第三節 それでも勇気を振り絞る
イーアルンウィーズの森の、中心部より四分の一の距離。レイを先頭に、三十数名の生徒達は森の中心部を目指し歩いていく。幸いにも今まで特に大きなアクシデントはなく、生徒達のなかで徐々に精神的なゆとりが生まれていたようだ。同級生の一人が隣まで来て、話しかけてきた。
「それにしてもさ」
「ん?」
「いやさ、レイの言葉ってたまにこう、導かれるような雰囲気持ってるよなぁって」
煽てられてレイ自身にもゆとりが出来る。表情筋が綻び、鼻も高くなる。その言葉に他の生徒も頷く。
「あーそれわかる。たまにだけどな」
「へへん、崇めてもいいんだぜ?」
「調子乗んな」
「いっで!!」
この場では自分がムードメーカーでいよう。そんな態度に、レイの周りにいた生徒達の表情が明るくなり場の空気がリラックスした状態になっている。このまま何事もなく事が進めばいい、誰もがそう願えるまでの余裕が生まれるほど。
しかしそれは、森の中心部まであともう少しの所で壊される。気配を感じ、咄嗟に自分の魔法具である杖を前に向ける。そのまま振り返らずに声をあげた。
「みんな伏せろ!!」
叫び、杖の先端に埋め込まれている球体の核に精神を集中させる。光が集まり、飽和した所で再び叫ぶ。
「
途端に杖の先端から放出した光が壁となり、レイ達の前に立ちはだかった。
光の盾に衝撃が走り、半歩後ろに下がる。目の前には、盾にぶつかってきたであろう狼の姿をした魔物。彼らはこちらを警戒し、威嚇している。大きさは大の大人程。口元の鋭い牙で噛まれたら、ひとたまりもないだろう。
それに対し、あくまでも冷静になれと言い聞かせる。次の詠唱を口の中で唱え、生徒に注意を促した。
「みんな目ぇつぶれ!
今度は杖を高々に上げ、光の球を魔物に向けて放つ。これは初級の攻撃魔法。使い道としては、ダメージうを与えるよりも目くらましの効果が強い。
その考えが功を奏し、目的通り魔物の動きが大分鈍る。そのスキが欲しかった。
「前に走れ!!」
後ろにいる生徒達にも聞こえるよう大きく叫び、走り出す。遅れまいと生徒達も起き上がったのだろう、自分の背中を全力疾走で追いかけてきたのがわかった。
みんなの負担にならないように獣道は避けて、尚且つ森の中心部までの最短ルートを駆け抜ける。こういう時に思うことではないだろうが、修行でこの森に来ていてよかった。とはいえレイも焦ってはいた。信じていたのは己の勘だけだ。進んだ先にある方向に光が見え、そこが中心部だと信じ、残っていた気力で地を駆けた。
目の前の草木を掻き分けてその場所に出られたレイたちを待っていたのは、森の入口で凄まじい豹変を見せたストラーノであった。膝に手を当てて呼吸を整える生徒や座り込む生徒を静かに見て、怪しく笑ったことに気付けた者は、レイ以外にいないだろう。
「ああ良かったです……みんな無事なんですね……?」
まるで他人事のに言うストラーノに対し、思わず切れて睨みつける。
「良かったですじゃねぇよ! 魔物が出てきて殺されそうになったのに、何してたんだよアンタ!仮にも教師だろ!?」
「言ったでしょ、これは抜き打ちテストなんですよ……。手を出したらみんなのテストにはならないでしょう……?」
「ならもう終わりでいいだろ! 俺たちはアンタの言ったように、ここに来たんだから!!」
この惨状がわからないのか、訴えるもため息をつくストラーノ。馬鹿ですねぇと、一言で評価されたかと思えば狂ったように笑う。その不気味な様子に、緊張が走った。背中の汗が一瞬で冷や汗に変わったような感覚だった。
「残念!! まだテスト合格ではないのだよ、まだ!」
その言葉に、顔が青ざめる。これ以上、何があるのだろうか。これ以上は、どうにもできそうにないのに。
ストラーノの狂言に合わせるように妙な地鳴りが辺りに響く。ストラーノの後ろの木々が薙ぎ倒しながら現れたのは、先程見た魔物より遥かに大きく、一見しただけで凶暴であることが分かる獅子の姿をした魔物であった。恐らく、この森を牛耳っている魔物のうちの一体だろう。狂気を含んだ視線に捉えられたと、気付けたのがやっとだ。
再び訪れた恐怖に、生徒達からはもはや悲鳴すら上がらなくなった。横目で同級生を見る。歯をガチガチと鳴らせて、自分の腕を抱いたり友達と抱き合って必死に叫びそうになるのを我慢しているのが見て取れた。レイ自身も圧倒的な敵意を前に、その場で立ち尽くして、動くことすら出来ずにいる。
「なん、だよ……これ……」
震える唇を動かして出た言葉は、生徒全員の心情を代弁するには十分だろう。
「テスト合格に必要な札はこの魔物の中だ! ほらどうした終わりにしたいんだろう!?」
理不尽だろうと嘆く。生徒達の精神は崩れかけていたが、この状況を前にして完全に砕けてしまったらしい。それはレイも例外ではなく、戦意喪失してしまう。こんな状況、子供の自分たちで抱えられるわけがない。
そんな自分たちの様子を、ストラーノはまるでオモチャで遊ぶ子供のようにあざけ笑う。どうにも楽しいようだ。
「ほら戦え戦え! でないと死んでしまうぞほらほらぁ!!」
その言葉に呼応するかのように動く獅子の魔物。狙いは立っているだけのレイ。
魔物が近付いてるってわかった直後には、視界は空一面に覆われていた。
生徒達の悲鳴も耳障りなストラーノの声も、何も聞こえない。攻撃を受けた体は宙を舞い、近くにあった木に思い切りぶつかった。その衝撃で息が詰まり、大きく咳き込む。追い打ちのように感じる痛みに呻きつつも、視界だけは失ってはならないと、必死に魔物に視線を合わせた。
相変わらず鋭い殺気を孕んだ視線を浴びている。動かなければならないと頭ではわかっていたが、体が全く言うことを聞かない。殺されてしまうという恐怖が、レイを襲う。
「いや、だ……死にたくない……死にたくないよ……!」
すっかり恐怖に取り憑かれた。もはや先程までの威勢は消え去ってしまった。そんなことはいざ知らず、魔物はその凶暴な爪を振り上げてから勢い良く振り下ろす、寸前の出来事だった。
「──
ひどく落ち着いた、少しだけテノールの効いた声が静かに、だがはっきりと聞こえた。殺されてしまうと目を閉じて身を固くしていたが、いつまで経っても感じない痛みを不審に思い、恐る恐る目を開けた。
そこで見えたのは、見覚えのある白い軍服に長い空色の髪。まるで氷そのものから出来たような杖を持ち、レイを守るように立っている人物であった。その人物の正体が、レイにはすぐにわかった。
魔物はといえば、地面からどうやって生えたのか何本もの巨大な氷柱によって、動きを完全に拘束されてしまっていた。
信じられない、表情がそう物語る。それでも、呼ばずにはいられなかった。
「師匠……?」
そこに立っていたのは紛れもなくミズガルーズ国家防衛軍の一部隊長であり、レイが一番慕っている男性──ヤクだった。
何故、部隊長であるヤクがこんな場所にいるのか。理解出来ずにいた。かたや冷静に状況を理解したであろうヤクは、いつものように愚痴を零す。
「まさか、部隊の実戦練習のつもりが本当に実戦になるとはな……」
だが致し方あるまい、一言呟いてから声をかけられる。
「怪我は?」
「え……? ぁ、なんか身体中……が、痛いや」
「そうか、なら無理に動くな」
それだけ伝えたヤクは、レイの方を一度も振り返らずに魔物に向かっていく。氷の妨害で暴れる魔物を目の前に、彼は恐怖することなく詠唱を唱えて術を放つ。
「……
ヤクの身の丈程ある杖の先端にある水晶体が光り輝くと先程出現された氷柱が膨張し、魔物の身体を包んでいく。数分ともしないうちに、魔物は氷に閉じ込められ身動きが取れなくなった。これはヤクの使う中級攻撃魔法だ。
肝心の魔物が氷漬けにされて焦るかと思われたストラーノだが、彼はケタケタと笑う。
「馬鹿が、そんなのすぐに砕くことが出来るんだよぉ! ほら見ろ、もうヒビが入っているじゃないか!」
「いや、これだけの時間があるなら十分だ」
──あの男が魔物を仕留める時間には多すぎる。
そう説明するヤクの言葉は、ストラーノには理解できなかったらしい。事が起きたのは、その直後だった。
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