭上にあるのは、巨大な暗雲。


「お前なら知っているだろう。地表で暖められた水蒸気は、上空の冷たい空気で冷却されて形を変える。それらが成長すればあられひょうに変化する」

「っ!」

「それらが擦り合わさることで静電気が起こり、衝突を繰り返す。蓄えきれなくなったそれらは、やがて──」


 大きな災害にもなる。


 退避しようとしたが、直前に受けたダメージが大きい。まともに動くことが出来ない。足も思うように動かないこの状態では、何処にも逃げられるはずもなかった。


"墜ちよ雷鳴汝を灰塵とかせ"シュードゥフードゥール!!」


 ヤクを焼き尽くさんばかりの雷が、ごうごうという唸りと共に落ちる。

 氷が溶けて水に変わっていたこともあり、電撃は威力を増して襲い掛かった。


 何発もの雷の洗礼を受けたヤクは、崩れ落ちる身体と共にその意識を、闇の中に手放したのだった。

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