UNKNOWN FILE: 【最終話】
神様はきっと、孤独なんじゃないか、なんて思う。
俺の目の前には、全てが広がっている。
人類の歴史の中で、実際に起こった事実はもちろん、それだけでなく、起こりえた可能性までも、全て見ることができる。
俺の目の前には、天と地、左右、そして前後に延々と続く、複雑な“可能性”の茂みが広がっている。そして宇宙が判断した“最も効率的な選択肢”だけが、太い光の幹となって、茂みの中に伸びている。あの太い光の幹こそ、あらゆる可能性が淘汰された結果、実際に起こった事実、つまり俺たち人類が経験、体験して築き上げてきた歴史だ。
太い光の幹は、過去から未来へと、あまりにも神々しく光り輝いている。まるで人類の生きた証を主張しているかのように。
俺はカーラとむかし話をした、光合成の話を思い出す。
「植物の光合成細胞には何百万という集光タンパク質があるの。その集光タンパク質が集めた光エネルギーを光子に感受性のある分子内で回転している電子から、近くの反応中心タンパク質へと輸送し、そこで光エネルギーは細胞を動かすエネルギーへと変換されている。この輸送過程でエネルギーはほとんどロスしない。なぜなら、エネルギーが同時に複数の場所に存在し、常に最短ルートを見つけ出しているからなの。そうやって、植物は花を咲かすの」
ベッドの中で、カーラがそう言った。
「難しくて、よくわからない」俺が言う。
「要するに、この宇宙の仕組みも、光合成の仕組みも、一緒ということ。宇宙は常に量子コヒーレンスと呼ばれる重ね合わせの状態にあるけど、全てが実現するわけじゃない。実現するのは――私たちが目撃できるのは、宇宙が“最も効率的で、エネルギーをロスしない選択肢”と判断されたものだけ。そのアルゴリズムが、量子アニーリング。《WIZDAM》にも搭載されているアルゴリズムよ」
「じゃあ俺は、花が咲かない非効率な世界を、見てみたいもんだ」
俺は正確にカーラとの会話を振り返ることができる。
なぜなら、俺の
自由に行き来できるのは、時間だけじゃない。
肉体という物理的な制約から解き放たれた俺は、思っただけでいくつもの銀河を飛び越え、遠くの、まだ人類が観測していない場所にまで飛ぶことができる。そしてほんの小さな微生物が生息する星から、人類のように高度な文明を持った生命体がいる星まで、見つけることができた。
さらに
宇宙はあまりにも広い。圧倒される。
だが俺は、そんな偉大な宇宙に、一切の干渉が許されない。
見えている世界に触れることも、問いかけることもできない。
重力子はどこへでも行ける。しかし、力が弱い。
世界を動かすには、力が足りなさすぎる。
だからそう。俺は孤独だ。だからきっと、神様も俺と同じ気持ちだと思う。
――――――――――――/
もう何年、いや何十年、何百年、何千年、何万年か。
時間という制約から解き放たれた俺は、自身の時間の経過を認識することができない。
人類の歴史を振り返り、俺は実際に起こった事実だけじゃなく、20世紀の冷戦下でソビエト社会主義共和国連邦がアメリカ合衆国に核ミサイルを撃ってしまったことでアメリカ合衆国が衰退し、社会主義が地球に蔓延してしまった歴史や、量子シミュレーション戦争で中華人民共和国が勝利して終戦宣言をしてしまったことで、それに異を唱えたアメリカ合衆国が中華人民共和国と全面戦争に突入する歴史など、いわば“非効率な選択肢”まで覗き見てきた。
そして振り返ってきた歴史の中には、ハヤトとニゲラの過去もあった。それは俺が生まれるずっと前の話、西暦2220年付近の話だ。
驚いたことに、ハヤトとニゲラは小学校の同級生で、幼い頃から二人は同じ時間を共有していた。
しかしニゲラは当時アグネス=ケリーという名前で、まだCentral◒Houseの
二人は幼いながらも恋に落ちていたようだが、お互い素直な気持ちを告白できないまま、けど一緒にご飯を食べたり、一緒に家に帰ったり、一緒に勉強したりと、仲のいい関係を続けていた。
だが、状況は変わる。
月日が経ち、アグネスが17歳になった頃だ。量子シミュレーション戦争後に勃発したグローバルダウンから人類再建計画を模索するCentral◒Houseが、パーフェクト・トゥモローの運用を本格化するにあたり、数多ある候補者の中からアグネスがHCPPの最有力候補として大抜擢されたのだ。
当時からプレゼンテッド・ロールという自動労働分配制度はあったが、自由に仕事を選べない制度に批判は大きく、暴動が多発していた。だからプレゼンテッド・ロールを啓蒙する意味でも、HCPPの確立は急務だった。
そんな大役に大抜擢され、戸惑うアグネスだったが、ことの重大さを理解した上で、承諾した。だがそれは、ハヤトへの相談が一切なく下された決断だった。そしてこの出来事が、二人の仲を引き裂くことになってしまった。
――アグネスがパーフェクト・トゥモローによって奪われた。しかもアグネスは、パーフェクト・トゥモローのために、僕を捨てた――
ハヤトは失望し、
しかもその感情は、アグネスが【ニゲラ】となり、メディアの前でパーフェクト・トゥモローによって決定付けられた未来を生きることが幸せだと唄う存在になってしまったことで、さらに膨張した。
それからハヤトは進学をせずに、20歳を迎えた頃だ、《WIZDAM》によって決定された未来を狂わせることを誓い、未来を盗み、売りさばくことを思いつく。それがつまり、バンディットの誕生だ。
そしてバンディットになってからは、知っての通りだ。
ハヤトは目だけを覆う黒の半透明の仮面で正体を隠しながら、企業の未来を盗みまくり、それを売りまくることで瞬く間に市場を混乱させていった。昨日まで弱小企業だったものが、未来を先盗りすることで明日には一発逆転でリーディングカンパニーにのし上がる。その逆も然り。そんな誰もが予測しえない未来に、仮面を被った正体もわからないミステリアスな男がどんどん書き換えていく。そのセンセーショナルなニュースをメディアたちは
バンディット黎明期のハヤトのスタイルは、俺の世代のようにチームではなく、常に一人で行う。そして案件をスマートに、かつクールにこなしていく様が、BTLの心を掴み、多くのファンを作っていった。
そしてハヤトを真似てバンディットになる連中が数多く出現し、バンディットの市場が確立された時には、ハヤトは
そんな一躍有名になった
依頼主は、サリクスだった。
その頃から、誰もがBBのような才能を見出せないバンディットたちの間では、チームを組むことによって能力を補完し合うチームスタイルが一般化し始めていた。そんな中で、単身で潜入でき、厳重なニゲラの警備を突破できるほどのリードアヘッド能力とハッキング能力、そして戦闘能力を有するBBは希少な存在で、ニゲラを暗殺するにはBB以外に適任者はいない、サリクスはそう判断したのだ。
しかも、この判断を下したのは、なんと当時のサリクスのリーダーだった。
だが彼は既に相当な老人で、車椅子生活を余儀なくされ、自分での呼吸もままならず、常に呼吸器を身に着けていなければならないほど老衰していた。
BTLの管理居住地区であるHeavenSに住めないサリクスたちは、十分な医療施設や技術を享受できない。そのため、このサリクスのリーダーもギリギリ生存できる最低限の医療処置しか施されていなかった。
そんな彼がBBを使ってまでニゲラの暗殺を試みる理由は、たった一つだ。
この頃から徐々にではあるが、HCPPとしてのニゲラの共感指数は上昇し始めていた。しかし、BBのようなアンチヒーローが取り沙汰されていたように、ニゲラにアンチを示す者も少なからずいた。サリクスもその中の一部ではあるが、ニゲラがこのまま存続すれば、いずれ“決定された未来を生きることが世界共通の幸福価値基準となり、自由が奪われる”ことを恐れた。だからそうなる前に、サリクスはニゲラを消し去り、HCPPという機能そのものをシステムから排除することを目論んでいたのだ。
このような思想があったため、BBにニゲラ暗殺を依頼する前から、サリクスはアンチ・ニゲラ、アンチ・パーフェクト・トゥモローを掲げ、頻繁にテロ活動を行っていた。しかしロストテクノロジーとなってしまった時代遅れの武器しか持っていないサリクスのテロ行為は、最先端テクノロジーによって武装されたPMCには全く歯が立たず、いつも害虫駆除のように簡単に排除されていた。
そこでサリクスのリーダーは、潤沢な資金はないものの、ニゲラの暗殺をBBに依頼し、将来的にパーフェクト・トゥモローの中核機能となるであろうHCPPを排除し、結果、パーフェクト・トゥモローを終焉させ、人類の自由意思を取り戻そうと考えていた。
正直、当時のBBの報酬と比べると、サリクスから提示されたLTM額は桁が2つも3つも違った。だがBBは、サリクスの依頼を承諾した。
――これをきっかけに、僕からアグネスを奪ったパーフェクト・トゥモローを終わらせてやる。そして僕を捨てたアグネスにも復讐してやる――
そんな思いが、BBの中に芽生えた。それにサリクスが考えるように、ニゲラを排除することで、決定された未来から解き放ち、自由意思を取り戻せるんじゃないかという希望も、同時に産まれた。
そしてBBはニゲラとの接触を試みる。
ニゲラのコンサートが控えた会場に、BBが出現。彼は厳重な警備を華麗なリードアヘッドで軽々と突破していく。
そしてニゲラの楽屋にたどり着いたBBは、約10年ぶりに、ニゲラと――アグネスと再会した。
だが挨拶も無しに、BBはアグネスに銃口を向ける。この頃のBBは、ハヤトではなく、あくまで、目だけを覆った仮面を被る正体不明のバンディット、BBなのだ。
しかし銃口を向けるBBに対し、アグネスは怯える素振りを全く見せなかった。むしろ堂々と胸をはって、BBの前に立ち、こう言った。
「こうなることは、わかっていたわ。ハヤト」
「なぜだ?」BBは問う。「なぜ僕だとわかる?」
「わかるわよ。大好きな人なんだから。そんな仮面を被ったって、私は誤魔化せない」
「止めろ! からかわれるのは、好きじゃないんだ」
「からかってなんかない。本当に、あなたのことが好きなのよ。でも、それは私の一方的な片思い。だからいいわ。殺して、ハヤト」
「どうして、そう簡単に諦める?」
するとしばらくの静寂があった後に、アグネスは言った。
「私は勘違いをしていた。HCPPとなれば、あなたに認められて、愛されると思っていた。だからあなたに何も言わずに、私はこの道を選んでしまった。でも、現実は違った。HCPPとなってしまったことで、あなたは私を拒絶した。だったら、あなたから愛されないのであれば、私はここで死んでもいい。昔のように、二人で笑い、二人でご飯を食べて、二人で一緒に帰る、そんな日が二度と訪れないのであれば、私はこの運命を受け入れる。あなたを裏切ってしまって、本当に、ごめんなさい」
「バカ野郎……」それを聞いたBBの――ハヤトの瞳から、一筋の涙が毀れた。ハヤトは仮面を脱ぎ捨て、しかしその涙を拭うことなく、ハヤトはこう叫んだ。
「僕の信念が、揺らぐじゃないか!」
それからだった。
ハヤトは銃を仕舞い、その手でアグネスの手を握る。そしてアグネスを連れ、裏口に向かって走り出した。
この出来事から10年間、二人は隠れて暮らした。その間に、アグネスは俺を出産した。
隠居生活の間、BBはハヤトとして、ニゲラはアグネスとして暮らした。
BTLの管理居住地区であるHeavenSでもなく、ブランク・グラウンドにあるサリクスの集落でもない、海が見える場所で、彼らは静かに過ごした。それは一見、平穏な生活だった。
でもどこかで、歪な
ハヤトが抱き続けていた“アグネスへの復讐心”はこの逃避行で葬り去ることができた。しかしサリクスから引き継いだ“人類の自由意思を取り戻す”という信念は、心の隅に根付いたままだった。
アグネスや俺という家族だけでは、その信念を凌駕するには至らなかった。バンディットを確立したとんでもない怪物にとって、家族を守るという“役割”だけでは満たされなかったのだ。自分の持っている爪も、牙も、翼も、隠すには全てが大きすぎた。
だからハヤトは根付いてしまった信念を実現すべく、その方法を探求することにした。そのためにまず、様々な知識をリードアヘッドで未来の研究結果から盗むことから始めた。
そしてハヤトは知った。この宇宙の構造がいかに限定的で、構造的な限界をはらんでいるか、ということを。特に人類が終焉するまでの間に処理できる情報量は既に決まっているという事実に関しては、言い換えれば、人類の発展には上限がある、つまり“ブルームエンドが存在する”ということを示していた。だから未来を盗めば盗むほど、人類の未来はDNAのテロメアが擦り減っていくように、どんどん短くなっていく。
それに愕然としたハヤトは、彼の中でサリクスから引き継いだ信念が、いつしか“本当の意味で自由意思を獲得するためには、この構造的限界をはらんだ宇宙から、人類の魂をいち早く解放させなければならない”という信念に変態を遂げた。
――そして僕は、必ずこの縛られた宇宙から脱出して見せる! 本当の自由を手に入れるために!
このハヤトの信念は時を重ねるごとに肥大化し、持て余していた爪や牙、翼を唸らせ、怪物としての片鱗を徐々に表立たせていった。もちろん、傍にいたアグネスはそれを見逃さなかった。
ハヤトがブルームエンドの存在を知ってから、アグネスは毎日のようにハヤトからその話を聞かされていた。だから魂を解放させなければならない、ということも。
この頃からハヤトの様子はおかしく、悪魔の囁きに毎日
ニゲラだったときのアグネスをさらったハヤトの勇姿は、鮮烈な記憶としてアグネスの心に深く刻み込まれたままだし、この凄まじい怪物を死ぬまで愛し、ひとりの人として制御し、日々接していくことが彼女の“役割”だと信じていたからだ。それに実際、時折見せるハヤトの人としての笑顔は、とても素敵だった。
しかしだ。そんな生活に、突然の終わりがやってきた。
10年間、ニゲラをずっと探し続けていたC◒H-Iの捜査員が、ついにニゲラの居場所を発見したのだ。
そしてC◒H-Iは大勢のPMC兵を発注し、彼らの住む家を襲撃した。
ハヤトは未来の研究結果を熱心にリードアヘッドしていたものの、肝心の自分たちの未来をリードアヘッドすることを忘れていた。こんな初歩的なミスで足元を掬われてしまうほど、ハヤトは肥大化した信念に呑み込まれ、完全に陶酔していた。
それでもかつてBBと呼ばれた男だ。この状況を何とか切り抜ける。
アグネスもまだガキだった俺を引き連れ、逃げる。
だが逃げる途中で、ハヤトとアグネスは離れ離れになってしまった。
離れ離れになってしまった後も、アグネスは俺の手を引っ張り、必死に走った。
でもどこへ行っても、PMC兵が追いかけてくる。その逃亡劇は、数日間にも及んだ。度重なるストレスと疲労で、日に日にアグネスがやつれていくのがわかった。
そこでアグネスはこの過酷さから俺を守るために、俺をコールドスリープセンターに隠した。俺がコールドスリープに入る前に、アグネスは泣いていた。
そして俺が無事コールドスリープに入った、数分後のことだった。
アグネスは捕まった。
それからアグネスはこの逃亡で憔悴した肉体を回復するために、しばらく入院し、それからボディリメイクで年齢を10歳巻き戻され、アグネスは【ニゲラ】として再び復帰した……いや、復帰させられた。
この10年間、世界の混乱を防ぐため、Central◒Houseはニゲラが失踪していた事実を隠蔽していた。その間、ニゲラに似せたアンドロイドにHCPPを代理させていたのだが、ニゲラの共感指数は年々低下、求心力は失われつつあった。だからCentral◒Houseはこの時代のテクノロジーでは機械にHCPPの代理はまだできないと判断し、アグネスはニゲラになることを拒むことが許されなかった。
そしてニゲラが失踪し、その間に子供が産まれていたというセンセーショナルなスキャンダルを完璧に隠蔽するために、俺の存在もまた、完全に隠蔽された。
長い間コールドスリープさせられ、その間に俺の記憶は削除された。
一方、ハヤトはと言うと、C◒H-Iからの追手を完全に振り切った後、サリクスの集落を訪れていた。
だがハヤトにニゲラの暗殺を依頼したリーダーは、既に亡くなっていた。
無理もない。出会った時から既に、車椅子で呼吸器をつけるほど、老衰していたんだ。
しかもこのリーダーを失ったことで、サリクスの求心力もまた、失われつつあった。
彼の後に何人ものリーダーが就任したが、この荒くれ者どもを上手く束ねることができる者が、まだ現れていなかったのた。
そこでハヤトは、かつてBBと呼ばれ、究極のアンチヒーローとして君臨していた実績から、サリクス内からリーダー就任への要望が出た。それに対し、ハヤトは迷うことなく承諾した。
そしてハヤトは、アグネスという己に潜む怪物の制御を失ったが故、魂の解放という信念をさらに肥やし続け、やがてそれは人類の理想という呼び方に変わり、サリクス内の人間たちを侵食していった。
しかし理想を実現するためには、人間の一生分の時間だけでは足りなかった。だからハヤトは、単身でHeavenSに潜入し、ハッキングを駆使して自身の分身となるクローンの子供を病院の3Dプリンタで出力し、そこに記憶を移植することで延命した。それも一回だけじゃなく、二回もだ。
そして二回目に作られたクローンが、俺と出会ったハヤトだったというわけだ。
俺の両親の過去と、俺の記憶から欠落していた過去とは、こんなもんだった。
だから何だって言うんだ。
今さら俺の出自を知ったところで、今の俺は無限の可能性と広大な宇宙に浮遊しているだけだ。そこに干渉することは、一切許されない。
ここには全てがあっても、何もないのと同じなんだ。
それはつまり、孤独――。
この結果は間違っている!
突然、何の準備もなく重力子化されてしまった人間に、何ができるっていうんだ!
何もできない!
これならまだ、制約に縛られたままでも、世界に干渉できて、主張して、愛して、愛されて、嫌われて、傷ついて、でも生きていった方が、断然マシだ!
「ふざけんな! ハヤト!」
俺は目の前に映る過去のハヤトに向かって叫んだ。
二回目のガキの姿に生まれ変わり、負傷した俺とコンテナの中で再会(あのときの俺にしてみれば初会)したときのハヤトだ。
叫んだところで、無意味だとわかっている。無意味だとわかっていても、叫ばずにはいられなかった。しかし――
ハヤトは一瞬、俺の方を向いた……気がした。
気のせいかもしれない。
だけどハヤトは俺が叫んだ直後、確かに俺の方を向き、それから辺りを見回す素振りを見せた。
だが空耳だと思ったらしいハヤトは、それから普通に、何もなかったかのように、そこにいる過去の俺との会話に戻った。
この世界に干渉できないと、俺は勝手に思い込んでいた。
でも、もしかしたら、強く望めば、この世界に干渉できるんじゃないか?
そう思った俺は、時間を移動する。着いたのは、《WIZDAM》が落下した後にカーラと身を潜めていたボウルシティのホテル。そこでの俺たちは、まだベッドの中で寝ている。
俺はそこにいる俺を起こそうと、ベッド傍のテーブルに置かれた酒飲みグラスを倒そうとする。
触れないから、倒れろ!と強く念じる。
すると酒飲みグラスは、ブルブルと小刻みに震え始めた。でもまだ倒れそうにない。きっと念が足りないんだ。だから俺は、さっきよりも強く、根気よく念じ続ける。それに応えるように、酒飲みグラスの振動は増幅する。やがて酒飲みグラスはクルクルと回り出し――
――カラン……
音を立てて、酒飲みグラスは倒れた。その音で、そこにいる俺は目覚めた。
なんてこった!
重力子は弱い。だが微弱ながら、ほんの少しだけだけど、この世界に干渉できる。実際、重力は俺たちのいた世界でも僅かながら力が働いていたじゃないか。だから人間は、地球上から離れることがなく、地上で生活できていたじゃないか。
――この間違った結果を、変えて――あなたなら、できる――
ニゲラが最後に言い残した言葉が、俺の頭をよぎる。
畜生! 息子に無茶ブリしやがって!
だが己の持っている力を知ってしまった以上、このまま世界を傍観しているわけにはいかない。
この結末を変えるには、あのとき、アンダードームで電源装置を止めに行ったカーラを助ける他ない。それを知っているのは俺だけで、それができるのは、きっと俺しかいない。
俺はあのときのアンダードームの時間にまで飛ぶ。
正直、そこに飛ぶのは辛い。
俺は避けていた。カーラの最期を見届けるのを。だってあいつが死んだのは、俺が守れなかったから。
でも、今は違う。
俺はあいつを助ける。あいつの代わりに、俺がリードアヘッドする。その結果を、あいつに伝える。そしてこのクソッタレな結末を、変えてやる!
カーラは電源装置に向かって走っている。
その様子を俺は俯瞰する。
だがその先は危ない。ハヤトが仕掛けた爆弾がある。爆弾のセンサー内に入れば、カーラは爆発に巻き込まれて死ぬ。だから――
――カーラ!
俺は叫んだ。
――止まれ! その先には爆弾が仕掛けられている!
しかしカーラには聞こえていない。急ぐ足を止めない。
まずい! 俺は再び叫ぶ。だが結果は一緒だ。焦るカーラの耳には俺の声が届かず、彼女は必死に走り続ける。そして――
爆発。
それも時空を引き裂いてしまいそうな激しい爆発。
その爆発に、カーラは巻き込まれてしまう。それから先を、俺は見ることができない。
なぜだ! なぜ俺の声が届かないんだ!
認めたくない。認めたくないから、俺は再び時間を遡り、カーラに向かって叫び続ける。
しかし、結果は同じだった。
何度やっても……何十回やっても……何百回やっても……何千回やっても、カーラに俺の声が届かない。彼女は俺がトライした数だけ、無残な死を遂げてしまう。
俺は絶望した。やっぱり、俺に運命を変えることができないのか……。
そうだ。俺は思い出した。声が届かないなら、物を動かせばいい! ボウルシティのビジネスホテルで酒飲みグラスを倒したときのように、何かを動かして、サインを送ればいいんだ!
ポルターガイストだ!
でも小さなものを動かすことしかできない。爆弾の起爆装置を解除するような複雑なことまではできない。
じゃあ、どうすればいい?
方法ならある!
俺は念じる。そしてその念は、通じた。
カーラの首にかかっていたネックレスが、外れた。俺たちがまだ付き合っていた頃に、俺がプレゼントしたネックレスだ。カーラがダサいと言っておきながらも、いまだに着けているネックレス。
外れたネックレスは、地面に落ちる。
カチャンと、金物が落ちる乾いた音が地面の上で鳴る。
カーラが気付くには、少し頼りない音かもしれない。
だけど、カーラは気付いた。
音ではなく、ネックレスが外れたという違和感に、気付いてくれたようだった。
カーラは足を止める。そして神妙な面持ちで落ちたネックレスを見つめながら、それを拾う。
「何なの?」
カーラがそう呟いた後、辺りを見回す。
そうだ。気付いてくれ、カーラ。
するとカーラは、爆弾のセンサーの存在に気付いた。
奇跡だ! ついに奇跡が起きた!
「まさか……誰かが、私に……?」
そうだ。お前の傍に、俺がいるんだ。お前の代わりに、俺が未来を教えているんだ。
しかし状況を理解できないカーラは、しばらく呆然と佇んでいたものの、我に返る。そして発見した爆弾のセンサーをハンドガンで破壊する。
それからカーラは、その先に向かって走る。
でも、まだだ。まだ安心できない。
俺は少し未来に飛び、カーラに迫る危機を覗きに行く。
この先には電源装置に繋がるエレベータがある。そこには何の問題もない。問題があるのは、エレベータに乗った、その後だ。
エレベータが上昇し終わった後、扉が開いたとき。その先の渡り廊下で、サリクスたちが待受けている。
この状況を、俺はカーラに教えなければならない。
しかし俺がカーラに向かって叫び続けても、カーラには届いていない。
どうやら、声を届けるには、ここは煩いらしい。向こうでは、ハヤトが大蛇媒体たちを合体させて巨人を作っている最中だ。金属が激しく軋む音や、激しくぶつかる音が、ここまで轟いている。
でも、諦めたわけじゃない。声が届かないなら、他に方法はある。
俺は先回りして、エレベータの到着地点に向かう。
そこには既に、渡り廊下で5人のサリクスたちが、エレベータの扉に向かって銃を構えていた。
それを知らないカーラは、エレベータに乗り込み、上昇する。
あとは、タイミングの勝負だ。
俺は祈る。
そしてついに、カーラの乗ったエレベータが到着した。
扉が開く。
サリクスたちは、一斉に、トリガーにかかる指に力を込める。
この瞬間だ。
俺は念じる。
するとサリクスたちのライフルのセーフティロックが、一斉にかかった。
そのせいで、サリクスたちは発砲できない。
骨董品の銃のセーフティロックは、小さなレバーをほんの少しだけスライドさせるだけでいい。これくらいのことなら、今の俺にだってできる。
目の前に立ちはだかるサリクスに、カーラは一瞬ひるむも、いきなり発砲できなくなったことで戸惑っているサリクスたちは隙だらけだ。その隙に、カーラは自身のハンドガンでサリクスたちを着実に仕留めていく。
ここまでくれば、あともう少しだ。
この渡り廊下を抜けた先にある部屋が、電源装置室だ。
カーラもそれを知っている。
だからカーラは、そこに向かって走る。全力で走る。
だがそのときだ。
何と渡り廊下の床が、カーラの足元で突然抜けた。
カーラが落下する。手すりに掴まろうと腕を伸ばしたが、その手は何も掴めなかった。
カーラの悲鳴。
クソ! 何でだ! 何でここまで来て、カーラを救えないんだ!
まるで運命が、世界が、宇宙が、俺がハヤトの計画を阻止するという結末を否定しているかのように、あまりにも無情すぎる。
ふざけるな!
俺はバンディットだ! クソッタレな運命に抗うために、産まれて来たんだ! そうだろ!
「カーラ!!!!!!」
俺は叫んだ。
そして落ちるカーラの手首に、全意識を集中させる。
救ってやる! ぜってーに救ってやる!
変えてやる! このクソッタレな運命を、ぜってーに変えてやる!
「――シ、ショウ……なんであなたが、ここに?」
困惑と驚愕が混在したカーラの声が、俺の鼓膜に響いた。
酷く、久しぶりな感覚だった。まるで、まだ肉体があったとき、肉体から受ける刺激が電気信号となって脳に届くときのような、確かな感覚。それは重力子化されてしまった体に比べると、凄く強い感覚で、生きているという、生々しい実感がある。
待て。なんで今、俺はそんな感覚に支配されているんだ? まるで肉体が、蘇ったかのように……。
違う。俺の肉体は、実際に蘇っている。
その証拠に、俺は自分の手でカーラの手首を掴み、落下しかけたカーラを、支えている。
信じられない。まさに、奇跡だ。
でも奇跡の余韻に浸っている暇なんかない。もたもたしていれば、ハヤトは重力子エンコーダーを実行し、ブルームエンドを引き起こしてしまう。
俺は急いでカーラを引き上げる。
「ちょっと待って! 何が起きているの?」
「さあな。俺だって聞きたい」
そしてカーラの足は、渡り廊下の床に届いた。それをしっかりと確認したカーラは、戸惑う表情で俺を眺めるも、時間が無いことに気付き、改めて電源装置室へと向かう。俺もその後を追う。
だがそのとき、俺は違和感を覚えた。
肉体は、奇跡的にも復活した。でもその奇跡は、いつまでも続かないようだ。
なぜなら、さっきまでカーラを掴んでいた俺の手が、徐々に透明化しているのがわかったからだ。
そんなことに今のカーラが気付けるはずもなく、彼女は急いで渡り廊下の先にある電源装置室のドアロックを解除し、中に入った。
電源装置室の中は狭い。三畳ほどの空間しかない。その壁には、小さなモニターや摘みが規則的に、でも無数に並んでいる。それを見ても、俺にはさっぱりわからない。
さすがのカーラも、それには手こずっているようだ。
冷静であれば、いつものようにクールに、的確に、無駄のない手さばきで機械を操作するのに、さすがに人類の未来がかかっているこの状況で、冷静になれというのが無理な話だ。
こんなときに俺ができることは、カーラの代わりに未来を覗きに行くことだ。無数に広がっている未知の可能性の中に、きっと電源装置を止める“答え”があるはずだ。だからいつものように、俺はこの世界から一旦、離脱しようとした。
しかしだ。
それができなかった。
何度試みても、俺はこの
――そうか。
俺は理解した。
――これは死だ。
俺がこの
「カーラ……」
俺は最後に言葉を残そうと、カーラに語りかける。しかしカーラはそれどころではなく、必死に操作パネルを睨み、摘みやらスイッチやらをいじくり回している。
「お前に、言いたいことがあるんだ」
「何よ。今さら」
「俺は、お前のことを――」
「わかった! これでいい! これでいいのよ! あとはこのスイッチを押せばいいのよ!」
カーラが俺の言葉を遮る形で嬉々と叫んだ。どうやら、電源をシャットダウンできる方法がわかったらしい。
そして俺に向き直った。そのときだった。
「う……嘘でしょ……」
喜びに満ちたカーラの表情が一変。受け入れたくない。そんな顔に変わったカーラの瞳から、涙が溢れた。
俺の肉体は、もうほとんど消えかけている。ここの蛍光灯の光で、やっと視認できるくらいだろう。
「待ってよ!」
カーラは俺を引き留めようと手を伸ばす。だが、もう、その手が俺に触れることはなかった。手は消えかけた俺の体の中に入り込むが、何も掴むことができない。
お別れだ。
直後――突然、この部屋の壁が一気に破られた。
この狭い電源装置室の中が、ドーム状の空間に晒される。破られた壁からは、ハヤトが乗った巨人の頭部が見える。あの巨人が、壁に貼ったポスターを上から剥がすように、ここの壁を破り捨てたんだ。そして巨人は、電源装置室の中にいる俺たちを覗き込んでいる。しかも巨人は大きな右の拳を固く握りしめ、今まさに、それで俺たちを叩き潰そうとしている。
早く、早く最後のスイッチを押せ。早くここの電源を落とすんだ。
そして、このクソッタレな運命を、変えるんだ。
「俺は、お前のことを――」
「行かないで!」
――愛しているよ。本当に、愛している。
この言葉が、カーラに届いたかどうかは、わからない。
俺の辺りは、一瞬にして闇に包まれる。
それはカーラが電源を落とした結果なのか、それとも俺が死を迎えた結果なのか、それすらもわからない。
まあ、どちらでも構わない。どちらにしたって、俺にできることなんて、もう、何もない。
だから俺は、眠ることにする。
完全な静寂が、俺を支配している。眠るには、絶好の環境じゃないか。
どうせ眠るなら、いい夢を見たい。
――――――――まるで一つひとつがダイヤモンドのように光り輝く星々、それが広大な夜空を埋め尽くしている。そして、そんな満天の星空が表面に溶け込んだ海を見渡せる丘がある。そこでは可愛いメイクをして、可愛い服を着たカンナが、歌を歌っている。その傍には、カーラがいる。カーラは目を瞑ってその歌に聞き入っている。
カーラの睫毛は、少しだけ濡れている。輝く星々と月明かりが、その涙を優しく光らせる。
でもそれは、悲しいからじゃない。きっとカンナの美しい歌声に、感動しているからだ。
そしてカーラは、大きくなった自分のお腹を、優しく撫でる。
産まれてくる新しい命に、希望を祈るかのように。
そうだ。もう、悲しいことは、終わりにしよう。
俺は、花が咲かない明日を夢見る。
(完)
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