第六節 知らなかった世界情勢
「師匠?」
申し訳なさそうに自分を見るその様子に違和感を覚えて、まじまじとヤクを見る。とにかく座れと言い聞かされてから、ヤクは切り出す。
「お前の修行を見てやりたいのは山々だが……それは約束出来ん。お前の答えは納得いくものだったが、当面は無理な話だ」
「なんで?」
「先日、私に世界巡礼の令が下されたからだ」
世界巡礼とはミズガルーズの国家防衛軍が諸国周辺の治安維持のために、世界を廻る特別任務のことだ。毎年国から選ばれた軍人が数名の兵士と共に各国へ赴き、その国の問題の手助けをして解決へ導く、大事な儀礼の一つとされている。
レイも世界巡礼については毎年見送りをしているため知っていた。選出される軍人はせいぜい副部隊長クラスの人であり、今年もそうだろうと思っていた。だからこそ己のウィズダムを修行漬けの日々にしようと決めたのだ。しかしその計画はヤクが彼の修行の面倒を見られなくなるため、砕け散る結果に。
折角立てた目的が水の泡になってしまう、その事実に叫ばずにはいられなかった。
「えええ! じゃあ俺の修行を見てくれないってこと!? なんで!?」
「仕方ないだろう、任務なのだから」
「そうじゃなくて、なんで今年は師匠クラスの人が行くのかってこと!」
納得のいく説明を聞かないと、飲み込めるものも飲み込めない。そう伝えれば、ヤクも己の疑問を理解した様子を見せる。少ししてその表情は険しくなり、そしてレイにある問いかけを出した。
「レイ、お前は今のこの世の中を平和と思えるか?」
「え? うーん……魔物がいるから怖いことには怖いけど、大きい戦争とかもないし平和なんじゃないの?」
やはりそう答えたか。答えが予想出来ていたかのような口振りで、やれやれとため息を吐かれる。聞いたのはそっちだろ、と口を尖らせた。
「何もお前の意見が間違っていると言っているわけではない。大事なのは、ミズガルーズ以外の国々ではその考えが通じないということだ」
つまり、自分の常識は通用しない。初めて聞かされた世界情勢に、呆気に取られてしまう。
「……マジで?」
「ああ、今年はとりわけ酷くてな……一触即発の街や国も少なくない。故に、今回は私とスグリが任命された」
「スグリも!?」
ヤクが不在でも代わりにスグリに修行を見てもらおうと考えていたが、どうやらその考えも上手くいかないようである。
「ねぇ、その世界巡礼ってどのくらいの期間?」
「そうだな……早くても9の月の数が巡るまではかかる。長いと1年以上になるな」
「そんなに!?」
とうとう自分のウィズダムが絶望的になってきたと青ざめる。
「そう悲観的になるな。出発にはまだ3日ある。その間にお前の修行用のメニューは組み立てておいてやる」
「でもさぁ……」
「修行だってやり方はそれぞれあるぞ。自分で勉強し、練習することだって修行の一つだ。誰かに教えを乞うのは確かに良いことだが、それだけでは可能性は広がらんこともある」
ヤクの言っていることに間違いはなく理解出来ても、やはり彼に自分の修行を見て欲しかったのだ。
レイのそんな気持ちを読み取ったのか、仕方ないと呟いて立ち上がるヤク。テーブルに伏したままだった顔を上げて、恨めしく視線を向ける。
「師匠?」
「早くマグカップを片付けろ。どうせ今日は仕事も終わっている。……久方ぶりに、夕刻まで修行をつけてやろう」
「ホントに!?」
思いがけない言葉に、がばっと勢い良く起き上がる。そんなレイの様子に、苦笑しながらヤクは言葉を続けた。
「ああ、だから早く準備しろ。私の気が変わらんうちにな」
「よっしゃ! ありがと師匠!!」
折角の機会なのだ、悲しんだままではもったいない。いつもの調子を取り戻すと、愛用の杖を手にするために部屋へ直行した。
******
ヤクの家にある庭は、修行するには十分な広さがある。初級魔法や中級魔法を修行する時は、決まってこの場所だ。自分の杖を持って待っていると、ヤクが修行用の杖を持って庭に入ってきた。
「で、何の術を教えてくれんの!?」
早く修行をしたくて待っていられない。こんな機会は滅多にないのだ。早くとせがむ自分に、いつもこう積極的であれば良かったんだがな、とヤクから小言を投げられた。痛いところを突かれ、返しに困る。
「まぁいいだろう。お前にはまず、私が世界巡礼に行くまでの3日間の間に私の技を一つ習得し、その技に自分で特色を加えて全く違う術を編み出してもらう」
「…………はい?」
予想外にハード過ぎる課題を言い渡され、思わず返事に数秒要してしまった。
まず大前提として、師匠であるヤクの術を一つ習得するだけでも、相当練習をしなければならない。そこから更に上のレベルの術にするなどと。まだ半人前である自分に果たして出来るのだろうか。もし出来なかったらどうしよう。
そんな焦りからか、冷や汗が止まらなかった。
「マジで言ってる……?」
「冗談を言ってどうする」
「ですよねー……」
ヤクはこんな時に冗談を言える性格ではない。わかっていたが、これは予想以上に厳しい修行になるだろうことが確信できた。そんな自分の気持ちをよそに、習得しなければならない術をヤクが見せる。
杖の先端に力を集まり始め、飽和状態となったところでヤクは呟くように詠唱した。
「
その言葉に答えるかのように杖の先端の空気が凍り、氷の塊がいくつも出現して降り積もった。見た目はまるで雹のよう。
「基礎中の基礎の術だが、魔力の凝固や放出の加減が大切になってくる。お前は基礎が出来ていない部分も多いからな、復習にもなる」
「うへぇ基礎……?」
「今までサボったツケだと思え」
それとも嫌ならやめてもいいんだぞと言われてしまい、それだけは嫌だと見よう見まねで魔力を集中させる。脳内で氷の粒が降り注ぐイメージを浮かべ、ここだと思ったタイミングで魔力を放出した。
「
ぱぁん
聞こえてきたのはそんな破裂音。イメージ通りなら氷の塊が出現し降り注ぐはずだったが、実際は中途半端に凍った水が飛び散るだけに終わった。
「あっ痛! 冷たっ!!」
目の前に杖を突き出していたからか、放射状に飛び散ったみぞれ状の塊は容赦無く降りかかる。雨より冷たいその塊たちは、熱くなっていた自分を落ち着かせる冷や水のように思えた。
「魔力の凝固が早すぎる。もう一度」
術の失敗を冷静に判断したヤクから、的確なアドバイスが伝えられる。その後も調整しながら何度も術を発動させるが上手くいかず、結局その日に術を習得することは出来なかった。
「はぁっしょい!!」
大きなくしゃみが一つ。
すっかり陽が落ちて辺りが暗くなり、北風も吹いている。修行を始めてからずっとみぞれ状の塊を浴びていたのだ。いつの間にか身体は凍えていた。風邪を引いては元も子もないと、その日の修行は終わりにするよう指示されてしまう。
「風呂は沸かしてあるから、ゆっくり入って暖まってきなさい」
「うん、ありがと師匠」
その言葉に甘え、家に戻って寝間着を用意する。脱衣所でびしょ濡れになった衣服を籠の中に放り投げてから、湯船に浸かった。
浴槽のお湯は人肌よりも高い、少し熱めの温度だった。底冷えしていた体で入り、痛みに少し呻いてしまったのはここだけの話。しかしそれも最初のうちで身体が慣れると、じんわりと体の内の熱が戻ってくる感覚に心地良さを覚えた。
「あー生き返る……」
大きく息をついて、湯船でぱしゃぱしゃと顔を洗う。静かになった浴槽で天を仰ぐと同時に、改めて今まで自分がどれほど不真面目だったかを思い知らされた。
「あと3日間か……本当に出来るのかなぁ」
大きな不安を感じたが、折角出してくれた課題を放り投げたくはなかった。やってやると自分に言い聞かせ、喝を入れる。
あと三日間ではない。まだ、三日間もあるのだ。必ず習得してみせる。
翌日。朝食を取りヤクを送り出したレイは、早々に修行に取り掛かった。
昨日一日修行して、ヤクからは落ち着きが足りず尚且つ焦りすぎていると指摘を受けた。その言葉を思い出しながら、自分を落ち着かせて術の発動一回目に挑戦する。その作戦が功を奏し、昨日よりも体内を巡る魔力の流れ方を感じられるようになっていた。十分魔力を凝固させたと感じ、術を発動させる。
「
ごんっ
そんな鈍い音が聞こえたと思えば、その場に額を抑えて蹲っていた。傍らには男性の握り拳程の大きさの氷の塊が転がっていて、恐らく──いや確実に、その塊の直撃を受けたのだろう。
「いってぇ……!で、でも……やった、固まった!氷になってる……!!」
涙を浮かべながらも自分の傍らにある氷を見て、進歩は出来たと実感した。そして一つ分かったことがあった。
昨日は大量の氷の塊を形成して降り注ぐイメージしか思い浮かべなかったが、そのイメージそのものが間違いだった。大きな一つの氷を成形し、それを砕いて散らばらせるイメージの方が正しかったのだと、結論づける。
それを理解すれば、話は進んでいく。氷の塊が出来る確率が格段に上がり、回数をこなしていくことで凝固させて放出させるタイミングも、自然と分かるようになっていた。途中、短剣のようになった氷の塊が頬を掠めた時は血の気が引いたが、怪我も顧みずに修行を続ける。
次に段階に進めたと分かったのは、昼が過ぎ夕方を迎えた頃。
「
最高点に達した凝固させた魔力。それを砕いて散らばらせるイメージを思い浮かべ、術を発動させた。すると、杖の先端から程よい大きさの氷の粒となった塊が、はらはらと降り注ぐ。その光景はまさしく昨日ヤクが見せてくれた手本と全く同じであり、つまり成功を意味していた。
「やっ……た? 出来た?」
暫くその光景を見て呆気に取られていたが、目の前に積もった氷の粒を見て思わず叫んだ。
「よっしゃああ出来たー! 習得出来たぁああ!!」
達成感を味わいながら、その場に仰向けに倒れこむ。朝っぱらから魔力を使い、体はくたくたに疲れていたがテンションはただ上がりだ。腕や足には切り傷が沢山あり、失敗の数を物語っている。まだ第一段階ではあるが、成功したことによる感激でその日の修行を終えたのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます