第四十八節 遠ざかる光

 フヴェルゲルミルの泉での出来事から二日後。


「じゃあボクは少しの間ここに残るよ。報告書と親書、お願いね」


 あの騒動の後、村に戻った四人はその後の話をするためスクーズの屋敷に戻る。

 今回の件で村長を失った村だが、幸いにもスクーズがいる。彼女を正式な新しい村長にする、ということで村の意見をまとめた。いや、正確にはまとめさせた、と表現する方が正しいかもしれない。

 もちろん反発する者もいた。しかし今まで村人たちが行ってきた行為を指摘し、それを軍に告発してもいいのならと脅しをかけたのだ。ミズガルーズ国家防衛軍へ告発が行われれば、村人たちは確実に刑に問われる。

 これからの己の一生を、今よりも暗い地下牢で過ごさなければならないかもしれない。それに耐えられるほど、村人たちの精神力は高くはなかった。さらには多少の我慢は当然だと、レイが言い放った。実際死刑にされてもおかしくないほど、子供の命を吸ってきたのだからと。


 エイリークは、そんなレイに憂慮していた。まるでレイとは別人の、何かに代わってしまったかのよう。どこか、自分とはズレた存在になったような物寂しさ。とはいえなかなか問いただせずに、いたずらに時間が過ぎていた。

 そんな中で、ソワンがヘルヘームに残ると言ったのだ。長期的ではなく、少なくとも氷の都ニールヘームから、新しいミズガルーズ軍が来るまでの間の期間だと。スクーズの隣にいたいと告げられた。


「ここでボクら全員が戻ったら、また独りになっちゃうでしょ?いくら大丈夫だって言っても、一人くらいは心のおける仲間がいた方がいいなって」

「ソワン様……」

「めいっぱいガールズトークしちゃお!ね?」


 スクーズの手を取って笑うソワンに、初めて笑顔で返す彼女。本当はこんな風に笑える少女だったんだ、と安心する。ソワンから、氷の都ニールヘームに滞在しているミズガルーズ軍に、報告書と彼女からの親書を渡してほしいと頼まれる。その二つがあれば、ヘルヘームに使いが来てくれるだろうとのこと。


「わかった、必ず届ける」

「レイ……ありがとね」


 ソワンも自分と同じように、レイに対して何か思うところがあるのだろうか。少しばかり、反応がよそよそしい。そんな態度をレイは気にも留めていないようだが、かえってその反応が気になってしまう。

 やりとりもそこそこに、ソワンの報告書とスクーズの親書を預かったエイリークとレイは、ヘルヘームをあとにする。雪は降っていたが、まだ穏やかだった。

 ふと空を見上げる。灰色の空が、自分の心を表しているようだ。思い返すのは、あの泉での出来事。あまりにも衝撃的で、思い返すことさえ苦しい。それでも、考えずにはいられなかった。


 あの時の、レイがとった行動について。


 ******


 二日前、フヴェルゲルミルの泉にて。

 泣いていたスクーズが大分落ち着く。それを確信したのか、レイが彼女に立てるかどうか訊ねた。一つ頷いたスクーズに手を貸して、共に立ったレイ。そして今までの表情から一変、険しい表情に変わる。

 その視線の先にいたのは、先程のスクーズの暴走によって満身創痍になっている村長だった。多量出血しているにも関わらず、まだ息がある。それでも虫の息、と言ったところだが。恨めしそうにスクーズを見ている村長だが、口を出せるほどの体力はもうないのだろう。


「お祖父様……」

「す……くぅうずぅうう……!!」


 血反吐を吐きながら発せられる言葉。恨み妬みの他にも、ただならぬ怒りを感じる。表情をしかめる彼女に、大丈夫と声をかけたのはレイだった。


「貴女に、この男と同じ道は歩ませない」


 その言葉の意味が分からずに、茫然とその様子を見守る。そんなレイが一歩ずつ、こちらにゆっくりと近付いてくる。まずは村長を守るように立っていた、自分の前まで来た。茫然と彼を見ていたが、レイは一度にっこりと笑う。


「ありがとな、俺のためにここまでしてくれて」

「レイ……」

「でも、話はあとでな。まずはその人と、話さなきゃならないんだ」


 多少の違和感を覚えつつも、話し方も声もレイそのものだ。ここは彼の思うようにしよう。そう思い、素直に道を譲る。ありがとうと礼を述べたレイは、村長の前まで歩を進めた。

 背中しか見えないため、どんな表情でいるかもわからない。ただ何か、大きな決意や覚悟といったものを感じることはできた。一体それが何に対してなのか、すぐに理解することになる。


「……痛いですか?」

「こ、のぉお……。くも、つの分際でぇええ……!!」

「供物、ですか。俺からしてみれば、勝手に殺されそうになってたんですけどね」


 一体、どうしたのだろう。レイにしては随分と、冷淡すぎる。それにどうして、自分が人身御供にされかけたことを知っているのだろう。あの時はまだ、レイの意識は回復していなかったはずだ。


「黙れぇい!!この、地は私が……そだ、てた!貢献し、てきたのも私なのだぁ……であ、るならっ……。か、てに使って、なにが悪い!?」

「育てた?貢献?自分のしたことを棚に上げるな。貴方がやっていたのはただの殺戮で、自己満足だ。自分たちの欲で、一体何人殺した?」

「……なに、ぃ……」

「……わからないだろうな。貴方は命を、モノとしか考えていないのだから」


 吐き捨てるように言葉を述べながら、レイが杖を村長にかざしていた。怪我を治すのだろうか。


「イサ、ハガラズ」


 そう唱えた直後だった。耳をつんざく、雄たけびのような断末魔が響く。何をしたのかと村長を見て、衝撃を受ける。

 村長が倒れていた地面の雪が氷柱のようになり、彼の全身を刺し貫いている。虫の息だった村長は、その一撃で完全に絶命していた。


 こんな残虐な殺し方を、あろうことかレイがするなんて。人間とは違うが、ヒト型をしていた機械人形オートマチックにですら、攻撃を躊躇っていた彼が。こんなにも、あっさりと。思わず彼の肩をつかんで、抗議の声を上げた。


「な、何してるんだよ!?」

「この人は生き延びたところで、ヘルヘームの足枷にしかならない」

「だから殺したって?まだ反省する機会だって、あったはずでしょ!?」

「なかったよ、この人にそんな人の情を考える余裕なんて。大勢の子供を殺して私腹を肥やしていた人に、エイリークはそれでも生きててほしいと思っていたのか?彼女の父親と母親を殺して、弔いもせずに自分の餌にしていたこの人を?」


 痛いところを突かれ、思わず閉口する。確かに、村長は決して許されないことをした。大勢の命を弄んだ。カーサ以上に、下劣な存在だと思った。許せないという気持ちはある。でもだからと言って、殺すなんて。ただレイの言い分も正しいことがわかっているから、言葉に出来なかった。

 レイの行動はそれだけに留まらず、近くに建てられていた氷の祠を破壊した。いよいよソワンも黙っていられなかったのか、彼の名を呼ぶ。


「レイ!?」

「元々この泉に、あんな祠なんてなかった。あれは人身御供にした子供を安置する時に、形式的にここに建てられたものなんだ。自分たちのしていることへの罪悪感を、消すために」

「罪悪感を消す……?」

「責任転嫁ってやつかな。深夜遅くに夜食を食べる時とか、本当はいけないことだってわかっているのに、腹が空いてるからいいよねっていう、あの感覚」


 つまみ食いと同等に扱われても答えにくい。そう苦言を呈そうとするも、レイは淡々と話を続ける。


「人殺しはするけど、自分たちが生活すためだからいいよねって。そうやって少しずつ、でも確実に村から罪悪感をこの祠に移し替えていたんだ……」


 はた迷惑な話だと、レイは最終的には吐き捨てるように呟く。そのままそこへ歩いていき、足元を見た。同じように祠に近付き、彼の視線を負うように目を向ける。足元にあったものは、大方予想はできていたがそれでも酷いものだった。

 琥珀の中に閉じ込められた虫のように、小さな子供ものが氷の中で息絶えている。子供──いや、人間という割にはあまりにも干乾びすぎていた。ジュースを作るために絞ったあとの果物のように、まるでしわくちゃだ。

 マナが枯渇するまで吸い上げられ、地面に埋められなかったヒトの末路を、まざまざと見せつけられている。さらにひと際目立つ、大人とみられる人間が入ってる二つの氷塊。可哀想、なんて言葉では言い表せない。あまりにも残酷で、痛い。

 エイリークですら目を逸らしたくなるそれらを、レイは何も言わず凝視する。その視線は、ある一人の子供に向けられていた。やがて息を吐いて、やや俯きながら話しかけられた。


「この人たちを開放して、土に還そう。もう、眠らせてあげなきゃならない」

「う、うん……そう、だね」


 レイは一度踵を返し、スクーズと彼女のそばにいたソワンの元まで戻る。彼は今度こそ治癒の魔術を、ソワンに施した。傷が完全回復したらしいソワンだが、不安げにレイを見上げている。


「少し時間がかかるから、泉の周りの様子でも見てきたらどうだ?」

「そんな、でも……」

「……いえ、私もやります。やらせてください」

「スクーズ……」


 心配しているらしいソワンに、スクーズは大丈夫ですと答える。そんな彼女から、気丈に振舞っている様子が見て取れた。本当は休ませてあげたいが……。


「これは、私がやらなくてはならないことなんです」

「見たくもないものも、あるかもしれないのに?」

「それでも、もう目を逸らしてはいけないってわかったんです」


 スクーズの意思は、固かった。そこまで言うのならば邪険にできない。四人で協力して、一人ずつ埋葬していく。スクーズがニドゥヘグで殺してしまった村人たちも、同じように埋葬した。

 最後に墓石になりそうなものを用意して、わかる限り一人一人名前を彫る。供えられる花はなかったが、手を合わせて冥福を祈った。どうか彼らの魂に、安らぎがあるようにと。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る