第三十四節 反省会は一緒に
背中に小さな衝撃があった。振り返らなくても、原因が分かった。
レイが邪魔するよと言いながら、背中合わせに後ろに座ったのだ。返事をした方がいいのだろう、とは思う。けど今は、何も言葉が出なかった。いつのもように彼に声をかけられる、自信がない。
そんな自分の様子に何一つ質問することなく、レイはただ何かの作業をしている。カチリ、と何かのスイッチが入る音。
「アウストリ地方の南西部って言っても、夜はやっぱり寒いよな」
今コーヒー淹れてやるからな、なんてレイは無邪気に自分に話しかけてくる。
そんな風に語りかけてもらえる資格なんて、自分にはないのに。さっき自分は、思ってしまったから。レイは違うってわかっているのに……最低なことを、考えてしまったのだから。
「ここ、星が綺麗に見えるんだな」
その言葉に誘われるように、空を見上げる。深い、黒に近い群青の空。そこに散りばめられた幾多の星々。普段なら、本当に綺麗だと感嘆の息を漏らすだろう。けど今はその光が、自分のことを責め立てているように見えて仕方なかった。まるで星の光が、自分の罪を一つ残らず照らしているような。
背後からコーヒーの香りが漂ってくる。コトリ、と自分の左側に置かれたマグ。
「ほら、熱いうちに。身体あったまるよ」
砂糖とミルクも持ってきたからな、とレイはあくまでも明るく振る舞う。
流石に自分に差し出されたものを、無下にすることはできない。砂糖を4個にミルクを1個。一口飲んで、上手く溶けていなかったのか苦みがダイレクトにくる。
レイも飲んでいるのか、少しだけ静寂が空間を包む。
「……さっきはごめん」
ぽつりと呟かれたレイの言葉。意外すぎるその言葉に、疑問が零れる。
「……どうして、レイが謝るの?」
「援護、できなかったから」
謝らないでほしい、あれは自分がただ暴走しただけだから。いつもなら言えるはずの、そんな言葉が出てこない。それは彼に対して、後ろめたいことがあるからだろうか。いまだに彼の方に振り向くことも出来ない。
「レイの、せいじゃない……」
「それでも。ごめんな」
それからしばらくの間、会話がなくなる。沈黙が刺さる。
本当は自分の本心を言いたい、けど、嫌われてしまうのではないか。いつも二の足を踏んでしまう。だけど。
コーヒーを二口。少し飲みやすくなっている。
意を決したように、エイリークは静かに、懺悔するように語る。
「……さっき、俺……全然周りのことが見えてなかった」
「うん……」
「二人が連れ去られたことも、ケルスが、あんな目に遭っているのも……全部自分のせいだって、わかっていたのに。ケルスの悲鳴を聞かされた、あの時だけ、俺は―――……」
この世に生きているすべての人間のことが、憎いと思ってしまった。
マグを持っている両手に力が入る。
全ての人間が悪いわけじゃない、そんなことはわかっている。自分の師匠のマイアも、ヤクもスグリもソワンも、そしてレイも。自分に良くしてくれている。恩を感じこそすれ、恨むことなんてなかったのに。
それでも自分の仲間を傷付けられていると知った、あの時。人間という大きな括りに、彼らも入れてしまった。そのことに気付いてから、合わせる顔がなくて。自分の弱さを人間がいるからだと責任転嫁をして、そこから逃げていることを正当化してしまっていた。
そんな自分が誰よりも許せない。
抱えていた胸の内を話す。レイはそれを、肯定も否定もせずにただ聞いてくれていた。
「謝らなきゃいけないのは、俺の方……。結局俺は自分がどうしたいのか、わからなくなって……」
「……謝らなくて、いいと思う」
頭の中が混乱して、何を言っているのかわからなくなっていた。支離滅裂なことを言っていると思う。そんな、どうしようもなくぐちゃぐちゃな思考に入ってきた、彼の言葉。
「俺はエイリークじゃないから。エイリークがどんな苦しい目に遭っていたか、その時どんな気持ちだったか、きっと、全部はわからない。そんな俺が謝るべきだとかそんな偉いことなんて、言えない」
「でも、そんなの俺──」
「俺は、いいと思うんだ。人間を憎んだままでも。簡単に人間を憎むのをやめるって言う方が、信用ならない」
レイはいったい、何を言いたいのだろうか。人間を憎んだままでもいいなんて。
そんなの卑怯だ。そんなこと言われてしまったら、流されてしまいそうになる。それは甘えなんじゃないか。そう思う反面、そうしたいと思う自分がいる。嗚呼。自分はいったいどれだけ、レイに借りを作る事になるのだろう。
「俺はそれでもいいよ。エイリークが俺のことを憎んでても、俺はエイリークのこと信じてるから」
「俺は、レイやヤクさん、スグリさんやソワンさんのこと憎みたくない」
「そう?」
「そうだよ、俺にとってはみんなは大切な仲間なんだから!」
叫んで、後ろを振り向く。コーヒーの入ったマグがカラン、と倒れた。中身が地面に広がる。背後にいたレイは、にっこりと笑っている。とても嬉しそうな、安心したような笑顔だ。その笑顔の意味が分からなくて、呆然としていた。そんな自分に投げかけてくれた、レイの言葉。
「ありがとう」
「レイ……?」
ありがとう?なんで……?
「俺のこと、仲間って言ってくれてさ。そう思ってくれているのなら、それで十分さ」
「それ、って……」
「人間を、完全に許すことは出来なくてもいい。恨み続けてもいい。でも、エイリークの中に俺っていう人間や、師匠たちのことが残っている。それはお前が俺たちのことを、忘れたくないっていう無意識下の行動だと思うから。それが聞けて、良かった」
師匠たちも、きっと同じ気持ちだと思うから。立ち上がってそう笑うレイに、他意はないように見えた。
でもその分、自分の惨めさが浮き彫りになっていく。感情が抑えられない。
「でも俺、最低なこと考えたんだよ!?人間なんて、みんなこの世からいなくなればいいって!」
「うん」
「だったら、なのになんで!そんな俺に笑えるの?どうして……そんなに、優しく……」
レイの顔が見れない。自分が本当に情けなくなっている。
「それは、お前のこと大事だから」
「え……?」
それ、だけ?
「そう、それだけ」
今は夜なのに、レイは太陽のように明るく笑う。そのまま健康的だけど自分より細い腕で、優しく抱きしめられて頭を撫でられて。まるで迷子だった子供をあやす、親のように。
不思議と不安が消えていく。温かい腕が安心感を与えてくれる。
自分の惨めさを、受け入れられる気持ちになる。人でなしの自分の部分が、包まれているような。
「いつぞやのお返し。……俺は、エイリークがエイリークのままいてくれるのなら、それでいいから。無理に感情を合わせなくても、いいから」
「……いいの?……俺……」
「いいもなにも。エイリークのしたいようにすれば、いいと思う。エイリークの感じたことは、誰でもないお前のものなんだから」
大丈夫、と撫でてくれる手がひどく優しくて暖かくて。こんなにも自分を曝け出したのに、それを否定することなく、受け入れられる。レイは構わないと言うのだろうか。こんな弱くて狡くて卑怯者な、自分でも……?
肩が震える。感情が一気に溢れて、ぽろぽろと零れ落ちる。
「俺、逃げてるだけでっ……」
「うん……」
「そんな俺でも、許してくれるの?一緒に、いてくれるの……?」
「もちろん」
その言葉で、抑えていた何かが決壊した。必死にレイにしがみついて、子供のように泣きじゃくった。ようやくわかった。
―――俺は、許されたかったんだ……。
なにも言わないで、レイはずっとそこにいてくれた。
散々泣いて落ち着いた頃、レイから離れる。もう大丈夫かと尋ねられ、笑顔で答えられた。
気付けばもう夜明け前だった。立ち上がったレイから、手を差し出される。
「帰ろう」
俺たちの今の居場所へ。
朝焼けの光に包まれている、レイの手が自分には救いの手に見えて。
「うん」
それに、縋っていたいと思った。
甘えてもいい、とその言葉に文字通り甘えたいと思えた。
******
野営地に戻ると、ソワンがまず出迎えてくれた。笑顔でおかえり、と言ってくれた彼にただいま、と返事を返す。そのまま3人で、ヤクとスグリのいるテントへ向かった。
そっ、と入り口を開ければそこにはしっかり2人はいて。自分に気付くと、優しく迎えてくれた。
「その、ごめんなさい。こんな時間まで、その……遅くなって」
「反省会は終わったか?」
「……!はい!ご心配、おかけしました」
深々と礼をして、それから言わなければならないことがあると告げる。
これは今まで隠そうと思っていたことだ。だけど、今なら面と向かって言える。そして、彼らに聞くことができる。そう思えた。
「レイとソワンさんにも、聞いてほしい。カーサに捕まっている俺の仲間のこと」
「捕まってるって……前に言ってたグリムとケルスってやつのこと?」
「うん。だけど、教えてたのは名前だけだったよね。隠しててごめん、2人は……俺と同じで、異種族なんだ」
ケルスは有名だ。誰もが光のエルフと呼ぶ、平和主義者の種族でもある『リョースアールヴ族』という種族。比較的人間からも愛されている、珍しい種族だ。
主にアウスガールズに生息していたが、カーサの襲撃によって殆どの血統が滅びてしまった。現在生き残りが確認されているリョースアールヴ族は少ない。ケルスについてはみんな、救うことには賛成してくれるだろう。だけどももう一人の、グリムについては一抹の不安があった。何故なら彼女の種族は、
「……グリムは、デックアールヴ族の末裔なんです」
「デックアールヴ族……!?」
空気が少し動揺したことがわかった。『デックアールヴ族』とは、リョースアールヴ族と対をなすような存在だ。人間からは闇の種族と呼ばれている。その理由は、彼らが使う武具にあった。
元々それらは、豊穣をもたらす武具だと言われていたらしい。しかし神々への贈り物には、どうしてか邪悪で強い力が宿っていた。それが信仰心の強い他の種族からは、疎まれるようになったという。決定的となったのは、約五百年前に起きた第三次世界戦争。その時に多種族と結託した人間によって、デックアールヴ族は滅亡の危機に瀕した。生き残ったデックアールヴ族による人間への虐殺は、今も密かに行われているという。
そんな種族が自分の仲間で、助けたい人物である。だからこそ、確認したかった。
「協力、してくれますか……?」
これが、聞きたかった。不安な気持ちのまま、前を見据える。
しばしの沈黙の後、後ろからレイに背中を叩かれる。
「そんなの、当たり前だろ?」
「レイ……」
「言ったろ、俺は俺の意志は誰にも邪魔されたくないって。エイリークの仲間がどんな奴だろうと、俺は協力するって」
にっこり、と強気に笑うレイ。それに続くように、ソワンからも肩を叩かれる。
「軍人として一般市民のお願いは無下にしないし、個人的にキミに協力するのはボクのやりたいことだからね」
「ソワンさん……」
「そもそもカーサについては、俺たちの問題でもあるからな。お前の力になれる」
「キミの仲間を救うことは既に、キミだけの問題ではない。一人で行動するなど、許可しない」
自分は恵まれている、そう実感できるほどに彼らの優しさが心に沁みる。
「ありがとう、ございます!」
嗚呼、彼らに出会えて、本当に良かった。
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