第二十三節 大事なのは向き合うこと

 目を開けると、何処かで見たような天井が見える。何処でだったか?自分が覚えているのは、町を出る前に救護キャンプという場所でレイがいて、スグリさんがいて、ソワンっていうなんだか凄い人にからかわれたことだ。そこから先のことは、あまり覚えてない。


 だけど、手の感覚が残っている。もしかして、抑えきれなくなっていたんじゃないか。だとしたら、迷惑をかけてしまったのか。

 インヒビジョンの薬が切れて、でも作るために時間をもらってもいいかなんて、そんな我儘は言わないようにしていた。軍に保護されて、カーサについて情報を集めてくれて、それを教えてくれる。それだけで身に余る待遇だ。だから、そこに胡座をかくようなことはしたくなかった。インヒビジョンがなくたって、数日は大丈夫だと高をくくっていた。実際以前旅をしていた時も大丈夫だったから、と。それなのに。


「良かった。起きたね」


 声が聞こえた。視線を声のする方に向けると、そこには先程出会った、ソワンが立っていた。そこでやっと、自分の状況に気が付いた。点滴と呼吸器がつけられている。どうやらベッドの上で寝かされていたらしい。


「うん、バイタルも安定している。呼吸器外すね?」


 心電図をオフにしたソワンに、呼吸器を外される。流されるままになっているが、一体自分はどうしてしまっていたのだろう。それを尋ねる前に、ソワンが誰かを呼びに出てしまう。数分後、自分のところに来たのはレイとヤク、そしてスグリと彼らを呼びに出たソワンだった。スグリには怪我の手当てが施されている。もしかして、自分が怪我をさせたのだろうか。

 混乱していたが、スグリの大丈夫かという問いに、はい、と頷くことはできた。何故か心なしか、レイは怒っているように見える。


「……ごめんなさい、俺……」

「なぁ、それって何に対してのごめんなんだ?」


 レイの言葉尻が強い。それを諌めるヤクだが、それを遮って彼の言葉は続く。


「聞いた。バルドル族のもう1つの人格を抑えるための薬がなくなってて、それを黙ってたこと。そのせいでスグリや軍の先遣隊の人達に、迷惑かけたって」

「あ……」


 知られてしまった。インヒビジョンについてや戦闘人格のことについて黙っていたことに、罪悪感がないかと言われれば、勿論罪悪感なんてありすぎるくらいにあった。自分を信じて仲間だと言ってくれたレイのことを、ずっと騙すような真似をしていたのだから。

 黙っていたのは、迷惑をかけたくないのもあった。だが純粋に、怖かったのだ。戦闘人格のことを知られて、レイに怖がられることが。沈黙してる自分に畳み掛けられるレイの言葉は、間違っていないだけに心に深く突き刺さる。


「なんで黙ってたんだ。そんなに俺たちのこと信じられなかったのか?」

「そんなこと……」

「そんなことなかったのか?戦闘人格のことはともかく、薬のことなんて教えたって良かったのに黙ってただろ。お前のことだから、どうせ迷惑かけたくなかったから、とか言う理由だろうけど」


 全くもってその通りだ。何も言い返す言葉がない。きっと今のレイには、何を言ったところで火に油を注ぐようなものだろう。何か言い返せよ、そう言われても押し黙ることしか出来ない。レイの言っていること全てが、事実なのだから。


「……もういい。この臆病者!」


 それだけ言うと、レイはそこから飛び出して行ってしまった。しばしの沈黙のあと、ヤクから謝罪される。


「レイの代わりに謝ろう、すまない」

「いえ、大丈夫です……。本当のことだから……」


 良かれと思って黙っていたことが、かえって反感を買うことになってしまった。あんなに自分に信頼を置いてくれたレイを、自分のせいで怒らせて。わかっていたけれど、やっぱり自分は何をしても駄目なんだと自己嫌悪する。

 その沈黙を破ったのはスグリだ。


「エイリーク、あまり一人で抱え込みすぎるな。今お前は一人じゃないんだから、言いたいこと、言わなきゃならんことは言葉にするんだ」

「スグリさん……ごめんなさい。その怪我……俺がやったんですよね……」

「気にするな」


 そう言ってくれるが、気にはしてしまう。頭からどうしても離れない。大切な仲間を傷付けてしまったという事実が、傷心している自分にさらにのしかかる。とにかく今はゆっくり休むように、そう言われて大人しく頷くことしか出来なかった。

 ヤクとスグリが出て行く。残されたのは自分とソワンだけだ。なんとも言えない沈黙が続く中で、それを破ったのはソワンだった。


「あのさ、卑屈になるのは仕方ないかもしれないけど程々にしないと。本当に嫌われるよ」

「えっ……?」


 嫌われる?

 誰に、と聞こうとしてある人物が脳裏に浮かんだ。それは、さっきこの部屋を啖呵を切って出て行ったレイだ。そう言えばレイと目の前のソワンは、昔馴染みのようだった、と思い出す。

 何も言い返すことが出来なくて黙っていると、長いため息が降ってくる。


「エイリーク、ちょっと歯食いしばってね?」


 そう聞こえた直後、脳が揺れるような強い衝撃を左頬に感じた。一瞬だけど視界も揺れた。一寸置いて、ああ自分は彼に殴られたのかと理解できた。しかもビンタではない。可愛い顔に似つかわしくない、とても筋の良いストレートだ。

 だがいかんせん、何故急に殴られたのか。心当たりがないと言えば嘘になるが、せめて一言言ってから殴ってほしい。なんて本心は、すぐには出てこなかった。


「あ、の……?」

「ヤク様もスグリ様もお優しくて言わないだろうから、ボクから言うね。いつまでこの状況に甘えてるのさ!」


 烈火の如くとは今の彼のような状況だろうか。眉をこれでもかと釣り上げて自分を叱責する彼に、圧倒される。


「ボクとキミは昨日会ったばかりだし分からないことも多いけど、これだけは言わなきゃ我慢ならない!怖いからって何でもかんでも仲間に隠し事してるなんて、何様のつもりさ!?」

「そんな、俺はただ……」

「分かってるよキミがバルドル族だからって人間に虐げられてきたことは!変な疑いかけられて石投げられて、そのことから人間に不信感を感じてることも!」


 その中で出会ったレイに対して、本当は信頼したいけど嫌われることが怖くて隠し事をしてしまった。その事も、彼は全部わかっていると言う。

 怖がられたくない、嫌われたくない。もし万が一知られてしまって嫌われてしまっても、バルドル族だから仕方ない。そう、仕方ないよね。その考えが甘えだと、彼に指摘される。


「キミは確かにバルドル族だけど、他のバルドル族とは違うってわかってるんでしょ?確かにキミはバルドル族のくせに、戦闘狂じゃないし甘ったれだしヘタレだし怖がりだし根性なしだしムッツリだし!」

「あの、そこまで言われると、流石にヘコむんですけど……」

「いいから聞きなさい!!」

「はひっ!」


 ソワンの怒る姿はまるで鬼神のようだ、なんて口が裂けても言えなかった。


「それでも、そんなキミだとしてもレイは仲間だって言ってくれて信頼してくれてるんだよ!?知られるのが怖くて尻すぼみして何も言わないなんて……そんなの、レイが可哀想すぎるよ」


 その言葉から感じたのは哀れみだった。吐き出すだけ吐き出して落ち着いたのか、ソワンから怒りは消えているように感じる。ソワンの言葉で、思えば考えるのは自分のことばかりだったと気付かされる。自分本位で、周りのことを考えていると言い訳していたと。


「……レイってさ、一見すると馬鹿で突拍子も無いこと言って向こう見ずっぽいって思うでしょ?」

「えっ……?」


 ベッドの近くに置いてある丸イスに座ったソワンは、何処か思い出を懐かしむような目で語る。

 昔からレイは変わってないのだと言う。向こう見ずで一直線、でもそれは本当は誰よりも、相対する人物のことを考えている証拠なのだと。裏表がない性格で、思ったことは口にしておかないと気が済まない。何がレイをそうさせているのかはわからない。それでも向けられる好意はとても素直で純粋で、いつも心地良い。


「レイはいつでも直球勝負なんだ。さっきあんなに怒ったのは、まぁ確かにキミに隠し事をされて許せなかったってこともあるだろうけど……。でも本当は、もっと自分に甘えてほしかったっていう本音の裏返しなんじゃないかなぁってボクは思うんだ」

「本音の裏返し……?」

「そう。あんな言い方しかできなかったけどね」


 素直だけど、素直じゃないよね。なんて笑いながらソワンは語ってくれる。

 そう言われて思い返してみる。確かに最初に遇った時から、レイは自分に素直に向き合ってくれていた。バルドル族の自分のせいで、争いに巻き込まれるかもしれないと何回も忠告しても、それを跳ね返す明るさと意志を貫いていた。そこまでしてくれていたのに、それを無下にしようとした恩知らずには、なりたくない。

 シーツを強く握る。そんな自分の様子に気付いたソワンが、背中を押してくれた。


「行ってきなよ、レイのとこ。キミだって、色々謝ったりしたいでしょ?」

「ソワンさん……」

「大丈夫、きっとわかってくれるよ。ぶちまけてきなよ、自分の考えとか思いとか。そうしてスッキリしちゃえ」


 きっとレイは港付近にいると思うから、と。

 それに力強く頷いて、ベッドから出る。外套を渡されて、部屋を出ようとしたところで、最後に言い忘れていたとソワンが呼び止める。


「キミには一応、伝えようと思って。……カーサのアジトの一つを突き止めたんだって」


 後日、ヤクとスグリが襲撃に向かうという。自分やレイは一般市民扱いだから、同行は許されないみたいと前提しつつ、彼は話を続けた。


「だけどボク、言う通りに大人しくしてる人より、ちょっと我儘に行動する人の方がカッコいいって思うよ」

「軍人なのに、そんなこと言っていいんですか?」

「だってボク、まだ下っ端のお手伝いさんみたいな立場だし?それに噂話も世間話も大好きなんだもん」


 なんと肝が据わっているのだろう。そんな彼にお礼をして、救護キャンプを出た。


 ******


 救護キャンプや軍艦がある場所からそう遠く離れていない港の端。そこにレイは座って海を見ていた。ゆっくりと近付く。


「あの、レイ……」


 声をかけても一瞬こちらを見ただけで、返事はない。相当怒らせてしまったと反省して、まずは一言。


「ごめんなさい」

「……」

「……ずっと、怖かったんだ。薬のことを話したら、戦闘人格のことも話さなくちゃならない。裏の俺の人格は、今表に出てる俺なんかよりもずっと凶暴で凶悪で、例え仲間であっても人間って理由だけで、レイのことだって躊躇いなく殺す。そんなこと、とても言えなかったんだ」


 でも、それでは駄目だと。そう気付かせてくれたくれたのは、レイだ。


「だけどそれって、俺の我儘だったって気付かされた……。自分が嫌われるのが怖くて何も言わないのって、それってレイのこと全然信用してないことと同じだってわかった。……ごめん。ずっと、レイの気持ち蔑ろにして」


 そう言って頭を下げる。

 すぐに返事はなく、ややあってから、レイが声をかけてくれた。


「……キャンプから出たあと、師匠やスグリに言われたんだ。待つことも大事だって。いくら自分から信用しろ、大丈夫だと言っても、相手にその気がないのならそれは、自分の感情の押し付けにしかならないって」


 そう語りながら、彼がゆっくりと顔をあげる。そこには、自分の方に振り向いて苦笑するレイの姿がそこにあった。


「エイリークがバルドル族で、そのせいで色々大変な目に遭ってきたこと、わかっていたつもりだった。でもそれは俺の思い上がりだった……」


 種族間の悩みなんて、それで一番苦しんでいるはずのエイリークに対して、気にすることないと軽い気持ちで言っていたんだから、と。そう言うレイの表情は、少し暗い。


「疑心暗鬼になるのも当然なのにな。……俺の方こそ、ごめん。エイリークの考えとか気持ちとか一切無視して、自分の意見ばかり押し付けて」


 そして自分に頭を下げるレイ。それに対して彼が謝るようなことは何もない、隠してばかりいた自分が悪いのだからと、こちらも再び謝る。そんなことはないと、今度はレイが謝る。そんなイタチごっこを繰り返していたが、不意におかしくなって互いに笑う。


「これ、終わらないね」

「確かに。今回も痛み分けかな?」

「そうしよっか」


 そうしてまた笑い、落ち着いた頃に手を差し出す。前はレイから手を差し伸べてくれたから、今回は自分から。


「またこれからも、よろしくしてくれる?」


 その問いかけに、レイはにっこりと笑いかけて、


「当然!」


 自分が差し出した手を、しっかり握り返してくれたのだった。

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