第十三節 あたたかい腕の中で

 エイリークに起こされた後、汗でぐっしょりと濡れた身体が気持ち悪くて、なにもかもを洗い流すように熱いシャワーを浴びた。不安そうに自分を見ていたエイリークに、あとで話すからと理由をつけて。


 今日もあの夢を見た。街が燃えている夢。ただ今日の見た夢で燃えていたのは、全く知らない街だった。大きな教会と噴水が特徴的な街。子供も大人も、若者も老人も、みんな火だるまのように燃えていた。確か、建物が崩れて下敷きになってしまうと危機感を覚えた時に、自分を呼ぶエイリークの声で目が覚めたのだ。


 なんでこうも、世界の終わりのような夢を見なければならないのだろう。あの夢は一体自分に、何を語りかけようというのだろうか。真相を探るために旅に出たというのに、今のところなんの手がかりが掴めない。このまま何も分からなかったらどうしよう。何のために旅をしているのだろう。

 そんな不安に駆られて、シャワーを浴びている時少しだけ泣いたのはエイリークには内緒だ。きっと、物凄く心配させてしまう。

 シャワーを止め、身体をバスタオルで拭いて部屋に戻れば、やはり不安そうな表情を浮かべたエイリークが声をかけてきてくれる。こういう時に一人じゃないのが、こんなにも心強い。


「大丈夫……?」

「うん……。ごめんな、起こしちゃって……」

「気にしないで、俺は大丈夫だから。とりあえず、これ飲んで」


 渡されたグラスには冷えた水が注がれていた。素直に受け取り、ベッドの上に座るとそれを一気に飲み干す。火照った身体にキンキンに冷やされた水が心地良い。ふぅ、と息を吐いてからサイドテーブルにグラスを置く。


「本当に大丈夫……?凄く魘されていたから……」

「ごめんな……。俺、最近夢見がすごく悪くてさ……」


 今日も見るなんて思わなかった、と呟く。

 それから、数日前から夢見が悪いこと、初めて会った時もそれが理由で夜通し見張りをやると言い出したことを語る。


「頻繁にあんな夢見るの……!?」

「エイリークも見たのか……?」

「ううん……なんていうか、俺はレイが見ていた光景を見させられたっていうか……。脳内に浮かび上がったっていうか……」

「そっか……」


 その事について彼に尋ねてみた。今まで旅してきてそんな間に合った村や街を見なかったか、何か手がかりになりそうな情報はないか、と。

 返ってきた答えは「わからない」の一言で、手がかりになりそうなものは掴めなかった。ごめんと謝罪する彼に、気にしないでくれと。こちらこそ、変なこと聞いてごめんと謝罪した。


「最初はただの変な夢だって思ってたんだけどさ、こうも何回も見るとな……」

「それは、気にするなっていう方が無理だよ。そんな悪夢見せられて、気にならないわけないじゃないか」


 俺でよければ協力するよ、そう言ったエイリークのなんと優しいことか。巻き込んでしまったのに、本当に心優しくて頼もしい。懺悔するように語る。


「……俺の旅の目的は、この夢の正体を探ることなんだ。なんでこんな夢を見なきゃならないのか、この夢がもし現実に起こりうるとして、なんで俺なんかに見せるのかって。そのために旅をしてるんだ」

「そっか……」


 夢で見るようなあんな悲劇が起きたらどうしよう。あの夢の通りに、師匠とスグリが殺されるなんてことがあったら。想像するだけで恐ろしくてたまらない。ただの悪夢だと思いたい。しかし所々に妙なリアリティがあって、否定しきれないことも怖い。忘れたくても忘れないで欲しいと、誰かに警鐘を鳴らされているようで。本当は怖くて怖くて仕方ない、身体が震えて止まらない。


 そんな本心は、まだ打ち明けることは出来ない。エイリークのことを信じていないわけではない。ただ、言い知れぬ不安が今は告げては駄目なのではないかと訴えかけている。

 ……やめよう。頭を軽く振る。夜は一度負の感情を抱えると、深みに嵌ってしまう。今はもう、忘れよう。


「……ごめんな、聞いてくれてありがとう」

「レイ……」

「さぁほら、もう寝ようぜ?夜も遅くなってるし!」


 寝れる気分にはなれないけれど。無理矢理にでも寝ようとすれば大丈夫だろう。そう考えベッドの中に入ろうとして、腕を引っ張られる感覚に驚いた。


「うわっ!?」


 突然の感覚。強い衝撃が来ると思って思わず目を瞑る。だが感じたのは、ぽす、とした温かい衝撃。

 自分がエイリークに抱かれていることに気付くまで、数分かかった。何故、自分は彼に抱かれているのだろうか?


「え、エイリーク……?」

「今日は一緒に寝よう?レイのベッド汗で濡れてて、きっと気持ちよく寝られないよ?」

「いや、でもなんで俺を抱きかかえる必要が……?」


 混乱する頭でしどろもどろに尋ねれば、優しい声色が降り注いできた。


「一緒に寝れば、今日はもう悪夢も見なくなるかもしれないだろ?俺がさっき見た光景を何回も見てきて、大丈夫な訳ないじゃないか」

「それは……」

「昨日遇ったばかりの俺じゃあ不満もあるだろうけど、今ここにいるレイの旅仲間は俺だけだからさ。今夜くらい、強がらないで甘えてよ」


 そうやって、鍛えられた腕で優しく抱きしめられて頭を撫でられて。これじゃあまるで、迷子の子供のようだ。だが不思議と嫌悪感はないし、温かい腕が安心感を与えてくれる。男として自分より大きい人に抱きしめられることは恥ずかしいが──。


(まぁ……いっか……)


 怖かったのは、本当のことだし。


「ありがとう」

「うん、どういたしまして」

「……おやすみ」

「うん、おやすみ」


 頭を撫でられていると、眠たくなかったはずなのに行方不明だった眠気が降りてくる。きっと、今日はもう悪夢をみないだろうという漠然とした予感を感じながら、眠りについた。


 ******


 その夜。実際腕に抱かれながら寝たあとは悪夢を見ることもなく、数日振りにゆっくりと寝るという感覚を思い出した。なんだか、優しい夢を見た。温かくて、柔らかい光が自分を包んでくれる夢。頭を撫でてくれる感覚が、ひどく懐かしい。誰だろうか?師匠……?


「んぁ……?」


 目を開けると、淡い光がチラチラと優しく目を刺す。瞼を何回か擦って、ああ昨日は久々にいい夢を見たんだっけと思い出す。上体を起こして軽く伸びをすれば、まどろみも消えて頭もスッキリとする。


「ああ、起きた?」


 声のする方を向けば、ちょうどエイリークが羽織っていた外套をハンガーにかけていた。何故それを羽織っていたのだろうと考え、テーブルに置かれていた二人分のモーニングプレートが目に入る。ああ、朝食を受け取ってくれたのか。礼を述べれば、気にしなくてもいいよ、なんて気遣った返事がかえってくる。

 朝食にしようという彼の意見に賛成し、その前に顔だけ洗わせてほしいと断る。洗面台に立ち、ぱしゃぱしゃと水道から流れてくる水を手に取って数回顔を洗う。


「はー……」


 フェイスタオルで顔を拭いて、暫くぼう、としてしまう。


 危なかった。忘れていたのに、昨日そういえばエイリークに抱きかかえられて寝ていたんだ。さっきの笑顔でそのことを一気に思い出し、顔の熱を取りたくて顔を洗ってくるなんて逃げてきてしまった。確かに怖かったし、温かい腕は物凄く安心できた。頭を撫でてくれる手も優しくて甘えてしまっていた。

 そこに甘んじてはいけないと自分に喝を入れて、部屋に戻る。


「おまたせ」

「おかえり。食べよっか?」

「そうだな」


 モーニングプレートにはスクランブルエッグにウインナー、エルブ村特製ハーブサラダにバターロールとコンソメスープが盛られていた。一般的なモーニングプレートだ。半熟でふわふわなスクランブルエッグは、程よい甘さのある味付け。口の中で溶けるようだ。噛めばパリッと心地よい音を奏でるウインナーは肉汁にも味があって美味しい。

 ハーブサラダにはこれも村の特産なのだろうか、さっぱりとしたドレッシングがかかっていて一層香りと風味を引き立てている。バターロールは焼きたてなのだろう、持つとまだ温かさを感じた。一口大に割って食べれば練りこまれたバターの甘い味わいがじんわりと口の中に広がった。透き通るコンソメスープは、身体を覚醒させる温かい味わいで安心感さえ覚える。


 先日魔物に襲われた村の宿とは思えない、しっかりとした朝食。これも、世界巡礼をしているミズガルーズ国家防衛軍の働きのお陰なのだろう。数日会えていない自分の師匠とその旧友に、改めて敬意を払う。


 朝食を食べ終わり、今日の目的地を決める。今日はしっかり休んだこともあって少し長めに歩けるだろうと考えた。よってエグランティエ川を渡り、最終目的地の港町の手前にあるリヴィエール村を目指すことに決まる。

 リヴィエール村は文字通り川の村であり、豊富な水産物が多い。川の水を利用した水まんじゅうが名産品らしい。その村に辿り着けば、港町までは半日で到着する。

 各々準備をして、宿の代金を払う。宿の外を出ればエルブ村の朝市もやっていたが、昨日のうちに買い物を済ませておいたので今回はスルーすることにした。また今度、ゆっくりできるようになったらまた来ようと決めながら。


「そうだ、ここから先だと魔物の数が増えるけど大丈夫?」

「大丈夫だよ。学校でも模擬実践の練習もあったし師匠の修行も……まぁたまにサボってたけどやってたし?」


 明後日の方向を眺めながらあはは、と乾いた返事をすれば不良だなぁと突っ込まれる。反論しようにも本当のことだから言い返せずにいた。


「い、いいだろ別に!?それに今は一人じゃなくてお前もいるんだから!」


 言い返せなかった悔しさをぶつけるように言えば、そうだねなんて嬉しそうな返事が返ってくる。任せてよ、なんて言われればこちらも嬉しくなるわけで。しかしそれを素直に認めたくなかった自分は、このカッコつけなんて言い返して大股で歩いていく。それに対してなんで怒ってるのさ、と慌てるエイリークであった。

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