第四十六節 交錯する思惑

 かくん、と全身から力が抜けたようにスクーズが崩れる。カタカタと震える姿は、決して寒さからではないだろう。うそ、と小さく零れた言葉が痛々しい。もう見ていられない。我慢の限界だった。


「いい加減にしろ!アンタたちは最低の人間だ!!」

「やかましい!狂戦士族に人間の何がわかるものか!?」


 何がわかるものか、だと。確かに人間の全部はわからない。けど、ハッキリ言えることはある。少なくとも目の前にいる人間たちの、その行動の非道さは。畜生以下の精神しか持ち合わせていない、欲にまみれた人物だということは。


「人の親を殺して私腹を肥やして、あまつさえ命を弄ぶアンタたちはカーサと何も変わらない!!」

「ふ、ふざけるな!あの悪党共と一緒にしないでもらおうか!!」

「いいや一緒だね、対象が魔物から人間に移っただけだ!」

「このガキ言わせておけば!!」


 村人たちが一斉に猟銃を構える。これ以上の口論は無駄だと、こちらも武器を構えた。まさに一触即発というところで、別方向からの乱入があった。


"全て溶かせ熱砂の風"ハイスヴァルムショック


 ゾッとするほど低く、洗練された声が聞こえた直後。エイリークたちから見て右側から、辺りの雪を解かす熱風が襲う。しかもただの熱風ではない。強力なマナを感じるこれは、明らか敵意を持ったそれだ。

 エイリークはスクーズの前に立ち、大剣を地面に突き刺す。その前にソワンが立ち、防御の魔術を展開して難を防ぐ。一方の村人たちはなす術なく、せいぜい地面に伏せるだけで精一杯だったようだ。何人かの村人は間に合わず、風に焼かれて全身火傷のような状態に陥っていた。

 いったい誰の仕業かと、視線をずらす。視界の右側、ある木の上に、異質な雰囲気を纏う人物が立っている。この地には珍しい褐色の肌、生い茂った葉を思わせる髪。極めつけに最早見慣れてしまった黒い服。間違いない、本物のカーサだった。

 それにしてもタイミングが最悪だ。今は一刻も早く、レイを救わなければならないのに。目の前のカーサの人物は、エイリークたちと村人たちを獲物を見つけるように見回す。その視線がレイを捉えると、構えた。


「その少年、カーサ貰う。それ俺の任務」


 彼がマナを解放したのか、両腕が別の生き物のように蠢く。やがてそれは、手の甲に二つの熱を纏う鉤爪に。肘から先の腕は、人間のそれとは程遠いものに変化していた。血管のようなものが脈動しているのが、いやでも目に入る。


「カーサ四天王が一人、リエレン・クリーガー。参る」


 地面を勢いよく蹴り上げ、リエレンは村人たちに疾風のように襲い掛かった。彼の右手に、マナが収束していくのが見える。そうはさせないと、大剣を引き抜き間に入ろうと駆けだした。


"砕け散れ破壊の掌底"エクスプロジオン


 マナを熱エネルギーに変換したリエレン。村人たちは恐怖のあまり、何も行動が起こせないようだった。情けない悲鳴を上げ、身を縮こませる。リエレンがそんな村人たちに届く前に、エイリークは割り込んだ。


"巻き起こす彼方よりの風"クー・ド・ヴァン!!」


 大剣を振り下ろす軌道に、風のマナを纏わせて疾風を生み出すこの技。相手が熱エネルギーを使うのならば、それを分散させようと考えた。うまくいけば周囲の雪が解けて、ほんの少しの間でも動きやすくなる。この気温では、解けた氷が凍るまでそんなに時間はかからないだろう。それでも村人たちの中から、レイを引きずり出すまでの時間は手に入るはず。

 実際にリエレンが繰り出した攻撃は、エイリークの風の影響を受けて四散する。行き場を失った熱エネルギーが地面に落ちた。すると辺りの雪が、ジュワッと蒸発するように溶けていく。その影響で霧が辺り一面に広がり、視界が悪化する。

 何があったと惑う村人をよそに、エイリークは動く。多少視界が悪くても、レイの気配はわかる。彼を抱えてから、瞬く間もなくソワンとスクーズの元へ戻った。

 霧が晴れる前に、ソワンから耳打ちされる。


「ここがフヴェルゲルミルの泉なら、この泉の水をレイに与えればいいと思うんだ……。本当に万病を癒す泉なのかはわからないけど、でも……」

「俺たちは、可能性に賭ける。そうでしたよね?」

「もう、カッコつけちゃって。でも、そうだったよね。ありがとう」


 ちらり、とスクーズを一瞥する。彼女の憔悴っぷりは酷く、心此処に非ずと表現するのがふさわしい。周りの状況が、まるで目に入っていないようだ。


「ここはボクに任せて。そろそろ霧が晴れちゃうから、その前に」

「わかりました。ありがとうございます」


 頼んだよ、と互いにコツンと拳を突き合わせる。そこからの行動は早かった。レイを横抱きにして走る。見つからないうちに、泉を村人たちとは反対の方角へ。

 背後から衝撃音が響く。霧が晴れて、状況がわかったのだろう。時折銃声も聞こえてきた。早く、早く戻らないと。でもまずは、レイを安静にできる場所を探さなければ。焦りが追いかけてくる。


 その時、ひときわ大きな水の音が脳内に響く。大きいのに静かで、染み渡るような音。呼ばれているような錯覚に陥る。一段と大きな木の幹から、それは聞こえてきた。導かれるように、ゆっくりとそこまで歩を進める。

 時間が切り取られたみたいに、そこだけが静寂に包まれていて。でも不思議と寂しさは感じない。目の前まで辿りつけば、もう一度雫が水面に落ちる音が聞こえた。


「ここ、なんだね?」


 雫が落ちる。音が響く。それが答えだと、返事をするように。

 レイをそこに横たわらせる。すると木の根が、彼を優しく包んだような気がした。何故だろう、母親が自分の子供を寝かしつけるようだと思った。実際に木の根が動いたわけでもないのだが、木が彼を守ってくれる。そんな確信が持てた。もう、大丈夫なんだろう。


「レイを、お願いします」


 木に向かって一礼してから、エイリークは踵を返した。


 ソワンの元に戻る。そこでは彼と村人たち、そしてカーサのリエレンとの三つ巴バトルが繰り広げられていた。状況が一番悪いのはソワンだ。スクーズを守りながら村人たちの猟銃とリエレンの体術を、一人で捌くには骨が折れるようだ。所々から出血している。白い雪の上の、真っ赤な血が痛々しい。まずは彼から、村人たちやリエレンから引き離さなくては。袂を分かつように、大剣を振るった。


"炎よ焼き払え"クレマシオン!!」


 突然の攻撃に反応できたのは、戦いに慣れているであろうリエレンだった。村人たちは、襲い掛かってきた炎の斬撃に怯む。ソワンの前に大剣を構えて、守るように立つ。


「お待たせしました!」

「まったくもう、遅いよ」


 言葉は尖っているが、安心したような声色にそれが冗談だと理解できた。

 エイリークの姿を捉えた村人たちは、その憤怒の表情を隠すことなく吠えた。


「この盗っ人が!あのガキを返せ!!」

「レイは誰のものでもない!それに、最初にレイを誘拐したのはアンタらだろ!」


 自分たちのしたことを棚に上げて、人を罵倒するのもいい加減にしろ。心の奥底から村人たちを軽蔑する。対してリエレンはあくまでも、自分の任務のために動いているようだ。静かに構えなおして、問いただしてきた。


「女神の巫女ヴォルヴァ疑惑、何処置いた。変質バルドル」

「カーサにレイは絶対に渡さない。言うものか!」

「決裂。お前、倒して聞く」


 再び睨み合い、動き出そうとした時だった。ソワンがある場所を見て、叫んだ。


「スクーズ!?何やってるの、やめて!」


 声につられてソワンの視線の先を見る。そこにあったのは衝撃的な光景だった。


 最初のリエレンの攻撃によって、全身火傷を負った村人の一人。その人物が万病を癒すフヴェルゲルミルの泉を飲もうと、泉に顔をつけていたらしかった。そこに馬乗りになり、息ができないよう頭を押さえつける人物がいた。

 スクーズだった。一体どこから力が出ているのだろう。息ができずにもがき苦しむ村人を、何も言わずに見下ろしながら頭を押さえつける彼女。

 あまりの光景に一瞬言葉を失ったが、すぐに我に返る。


「な、何やってるんですかスクーズさん!」

「やめてスクーズ!危ないから!!」


 エイリークとソワンの制止の声が届かないのか。やめる気配が一切感じられない。村人たちは村長も含めて、彼女の変貌ぶりに慄いているようだ。

 一度力を抜いたのか、村人が酸素を吸おうと顔を上げた。しかしスクーズは無情にも、叩きつけるように思い切り、もう一度その頭を押さえにかかる。バシャバシャと水面が揺れる。助けて、と声を上げることもできない村人。やがて動かなくなり、息絶えた村人が力なく項垂れた。

 それを冷たく見下ろしてから、ゆらりと、彼女は立ち上がる。ぐるりと振り返り、狂気の目を今度は村長に向けた。ヒィ、と小さく悲鳴を上げた村長が後ずさる。

 エイリークは突然のスクーズの豹変に驚いていたが、言い知れぬ胸騒ぎを覚えた。なにかこの泉一帯が、神聖なものから邪悪なものに変わってしまうような感覚。


「ま、待て。待ちなさいスクーズ!お前は父と母から言われていただろう!?ヘルヘームに住む村長として、この泉を守っていくのだと!そ、それはお前だって理解を……!!」

「その志の高い父様と母様を殺したのは、どなたでしたっけ……?」

「そ、それは!先程はあんな風に言ってしまったが、本当はその……」

「もう結構です……。私が何も気付いてないとでも、お思いで?貴方が父様母様を疎んでいたことは、知っていましたよ。今ほど、この巫女ヴォルヴァの力に感謝したことは、ありません……」


 深呼吸を、一つ。


「死になさい下郎ども!村も、貴方たちも!!みんなみんな、一人残さず殺して差し上げます!!」


 彼女の慟哭に答えるように、泉が大きな飛沫を上げた。

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