第二十二節 異変の音は響いてた

 ノーアトゥンがカーサによる襲撃を受けた翌日。ミズガルーズ本国に要請していた、ミズガルーズ国家防衛軍の救護部隊が派遣されてきた。

 港に停泊している軍艦のすぐ近くに、簡易的な救護キャンプが設置されている。そこでは怪我を負ったり、精神的に追い詰められてしまった市民の治療やカウンセリングを行っていた。他にも具合が悪いと訴える市民の診察なども行っている。

 昨日のこともあったため、念のためレイには診察を受けさせていた、のだが。テントの中からレイの抗議の声が聞こえてきた。


「なぁ、俺は本当になんともないから……」

「ダーメ!いくら大丈夫だと思っても急に倒れたりするんだから、備えあれば憂いなしって言うでしょ!」

「いやそれ使い方違う……」

「つべこべ言わない!」


 診察室の前に置かれた椅子に座っているレイに説教をするのは、スカートを穿いている救護部隊の一員。彼らに近付いて、声をかける。


「相変わらずだな、ソワン」

「スグリ様!」


 明るめのピンクブラウンの髪をサイドテールで纏め上げ、珍しいピンクの瞳を持つ一員。名をソワン・ハートと言う。

 ソワンは自分と、自分の後ろにいる人物に気付いて駆け寄ってくる。レイはというと、こちらを見るなり助けを求めるような視線を投げかけてきた。


「怪我人の様子はどうだ?」

「はい!市民たちの方は特に大きな怪我をした人もいないですし、粗方治療することは出来ました」


 ただ、魔物討伐にあたった部隊員やユグドラシル教団騎士の方々の怪我の方が、少し目立つらしい。だが救護部隊から派遣された部隊員を総動員してあたっているため、大丈夫とのこと。それを聞いて一安心する。思っていたよりは、怪我人の数は多くない。

 ふと、ソワンの視線が後ろの人物に向けられていることに気付く。そういえば紹介していなかったな。


「ああ、言い忘れていた。彼はバルドル族のエイリーク・フランメ。ちょっと訳あって、軍で保護している」

「あ、えっと……エイリーク・フランメ、です」


 スグリの後ろにいた人物、エイリークは紹介されると一礼した。珍しい、と言葉を漏らしたソワンのことも紹介する。


「エイリーク、彼はソワン・ハート。軍の救護部隊の一員だ」

「はじめまして、ボクはソワン・ハート。よろしくね、エイリーク」


 ウインクをして小首を傾げながらスカートの裾を摘むその仕草は、一見すれば可愛らしい少女だ。しかしこのソワン・ハート、れっきとした男である。彼自身は、可愛いもの好きであるため女性用の軍服を身に纏っているが、もう一度言おう。彼はれっきとした、男である。

 とはいえエイリークはすぐには理解できず、混乱しているようだ。無理もない。ソワンも自分の容姿で、相手をからかったりすることが多いのだ。彼を初見で相手をするには、かなり難易度が高い。


「え?あの、スグリさんはソワンさんのことを、彼って……?」

「ああ、言ったぞ」

「でもソワンさんの、その格好……」

「これ?可愛いでしょ!ひらひらしてて!」


 エイリークが混乱していることをわかっていながら、スカートの裾をちらちらと、見えるか見えないかの位置ではためかせている。ソワンはあわわ、と顔を赤くして狼狽えてるエイリークに、これでもかと近付く。そして上目遣いで、こう尋ねた。


「なぁに?エイリークってば、そんなにボクについてるかついてないか、気になるの?」

「ごめんなさい結構です大丈夫です変なこと考えてすみませんでしたー!」


 そう言うや否や、情けない悲鳴をあげながらあとずさるエイリーク。そんな彼の反応が予想以上に面白く、つい吹き出してしまう。レイもソワンも同じらしく、思わず声をあげて笑っていた。


「あははは、ごめんごめん。こんなにいい反応してくれるの久々で、つい調子乗っちゃった」

「あんまりエイリークをからかうなよ?」


 あわわ、とまだ動揺しているエイリークに、悪い奴ではない、と伝える。正直彼のこれには、慣れるしかない。

 話の流れでレイが、彼とはミズガルーズで学園の中等部の時の同級生だということを伝える。今の混乱している頭に入るかどうかは別だが。一通り笑って落ち着いたのか、レイが自分を見上げて訴えてきた。


「なぁスグリ、俺が検診受けなくても大丈夫だってソワンに言ってくれよ」

「レイってば、さっきから俺は大丈夫だからって検診受けないんですよ!?スグリ様からも何か言ってやってください!」


 最初にレイとソワンが揉めてたのは、このことか。確かに昨晩、レイ自身は大丈夫だと言っていた。だが、自身の知らない内にあれだけ強力な魔術を使ったのだ。身体に負担がかかっていないとは言い切れない。

 悪く考えないようにはしているが、検査してみて何もなれけばそれでよし。万が一何か異変がわかれば、早期発見ということで結果オーライだ。そう伝えれば、不満を言いつつも理解はしてくれたようで。不貞腐れた様子で、わかったと呟く。


 そのままレイをソワンに託し、スグリはエイリークと共に救護キャンプを出て、そのまま街の外へ出た。彼らの先には、昨日スグリに古城などの報告をした部下がいる。数人の先遣隊も一緒だ。

 自分はこれから彼らと共に、報告にあったノーアトゥンの近くにある古城の調査に向かう。本来ならば軍の人員だけで向かうところを、スグリが頼んで今回は特例で、エイリークにも同行してもらっている。ノーアトゥンの復興にあたらせる部下たちの数を確保しておきたいという理由も、確かにある。それとは別に、エイリークの力量を見定めておきたかったのだ。

 これから旅を共にする上で、不確定要素を孕んだままでいるのは危険だ。少しでもそれを取り除いておくことで、これからの動き方の計画も立てやすい。昨晩、ヤクにそう伝えて許可を取ったのだ。


「……あの、俺なんかが役に立てるんですか……?」

「役に立つ立たないの前に、軍も人出が限られているんだ。今はノーアトゥンの復興にあたらせたくてな。すまないとは思ったが、無理のない範囲で協力してほしい」

「はぁ……」

「……不安か?」


 その問いには沈黙が返ってくる。


「無理さえしなければ、それでいい」


 その沈黙に対してそう答えたが、やはり返ってくるのは沈黙。その反応に、些か違和感を覚えた。街の外に出る前と今と、随分と雰囲気が違う。緊張しているというのもあるだろう。だがそれとは別に今自分の隣にいる少年が、全くの別人のように見受けられるのだ。それを見てエイリークがバルドル族だという事実と関連付けた、ある事柄が思い浮かぶ。まさか、とは思うが。


(杞憂に終わればいいがな……)


 ******


 ノーアトゥンより南西へ2キロ程離れた場所にある、名もなき古城。世界各国の考古学者がその城を調べているが、未だ謎が多いらしい。ただ分かるのは、これは500年程前に起きた第三次世界戦争の遺産、と呼ばれている建物だということ。

 最近まで調査が続いていたが、近頃古城周辺で魔物の発生が確認されたこと、古城内の調査中に怪我人が続出したこともあり、一時的に封鎖状態になっている。歴史上には名前がない貴族が建てたものだろうが、柱には古めかしくも美しい彫刻が施されている。しかし悲しいかな、今や所々が崩れていた。大きくひび割れ、風化し、砕けている。

 ただ妙なことに、ただの風化で壊れているわけでもない部分が伺える。これは、この中に誰かいることは間違いないだろう。共に赴いていた先遣隊に様子を見てくるよう指示し、報告を待っていた。少しすると、本来ならば何も音のするはずのない古城の中から、危険を知らせる合図である3発の銃声が響いた。

 古城の周辺を警戒していた残りの先遣隊に、ここに残っているよう指示を出す。そして、エイリークに行くぞと声をかけた。小さくはい、と返事をしたエイリークにやはり多少の違和感を覚えつつも、今は古城の中を確認することが先だと切り替える。


 古城の中に入り奥まで進むと、外にいる時はまるで気付かなかった魔物の気配を感じた。小物の魔物の気配だが、数が多い。しかし何故気付けなかったのだろうか。進みながら辺りをちらり、と見回すと何かしらの残骸らしきものが目に入る。


(設置型の結界か……)


 大方のところ、侵入者対策だろう。不意を突かれたが、これで古城内にいる敵勢力の正体がカーサであると確信した。

 一番奥の空間に辿り着くと、そこには大勢の魔物に囲まれながらも戦っている先遣隊の部下が目につく。部下たちに伏せろと指示して、剣を構えた。


「"抜刀 番凩"!」


 剣を振るうと、凪いだ剣の剣圧が扇状に広がり、魔物たちを下から上へと切り上げていく。冷たい空気の刃が一瞬のうちに魔物たちを襲った。

 部下たちが退避できる分だけの魔物を倒し、彼らに後ろに下がるように伝える。どうやら、怪我をした部下もいるようだ。神経を集中して警戒すると、ある一点に別の気配があるのを感じ、視線をそこに移す。そこにいたのは、黒い服を身に纏った人物──カーサだ。その人物から発せられるオーラにそこまでの畏怖を感じないことから、どうやら下っ端か。


「おースゴいスゴい。あれだけの魔物を一気に振り払うなんて、流石ミズガルーズ国家防衛軍の隊長さんってか」


 陽気にパチパチ、と拍手をしながら自分たちを見下ろすカーサの下っ端。


「ここは立入禁止区域だったはずだ。何故お前たちカーサがここにいる」

「へぇえ?俺がカーサだってわかるってことは、ノーアトゥンで仲間にあったのかい?」

「こちらの質問に答える気はないんだな」


 カーサの下っ端は、そんなの当たり前だと吐き捨てた。従うつもりがないのなら、捕縛するしかない。そう思い剣に手をかけたが、何かに気付いたカーサの下っ端がにんまりと笑う。その視線の先にいるのは、自分の後ろにいるエイリークだ。


「ああ、アンタが例の変質バルドル族かい?それにしても、いいねぇ……。その、殺気立ったドス黒い血の瞳」


 血の瞳、その言葉を聞いてすぐにエイリークの方に振り向く。そこにいる彼は、昨日まで自分が知っている彼ではなかった。いつもの明るい炎の瞳の、何処か幼さを残す表情などどこにもない。目付きは鋭く、瞳の色は黒に近い血の色。髪も、毛先が赤く変色していた。纏う雰囲気は少年のそれではなく、まさしく鬼神。

 その姿を見て、違和感の正体に気付く。そして自分の考えが的中してしまったことに、ある種の怒りを覚える。そんな自分の感情なぞいざ知らずと言った様子で、カーサの下っ端がエイリークに問いかけた。


「アンタ、暫くインヒビジョン飲んでないでしょ?」


 バルドル族が狂戦士族と呼ばれる所以は、その凶暴性が高い闘争心が生み出す多人格が起こす行動によるものだ。その人格は争いを好み、いつも戦火の火種になる。バルドル族同士で戦い合うことはもちろん、多種族をも巻き込んだ小さい戦争を行うのも常だった。

 その凶暴性が高い人格──戦闘人格の特徴は黒い血の色と毛先が赤く変色すること。加えて全てを射殺さんばかりの鋭い目付きである。

 基本的にバルドル族は、その闘争心をそのままに、言ってしまえば野生的な感性を抑えることをしない。だが一部のバルドル族には、そんな闘争心から生まれる別人格を抑えて、穏やかな人格を作るバルドル族もいた。日々の暮らしに溶け込むためなのか否かは定かではないが、そのような記述が残されているのも事実だ。凶暴的な戦闘人格と保守性の高い人格の、2つを備えているバルドル族も存在しているとのこと。


 さてそんな戦闘人格を抑えるため、バルドル族はある薬を使う。それがインヒビジョンと呼ばれる抑制剤だ。オレンジピールとオレガノ、モロヘイヤを乾燥させ混ぜ合わせたものをお湯か水で煮出した飲み薬がそれである。

 それを飲み続けることによって、戦闘人格を抑えることができる。ただし、飲み忘れたり飲むことをやめてしまうと、その分抑圧されていた戦闘人格が表に出て、その凶暴性を更に高めてしまうと記述が残されている。

 滅多なことがない限りそのような事故は起こらないはずだが、目の前のエイリークはどうだろうか。今表に出ている彼は、戦闘人格の彼なのではないだろうか。


「いつからだ?」

「っ……迷惑、かけたくなかった……。2日前から、薬は切れてた……でも、薬を作るためは時間もかかるし、そのために時間が欲しい、なんて軍の邪魔になるんじゃないかと思うと……。言え、なくて……」

「そんなの、言わない方が迷惑だ!なんでお前までそうやって……!!」


 ヤクと同じように、自分の意見を殺そうとして1人で抱え込むようなことをするのか。そう思いながらエイリークの肩を掴もうとして、


(まずいっ!)


 オーラが完全に変わってしまったエイリークに、その手は叩き飛ばされた。


「エイリーク……!」

「……気安く俺に触れるな、人間ごときが!」


 そう吠えたエイリークは、もう別人だった。目の前の自分を、仲間だとは認識していない。カーサの下っ端はその様子が面白可笑しいのか、高みの見物をしようとした。


「あっははは!いいねぇいいねぇ、そのまま仲間同士で殺──」


 言葉の続きは、発されることはなかった。一体何が起こったのか。彼がいた方角を見ると、衝撃の光景があった。そこにあったのは首から上がなく、身体を縦に真っ二つに引き裂かれたカーサの下っ端と、その後ろで血濡れた手を掲げているエイリークの姿。その状況から、カーサの下っ端を殺したのが彼だということは一目瞭然だ。


「ハエが煩く喚くんじゃねぇ……カーサの下っ端が」


 血塗られた指先を舐めながら、ピクピクと脊髄反射をしている胴体を見下す彼は、本当にあのエイリークなのか。あまりの光景に身動きできないでいると、スグリに気付いたエイリークがギロリと睨む。


「誰だテメェ。何故俺の目の前にいる。人間ごときがバルドル族の、俺の目の前に立つなァアア!!」


 エイリークが叫んだ瞬間、彼を中心に強い衝撃波が放たれる。所々に獣の爪で引き裂かれたような傷が出来るが、咄嗟に構えていたため、そこまで大きいダメージではない。壁や柱にはヒビが入り、あっけなく砕け散る。その威力は止まることを知らない。

 確かにこれは、バルドル族の異名である狂戦士族というのも頷ける。衝撃波は一度収まるが、エイリークの闘争心に応えるように、再び空間そのものが呼応を始めた。


「はははははっ!久々の身体だ、暴れてやる……!!」


 このままではいけない。エイリークは確かにバルドル族だ。人間たちから忌み嫌われて、蔑まされてきたのはわかる。そのせいで心の内に闇を抱いてしまったのは、仕方ないことかもしれない。だが、今は戻らなければならない。エイリークのことを仲間だと、友達だと言ったレイのためにも、戻らなければならないのだ。何よりも、エイリーク自身のためにならない。


(だからエイリーク、悪いが今は眠ってもらうぞ……!)


 第二波が来る前に決着をつけなければならない。そう思い構えた。一瞬でもいい、自分から気を反らせればいい。


「"秘剣 天の川"!」


 剣を振り、その軌跡から無数の光の刃を放つ、スグリの使う中級攻撃技。対象に一直線に放たれる無数の光は、目を暗ませる役割もある。さらにその光が刃となることで、見えない刃として対象を切り刻む。

 戦闘人格が表に出ている今のエイリークにとって、その攻撃は安易に躱せるものだろう。だが、一瞬でも視線がスグリから離れる。その隙が欲しかったのだ。実際に光が収まった瞬間、エイリークはスグリの姿を捉えられないでいたようだ。


「チィ!何処だ人間!!」

「……悪いな、エイリーク」


 エイリークの背後に回り、あらかじめ鞘に収めた剣を、思い切り彼の後頭部に叩きつけた。所謂峰打ちだ。綺麗に入った手応えを感じる。一瞬動きが止まり、そしてそのまま崩れるように倒れこむ。気を失う直前、弱々しい声が耳に届いた。


「…………ごめん、なさい……」


 床に倒れ臥す前に腕の中に抱え、息を吐く。うまくいって良かった。ヤクへ報告すべき事柄を整理しつつ、エイリークを抱えてノーアトゥンへ急ぐのであった。

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