第四十九節 女神の巫女
ここは何処だろう。暗くて、冷たくて、こんなにも、独り。
独りが嫌だって思ったのは、いつからだったっけ。思い出せない。もしかしたら、思い出したくないのかもしれない。だって思い出したら、今また自分が独りだという事実が、襲ってくるのだから。そんなの怖い。
考えたくない。独りは嫌だ、置いていかないで。泣き叫びたい。
……でも、泣いたところで独りなのは変わらない。誰も声なんてかけてくれない。みんながみんな、見て見ぬふり。自分には関係ないからと、視線を寄こしても手を差し伸べる素振りがない。雨をしのぐための傘を差し伸べる人もいない。
……ほら、また素通り。可哀想、なんて言葉で満たす自己満足。自分は気にかけてあげているんだぞという、無責任な欲求。
自分勝手な人、他人、ヒト。そりゃそうだ、人間とは本来自分勝手な生き物。誰かのために自分を犠牲にすることを、一番躊躇う生き物。誰かを庇うことで、自分が満たされたいと思いたい。無事でよかったなんて三文芝居な台詞を、他人のためではなく自分が納得したくて使う。そんな人たちに、声も上げないで来るはずのない助けを求める自分もまた、勝手な生き物。
そんな言葉に同調して、目を閉じる。このまま目を閉じていたら、死ぬのかな。死ぬってどんな感覚なんだろう。体験してみるのも悪くない、かな。
雨が止む。晴れたのかなって目を開けても、やっぱり雨は降っていて。でも確かに、自分の上は止んでいて。なんでどうしてと、顔を上げる。
青空が、見えた。茫然としていると、光が自分を包む。とても暖かくて、気持ちいい。そういえば、眠たくなってきたって思い出す。今度は寝るために、目を閉じた。
******
「っ……!?」
目を覚ます。己の意識はしっかりとある。ここは何処だと、辺りを見回した。辺りは真っ暗で、地面に足がついているのかわからない。前を見ると、そこには大きな泉がある。初めて見るはずなのに、何処かで見たような錯覚を覚える。
近付こうと、試しに足で空気を蹴ってみた。すると不思議と、なんだか導かれるようにそこまで辿り着く。
泉のほとりには、生命力を感じさせる太い木の根が生えていた。樹齢はどのくらいだろう、とても古い樹だということはわかる。そこで、あれ、と首をかしげる。この光景を、どこかで見たような気がする。
他にも気付いたことがある。泉の上には、誰かが佇んでいた。何故かその光景がさも当然かのように思えた。その泉が女性の住処だと言わんばかりに──。はて、とさらに頭を抱える。これも何処かで見覚えがある。
女性はそんな自分のことはお構いなしに、声をかけてきた。
「はじめましてですね、女神の
凛とした声に意識が戻される。この人は今、自分のことを「女神の
「お前は……?」
「紹介が遅れてしまいましたね。私の名は、ウルズ。貴方方が言う、運命の女神の一人です」
女性はそう紹介すると微笑む。
運命の女神。世界から崇められている存在のこと。その姿を見れるのは女神の
そんな女神の一人が、目の前の人物だというのだろうか。とても信じられないような事実だが、女性から感じるオーラは人間のそれとは違う。本能的に、この人物は自分たちとは次元の違う存在なんだと思わせる。それを認識したら、もう納得せざるを得ない。
「本当に、女神なんだな……」
「納得いただけるのですか?」
「まぁ、ね。それになんとなく、敵じゃないってオーラも感じる」
なら信じてもいいかなって。そう答えると、なぜか一瞬羨望の眼差しを向けて、しかしすぐにそれをしまい込んだ。
「貴方が何故、ここにいるか……わかりますか?」
「何故って……」
正直そんなの自分が一番知りたい。だって自分は機械都市マシーネから離れた場所にある、カーサのアジトの古城で戦っていたはずだ。確かキゴニスって奴にいいようにされて。自分には女神の
「そこで俺、沢山のゾンビのような人たちに襲われて……。そんで、目の前が真っ暗になってから……」
背筋がゾッとする。あの時の感覚が蘇りそうになった。思わず肘を抱え、恐怖を抑えるために深呼吸をする。
「なぁ……ここは何処なんだ?その、ミミルの泉とは、違うような……」
「ここはそこよりも遥か北の地、ヘルヘームの奥にあるフヴェルゲルミルの泉、その潜在意識の中……。実際の貴方は今、そこの大樹の幹の上で眠っています」
眠っている?でも意識のない自分が、一人でにそこまで移動できるだろうか。いや確かに以前、戦艦からミミルの泉までワープしたけども。
「貴方の仲間が、貴方を助けるためにとここまで連れてきたようです」
ウルズはそう言うと、水面を指で叩く。何があるのかと覗き込んだ。水面に映し出されたのは、エイリークとソワンだった。自分を助けるために、マシーネのからこんなところまで。嬉しさに頬が緩む。
「実際ここに来なければ、貴方は危険な状態にありました。深層心理で貴方に襲い掛かった彼らは、人の欲や怨念そのもの。目的を貪り、自分たちの世界へと引きずり込まれる前に、貴方を救う必要がありました」
そうでなくても、今しがた自分は殺されかけたらしい。何故そんなことになったのか。訊ねればヘルヘームという村のことや、その村が行なっていたことを伝えられた。
「俺を助けたのは……女神の
「それは否定しません。ですが大きな要因は、貴方だからです」
断言されてしまった。自分は、女神の
「そっか……わかった。なら、教えてくれないか?この力のこと、どうして俺なのかってことを」
「貴方は……それが定められた運命だとしても、それを受け入れるのですか?」
「定められた運命とか、そんなの正直俺には分からない。いくつもの可能性の中から決められたっていうのなら、納得しなきゃいけないんじゃないかなって」
「逃げたいとは、思わないのですか?」
「そりゃ、逃げれるならって思うけど……。でも逃げるより、立ち向かいたい。それに定められたって言っても、運命っていうのは一つしかないってワケじゃないし」
いくつもの偶然が折り重なったものを運命と呼ぶなら、その折り重なるものを選べるようにしたい。その可能性を広げられるようにするのが、役目だと思った。
正直まだ怖いことには変わらない。だけどもし、自分でも守れる人がいるなら。両手を伸ばせる範囲だけでもいい、どんなことからも守りたい。生まれてから今も決められてる運命の上を歩いてる、なんて言われたら確かに気持ち悪く感じるかもしれない。
でもそれは、常にお前たちが隣にいてくれるってことだろ。独りじゃないって思える、それがこんなにも安心できる。だから怖くても自分が頑張れるのなら、頑張りたい。
その言葉でウルズに去来したものは、一体なんだったのだろう。一瞬ひどく複雑な表情をして、やがてそれを飲み込んだように抑え込んだ。まるで人間みたいだ、そう思った。
「わかりました……。貴方の力について、私から教えられることは、お教えしましょう。ですが何故、貴方が選ばれたのか。それは私にではなく、スクルド……私の末妹に尋ねてください」
「なんで?お前じゃダメなのか?」
「私には、私の力を受け継いだ女神の
三人の運命の女神に対して、三人の女神の
「何処に行けば、スクルドに出会える?」
「彼女がいるのはウールズの泉……。アウスガールズにある、貴方が行かねばならない最後の泉です」
「アウスガールズか……。あと、今更なんだけどさ?お前たちのことについて、教えてくれるか?」
わかりました、と告げてからウルズが自身を含めた三姉妹のことを語る。
ウルズは過去を司る運命の女神であり、世界の歴史などを感じ取ることが出来るらしい。運命の女神の中では長女であるという。
すぐ下の妹の名は、ヴェルザンディ。現在を司る運命の女神であり、世界の現在の流れなどを感じ取ることが出来るとのこと。彼女がいるのは、ミミルの泉。自分が一番最初に訪れた泉だ。
そして最後の妹が、スクルド。自分を女神の
次に伝えられたのは、女神の
女神の
惑星に定められた滅びの歴史から、少しでも人々や世界を守る。そのための道を指し示す者。選択される者。それが自分の力の正体で、自分が為すべきことだと説明を受けた。
スケールの大きい内容に圧倒されたが、とにかく自分は己の女神から受ける予言を、人々に伝えていかなければならないらしい。さらにその障害になりうるものは、それが例え命あるヒトだとしても排除しなければならない、と。
「殺さなきゃ、ならないのか……」
「……逃げますか?」
「っ、いいや!逃げない……!今さっき自分でも、逃げるより立ち向かうって言ったんだ。乗り越えなきゃならないから、やるしかないじゃん」
怖いという気持ちを必死に抑え込む。
やらなければならないと言い聞かせる。
「……強いのですね」
「弱いよ、俺は。足引っ張ってばっかりだ。でももう……足手まといでいるだけなんて、嫌なんだ。戦えるようにならなきゃいけないんだ」
今みたいに仲間に迷惑ばかりかけることなんて、もうしたくないのだから。
「……あと二人の女神の
「それを伝えることは出来ません。ですが、女神の
「……出逢う、かぁ」
一度に膨大な情報を得て、少し疲れた。息を吐いて、軽く頭を振るう。
「わかったよ、色々と。理解しきれてない部分もあるけど、少しずつ覚える」
「良い、心掛けです。……貴方に、お願いがあるのです」
「お願い?」
彼女はまた、水面を指で叩く。映し出されたのは一人の少女。周りには、巨大な黒いドラゴンや狼。怯えている人間たち。そして警戒している、エイリークとソワン。現実世界での今の様子らしい。
「……彼女を、救ってあげてください。彼女に私は見えませんが、私はずっとここから見ていた……。この泉のためにと、心を凍らせて必死になっていた。そんな彼女にこの泉を穢してしまわせた罰を、背負ってほしくないのです……」
彼女にはまだ、定められた未来があるのだからと。自分にとっては知らない他人だ。だけど水面に映る彼女に、必死に呼びかけるエイリークとソワンを見る。きっと彼女も、自分を助けるために一生懸命になってくれたのだろう。なら助ける理由は、それで十分だ。
「わかった。必ず助ける」
「感謝します……。この泉に飛び込めば、現実世界に戻れます。……レイ・アルマ。貴方は私たちにとっても、また他の女神の
「ウルズ……ありがと。じゃあ、またな!」
バシャン、と飛び込むところまで見送られる。
やがて静かになった空間で、ウルズは祈るように目を閉じて手を組んだ。
「嗚呼……貴方もいつか、彼のように……私を、許してくれますか?」
そう言いながら祈りを結ぶ。
「いつか共に、戦える日を。私が望むのは、それだけです……」
その言葉は、静寂の中に消えていった。
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