第二十五節 夢での邂逅現実での再会

 アジトらしき廃墟の中は、嫌に静かだった。物音ひとつしない。最初は間違えてしまったのかとも思ったが、ヤクやスグリの魔力の反応を感じる。間違いない、ここがカーサのアジトだ。

 明かりはなく、ちらちらと入ってくる陽の光でしか辺りは照らされていない。まだ明るい時間帯だったこと、晴天だったことが幸いしてなんとか状況が把握できる。

 だが、そこにこそ違和感を覚えた。廃墟にはヤクとスグリ以外に、少なくとも数名の軍人を引き連れていたはずだ。思い返してみたら、おかしい点は他にもある。何故、廃墟の周りにミズガルーズ兵がいなかったのだろう。数人は入り口付近で待機させておいても、支障はないはず。それなのに、兵どころか敵であるカーサの人物さえ見つからない。不安ばかり募っていく。一体どういうことなのだろうか。

 そんな違和感を整理していた時だった。


「危ない!!」


 エイリークが突然そう叫んだかと思えば彼に押し退けられ、自分の前に立って大剣を構える。どうした、と尋ねる暇もなく。見えない衝撃に、エイリークが大剣と共に弾き飛ばされた。そのまま地面に叩きつけられるかと思われたが、なんとか受け身を取れたらしい。そのことに一安心して、彼に近付いた。


「エイリーク!」

「良かった、怪我はない?」

「ああ、守ってくれたからな。ありがとう。でも、何処から……」


 この薄暗い空間で、どうやって的確に自分を狙えたのだろう。手がかりはないかと、辺りを見回す。少し広めの空間に漂う、怪しい空気。この静かな空間だ、物音一つ立てずに移動できるはずがない。

 でも万が一にそれが可能なら?ここが敵のアジトかもしれないこと、それはわかっていた。だが、どんな敵がいるかまでは想像していなかった。どうしたらいいのだろう。思考で混乱し始めた。


(駄目だ、落ち着け俺!)


 一つ、息を吐いて思考を巡らせる。何か対策法があったような気がすると、ヤクとの修行を思い出す。


 ******


 内容は確か、見えない相手が敵として現れた場合の対処法を学ぶ修行だった。


「見えない相手なんて、そんなの周りの障害物を全部壊して、隠れられる場所をなくせばいいんじゃないの?」

「全くお前は……。それでは敵に自分の手の内を晒すことになると、思い付かんのか?」


 その修行は、今いる廃墟と場所は違えど、同じように静かな空間で見通しが悪い場所で行なっていた。

 自分の考えに呆れ果てたヤクが教えてくれたことを思い出す。


「いいか?姿を見せない相手には、似通った共通点が存在する。それは鋭い聴覚、又は嗅覚を持っていることだ」


 例えば鮫を例にしてみよう、と言われたことを覚えている。

 鮫は水中内の生物の中でも、視力が弱い生物と言われている。そんな鮫が何故、恐れられているか。それは彼らには数十キロ離れた場所の血の臭いも、敏感に捉えることができる優れた嗅覚があるからだ。その嗅覚を頼りにして、音も無く近付き獲物を捕らえる習性。それが、鮫が恐れられている理由だと。


「んー、でも師匠。臭いなんて完全に消せるわけないだろ?」

「ああ、そうだ」

「じゃあどうやるんだよー」

「そこまで考えられたのに、何故そこから先が思い付けんのだお前は……」


 はあ、と大きくため息をつかれた。


「嗅覚が駄目なら聴覚を奪えばいい。奪うと言っても、実際に他人から聴覚を削ぎ落とす術は高難易度だ。到底、お前に使えるはずもあるまい」

「なんだよそれー!」

「喚くな馬鹿弟子。そもそもお前が真面目に修行を受けていれば、今頃もっと難易度の高い術を教えられたものなのにな」


 そう言って遠い目をされるが、当時はまだ修行よりも遊びたいという気持ちが強かった。それも自覚していた。わかっていたから、うぐぐ、と言い淀んで言い返すことができなかった。


「まぁいい。その代わりに、別の術を教えてやる。しっかり覚えておくように」

「はーい」


 そうして、ヤクから教えてもらったとある術。四苦八苦したな、という思い出も蘇った。


 ******


 そして習得した、あの術。

 そうだ、思い出した。あれならば。


「……なぁ、エイリーク。今からちょっと、周りのこと注意して見ててくれる?」

「えっ?」

「敵のこと、おびき出してやる」

「そんなことができるの……!?」


 後ろのエイリークが驚く。それはそうだろう、急に攻略法が分かったと言われれば動揺するのは当然だ。そうは言ったものの、完全に上手くいくとは限らない。多分、と自信がないと呟く。

 それに対して、大丈夫、なんて言葉が返ってくる。


「信じてるよ」


 その一言だけだが、なんとも心強い。礼を述べて、魔力であるマナを核に集中させる。集めるのは風のマナだ。それを圧縮し、凝固させる。その作業を何回も何回も繰り返し、核の中で何重にも重ねた分厚い風のマナを一つの大きな層でまとめる。

 イメージするのは風船だ。一番外側の層を風船になぞらえ、そこに空気である風のマナを注入して膨らませる。最後に、膨らみきったそれに衝撃を与えて、これを破壊する。包み込んでくれていた外側の層が壊れ、行き場を失った圧縮された風の層のマナが、そこを中心として放射状に広がっていく。放射状に広がる風のマナは、空間全体の空気を震わせる。それにただ広がるだけではない。圧縮さて詰め込まれた風のマナが拡散されるスピードは、術の発動直後から一気に加速する。そうして、擬似的に超音波を生み出すのだ。

 この術こそ、ヤクから教わった術の一つ。姿の見えない相手への対抗策だ。


 力が溜まりきった感覚を掴む。杖で床を垂直に、勢い良くガツン、と叩きつけた。


"音無き風の舞"シュヴィングング!!」


 術を発動させた途端、杖の核から一気に風のマナが放たれる感覚を肌で感じる。そして、見逃さなかった。アジトの奥側、ほんのりと陽の光で照らされていた部分で、砂埃が舞ったことを。


「エイリーク!!」

「分かってる!"小さな雷撃"プティトネル!!」


 エイリークの手中で生み出されたのだろうか、小さな雷が一直線に、砂埃が舞った場所に走った。当たるかと思われたそれだが、急に軌道が変わり、目標とは別の場所に命中。何が起きたのか確認しようとした、その時。


「へぇ、思ったよりやるじゃん。ただの馬鹿かと思ってたのに」


 明らかに敵意を含んだ嘲笑混じりの声が、静かな空間に響く。武器を構え、砂埃が舞った場所へ目を凝らす。何もない空間が歪み、そこに現れたものを目にして動揺を隠せなかった。

 身に纏っている黒い服は、ノーアトゥンでも見たカーサのそれだ。形も確かに人間だ。人型、というにはあまりにも人間のパーツが多すぎる。問題は、剥き出しになっている腕。そこにあったのは、まるで岩石を連想させるかのような、人間の腕にしてはあまりにも異質な皮膚だ。岩場に生える鉱石のように、その岩石は腕から生えていた。よく見なくても、それがプロテクターではないということがわかる。


 なんだ、あれは。あれは本当に人間なのだろうか。

 頭の中が混乱し、言葉が出てこない。


 ドゴォオオンッ


 突然、大きな破壊音が響き渡る。

 何事かと、音のする方向へ顔を向ける。土煙が舞い、何が起きているかすぐには分からなかったが、そこからとある人物たちが出てくる。

 見慣れた白い服装、白刃の煌めきと氷を体現した杖。いつも近くで、それらを見ていた自分にはそれが誰か、一瞬で分かった。


「師匠、スグリ……!?」


 飛び出してきたのは、戦闘態勢に入っていたヤクとスグリだった。彼らが飛び出した後に一瞬遅れて、土煙りの中から何かが彼らに向かって放たれたようだ。ヤクが己とスグリの周りに薄い防御膜を展開。そこに当たったのだろう。キィン、と何かが膜に弾かれた音が聞こえた。


「ヤクさん、スグリさん……!!」


 エイリークの呼び掛けに反応したのか、二人がちらりとこちらを見る。まさか自分とエイリークがいるだなんて思わなかったのだろう、虚をつかれたような表情になった。


「お前たち……!何故ここに来た!?」

「そ、れは……」


 彼らの剣幕に押されて、すぐに返す言葉が思いつけなかった。決して遊びのつもりはない、と言おうとして、土煙りの奥から感じた殺気に怯む。


「どうやら、客人が増えていたようだな」


 コツン、コツン、とゆっくり近付いてくる足音。ヤクとスグリはすぐに声の方へ視線を戻し、武器を構え直す。自分の隣にいたエイリークも、剣の柄をギュッ、と握り直した。自分も心の内側からくる不安を拭うように、杖をしっかりと握る。

 土煙りが収まり、そこにいたのはフード付きの黒い外套を纏っていた人物。先程自分達を嘲笑った男とは、感じるオーラも殺気も桁違いだ。声からして恐らく男。そして何故だろう、会ったことなどないはずなのに、


(俺……この人、知ってる……?)


 何処かでこの殺気を感じたことがあると、そう思って仕方ないのだ。一体、何処で?いつ?


「ならば、挨拶をせねばならんな」


 その言葉に我に返る。自分とエイリークの周りは、数えきれない数の掌ほどの長さの黒い針に取り囲まれていた。油断していた、目の前のことに集中しなければならなかったのに。つい考え事をしてしまった。男が指を鳴らす。無慈悲な黒針が、一斉に自分達を目指して向かってくる。

 この針達を防がないと針の筵にされてしまう。しかし、どうすれば。こんなところで、自分達は終わってしまうのだろうか。そんなの──。


(そんなの、嫌だ!!)


 そう強く思った。するとふと、優しい感覚に手が包まれる。杖を握っている自分の手に、誰かが手を重ねてくれているような、そんな感覚だ。脳内に聞き覚えのある声が、川のせせらぎのように優しく流れ込んでくる。



『大丈夫……貴方は死なない。私が死なせません。私の力を、貴方に……』



 優しい声色。それを聞いて思い出した。この声はいつぞや見た夢の中で、自分に語りかけてくれた声だ。相変わらず姿は現さないのに、いつも自分の味方をしてくれる。一体、誰だろう?

 そんな自分の考えは余所に、力が核に集まる。何故か思えた。この力が、何処か懐かしいと。それを不思議に思いつつも、声の言う通りに身を委ねた。


 キィーーン……


 床に無数の黒針が散らばる。固く閉じていた目を、恐る恐る開く。

 自分とエイリークを守るように、古代文字の帯と光の膜が浮かび、包んでいる。身体には傷一つない。エイリークも同様だった。どうやら、黒針からは守れたようだ。それに気付くと、帯も膜もシャボン玉のように、静かにぱちりと消えた。

 その様子を見たフードの男が、感嘆の息を漏らす。


「その力……貴様、巫女ヴォルヴァか」

「な、ち、違う……!!」

「はたしてそうだろうか?貴様が発動させた古代文字……それはユグドラシル教団でも、未だ発見されていないと噂されているものだ。巫女ヴォルヴァでないのなら、何故その力を扱える?」


 そんなことを言われても、そんなのこちらが知りたいくらいだ。

 答えずに睨んでいると、男はまぁいい、と呟きながら被っていたフードを外した。男の顔を見て驚愕する。


 肩に少しかかる程度の、彩度の低い赤い髪。鮮やかな翠の瞳は、しかし冷たい印象すら受ける。

 遠目に見ても見間違えるはずがない。目の前にいた男は、自分が旅を出るきっかけとなった夢に出ていた、あの男だ。あの時の、夢の中で師匠とスグリを殺した男。まさか、こんなところで出会うとは。それにより先程自分が感じた違和感の正体、それがわかった。

 何故今まで忘れていたのだろう。夢の中にいた男の殺気、本能的にそれを忘れることが出来なかったのだと、思い知らされる。夢の中にいた男と、目の前にいる男。感じる殺気が全く同じだ。


「覚醒していないのなら、その力……こちらが活用してやろう」

「っ……!!」

「……カサドル・スヴァット、参る」


 そう言うなり、自身をカサドルと名乗った男は黒針を構えて自分に向かってきた。あまりに突然で、対応に一瞬遅れが生じた。防御が間に合わない。せめてもと、後ろに飛び退く。


"懺悔せよ黒針の刻印"シュヴァルツバイヒーテ!」


 カサドルが黒針を自分に向けて放つ。回転しながら迫る黒針。それと自分の間に入る陰が一つ。見慣れた空色の長い髪が見えた。

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