第二十七節 最悪の最高幹部

 目の前に倒れたベレトゥを確認した直後のこと。大きな音に意識がそちらに向けられる。

 地面が抉れ、土煙が舞っている。大きな怪我は負ってないが、ヤクやスグリの軍服の端が切れている。相手のカサドルも、纏っていた外套は破けているが、それほど大きなダメージは負っていないようだ。その光景を見て、頭の中にあの夢がフラッシュバックする。

 ヤクやスグリが殺される、あの夢。夢と違って辺りが燃えてはいないし、相手も剣を使っているわけでもない。だが、背筋がゾワリと凍る。


 ……嫌だ。やめろ。

 俺の目の前で、あの夢の再現なんか──!


「やめろ!!」


 気付いたら、身体が勝手に動いていた。


「"スリートイルミネーション"!!」


 無我夢中で杖を振るう。明確な殺意ではなく、ありったけの牽制の意を込めて。自分の大切なものが目の前から零れていく感覚、恐怖を、初めて知ったかもしれない。

 確かな軌道を描いて放たれた、光を纏う氷のつぶて。それらは確実にカサドルを捉えた。だがカサドルは片手を突き出すだけで、いとも簡単にそれを防ぐ。術すら発動していない。つぶての一つを握りつぶした彼が、不敵に笑う。


「いい魔力だが……私には遠く及ばんな」


 握っていた拳を開く。そこから何やら黒い靄が、手から零れ落ちるように溢れる。その靄はまるで、生きているかのように蠢いていた。


「そら、返してやろう」


 言葉の意味が分かっているのか、黒い靄が一気に自分に向かってきた。レイを取り囲んで閉じ込める檻のように、自分を中心に一定の間隔を開けて変形していく。対策をとる前に、黒い靄が作ったドームに囲まれてしまった。何が来るかと身構えたが、一向にドームの外から攻撃してくる気配はない。

 そんな折、自分の髪がしっとりしていることに気付く。それどころか、杖に水滴がついている。なんだろうこれは。まるでドームの中だけ小雨が降っているような、霧がかかっているような……。


(あれっ……?)


 かくん、と膝が折れる。肌をピリピリ焼くような、小さい痛みを感じる。肌を露出している部分が、痺れるように痛い。それだけではない。喉に手をあてて呻く。息がうまく出来ない。


『苦しいだろう、少年』


 頭の中に声が響く。この声は夢の中で聞いた、あの女性の声ではない。今しがた戦っていた、カサドルの声だ。


『その靄の名は"侵食する死の雨"ゾイレレーゲン……。人体の粘膜などに侵食して身体機能を奪う術だ。お前に解除することはできんだろう』

「う、るせっ……っあ、……ッ……」

『今ここで苦しんで死ぬ運命か、私と共に来て生きる運命か、選べ』


 死ぬ運命、生きる運命。

 突然与えられた選択肢を前に、しかしレイはどちらも選ぶことはなかった。


「そ、んなの……どっち、も願いさげ……だ!運命なん、て……誰、かに決められて、ても……そんなの、乗り越えて、自分で作る!!切りひ、らっ……」


 大きくむせる。一段と呼吸が詰まった。言いたいことは言った。あとは、この状況をどうにか突破しないといけない。


『そうか……だが、残念だ。その意志、ここで散らせてやろう』


 声に比例するかのように、霧が一層濃くなる。身体のあちこちが痛い。呼吸もうまく出来ない。術を発動させるための体勢が取れない。正直あんなに威勢よく吠えたはいいものの、すぐに打開策が思いつけるほどの頭は、今のレイにはなかった。

 だが限界を感じた瞬間、突然と視界が開けた。


「レイ!!」


 声のした方を、目を凝らしてよく見る。見えたのは、白い軍服と黒髪。


「す……ぐ、り……?」

「レイ!……生きては、いるな」


 助け出してくれたのは、スグリだった。彼に俵抱きにされた状態で、レイはドームの中から脱出することができた。視界の端に、凍り付いていたドームが切り裂かれバラバラと崩れる様子が映る。きっと、ヤクも救出を手伝ってくれたのだろう。

 カサドルからの死角に降ろされると、スグリから回復の術をかけられる。


"天使の施し"エルステヒルフェ


 優しい緑の光が自分を包む感覚に、目を閉じる。苦しかった呼吸も、肌の痛みも引いていく。術がかけ終わったと分かると息を一つ吐いて、スグリに謝罪した。


「全くお前達は……説教は後だ。今は少し休んでいろ」

「そんな、俺も……」

「つい今しがた、敵にボロボロにされたのは誰だ?」


 間髪入れずに指摘され、言葉に詰まる。確かに自分が勝手に行動して、敵の術中に嵌ったことは事実だ。そのことが理解できる分、悔しくて手を握る。ギリ、と歯ぎしりしていたが、頭に手が置かれ、思わず間抜けた声を出した。

 スグリの方に顔を剥ける。そこには、どこか満足げに微笑む彼の笑顔があった。


「強くなったな」


 それだけを言って、スグリは戦闘の中に戻る。スグリが手を置いてくれた場所に、自分の手を置く。鎧越しから伝わってきた温かさが、安心感を思い出させた。


「……ありがとう、スグリ」


 だが素直に、ただ休むだけなんて御免だ。いつ敵側が自分に気付いて、攻撃をしかけてくるかわからない。いつでも動けるように杖はしっかり握りしめて、もたれ掛かっている瓦礫から少しだけ顔を出して様子を見た。


 ******


「"抜刀 鎌鼬"!」


 カサドルの背後で構えたスグリが、煌めく白刃を抜刀する。真空の刃が、カサドルの右腕を確実に切り裂く。この戦いの中で、初めてカサドルの表情が曇った。好機と言わんばかりに、スグリが叫ぶ。


「エイリーク!」

「はいっ!!」


 壁を駆け上がり、カサドルの上空で大剣を構えていたエイリーク。重力の力も借りて、勢い良く大剣を突き立てようとしていた。その大剣には、バチバチと激しい雷がまとわりついている。勿論カサドルは避けようとしたが、いつの間にか足元が凍りついている。後方でヤクが杖を構えていたのだ。


"雷神の裁定"エクレールジュワユース!!」

「くっ……!」


 カサドルが黒針を出現させて自分を守るように、それらを展開させる。直後に黒針とエイリークの技がぶつかり合い、土煙と床がひび割れる音が舞う。衝撃波で空間全体が、ビリビリと空気が音を鳴らしているようだ。

 遠い場所で様子を伺っていたレイのところまで、それらは届く。瓦礫に隠れていたお陰で、直接的なダメージを負うことはなかった。そうでなくても、物凄い威力だ。

 土煙が収まり、その中心を凝視する。そこには、ダメージは負っていたが致命傷は避けていたカサドルの姿。そして身体に黒針が突き刺さっているエイリークの、痛々しい姿だった。


「エイリーク……!」


 その姿が見ていられず、思わず瓦礫から出る。自分の姿を捉えたカサドルが不敵に笑い、手を自分にかざす。


「そこに隠れていたか……」


 その手にまた、黒い靄が出現する。だが術が放たれる前に、目の前にいたエイリークが大剣を構え、彼に突進した。ぼたぼたと血が垂れ落ちているが、大して気にしていないようだ。


「貴様、まだ……!?」

「生憎、頑丈さだけが取り柄なんだよ……!ぐっ……スグリさんッ!!」


 エイリークがありったけの声で叫ぶ。彼の背後にいたスグリが、剣の範囲にカサドルが入るように近付く。その手には炎に燃える剣を、静かに構えていた。


「"秘剣 烈火"!」


 スグリの紅く光る刃が、確実にカサドルを捉えた、かのように見えた。


 ガキィイン


 刃が何かに弾かれる音が響く。スグリの剣は、その前に現れている緑色のバリアのような光に遮られ、カサドルに届いていなかった。それはまるで、カサドルを守るように広がっている。

 しかし彼の片腕を潰し、目の前にエイリークが突進していたこの状況で、いったい誰が術を発動させたのだろうか。そんな詠唱も、そぶりも見えなかったというのに。

 遠目からでは上手く理解出来ないと、ある程度動けるようになったレイは彼らの方へ近付く。



 ──「いけませんねカサドル。アジトを消すつもりですか?」



 いやに落ち着き払った、身体の奥で響くようなテノールの声が聞こえる。その場に留まるのは危険だと、本能的に察知したのだろう。スグリがエイリークの腕を引きながら、しかし視線は晒さず後方で構えていたヤクのところまで後退する。レイもヤクのところに来て、警戒を強める。

 ただし声を聞いてから、エイリークの表情が何処か強張っているように見えた。震える唇から、まさか、と一言零れ落ちたのを、聞き逃さなかった。


 カサドルの隣の空間が歪み、そこから一人の人間が姿を現わす。夜を溶かしたような艶のある長い群青の髪を一つにまとめ、そこに浮かぶ月のような瞳を持つ男性。右目は見えないのか、眼帯をつけている。一見すれば容姿端麗な男性だが、纏う殺気とカーサの制服が、彼を敵だと判断させる。

 その男性を目視出来た途端、急にエイリークが威嚇する獣のように吠える。大剣を構え、なりふり構わずに彼らへと向かっていった。


「ヴァダース!!」

「侵入者というのは貴方でしたか、バルドルの者」


 エイリークの憎しみの篭った声に物怖じすることなく、まるでそれを楽しんでいるかのように笑う、ヴァダースと呼ばれた男性。手をかざし、空間からダガーを取り出すと詠唱を始めた。

 その意図に気付いたのか、ヤクが魔力を収束し始める。


「グリムとケルスは何処だ!答えろヴァダース!!」

「変わっていませんね貴方は……私から二人を守れないわけです。受けなさい、"悲劇を奏でる白い旋律"トラゲディエコンツェルト!」


 白く光る無数のダガーが、一斉にエイリークへと襲う。しかしそれらは、彼に一太刀も浴びせられなかった。エイリークの背後から放たれた氷の刃が、それらを全て弾いたのだ。その様子に感嘆の息を漏らすヴァダース。


「エイリーク、一人で突っ走るな!」

「ヤクさん……」


 彼の一言で我を取り戻せたのだろう、エイリークの怒髪天を突いた表情が少し落ち着く。


「私のダガーを全て弾き返すとは……。流石は世界一の大国、ミズガルーズの国家防衛軍の一部隊長ですね」


 くすくすと楽しそうに笑う目の前のヴァダースと呼ばれた男性に、言いようのない不気味さを感じた。それはヤクも、スグリも同じようだ。目付きが一段と鋭くなる。


「カサドル、本部へ戻りなさい。ボスがお呼びです」

「御意」


 ヴァダースの指示を受けたカサドルは先程ヴァダースが行ったように、自分の周りの空間を歪ませ、その場から姿を消した。それを確認したヴァダースは辺りの状況を一瞥する。首のないベレトゥの死体を見つけ、興味深そうに微笑む。


「ベレトゥを倒しましたか。彼はカサドルの一番槍と言われた男でしたね。カサドル自身も強いのですが……そんな彼に深手を負わせるとは。気に入りましたよ、貴方がた」

「……何者だ、貴様」

「ああ、これは失礼しました。申し遅れました、私はカーサの幹部の一人、ヴァダース・ダクターと申します。以後お見知りおきを」


 あくまで丁寧に挨拶をし、深く礼をする。所作の一つ一つが友好的であるはずなのに、酷く冷たさを感じて気味が悪く思えてしまう。


「……さて、私個人としてはここで貴方がたの相手をするのもやぶさかではありません。が、貴方がたは一応侵入者。それを罰するのが、幹部としての私の役目でしょうね」


 ヴァダースはにっこりと微笑み、手をゆっくりと翳す。それに対しヤクとスグリが、自分たちの近くに来るように指示した。


「ヤク!」

「ああ!エイリーク、早くこっちに!!」


 はっと気付かされたエイリークが自分たちの方へ全速力で駆け抜けてくる。


「エイリーク!!」


 思いきり手を伸ばし、しっかりと彼の手を握る。その直後に、ヤクの防御結界が張られる。


"冥界の神の言の葉"トートシュピールドゥーゼ!」


 見えない衝撃波が、崩れかけの壁や天井へ次々に当たる。まるで空間全体で音楽を奏でるように、圧縮された空気が波のように襲いかかってくるのがわかる。



 そんなに私を倒したいのならば、次のアジトを見つけてみたらどうです?もっとも……貴方がたが束になって私を攻撃しても、無駄だと思いますが。せいぜい私を楽しませてくださいね?



 ヴァダースのその言葉は、瓦礫の崩れる音に紛れて消えていく。兎にも角にも、アジト全体を包む衝撃波の余波が収まるまで、身動きが出来ない。あちらこちらで壁や天井が崩れ、積み重なっていく。そしてレイたちの視界は、積み重なる瓦礫が生み出す暗闇に包まれたのであった。



 第一話 END

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