第五節 突き刺さったきっかけ
イーアルンウィーズの森の事件から約二週間後。全治二週間と診断されたが、驚異の回復力で怪我は一週間後には完治していた。しかし万が一と、怪我が完治したあとの一週間も軍の医療施設で休んだ。その甲斐あってか、施設から出る前日に行った健康診断の結果は良好。これならもう日常生活に支障はないと、検査をしてくれた軍医に太鼓判を押されたのであった。
施設から出る当日は、軍の医療施設から直接学園に向かうことにした。たった二週間だが学生にとっての二週間は貴重なものであり、またあっという間である。一抹の不安を抱えつつも、久し振りの学園はやはり楽しみなことに変わらない。学園に向かうスピードは心なしか早かった。長い階段を駆け上がり、教室の前で一回深呼吸してからいつもの様子で中に入った。
「おーっす」
「あ、レイ!」
戻ってきた彼の周りに同級生が集まる。彼らの表情は明るくて、その反応に内心安心した。同級生達からは怪我は大丈夫なのか、頭壊れてないか、そんな冗談も入り混じった質問が飛んでくる。
「もう大丈夫! 完全復活だぜ!」
明るく笑ってピースサインを出せば、ならもう殴ってもいいよなとこれまた冗談が飛び交う。
しかしそんな楽しい雰囲気に水を差した人物がいた。
「ふん、何が完全復活だ!」
明らかに不快感を露わにしながら、少し遠い場所からレイを非難する一人の男子生徒。その声に、レイと彼の周りにいた同級生は何事かと声が聞こえた方に顔を向けた。
「みんなを巻き込んでおきながら、よく学園に戻れると思ったな!」
「ナイアル……?」
ナイアルと呼ばれた生徒は、眼鏡のかけ位置を上げてからレイに指を差した。
「キミは英雄気取りがしたくて、みんなを巻き込むことを前提であんな事を言ったんだろう!?」
「英雄気取り? なんだよそれ」
ヒステリーを起こしているとはいえ、今のナイアルの発言は受け流せなかった。鞄の紐を握りしめて、しかし極力怒りを抑えながら反論する。
「俺は英雄気取りがしたくてみんなに考えを言ったんじゃない! それにお前だってあの時、俺の意見に賛成したじゃないか!」
「あれは、あの時はそういう雰囲気だったから仕方なく賛成したわけであって、本当は君の考えなんて真っ向から反対したかったさ! それにあの事件で怪我した人だっているんだぞ!?」
完全な売り言葉だったが、言われたままでは腹に据えかねる。思わずそれを買ってしまい、言い争いに発展してしまう。レイの言葉に逆上したナイアルは勢いそのままに、次から次へと暴言にしか聞こえない言葉を言い放ってきた。
「どうせ軍の情報だって、お師匠様に聞いて知ってたんだろ? だから自分が弱くて頼りなくても、森の中でも安心だって分かってだんだ!何かあったらお師匠様が助けてくれるなんて考えてな!」
「そんなわけないだろ! いくら弟子だからって軍の仕事を教えてもらえるわけがない!第一、俺はあの日の師匠の予定なんて聞いてないんだぞ!?」
手前勝手なことばかり言われつつも、どうにかキレることを抑えてナイアルの発言に反論する。己の放つ言葉に嘘偽りはないと発言するのは簡単だが、その証明を求められても困るというもの。しかし、次のナイアルの発言にストッパーは音を立てて崩れ落ちることになった。
「どうだか! お前のお師匠様だって言ったことを忘れてた、ただの馬鹿だったかも知れないだろ! そうさ、軍の一部隊の隊長はただの馬鹿さ!!」
「……は?」
我ながら声のトーンがこれ程かと言わんばかりに低くなる。
今アイツはなんて言った?
自分が馬鹿呼ばわりされることには我慢出来る。自分の至らなさはそれなりに理解しているつもりだ。それでも、敬愛している大切な人物を馬鹿にされて黙っていられる程、レイは人間が出来ていない。
「……お前さ、今なんて言った?俺の師匠が馬鹿だって……?」
酷く低くて落ち着いている声。心情は爆発寸前の火山のよう。先程までの勢いが急になくなった自分にナイアルは焦る様子を見せつつも、一度放った言葉を頭に血が上った学生が止められるはずもなく。
「そうだ! とんだ大馬鹿野郎さ!!」
「ふっざけんなぁあ!!」
とうとう堪忍袋の緒が切れる音がした。勢いそのままナイアルに殴りかかる。渾身の右ストレートは綺麗にナイアルを捉えた。突然の行動に体格でレイより劣っているナイアルが避けられる筈もなく。ガタンと大きい音を立て、机や椅子を巻き込んで倒れるナイアル。予想以上に音は大きかったらしい、教室外にも響いたようだった。
慌てた同級生に抑え込まれて落ち着けと諭されるが、怒りが収まらない。もう2、3発殴らねば気が済まない。なんとか抜け出そうと暴れるも、相手側が数人がかりではそれも難しかった。身動きが取れなくなった代わりに、これまでのナイアルの発言を撤回するように叫ぶ。
「師匠は! 師匠はてめぇが考えるような人なんかじゃない!! 何にもわかんないくせに知ったようなこと言うな!!」
「分かったから落ち着けよレイ!」
ここまで来たらもはや暴動の域にもなるのだろうか。そんなことを考えられる余裕は、今のレイにはない。同級生たちの諫める声のなかで、ゆらりと立ち上がったナイアルは捨て台詞にも似た言葉を吐く。
「そうやって、すぐ暴力で解決するのは弱い奴がすることさ! お前がそんなんだからお師匠様は馬鹿だって考えるのが普通だろ!?」
「ふざけんなもういっぺん言ってみろ! テメェ今すぐ潰してやる!!」
火に油を注ぐとはまさにこのこと。憤怒の渦が頭の中で巻き起こったそのとき、教室に入ってきた担当教師の一喝が飛んできた。窓ガラスを割らんばかりの怒声に、その場は水を打ったように静まり返る。ひとまずの乱闘騒ぎにならずに済んだものの、騒ぎの中心にいたレイは生活指導の教師のもと会議室で説教を受けることになってしまった。
******
「それでナイアルを殴ったんだな?」
「すみません……。つい、カッとなって殴りました」
今朝の乱闘についての原因を説明したあと、教師から再確認するかのように言葉をかけられる。一度冷静になって状況を振り返れば、反省点が見えてきた。いっそのこと自己嫌悪すら湧いてくる。俯いたまま目の前の教師の質問に、素直に答えた。
教師はそんな自分の様子に納得してくれたようだが、呆れたと説教の言葉を浴びせる。
「お前の気持ちももっともだがな。その行動で迷惑がかかるのはヤク様だということを、一番弟子のお前が忘れてどうする」
「はい……」
「まぁ明日からお前達はウィズダムだから説教はここまでにするが、一年間じっくり考えるんだぞ」
教師に言われて思い出す。明日からの一年間の大事な行事のことを。
ウィズダムとは、この学園の高等科二年目である生徒が来年度三年目になった時に、どの分野の魔法を学ぶかを決めるために設けられた長期休みのことだ。期間は丸々一年間。
どの選択肢を選ぶかを己で見極めるため、働いたり旅に出たり勉学を学んだりと様々な経験を、生徒たちは積む。レイも今年はその対象だ。
「来年会う時は成長したお前を見せること、いいな」
「わかりました」
返事を聞いた教師から、教室に戻るよう促される。
一礼して会議室を後にしたレイだが、どうも素直に教室に戻れない。次の時間まで少し余裕もあるし、気分転換でもしよう。おあつらえ向きに中庭の噴水が見えたので腰掛ける。
大きくため息を吐く。説教で言われたことも響いていたが、それよりもナイアルに言われた一言の方が、胸に刺さっていた。
――あの事件で怪我した人だっているんだぞ!
確かに自分たちは、怪我を負った。レイも含め数人が負傷したことは、二週間前スグリから教えられていた。
自分なりにヤクの修行をこなしていた。確かにサボったことも何回もあるが、それでもめげずにこなしていったことは忘れなかった。だが、それで守りたかった同級生全員を守れたわけではなかったことに、改めて己の無力さを突き付けられた。
また重いため息をついて、ぽつりと呟く。
「……もっと強くなりたいな……」
せめて自分の身は守れるように。それだけの理由だったが、それが今のレイが出した答えである。
今日家に帰ったら改めてヤクに自分の気持ちを伝えよう。明日からのウィズダムを修行漬けの日々にすると決めたレイであった。
その日の午後は明日からのウィズダムについての説明や、その休暇中の課題などで授業が終わった。仲の良い同級生との挨拶もそこそこに、急いで家に帰る。今日はヤクが久々の休暇で、家にいるのだ。先走る気持ちを抑えつつも、帰路での歩くスピードは速かった。
「ただいま!」
「戻ったか。お前にしては珍しく早かったな」
家では一息ついていたのか、リビングでヤクがコーヒーを飲んでいた。返事をして荷物を自分の部屋に置いてからリビングに向かう。
「ねぇ師匠、今ちょっと時間いい?」
「どうした改まって」
「まぁ、話したことがあって……」
言葉を濁すレイに、何か感じたのだろう。ヤクは立ち上がるとコーヒーをカップに注ぎ足し、レイがいつも使っているマグカップにミルクを入れて渡す。
「長話になるのだろう?」
「……よくわかったね」
「私が何年お前の師匠をしていると思っているんだ」
小さく笑った師に、席に座るよう促された。はやりこの人には敵わないな。向かい合うように座り、まずは渡されたミルクを一口飲んでからゆっくり話し始めた。
今朝の出来事から始まり、自分の中で出した答えも隠すことなく事細かにヤクに話す。レイの話を彼は黙って聞いてくれていた。
「……だから、強くなりたいなぁって思って」
「そうか……」
コーヒーを一口飲んで、ヤクは自分の言葉について掘り下げるよう、問いかけてきた。
「お前のその心意気はわかった。だが、お前がなんの為に強くなりたいのか私には理由が見えてこない。それは自分の為だけなのか、それとも誰かの為であるのか。それが答えられないようなら、私はお前に修行をつけることは出来ん」
「え……」
その言葉は深く響く。これまで考えた理由では納得してくれないだろうと薄々気付いてはいたが、こうもはっきりと断言されるとは。一刀両断されて自信をなくしかけるも、目の前の鋭く厳しい視線からは逃げられそうにない。
答え方に迷ったが、負けじと真っ直ぐヤクを視線で捉えてから開口する。
「俺は師匠みたいな魔術師になりたいんだ。誰かの為に力を使えるのって嬉しいことだって、昔に教えてくれたでしょ? だから、誰かの為に俺は強くなりたい」
その強い意思を受け取ってくれたのだろうヤクは、満足そうにそうかと頷いて。またコーヒーを飲んでから微笑んで、
「成長したな、レイ」
優しくレイを褒めた。滅多に褒めないヤクに褒められたと一瞬わからなかったが、その言葉は確かに聞こえたものだ。彼の言葉を噛み砕いて、ようやく納得できた。間違いなく今、自分は褒められたのだと。
それはつまり、自分の修行を今後も見てくれるという意味である。
「それじゃあ!」
目を輝かせてテーブルに乗り出さんとするレイを、何故かヤクは申し訳なさそうに見たのだった。
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