第二十六節 戦う理由
自分に迫り来る黒針の前に立ち塞がったのは、ヤクだった。
「し、しょ……!?」
「
自分の目の前に立ちはだかったヤクが、術を放つ。そうして現れたのが、氷の盾。それに勢いよく突き刺さる黒針。まるで巨大な氷を無数のアイスピックで砕くような、そんな光景だ。
幸いにも盾を貫いた黒針は一本もなく、怪我を負うことはなかった。
「ご、ごめんさな……ありがとう、師匠」
「この大馬鹿者が……!」
吐き捨てるように毒づきながらも、いつも守ってくれるこの背中に、安心感を覚える。対するカサドルは、小さく笑ってから控えにいた人物──人間のそれではない腕をしている男──を呼ぶ。
「ベレトゥ!」
その声に一つ間を置いて、男が自分とヤクを引き離すように、腕を振り下ろす。
ヒュッ、と一瞬頬を裂くような小さな風が吹く。次の瞬間には、自分たちがいた地面は大きくひび割れ、砕かれていた。避けていなければ、自分がああなっていたかもしれない。そう思うと背筋がぞっとした。
獲物を見失ったベレトゥは、悔しがるどころか笑っている。一瞬だけだが、視線がぶつかる。ぞっとした背筋が、凍り付くような感覚に変わる。その瞳にあるのは殺気の塊、それだけだった。
「殺さない範囲で好きにするといい」
「有難いお言葉です、カサドル様」
そんな会話が聞こえてくる。ちらり、と奥の方を見れば、ヤクとスグリがカサドルと対峙しているのが見えた。つまり目の前にいる人物とは、自分が戦わなければならない。純粋に恐怖が湧き上がる。
──大事なのは、ミズガルーズ以外の国々ではその考えが通じないということだ。
ヤクが世界巡礼に出る前に、自分に言ったあの言葉。世の中が平和だと思っているといった自分の言葉への、あの返答。その言葉の、本当の意味が分かったような気がする。
世の中にはこんなにも純粋に、人を傷付けることに、躊躇わない人物たちがいる。
「俺を目の前にして考え事か?いい性格してるぜテメェ!」
男の言葉に、思考が現実に戻される。目の前の凶刃に、術を発動する時間もなく。本能的に身体が動き、杖でどうにかその爪を受け止めた。上から自分を押しつぶさんとする、ベレトゥの獣じみた鋭利な爪。ギギギ、と爪を受け止めている部分から嫌な音が聞こえてきた。なす術もなくとにかく膝をつかないように、力の限り踏ん張る。
「カサドル様からお許しが出たんだ。殺しはしないが、俺からカサドル様の声を奪ったテメェには、してやりたいことが沢山あるんだよ」
「奪った……!?」
「さっきの超音波は効いたぜ……俺は人よりも耳がいい。遠くにある海の波の音、森のざわめき、人間の足音、なんでも聞き取れた」
それ故に自分はカサドルの元で、一番槍を任されていたという。このアジトに向かってきていたヤク達の部下の数人を、音もなく近付いて屠ったのも自分だと。
「数人……?残りの人たちはどうした!」
「残りの人間?ああ……見えてねぇのか、あれが」
見てみろよと視線で促され、警戒しながらも視線を横に移す。そこにあったのは、人の形──正確にはミズガルーズ兵の形──をした石像だ。まさか、と嫌な汗がゆっくりと頬を伝う。ベレトゥの邪悪な笑いが耳に入る。
「俺の術で全員、石像に変えてやったさ。砕かれたら……そのまま死ぬかもな」
「な……お前……!!」
「いいねぇその目。俺はその目が大好きだ、特に……」
ベレトゥが力を抜く。急なことで、バランスが崩れた。とん、と杖を後ろに押されて、がら空きになる身体。まずいと思った直後、腹部に強烈な蹴りが入れられる。勢いそのままに、一直線に一体の石像に衝突する。割れはしなかったが、背後からピキキと軋むような、ヒビが入ったような音がした。
「そういう目が絶望に染まる瞬間がな!!」
高らかに叫ぶや否や、自分に向かってくるベレトゥ。立て直そうにも、思ったより受けたダメージが大きかったのか、思うように動けない。
「俺は誰よりもカサドル様のお声を聞いていた!そう誰よりもだ!その聞く権利を奪ったテメェに、同じようにこの絶望をくれてやる!!」
一直線に自分に向かってくるベレトゥ。今度はやられてしまう、そう思った直後、横から炎を纏った大剣の陰が見えた。
「
自分の前に立ち、大剣を振るう人物が一人。大剣に纏わられていた炎が、ベレトゥを包む。
炎に照らされて、その金髪が輝いて見える。綺麗だ、そう感じてからやっと思考が追いつく。視線は前方に向けたまま、エイリークが武器を構えて自分を守るように立っている。
「遅くなってゴメン。大丈夫?」
「エイリーク……そんな、俺の方こそごめん。俺──」
「反省や後悔は、あとで一緒にしよう」
優しい声色で語り掛けてくれるエイリーク。自分のふがいなさに自己嫌悪に陥りかけていたが、顔をゆっくりとあげてその背中を見る。相変わらずこちらは振り向かないが、優しい顔で語ってくれているだろうことは、わかった。
「レイはこれが、この戦いがカーサとの初戦闘になるから。怖い気持ちもすごくわかる。だけど、それに潰されたら狩られるよ。俺はレイに、そうなってほしくない。折角受け入れてくれた仲間を、また失うなんてイヤだ」
「エイリーク……」
「それに石像にされた人達だって、アイツを倒せば助かるかもしれない。だから今はこう考えて。アイツを倒す戦いじゃなくて、石像にされた人達を救うための戦いだって」
一緒に背負うから。
彼のその言葉に、自分が救われたような気がした。確かに戦うことで、命を奪うこともある。魔法の修行の中で、それは理解していた。でも実際に自分が死ぬかもしれない、その場面に直面して足がすくんだ。だが今は一人じゃない、仲間がいる。
その仲間に、迷惑ばかりかけていられない。自分で、彼と一緒に戦う旅を選んだのだ。それを嘘にしたくない。エイリークの言葉に勇気づけられ、彼に謝罪と感謝の言葉を述べてから杖を握りしめる。立ち上がったレイのその目に、もう恐怖の色は見えなかった。
「はぁー、嫌だねぇ。雑魚が二匹になったところで腹は膨れねぇっての」
炎がかき消され、何もなかったかのようにベレトゥが立っている。服の端がチリチリと焼けた程度で、それ程ダメージを受けている印象がない。数回首を鳴らしてから、その異形の手で地面を割る。
「
ボコボコと、まるで鍋で沸かして沸騰したお湯のように、地面が波打つ。その波は止まることなく、レイたちの足元へ近付く。波が自分達に直接届く前にその場から退避。しかし波は急に止まり、代わりにその地面から飛び出してきたものがあった。
「蛇!?」
それは掌大の大きさの頭を持った蛇が5頭。狙いを定めていたのか迷わずに、自分とエイリークに向かったきた。自分には2頭、エイリークには3頭。
2頭ならばこの術で防げる、と杖を掲げて振るう。
「
自分がいつも、目くらましに使う術。一瞬の眩い光に、2頭の蛇が怯んだことを目視する。その隙を逃さずに、続けざまに術を発動した。
「"スリートイルミネーション・シージュ"!」
レイ自身が旅に出る前に、最後に修得した術だ。氷が光を包んでいるこの術は、まるで照明に照らされて輝きを増す、ダイヤモンドのよう。本物の硬度にも勝るとも劣らない氷の刃が、冷たくベレトゥを切り裂く手ごたえを確かに感じる。ちらり、とエイリークの方を見れば、彼も蛇を難なく躱し反撃しているように見えた。
体勢を整え、今度はこちらから反撃を仕掛けるというタイミングで、急にエイリークが片膝をついた。慌てて近付き様子を確認すると、彼は玉のような汗を流している。呼吸もどことなく苦しそうだ。よく見ると左腕に5センチ程の擦過傷がある。さらに剣を握りしめている左手は、かすかに震えていた。
手の震えだけならば、彼も自分と同じで恐怖を抱いていたのかと推測はできる。だがカーサと何度も対峙してきた彼が今更、震えなんて出る筈がない。
手の震え、呼吸困難、玉のような汗、腕の擦過傷、さらに先程の蛇、それらから導き出される答えは一つしかなかった。
「まさか、毒……!?」
「だ、だい、じょ……これくら、い……なんともな、いから……」
そうは言うが、彼の表情はあまり芳しくない。どうしたらいい、回復の術は確かに会得はしている。しかし解毒の術は門外漢だ。このままでは目の前の彼が、毒に倒れてしまう。焦りが募るが、ある光景が頭の中に甦る。
──ボクは一緒に行くわけにはいかない。その代わりに、これくらいのことはできるから。
そして手渡された、簡易的な救急セット。ソワンから受け取ったそれを、腰のポーチの中に入れておいたことを思い出す。確か中には解毒剤も入っていたはずだ。それに賭けようと決めて、ポーチからそれを取り出す。
一本だけ、注射型の解毒剤が入っていた。
注射型ならば即効性もあるだろうと考え、彼の利き手と反対の右腕にそれを刺す。痛むかもしれないが少しだけ我慢してほしいと、謝罪は入れる。それに対して気にしないでほしい、と笑うエイリークに、あることを伝えた。
注射を打った直後に、ベレトゥがいた方角から声がした。
「完全に噛まれることはなかったか、偉い偉い」
レイの反撃を受けたベレトゥは怪我は負っていたが、難なく立ち上がる。ゆっくりと、地面に突き立てていた拳をあげた。人間なら本来その場所にあるはずの指が、5頭の蛇に変化している光景が目に入る。その蛇をヒトの指の形に戻しながら笑う彼は、本当に人間なのだろうか。
「だが、いけねぇな……。いい加減、雑魚は雑魚らしくくたばりやがれ!」
殺気を隠すこともなく、相も変わらず突進してくる異形の彼。レイは今度は自分がエイリークを守る番だと、彼の前に立って対峙する。
「
「
レイが作り出した光の壁に、不気味な色に変色したベレトゥの鋭い爪が突き刺さる。まるで刃のようなその爪が、ジリジリと光を突き破ろうとしていた。その爪に切り裂かれたら、自分はおろか後ろにいるエイリークも危ない。なんとか踏み止まろうと、魔力を集中させるが──。
「こんな羽衣、役に立つかよ!!」
抵抗も空しく、光の壁はあっけなく砕け散る。その残滓が、悔しそうに消えていく。壁を砕いた手とは反対の手に、同じように不気味に変色した手が見える。どうやら、その術は片手だけではなかったようだ。慌てて術を発動させようと、彼は杖を前に突き出す。
「"スリートイルミネーション──"」
「遅い!!」
嫌な音がする。耳を塞ぎたくなるような、不快な音。
手ごたえを感じたであろうベレトゥは、ニヤリと笑い、しかし──。
「ゴホッ」
自身が立っていた地面に、盛大に吐血をした。
何が起きたのか。ペレトゥとレイの間には、いつの間にか鏡のように見える氷の壁が聳え立っている。
「引っかかったな」
「て、めぇ……!!」
そして術にかかっただろうことを確認したレイは、狼狽えているベレトゥに、静かに語り始めた。
「お前の身体が変化しているように、俺の術にだって同じように変化している術がある。"スリートイルミネーション・スーツェン"……攻撃してきた相手に、同じ技の同じダメージを与える術だ」
「ヤロウ、やってく、れるじゃねぇか……だが!」
ベレトゥはレイの代わりに、エイリークを始末しようとしたのだろう。動き始めようとした刹那、風が舞う。
彼の視界の端にはきっと、彼の血で塗れた大剣を振り下ろしたであろうエイリークの姿が映ることだろう。
「お前が俺を潰そうとした理由があるように、俺にだって負けられない理由があるんだ……!」
強い意志を宿した瞳で、ベレトゥを睨む。ゴトリと鈍い音を立てて落ちた頭部に続けて、彼の身体は、まるで糸が切れた操り人形のように崩れ落ちたのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます