FILE:03/THE FALL

 俺とハヤトは3rdHeaven_Tokyoの1-0-6エリアに来ている。

 かつてはロッポンギと呼ばれていた繁華街で、今みたいな夜の時間が一番盛り上がっている。

 バーやキャバクラ、風俗はもちろん、大きなカジノもある。色取り取りのネオンサインと、ニゲラが宣伝する高級車やハイブランドのホログラムサイネージ広告が闇を隙間なく埋め尽くしている。おまけにイアークを経由してARボーイが女をしつこく勧めてくる有様だ。情報量がとてつもなく多い。だが俺はそれらを一切無視して、街の奥にあるカジノへ向かう。

 ネオ=トーキョー・シティの中華街と同じく、ここもカーラとよく来ていた。

 未来を売っぱらったLTMで、損をしようが得をしようが関係なく、とにかくありったけのLTMをカジノでコインに還元し、それをルーレットに突っ込んだ。ここで無一文になっても、どうせ明日には何億というLTMが口座に振り込まれる。あのときは金が余るくらいあったから、とにかく金を使うことを目的に騒ぎまくっていた。

 んで記憶を忘れるくらい飲みまくり、調子に乗ってカーラ以外の女をホテルに連れ込むなんてこともあった。だがそれはカーラも同じで、あいつだって俺以外の男をホテルに連れ込むこともあった。

 それがバレて、お互いブチギレて喧嘩するも、朝から自棄酒を浴びるように飲んで、そしていつの間にかお互い抱き合う流れとなって、午後には仲良く未来盗賊なんかやってる。そんな毎日。

 スゲー馬鹿げてんだけど、スゲー楽しかった毎日。

 ここにいると、カジノで騒いでいる連中が、かつての俺たちと重なり、幻を見ているような気分になる。だが決して、その幻は一人称ではなく、三人称の視点で俯瞰することしかできない。

「オッケー! 僕の勝ちだ!」

 この場所には似つかわしくないほど若すぎる子供の声が、カジノ内で木霊する。

 そして笑顔のハヤトの前に、コインの山がどっさりと積まれる。

 このイカサマ野郎。リードアヘッドで結果を予測しているだけのくせに。

 だが、それを許したのは俺だ。

 ここに来るまでに、俺は莫大な借金を背負っちまった。猫忍者に破壊された数々のDAP-H3000の弁償代、ハヤトの衣装代、さっきの戦闘でダメになったヘリの弁償代、おまけにspaceCODEビルの修繕費が重くのしかかる。普通に生きていたら、絶対に返済不可能な額だ。だから今日から、俺は自分のLTMが見えないよう、左手に手袋をしている。

《WIZDAM》はライブスキャナが取得したデータを元に未来を予測している。だからカジノでは、RAリード・アヘッダーにゲームの結果が予測されないように、特別にライブスキャナの設置が免除されている。それ故に、通常はリードアヘッドが通用しない。だが、それはあくまで通常は、の話だ。それを掻い潜る方法を、ハヤトは知っている。《WIZDAM》にアクセスし、その空いた容量内でここにある筐体仕様とディーラーの癖やテクニックを即座にプランクデータに変換し、仮想空間上でシミュレートしているのだと言う。詳しいやり方はわからないが、俺みたいな凡人にはできない上等テクニックだってことはわかる。

 カジノでイカサマをするのは俺の主義に反する。実際、カーラといた頃は、そんなことをしなかった。する必要もなかった。しかし、この状況じゃ仕方がない。藁に縋りたかった俺は、哀れにも子供に縋ったってわけだ。

 しかし俺がカジノに来たのは、何もハヤトに借金の返済費を稼ぎに来てもらったわけじゃない……いや、それもあるが、第一目的は、猫忍者だ。俺の命は、あと5日だ。

 ハヤトが借金の返済費を稼いでもらっている間に、俺は猫忍者を探す。

 ハヤトの話によれば、猫忍者と思われる不審な行動履歴データがライブスキャナのデータベースに残っていたと言う。それはイディオットが発する欺瞞信号ではなく、ライブスキャナ上を通過した行動データ自体を削除するウィルスらしい。まるでシロアリが通った道のように、そこだけデータが空白ブランクになる。そんなウィルスを、俺は知らない。知らないということは、未来から盗まれたものであるという可能性が高い。そしてそのシロアリの道は、このカジノで消えたと言う。

 さっきも言ったが、ここはライブスキャナの設置が免除されている特区みたいなもんだ。だから猫忍者はここを隠れ家に選んだのだろう。しかし、このカジノにいることまではわかったが、ここのどこに隠れているのかまではわからない。

 俺はカジノフロアの隅っこに設置されているバーカウンターで、ハイネケンのロングネックを一本オーダーする。すると髭を生やした黒いベストを着た30代後半のバーテンダーが、注文した商品を持ってきてくれた。俺は彼に対し、10万という高すぎるくらいのLTMを支払った。

 だがバーテンダーは驚かない。こういうことはよくあるし、なにより、俺はこのバーテンダーと昔から深い仲なのだ。

「どうした? ここは結婚相談所じゃないぜ」

「それだったら、こんな胡散臭いところじゃなくて、もっと違うところを当たってる。人を探してるんだ?」

「どんな奴だ? イカした女だったら、逆に紹介してほしいもんだ」

「そうだな。あと10年もすれば、もしかしたらいい女になるかもしれない」

「それまで待てない。それまで生きているかどうかもわからないからな」

「そうだな」俺はハイネケンを半分だけ飲む。そして本題に入る。「どうやら、そいつはここに隠れているみたいなんだ。知らないか?」

 するとバーテンダーはしばらく口を閉ざした。俺は待つ。彼は何かを知っている。知っていることを言うべきか、言わないべきか、迷っている。

「詳しいことは、知らない」沈黙を破って、彼は言った。「だが、妙な動きならある」

「なんだ?」俺は思わず前のめりになる。

「最近、VR競馬場が閉鎖された。もちろん、VR競馬場はここの稼ぎ頭の一押しコンテンツだ。先週にアップデートも終わったばかりだしな。だから特別な理由がない限り、ここの経営者が閉鎖するはずがない」

「ありがとう」

 俺は飲みかけのハイネケンの瓶を置き、VR競馬場に向かった。

 競馬場は狭いBTL管理居住地区HeavenSでは建設が難しく、また馬の飼育費や設備維持費などを考えるとコスト的にも非効率であるため、遺伝子の交配がシミュレーションされた馬をプランクデータ上で構築し、それをバーチャル空間で競争させるVR方式が主流になっている。VR方式を使えば、だいたいテニスコート2つ分くらいの広さがあればいい。

 しかし、そのVR競馬場に行くには、警備がかなり厳しかった。監視カメラだけじゃなく、ライフルで特殊武装された何体もの警備ロボットが配置されている。単なる閉鎖じゃない。明らかに何かを隠し、近づくことを強烈に拒絶している。

「いいね、臭うじゃねーか。いい香りがプンプンしやがるぜ」

 とは言え、俺はそんな厄介な道をスルーしなければならないわけだが、俺はバンディットだ。スパイじゃない。当然、こういう潜入ミッションは、得意じゃない。

 だから俺は、ハヤトにカジノのイカサマと同じ方法で、監視カメラと警備ロボットの動きをリードアヘッドして貰い、イアークを経由して、絶対に見つからない潜入ルートをARでマーキングする。あとはARで赤く表示されたラインに沿って、指示されたタイミングで歩けばいい。それだけでいいのだが、余裕というわけにはいかない。やっぱり、緊張する。

 そしてARマーカーを頼りに突き進むと、馬のオブジェが取り付けられた施設が見えてきた。あそこがVR競馬場だ。

 俺はそこに近づき、ゲートを抜けようとした、そのときだった。

 ――俺はまさに、競馬場にいた。

 人が埋め尽くされた観客席から、全長500メートルを超えるであろう、広大なコースを俯瞰することができる。

 そこにアナウンスが流れる。競走馬の紹介。視界には競走馬のリストが表示され、馬の選択と掛け金の設定ができる。

 しかし、そんなのはどうでもいい。俺はレースを楽しみに来たわけじゃない。探しているのは、猫忍者だ。

 VR競馬場はイアークを経由して見せるCGだ。だからイアークを取り外せば、このバーチャル空間から抜け出せる。俺は耳に取りつけてあるイアークを外そうとしたのだが――

 俺は、猫忍者を発見した。

 反対側の観客席だ。NPCノン・プレイング・キャラクターの観戦客に紛れて、猫忍者がそこに立っている。

 俺はイアークで視界をズームして確認する。見間違いじゃない。確かに猫忍者だ。

 そして猫忍者も俺の姿を確認したらしく、バカにしたように、薄ら笑いを浮かべた。

 それから猫忍者は、あり得ない脚力で飛翔する。空に吸い寄せられているんじゃないかと思えるジャンプの後、コースのど真ん中に着地する。

 当たり前だが、ここはVR空間だ。だからあの猫忍者も、本物かどうかもわからない。

 でも、今は追いかけるしかない。偽物であるという確証もないのだから。

 俺は猫忍者を追いかけるため、NPCノン・プレイング・キャラクターの観戦客を掻き分け、コースに出る。

 と同時に、スターティングゲートが開き、馬が一斉に走り出す。

 俺の視界に〈CAUTION〉の文字が点滅する。

 すぐ後ろから、大勢の馬が俺に突進してくる。

 俺は慌てて逃げようとする。が、すぐに追いつかれる。

 四方八方、俺は馬たちに囲まれる。

 その中の一頭の馬に、向こうからジャンプしてきた猫忍者が飛び乗る。乗っていた騎士を蹴り飛ばし、その騎士は落馬する。そして何を考えているのか、レースをするわけでもなく、いきなりコースから外れた。

 誘っているのか? 逃げているのか? どっちだ? とにかく、俺は追う。

 俺は近くの馬から騎士を強引に引きずり降ろし、その馬に乗り込む。猫忍者が奪った馬は勝率が最も高い一番人気の馬だが、俺が奪った馬はほぼビリッケツの成績でしかない。

 だが乗り換えている時間はない。

 本物の馬を操る自信はないが、こいつならいけそうだ。なぜなら、ご丁寧に操作方法が視界に表示されているからだ。おそらく市販されているVR乗馬シミュレーションゲームのプログラムを流用しているのだろう。まさかレース中に馬を奪う馬鹿な客なんていないと思い、バグを排除していなかったんだろう。

 そんなラッキーな恩恵に預かり、俺は表示されたコマンド通りに馬を操作する。

 俺もコースを外れ、猫忍者を追う。

 それに気付いた猫忍者は、コースを横断し、向かい側の観客席に飛び込む。2メートル以上はあろう柵を馬のジャンプで軽々と飛び越える。

 俺もそれを真似し、続く。

 すると観客たちはパニックだ。NPCの癖に、妙にリアルな演技をするAIだ。

 だが俺も猫忍者もそれを気にせず、NPCの観客たちを踏みつけながら進む。

 猫忍者はスピードを上げる。俺も視界に表示されたむちのコマンドを何度も入力し、猫忍者のスピードについていく。そしてお互い、スピードがマックスに到達したときだ。

 突然、猫忍者の操る馬が飛翔した。

 それは高くジャンプしただけじゃない。地面を蹴って飛び上がった次は、空中の見えない階段に足をかけて登っていくように、空をどんどん駆け上がっていくのだ。

 だが驚くな。ここはVR空間――つまり、仮想現実だ。改竄チートなんていくらでもできる。

 だから俺も猫忍者が構築したはずの仮想オブジェクトの階段を登ろうとしたのだが、ダメだ。俺にはその階段が登れない。俺は馬に乗って観客席をウロつきながら、猫忍者を見上げることしかできない。

 それから猫忍者はかぐや姫のエンディングのように天高く登った末、立ち止まる。そして振り返り、俺を見下ろす。なんだ? 別れの挨拶か?

 それならまだよかった。それならまだ可愛げがある。しかし違った。

 猫忍者は右手を突き上げる。直後、空がいきなり深紅に染まった。異常な光景。それはまるで、世界の終末図のように暗澹たる雰囲気を醸し出す。その例えは、あながち間違いではなさそうだ。

 実際、天空に広がった深紅の空から、隕石が現れた。

 それも一個じゃない。何十個、いや、何百個あるだろうか? 深紅の空を埋め尽くしてしまいそうな数の隕石を、猫忍者は召喚したのだ。そして猫忍者は、突き上げた右手を振り下ろす。

 それが終末の合図であったかのように、隕石群は次々と地上に落下する。その凄まじい破壊力は、俺たちを容赦なく、跡形もなく消し去っていく。

〈ERROR〉

 ――パチンッ!

 俺の頬に、平手打ちされた衝撃が走る。それと同時に、現実に帰還する。

「な……何だ?」俺は打たれた頬を抑える。「猫忍者は……どこだ?」

 しかし俺の目の前には猫忍者はいなかった。その代り、俺の目の前にいたのは、なんと、ニゲラだった。

「ほ……本物?」

HCPPホスト・コミュニケーション・プラットフォーム・パーソナリティに、偽者ダミーはいないわ」

 ニゲラは言った。確かに周りの空間を自分の色に書き換えてしまいそうなオーラと存在感は、本物のニゲラで間違いなさそうだ。

「それは……失礼」

「そうよ! 母さんに謝りなさい! この無礼者! 人間以下のクズ!」

 ニゲラの後ろから、そんな汚い言葉を吐く者が現れた。スナイパーライフルを手にした少女――カンナだった。そしてカンナの傍には、刀を扱う黒人のデカブツ女――シオンがいる。会いたくない連中だったが、また会う予感がしていた連中。その予感が、残酷にも的中してしまった瞬間だった。俺はVR酔いがまだ抜けない頭を持ち上げる。

「褒めてくれてありがとよ。お嬢ちゃん。また会えて嬉しい」

「私は嬉しくなんかないわ! それに“お嬢ちゃん”はやめろ! 殺すわよ!」

 カンナはマジでスナイパーライフルを俺に向ける。それを隣にいたシオンが制する。

「ところで、世界の歌姫様が直々に出張ってくるってことは、俺はついに、確信に迫ってるってことか?」

「そうとも言えるけど、そうとも言えないわね。あなたがVR競馬を楽しんでいる間に逃げられてしまったわけだから。それにもう一つ、大きな問題があるわ」

 そしてニゲラは視線を俺から違う方向に向けた。

 その視線の先には、DAP-H3000に拘束された少年の姿があった。

「ごめんごめん。イカサマがバレちゃった」

 拘束されていた少年は、ハヤトだった。しかしハヤトに反省している様子は全くなく、むしろ陽気に笑いながら頭をポリポリ掻いていた。

「あなたたちがやっていたことは、我らCentral◒Houseの市場マーケティング規定レギュレーションに反する大罪よ。今すぐにあなたの体に注入したプランクシュレッダーで肉体を破壊してもいいのよ」

 ニゲラの言葉に、俺の心臓が飛び跳ね、喉から飛び出そうになった。

「でも、今回の委託案件とは直接関係ない話だから、特別に見逃してあげる。ただし!」ニゲラは一息ついて「それはワイルドカードを取り戻し、納品書にきちんとサインできたら、の話よ」

「OK! じゃあ早速、始めようよ!」

 そう言って、ハヤトはDAP-H3000の拘束からするりと抜ける。一体、どんな手品を使っているんだか。

「始めるも何も、俺たちはどこでパーティを始めればいいんだ?」

 するとハヤトはニヤリと笑い、言った。「奴らはさっきまでVR競馬場ここにいた。だからここから最短の逃げ道をシミュレーションすれば、予測はつくよ」

「で、どこなんだよ?」

 ハヤトはDAP-H3000の太ももにマウントされているアサルトライフルを奪い取り、言った。

「裏の搬入口へ急ごう」


 ハヤトの予測を信じ、俺たちは裏の搬入口に向かった。

 するとそこには、夜のハッピームードが漂うカジノには似つかわしくない一台の装甲車が停まっていた。装甲車と言っても、蜘蛛型兵器と言った方が正しいかもしれない。全長5メートルはありそうな鋼鉄に覆われた胴体、そこには2つの機関銃が備え付けられていることに加え、脚が八本生えている。その脚の先端にローラーが取り付けられていることで、歩行も走行もできる仕様だ

 そんな装甲車の後部ハッチは開かれている。

 そしてそこに、奴がいた。

 アタッシュケースを持った猫忍者が、今まさに、後部ハッチから装甲車に乗り込もうとしている最中だった。ビンゴだ!

「止まれ!」

 俺は興奮を抑えきれず、叫ぶ。同時に、銃を構える。しかし猫忍者は足を止めない。この距離だ。聞こえていないわけがない。だから俺は駆け寄る。

 そのときだ。俺は発作に近い衝撃に襲われた。まるで肺がしゃっくりしているかのような息苦しさ。

 それもそのはずだ。なぜならそこに、カーラが現れたからだ。

 開いた装甲車の後部ハッチから、数体のDAP-H3000が現れる。それを手なずけるように、カーラは数体のDAP-H3000の真ん中に立ち、装甲車に乗り込もうとする猫忍者と入れ替わる形で、装甲車から降りてくる。

 そして装甲車から降り立ったカーラは、俺たちを一通り見回した後、

「止めても無駄よ!」と叫んだ。「このワイルドカードは渡せない! これは人類の未来を終焉させるものだから!」

「ふざけんな!」そう叫んだのは、俺じゃない。叫んだのは、カンナだった。

 直後、カンナはスナイパーライフルをカーラに向かって発砲。

 焦る俺。

 止める暇なんて無かった。

 だがビーム弾がカーラに直撃する寸前、カーラの後ろから、猫忍者が飛び出す。

 と同時に、あの太い剣を抜く。

 そして抜いたその剣で、カンナが放ったビーム弾を切り裂く。

 霧のような火花が散った。

 一瞬の静寂。

 それからカーラは、肩で大きく深呼吸をした後、

「私と遊びたいんだったら、やってあげるわ」

 そう言って、白衣を脱ぎ捨てる。その下から、腰に取り付けられた2丁のアサルトライフルが現れる。カーラは言う。

「リディア。あなたはあのデカブツの黒人女をお願い」

「わかりました」

 すると猫忍者はアタッシュケースから透明のワイルドカードを取り出す。それを自身の胸のボディアーマーの中に隠す。

 それからだった。ここは戦場と化した。

 まずはカーラとカンナだ。

 カーラは腰の2丁のアサルトライフルを抜き、姿勢を低くした状態でカンナに向かって突進する。カンナはスナイパーライフルで迎え撃とうとするが、リードアヘッドでカンナの照準を予測しているのだろう。カンナが放つビーム弾は尽く躱されていく。

 そしてスナイパーライフルの死角である接近戦にカーラはすぐさま持ち込む。

 近すぎてスナイパーライフルの照準が機能しない距離で、カーラは発砲する。

 カンナは何とか躱そうとするも、数発被弾してしまう。

 幼い少女の悲鳴。

「カンナ!」

 そんなカンナを救おうと、シオンがカンナに駆け寄る。しかし、その行く手を猫忍者が遮る。

「どけ!」

 シオンは二つの刀を鞘から抜き、邪魔する猫忍者に飛び掛かる。だが猫忍者も二刀流だ。襲い掛かってくる二つの刃に対し、二つの刃で応戦する。しかも猫忍者の動きには、一切の無駄がない。どうよけて、どう攻撃すればいいのか、予め知っているように。

 いや、知っている。猫忍者は、間違いなく未来を知っている。今の猫忍者のバディはカーラだ。かつて奇跡の先読み姫ミラクルクイーンと呼ばれていた、スペシャルなRAリード・アヘッダーを味方につけているんだ。だからきっと、あいつのフルアシストのアサルトスーツには、カーラがリードアヘッドした未来がインストールされているに違いない。

 そのせいもあって、シオンは猫忍者に押される。剣を交える度に、切り傷が増えていく。

 そんな俺は蚊帳の外……というわけにはいかない。

 カーラのDAP-H3000たちが俺とハヤトに襲い掛かってくる。DAP-H3000だけじゃなくて、装甲車もだ。八本の脚とその先のローラーで巧みに動き、機関銃をぶっ放してくる。

 俺はそいつらの相手をしながら、クライアントであるニゲラも守らなくちゃならない。こいつが死んだら、たとえワイルドカードを奪えたとしても、俺の口座にLTMは一切振り込まれないのだ。

 俺はハヤトのリードアヘッドの力を借りて、何とか応戦するも、やはり手ごわい。こいつらだって、猫忍者同様、きっとカーラがリードアヘッドした未来がインストールされている。奇跡の先読み姫ミラクルクイーンの壁を突破することは、ハヤトでも難しいようだ。正直、こいつらが放つビーム弾を躱すので精一杯だ。

「その程度じゃ、お母さんを守れないわよ」カンナを相手にしながら、カーラは言う。「そんな無力じゃ、あなたはニゲラに捨てられるだけ。また、一人に戻るだけ。あの頃のように」

「うるさい! 黙れ!」カンナが叫ぶ。

「もともとサリクスの孤児だったあなたに、価値なんてないのよ」

「黙れって言ってるだろうが!」

 聞きたくもないのに、カーラとカンナの会話がイアークを経由して俺の耳に届いてくる。イアークの誤作動なんかじゃない。わざとだ。カーラがわざと会話をシェアし、俺たちの気を紛らわそうとノイズを発生させているんだ。その効果はある。実際、今の俺は胸糞悪い。

「あなたは一人じゃ何もできない。いつも誰かの助けを借りないと生きていけない、無力な存在なのよ。サリクスの孤児だった頃も、同じ境遇だったシオンと出会い、姉のように面倒を見てもらわなければ、あなたはとっくに男に犯され、殺されていた」

「私を侮辱するな!」

「事実を言ったまでよ」カーラは2丁のアサルトライフルの先端からビーム状の銃剣バヨネットを出現させる。「ネオ=トーキョー・シティのボーダー付近にあった商業施設で大規模なテロがあったときだってそう。PMCとサリクスの激戦の末、あなたとシオンは瀕死の重傷を負った。でもまだ幼かったあなたたちをニゲラが助けた。一人では、決して生き残れなかった」

「黙れ! 黙れ! 黙れ!」カンナは叫びながら発砲する。しかしそれはカーラのリードアヘッドによって虚しく躱されてしまう。まるでバレエのステップを踏むように、華麗に、優雅に躱す。

「あなたは常に無力。いつもシオンお姉ちゃんの力を借りなければ、ニゲラお母さんを守れない。だから一人で戦っている今のあなたは、私に勝てない」

 カーラの銃剣が、カンナのスナイパーライフルを真っ二つに斬り裂く。

「そして無力なあなたは、大切な人を守れない」

「あああああああ!」

 悲痛の叫びが、鼓膜を突き刺した。その瞬間、時間が止まったように感じた。

 叫んだのは、カンナじゃなかった。

 俺は叫び声がする方を見る。そこにあった光景に、俺は愕然とする。

 シオンが、刺されていた。

 猫忍者の太い剣の一本が、シオンの腹を貫いたのだ。

「シオン姉ちゃん!」

 叫ぶカンナ。カーラとの戦闘を中断し、すぐに姉の元に足り寄ろうとする。

 しかし、それをカーラは許さない。

 走り去ろうとするカンナの太ももに向かって、カーラは銃剣を斬りつける。

 三日月のような光の弧を描いた直後、カンナの太ももから大量の血が噴き出る。

 カンナから、か弱い悲鳴が漏れる。それと同時に、カンナは地面に滑り込むように倒れた。

 シオンはと言うと、口から血が溢れ出ている。そして腹に刺さった剣を、猫忍者は抜いた。体を支えきれなくなったシオンは、地面に崩れる。

「シ……シオン姉ちゃん」酷く動揺したカンナの口から、涙声が毀れる。

 それから万策が尽きた俺とハヤトも、蜘蛛型の装甲車と複数のDAP-H3000によって包囲された。

 俺は振り返る。するとそこに、深く目を瞑るニゲラの姿があった。まるで目の前の光景を拒絶するかのように。そして――

「あれを出して」

 イアークの通信機能を使って、ニゲラは何かを命じた。その声には、固い決意が滲み出ているような気がした。

 それからすぐだった。突然、轟音と共に強風が荒れ狂った。

 俺は目を開くのも辛く、目を瞑りながら両腕をクロスさせるように顔を覆った。そして目の前で、ドシンッ!という重量感を含む音と、何か大きなものが降り立つ気配を感じた。

 強風が止む。俺は目を開ける。

 するとそこには、見たこともないDAPが聳え立っていた。

 体長は5メートルを超すだろう。現世代のDAPにしては、相当デカい。全身に白い塗装が施され、手足には長い二本の爪が伸びている。スラリとしたスレンダーなボディに、パイプがいくつも並んだような羽が付いている、怪しげな天使の様相。俺は視界の光景をキャプチャし、イアークを経由してPMCのデータベースに片っ端にアクセス、謎の白いDAPを検索する。しかし、結果はどれも〈NO DATA〉だった。ということは、あれは――

 白いDAPの瞳が青白く光る。その光は猫忍者を捕える。そのまま猫忍者に歩み寄る。

 すると猫忍者は二つの剣を突き立て、強靭な脚力で飛び掛かる。しかし白いDAPに到達する途中で、黄色い火花が散る。見えないシールドによって、猫忍者は跳ね返されてしまう。

 だが猫忍者はすぐに空中で体勢を立て直す。そして着地。すぐさま攻撃を再開する。それを後方支援するように、カーラと数体のDAP-H3000、蜘蛛型の装甲車は白いDAPに向かって発砲、無数のビーム弾を浴びせる。しかし結果は同じだ。猫忍者の攻撃も、カーラたちのビーム弾も、見えないシールドに跳ね返される。

 それから白いDAPは、予想外の行動に出た。

 突然、白いDAPの両腕が発射される。その両腕は、蜘蛛型の装甲車まで一気に突き進む。

 そして激突。その衝撃は凄まじく、決して軽くはない蜘蛛型の装甲車を大きく揺らした。

 それだけじゃない。

 両手から伸びる鋭い爪が、装甲車の厚い鋼鉄を突き破り、食い込んでいる。

 発射された両腕と白いDAPは、ワイヤーによって繋がっている。

 そのままの状態で、白いDAPは体を一気に捻り、次に回転を始めた。その馬力は想像以上で、なんと蜘蛛型の装甲車を浮かせた。

 白いDAPは回転を続け、蜘蛛型の装甲車は白いDAPを中心に円を描くように、ぐるぐると回り始める。その速さはみるみる増す。

 まるでハンマー投げだ。

 やがて十分な遠心力が得られた、その瞬間。

 まさかそれを、カーラに向かって投げつけた。

 白いDAPは車体に食い込んでいた爪をリリース。蜘蛛型の装甲車は物凄いスピードでカーラに向かって突っ込む。

 ――鋼鉄がひしゃげ、砕ける、鈍い響きを持った轟音。

 衝撃は破壊的だった。それは周辺にいたカーラのDAP-H3000たちも軽々と吹き飛ばして見せるほどに。

 俺の背筋は凍る。

 カーラの悲鳴は聞こえなかった。さっきの轟音で、かき消されてしまったのかもしれない。

 俺はカーラのもとに走り寄ろうとする――が、できない。体が全く動かない。体中の全細胞が、目の前の圧倒的な脅威に対して、これ以上闘うなと警告しているかのように。

 それは、猫忍者も同じようだった。しかし、

「逃げて! リディア!」

 叫び声がした。「こいつは未来からの盗品よ! 私たちじゃかなわない!」

 その叫びと警告は、もはや原型すら留めていない蜘蛛型の装甲車の下から響いていた。

 奇跡的にも、カーラは生きていた。さすがは、奇跡の先読み姫ミラクルクイーンと呼ばれていた女。そのクイーンネームは、決して稀な才能を現した比喩だけではない。

 だが安心できない。装甲車の下敷きになった彼女の額からは、夥しい量の血が流れ出ている。

「私のことはいい! あなたはワイルドカードを守って!」

 白いDAPは猫忍者に向き直る。そして腰の鞘に収まっていた、刃渡りが猫忍者の身長以上もある、鋸(のこぎり)のような剣を引き抜く。

 すると猫忍者は、降参したかのように、自らの剣を鞘に仕舞う。しかし、

「止めて! 剣を抜かせて! ママを守らせて! お願いだから!」

 行動とは真逆の主張を猫忍者は吐き散らす。だがフルアシストのアサルトスーツは猫忍者の意思に逆らい、回避行動を取る。白いDAPに背を向け、走り出す。まるで天邪鬼あまのじゃくな操り人形のように。

 そして強靭な脚力で飛翔。向かい側の高層ビルの屋上に到達する。それからすぐに次のビルへと飛び移り、猫忍者の姿はすぐに見えなくなった。

 超音波のように甲高い慟哭が、夜の闇に響き渡る。しかしそれは、すぐに闇の中に溶け込み、消えた。

 それを見届けた後だった。白いDAPの背中から、いきなり突起物がスライドして出てきた。それはDAP-H3000にもある操縦席だ。

 そしてその操縦席に乗っていたのは、なんと、左側だけにピエロの笑った仮面を被った、ニゲラの執事だった。

「もう少し、私を早くお呼びいただければよかったのに。ニゲラ様」白いDAPから出てきた執事が、そう言う。「このアズラエルの力をもってすれば、誰の犠牲も出さなかったのに」

 アズラエル――それがこの白いDAPに付けられた名前なのだろうか。怪しい天使のような格好から、肉体を抜け出した魂を精神世界へと導く大天使の名が与えられていると推測できる。

 俺はニゲラの方を向く。しばらく黙っていたニゲラだったが、やがて口を開く。

「あなたには、もう少し猶予をあげる」

 それからアズラエルは蜘蛛型の装甲車を蹴り飛ばす。そして下敷きになっていたカーラを左腕で抱きかかえる。重度に負傷したカーラは、抵抗できない様子だ。

猫忍者あの小娘に伝えろ」回収されるカーラを見ながら、再びニゲラが口を開く。「カーラあの女は返してやる。ただし、ワイルドカードと引き換えに、だ」

 そのニゲラの声には、怒りも屈辱も悲しみも無念も、全ての負の感情が凝縮されていると感じた。少し上を向く瞳には、薄らと夜空が輝いて見える。

 そしてニゲラはアズラエルの手を取る。アズラエルも、ニゲラの手を握り返す。

 次の瞬間、再び強風が発生する。アズラエルの翼に並列した筒状のアフターバーナーが火を噴いたのだ。

「また会いましょう! ザ・バンディット!」

 執事がそう言った気がする。でも凄まじいエンジン音と重なって、よくわからない。

 アズラエルは上昇を開始、地上5メートルを過ぎたところで、一気に翼を左右いっぱいに展開。直後、凄まじいエンジンの轟音をまき散らしながら、ニゲラとカーラを連れたアズラエルは夜の闇空に消えた。闇空に残るアフターバーナーの火花の軌跡が、ニゲラが溢した涙の代わりに輝いているのだと、俺は勝手に想像した。

「ごめんね……シオン姉ちゃん」

 カーラの銃剣によって太ももを深く抉られたカンナは、倒れた体を引きずりながら、横たわるシオンに近づく。そして彼女の手を握った。

「私……シオン姉ちゃんを守れなかった。私は……弱い……無力だ……」

 するとシオンは、カンナの頬に優しく手を添え、言った。

「あなたは、弱くなんかない……無力なんかじゃない」

 だがシオンの声は、今にも消えてしまいそうなほど、儚い。

「でも、私は――」

 するとシオンは、首を少しだけ、ゆっくりと横に振る。「あなたは強い……強くて、逞しい芯を持った……立派な……そんなあなたがいたから……私は……あなたを愛し……強くなれた……」

「私も、シオン姉ちゃんを愛してる! 愛してるから、死なないで!」カンナの瞳から、ついに涙が毀れた。

「私の可愛いカンナ……私の愛しいカンナ……最後くらい、かわいい笑顔を見せてちょうだい……あなたはきっと、美人なお嫁さんになれる……」

 そう言って、シオンの瞳が、静かに閉じた。カンナの頬に添えていた手も、落ちる。

「行かないでよ! シオン姉ちゃん!」カンナは、そんなシオンの肩を掴み、激しく揺さぶる。「目を開けてよ! シオン姉ちゃん! 私はお嫁なんかに行かないよ! 私はずっと、シオン姉ちゃんの傍にいるよ! だから!……だから戻ってきてよ!」

 直後、カンナは激しく泣き叫んだ。あれほど強気で、あれほど生意気だった少女からは、信じられない姿。まるで産まれたての赤ちゃんのように、無垢で純粋な感情を露わにした彼女の姿を前にして、俺は心の痛みを拭い去れない。だから、俺はカンナの元へ歩み寄る。そして彼女の肩に、そっと手を置いた。しかし――

「触るな!」

 カンナは俺の手を振り払い、恐ろしい剣幕で俺を睨み返した。

「お前なんかに同情されてたまるか!」

 俺は思わず後ずさってしまう。

 それからカンナは、太ももに深い斬り傷を負い、その肉は抉れ、筋肉も断絶してしまっているはずなのに、自力で立ち上がり始めた。産まれたての子馬のように両足を激しく震わせながら、でも重力に逆らい、自分の足で大地を踏みしめ、これからの道を歩み始めるように。

「私は、無力なんかじゃない……もっともっと……もっと強くなってやる!」

 そしてカンナは、突然、自身のポニーテイルを解いた。何かと決別するかのように、何かの覚悟を決めたかのように。

 ニゲラが派遣したと思われる回収部隊が現れたのは、その後のことだった。


 /NEXT DAY


 結局、振り出しに戻ったわけだ。

 ワイルドカードも奪われちまったままだし、プランクシュレッダーも依然として俺の体に埋め込まれたままだし、金だってないままだ。しかも俺の命は、あと4日。

 カジノでせっかく稼いだコインも、換金する前にバレちまって全部パー。莫大な借金の返済目途も無し。加えて新調したボトムアシスト(と言っても前に使っていた未来からの盗品ではなく、現世代モデル)の費用がそれに加算される。確かに3Dプリンタでカーラに右脚を修繕してもらったものの、これが無いと、いざという時に困る。

「あ~あ……」俺は少々、大袈裟な溜息を出して見せる。「おい、ハヤト。俺の将来がどうなっているか、リードアヘッドしてくれよ」

「リードアヘッドするまでもないよ」横に座わるハヤトは素っ気なく答える。「このままではノーフューチャー。死ぬだけ。プランクシュレッダーに破壊されるか、飢え死にするか、の違いはあるかもしれないけど」

「美女過ぎる女神が現れて、俺のプランクシュレッダーも当分の生活費もすべて面倒見てくれるとか、前向きな話はないのか?」

「ここでは奇跡は起こらないよ。すべての未来は完璧に予測され、予測できなかったものはエラーとして《WIZDAM》にフィードバックされ、バグは1秒未満で修復されてるからね」

「完璧な未来管理社会パーフェクト・トゥモローは、神様も女神様も殺しちまったってことか? 神様はいいとして、女神様も葬り去るのはどうかと思うがな」

 変わらない景色が、窓に流れ続ける。どこまで行っても、空を覆い尽くしそうな高層ビルばかり。その中を縫うように、俺たちの乗ったバスは走る。

 金がない俺たちは、仕方なく一番安い移動手段であるバスに乗った。バスと言えども、俺たちが乗っているのは5つほどの停留所を飛ばして走る快速便で、しかもパーフェクト・トゥモローに組み込まれた自動交通システムは、最も効率的なルートを割り出して渋滞を解消しているから、今の時点で時速百キロを超す高速で走っている。しかし目的地は全く決めていない。とりあえず終着駅に着いたら、そこで今日の寝床を探そう、くらいしか考えていない。全くのノープランだ。

 これが休暇中のサラリーマンや、家出中の不良少年と少女のカップルのぶらり旅だったら、どれだけ幸せか。猫忍者は、来た道のライブスキャナ上のデータを削除する“シロアリウィルス”から、イディオットより高度な欺瞞信号発信ウィルスに変えたらしく、そのせいでハヤトでさえ手がかりが掴めなくなってしまった状況だ。

「畜生……」

 俺は天井のサイネージに表示されている、ニゲラが宣伝するオーラルケア商品の広告を眺めながら、言葉を吐き捨てる。

「こんなことになるんだったら、一層サリクステロリストになってやろうか」

 俺はハヤトの顔をちら見する。しかしハヤトは聞こえないフリをして、全くのノーリアクションだった。んだよ、可愛くねーガキだ。

 ――ドンッ!

 更に俺の気を逆撫ですることが起こる。

 バスの後ろから、何かが凄まじいスピードでぶつかる。その衝撃で、俺のケツが少し浮いた。

 後部座席でふんぞり返るように座っていた俺は、仕方なく後ろの窓を覗き込む。

 また、溜息が出た。今度は大袈裟で演技がかった溜息じゃなくて、結構ガチの溜息だ。

「ストーカーの被害届は、どこに出せばいいんだ?」

「届け出るより、片付けちゃった方が早いんじゃないの?」そう言って、ハヤトは逞しくもハンドガンのセーフティロックを解除する。「それに、C◒H-Iは僕たちの味方なんてしてくれないよ。彼らの管理と扶助を引き換えに、バンディットは自由な生き方を選んだつもりでいるからね」

「つまらねーこと言ってんじゃねーよ」

 俺もズボンにねじ込んでいたハンドガンを取り出す。銃の存在に気付いた乗客たちは、慌て始める。乗客たちにはビジネスマンだけでなく、子供連れの親子や、高齢者もいる。

 俺は窓を開け、そこから外に向かって上半身を乗り出し、後方に銃を構える。

 標準は、このバスを追走するオープンカーに乗った女――モニカだ。もちろん、モニカはイディオットでばっちりキマっている。

「いい加減、くたばりやがれ!」

 俺はトリガーにかかる指に力を入れる。

 しかし発砲直前、モニカはオープンカーを急加速させ、またバスに激突させる。その衝撃で俺の手元がふらつき、狙いが定まらない。

 しかも俺の銃は、どこかに吹き飛んだ。

 俺は見上げる。

 するとバスの屋根の上に、銃を構えたカーラ型アンドロイドがひとり立っていた。きっとそいつが、俺の銃を撃って吹き飛ばしたんだ。

 俺は慌てて、びっくりした亀のように首をバスの中に引っ込ませようとする。が、途中でまんまと首を掴まれ、持ち上げられる。そして持ち上げられた俺の体は、バスの屋根の上に叩きつけられる。そしてオールドスクールのファッションに身を包んだ、懐かしい姿をしたカーラ型アンドロイドは俺の額に銃を突きつける――

 銃声。

 だがその銃声は、カーラ型アンドロイドが発したものじゃなかった。

 その銃声はバス車内から連続的に響き、彼女の足元にいくつもの穴が開いていく。おかげでカーラ型アンドロイドの照準が狂う。ハヤトがバスの中で、こちらに向かって発砲しているのだ。しかし天井を貫通したビーム弾は、俺の足元にも当たりそうになる。

「おい! 止めろ! 俺もスクラップにするつもりか!」

 するとハヤトは発砲を止める。しかしヤバい状況に変わりはない。カーラ型アンドロイドは、再び照準を俺に定め直す。そしてトリガーにかかる指に、力を込める――

 そのときだ。

 突然、閃光が垂直に走った。

 その閃光は、銃を持ったカーラ型アンドロイドの腕を吹き飛ばす。

 オイルが血飛沫のように噴出する。だが間髪入れず、二つ目の閃光が走る。今度は水平に、閃光はカーラ型アンドロイドの膝関節をぶった斬る。

 もはや立つことができなくなったそれは、悲鳴を上げることはせず、困惑の表情でバスの屋根の上で転がった。

 そしてカーラ型アンドロイドが塞いでいた視界の先にあったものを見て、俺は驚く。

 なぜならその先に、猫忍者が立っていたからだ。

 猫忍者は太い剣を一本だけ抜き、居合い切りのポーズでそこに立っている。

 ちょっと待て! 俺は混乱する。――猫忍者が、俺を助けた?

 状況を全く理解できない俺。あらゆる仮説を脳内で構築するも、どれも俺が納得できる理由に結びつかない。

「ねえ、大丈夫?」

 そんな俺のスクランブルな思考を遮るように、後部座席の窓からハヤトが顔を出して言った。その間に、オープンカーは急激にスピードを上げ、バスを一気に追い越した。そのまま、その先にある橋に向かって疾走する。

 諦めてくれたのか?と思ったのも束の間。オープンカーが橋を渡りきろうとした、その刹那――

 いきなり、オープンカーは道路を引っ掻くような音を立てながら180度ターン。直後、このバスに向かって突っ込んでくる。

「おいおい! 俺は狂った女と心中するつもりはないぜ!」

 すると猫忍者は、もう一本の太い剣を抜く。そして二刀の剣を、刃を水平に横並びにした状態で鍔(つば)の部分を連結させる。連結した鍔は三日月のような形になる。次に彼女は、連結させたその剣を、急速に突っ込んでくるオープンカーに向かって突き立てる。

 それは何を意味しているのか? 考える時間もないまま、連結された剣が光った。まるで稲妻のような、荒々しい光だ。

 そしてその光は、オープンカーに向かって、一直線に伸びた。

 レールガンだ。猫忍者のあの剣は、二刀を連結させることでレールガンになるんだ。

 だが俺はそこで気づいた。遅すぎると、後悔もした。なぜなら――

 ――オープンカーには、誰も乗っていない!

 しかしレールガンから放たれた稲妻は、途中で止まらない。当たり前だ。稲妻はオープンカーに直撃し、爆発する。しかしその爆発は、普通の爆発ではない。

 積んでいるバッテリーや水素燃料以上のエネルギーが、爆発となって周囲を飲み込む。

 明らかにあの車には、爆弾が仕掛けられていた。その爆弾は、猫忍者が放った稲妻によって誘爆したのだ。

 その爆風は、威力を証明するように、頑丈な橋をも崩落させた。

 バスは急ブレーキを踏む。しかし間に合わない。時速百キロ以上のスピードを殺すには、距離が足りない。このままでは、乗客も俺たちも、川に落下し、沈んでしまう。

 すると猫忍者は、連結させた剣をバラし、仕舞う。そして猫を摘まむように、俺とハヤトの襟の後ろを掴み、バスの屋根から飛翔した。

 ドンッという衝撃とともに、俺たちはバスが走った後の道路に着地。そこで俺とハヤトは解放されるも、猫忍者はすぐさまハンドガンサイズの小ぶりなワイヤーアンカー銃を二丁、取り出す。それを遠ざかっていくバスに向かって撃ち込む。

 それを見て、俺はまさかと思った。が、こいつはやるつもりだった。

「無理だ! 止めろ!」

「離れてて」

 俺の叫びと、猫忍者の幼い声とが、重なった。

 猫忍者の全身を覆うアサルトスーツの表面の回路に赤い光が宿る。

 直後、猫忍者の足元のコンクリートが抉れた。と同時に、バスが宙に浮いた。

 まるでバスと人間の綱引きだ。

 バスは重力から解き放たれたように、2メートルほど浮き上がる。それを、全身フルアシストのアサルトスーツを装備した少女が、ワイヤーでしっかりと地上から繋ぎとめる。その代わり、少女の足元には、蜘蛛の巣のようなクレーターが発生し、そこから激しい粉塵が舞う。

 やがて浮遊したバスは、重力を取り戻したかのように、地面に落下する。幸いなことに、崩落した橋のスレスレのところで、バスは停車した。それから乗っていた乗客たちは、大騒ぎしながらバスのドアをこじ開け、車内から飛び出していった。

 猫忍者は握っていたワイヤーアンカー銃を投げ捨てる。二丁のグリップは、いずれも凄まじい力で握り潰されたように、完全に破損していた。俺はそれを見て、開いた口が塞がらない。お礼の言葉も、さっきの爆発で吹き飛んじまったみたいだ。

 しかし恩着せがましく、そんなものを求める様子は猫忍者にはない。さらに猫忍者は、漆黒のレンズのゴーグルを外し、俺の前で初めて、素顔を晒した。

 少し吊り上がった、大きな瞳。

 しかしその瞳には、さっきまでの強さからは想像ができないほど儚く、そして脆く、だが壊してはならない優しさと思いやりが宿っている気がした。そんな瞳で俺を見つめながら、彼女はこう言った。

「ママを、ニゲラから助けて」

「……ママってのは……カーラのことか?」

 俺の問いに、猫忍者は無言で頷く。

「別にいいぜ。お前がワイルドカードを返してくれればな」

「それはできない!」すかさず、猫忍者は強い口調で拒否した。「このワイルドカードは、人類の未来を終焉させる! だから渡せない!」

「どういうことだよ? そのワイルドカードは何なんだ?」

「ブルームエンドだね?」

 途中でハヤトが会話に割って入ってきた。それに対し、猫忍者はまた無言で頷いた。

「ブルームエンド? 何だそれ?」

「“文明開花Bloom終焉End”つまり人類が遠い先の未来で、最後に下す決断がそこに記録されているってこと」

「何でそれが、人類の未来を終焉させるんだ?」

「前に言ったでしょ? 未来を盗めば盗むほど、DNAのテロメアが擦り減っていくように、人類の終焉が早まってしまうって。だからもし、遥か未来で人類が最後に下す決断を現代において実行してしまえば、その時点で人類の未来は終わる。そういうことだよ」

「くだらない」

「本当よ」猫忍者は言う。「だから私は、これを守らなくちゃならない」

「じゃあ、教えてくれ」俺は言う。「何でニゲラは、そんなものを俺に盗ませたんだ? まさかニゲラは、人類を終焉させるつもりだって言うのか?」

「そう。だからニゲラは、私たちの敵」

「本当か?」俺は再度、猫忍者に問いかける。「それは、カーラが言っていたことなのか?」

 すると猫忍者は、一度、唇を固く横に結ぶ。その後、しばらくして、また無言で頷いた。

 俺は溜息をつく。参ったな。俺は、どうすりゃいいんだ? 俺は猫忍者の言っていることを、はいそうですか、と素直に信じることができない。こいつが嘘を言っていないという確証は、どこにある?

 銃声がした。

 俺は悩むのを一旦、止める。そうだ。モニカの撤退を確認したわけじゃない。あいつは依然として、俺の命を狙っているんだ。

 銃声は続く。向こうで繰り出される何発ものビーム弾は、俺に向かって飛んでくる。

 俺は伏せる。

 しかし、猫忍者はいきなり銃声がする方に飛び出す。そして何をするかと思えば、尻尾の先からビーム状のシールドを展開させた。そのシールドで、モニカのビーム弾を打ち消す。

「お前はカーラあいつを不幸にする!」

 向こうで、モニカは叫んだ。奴は大型のライフルを構えながら、俺に近づいてくる。「だからお前は、ここで死ね!」

 再びモニカは発砲。無数の銃弾を浴びせてくるが、俺は猫忍者のシールドに守られる。

 しかし、俺は気づいた。モニカが、泣いていることに。

 あいつは確かに狂っている。でも、あいつは、あいつなりに苦しんでるんだ。どうしていいかわからないでいるんだ。久しぶりにカーラと再会できたのに、碌に口も聞けなかった。言いたいこともたくさんあったはずだ。でも、カーラはそれを拒んだ。それは、俺に対しても同じだった。モニカは、俺と同じだ。同じことで、苦しんでいる。

 じゃあ、何でカーラは俺たちを苦しめる?

 はっきりとした理由はわからない。わからないが、きっと、カーラは何か重いものを背負っている。そしてそれを、俺たちに隠している。だから俺もモニカも拒絶して、誰も巻き込まず、ただ一人で頑張っているんじゃないか? だとしたら――

 俺は伏せていた体を起こし、シールドを展開する猫忍者の肩にそっと手を置いた。

「ありがとう。でも、もう大丈夫だ」

 すると猫忍者は、俺の真意を確かめるように、しばらく俺の瞳を覗き込んでいた。そして何も言わず、展開していたシールドを解除し、俺から離れた。

 俺の視線の先には、相変わらず俺に向かってライフルを構えるモニカがいる。

 だが俺は、構わずモニカに向かって歩み始める。

 そんな俺に対して、モニカは再び発砲する。

 ビーム弾は俺の髪を裂き、頬肉と肩の肉を削る。削られた肉からは、血が噴き出し、痺れと共に激痛が走る。だが俺は、それに耐える。そして、叫ぶ。

「確かに俺は、カーラを不幸にしたかもしれない! じゃあ、お前だってカーラを傷つけなかったと、言い切れるのか!」

「うるさい!」

 モニカがライフルを乱射する。しかし照準は大きく乱れ、ビーム弾は大きく外れて空の彼方へと消えた。

「同じなんだよ! 俺たちは!」俺は続ける。「俺たちはあいつを愛した。そしてたくさん、傷つけた! それに気付けなかっただけなんだよ! その結果が、これだ!」

「うるさい……」モニカの声が、急に力を失い、虚弱になる。

「認めろよ! お前はカーラの心を満たせなかった! だからカーラは俺の所に来た! でも、俺だってカーラの心を満たせなかった! だからカーラは、俺の元からも居なくなった! それだけなんだよ! それに怒りをぶつけて、何になる!」

「うるさい……」

 やがてモニカの足が止まる。泣いていたのに、さらに大粒の涙が、彼女の瞳からボロボロと毀れはじめる。

 俺はそんなモニカの真正面まで歩き、足を止めた。そしてモニカが構えるライフルの銃口の前にわざと立った。銃口はほぼゼロ距離で俺の心臓の前にある。

「それでも、俺を殺したかったら、殺せばいい」

 するとモニカは項垂れ、構えていたライフルをダラリとおろした。

「どうしたら……いい……」今にも消えそうな声で、モニカは言った。

 そんなの、簡単なことだ。

「カーラに会いに行けばいいんだ。一緒にな」俺は答える。「そして気の済むまで飲んで、お互いに思っていることを、全部吐き出す。遠慮は無しに。それだけだ」

 そう、遠慮は無し――隠し事も無しだぜ。カーラ。

「このガキたちも一緒にか?」

「ガキだが、使えそうな奴らだ。でも俺一人じゃ保護者は無理だ。お行儀が悪いガキどもだからな」

 モニカは冷笑する。「ベビーシッターなら、お断りだ」

「そんな大層なことをしなくていい。お行儀が悪い時は、ケツを思いっきり蹴り飛ばしてやればいいんだ。簡単だろ?」

 モニカは再び冷笑する。だがそこには、少しばかりの希望が毀れていた気がする。

「俺たちと協力してくれ。カーラはHCPPの歌姫様に捕まっている。見た目は可愛いが、狡猾で性格が悪いお嬢ちゃんだ。おまけにパーフェクト・トゥモローの中核だから、警備も厳重だ」

 すると、けたたましいサイレンの音とともに、武装したドローンとDAP-H3000たちが現れ、俺たちを包囲し始める。バンディットを取り締まるC◒H-Iが派遣したPMCだ。

「じゃあ、まずはこの状況をどうにかしないとな」モニカは再び大型ライフルを構える。

「だが、こういうのは得意だろ? 派手にぶちかますのは」

「得意じゃないさ――」そしてモニカはポケットからイディオットの注射器を三本、取り出す。それをまとめて握り締め、首元に打ち込む。

「得意じゃないさ。大得意だよ」


「ボウルシティに行って」

 PMCをほぼモニカが一人で一掃した後、リディアはそう言った。

 ボウルシティとは、管理人口の0.1%しかいないATLの居住地区、かつCentral◒Houseの本社も《WIZDAM》もアンダードームもある、世界の中枢都市だ。そこに行けと、リディアは言うのだ。

 リディア=デ・アンジェリス。猫忍者は、自身をそう名乗った。

 確かにニゲラの公式スケジュールでは、明日に新曲発表会を行うことになっている。ニゲラはいつも、新曲発表会はボウルシティのATLのセレブたちとやると決まっている。

 なるほどね。カーラに会いに行くためには、カーラを捕まえているニゲラの所に行けばいい。単純な話だ。リードアヘッドするまでもない。

「それはアレか? カーラの伝言なのか?」

 俺の問いに対し、リディアはすぐに頷いた。「何かあったら、あなたたちと合流してボウルシティに行ってと、ママが言った」

 つまりカーラは、こうなる事態を予めリードアヘッドしていたってことなのだろうか? それにしても、ママ……ね。

「なあ、前から気になってたんだけど、お前、本当にカーラの娘なのか?」

 リディアはまた頷く。

 ん~……どう考えてもおかしい。リディアは見た目から判断して、14歳かそこらだ。となると、俺が出会うずっと前からカーラは母親だったことになる。逆算すれば、カーラは13歳くらいで出産したことになる。性倫理が完全に管理されているBTLに属している限り、そんなことはあり得ないし、この頃からカーラがイディオットを使っていたとも考えにくい。ニゲラとカンナの関係のように、カーラが他人の子供を里親として受け入れているんじゃないかとも考えたが、リディアの髪質や瞳、通った鼻筋といった各パーツに、カーラの名残がある気がしてならない。

「一応聞くが、カーラはいつ、お前を産んだんだ?」

 するとリディアは、遠くを見るような目で、こう言った。

「多分、そう遠くない、未来」

 埒が明かない。まあいいさ。こんな不思議ちゃんの問題解決よりも、もっと現実的に解決しなければならない問題がある。そうだ。ボウルシティに、どうやって行くかだ。


「というわけで、宇宙に飛ぶぜ!」

 俺は青空の下、景気のいい掛け声を上げる。

 ここは前々世紀まで粗大ゴミ置き場として使われていた場所。今ではもう見かけない車やロボット、ブラウン管のテレビなどなど、ロストテクノロジーの墓場だ。

 いまだに旧車を愛する者がいるように、ロストテクノロジーに魅了されている者は数多い。そういった連中がここに集まり、日々お宝探しに明け暮れているってわけだ。

 もちろん、俺もその一人で、ここで発掘されたジャガーのマーク2を改良して乗っていた。その車は、モニカにぶっ壊されちまったけどな!

 ゴミの山で雄叫びを上げている俺に対して、モニカは「は?」と言い、もう少しで「バカじゃねーのか?」と言い出しそうな呆れ顔をしている。

 一方、ハヤトは一瞬、顔を引きつらせるも、

「まあ、そうなるだろうと思っていたよ」とだけ言った。

 するとモニカはハヤトの首を腕で挟み込み、

「何だよ? どういう意味だ?」と言った。またイディオットを打ったようで、気性が荒い。

 モニカのせいで息ができずに喋れなくなったハヤトの代わりに、俺が言った。

「冷静に考えろよ。ここからボウルシティへの直行便なんてあるか?」

 モニカの口が詰まる。

 そうだ。あったとしても、ニゲラ専用のプライベートジェットくらいで、そのセキュリティレベルは俺たちと言えど、立ち向かうにはリスクが高すぎる。しかもボウルシティのボーダー周辺の警備だって厳戒だ。であれば、ライブスキャナがない宇宙空間に飛び出して、監視が届かない空から一気に潜入する。それが手っ取り早いやり方だ。

「ボウルシティの対空砲システムをしばらくジャミングさせるくらい、お前なら簡単だろ?」

 何とかモニカの腕から逃げ出したハヤトは頷く。彼の首元には量子Wi-Fiのルーターがペンダントのようにぶら下がっている。これでブランク・グラウンドからでもハッキングできる。

「で、宇宙に行くための足はどうするつもりなんだ?」

 モニカは足元のガラクタを蹴り飛ばす。おそらく、かつての時計だろう。数字が並んだ円盤の中心に針が付いている。「まさかとは思うが、ここからロケットでも発掘するつもりじゃないだろうな?」

「そんなことをしなくても、大丈夫さ」俺は偉そうにふんぞり返る。「ジャンクタウンはすぐ傍だぜ」

 そう。ここで葬られたロストテクノロジーたちは、ジャンクブローカーたちによって墓荒らしに遭い、静かに眠りたい中、無理やり叩き起こされ、ジャンクタウンと呼ばれる市場で売られ、一度全うした使命を再び全うするという、過酷な運命にあるのだ。

「さすがにアポロ11号はないだろうが、空を飛べるものなら、いっぱいあるはずだ」

 というわけで、俺たちは少し足を進め、ジャンクタウンに入った。


 かつてスラム街というものがあったと聞くが、きっとここに似た空間だったんじゃないかと思う。どの道も狭くて細く、建物はほとんどトタン板でできた貧弱な家ばかり。外壁もそこら辺の悪ガキがテキトーに塗りたくったんじゃないかと思えるほど無秩序。店員はもちろんのこと、ここに訪れる客の格好も特異で、一回り大きなサイズのTシャツや無駄に太いパンツ、やけにジャラジャラとした大玉のネックレス、デカいハイカットスニーカーといった、大昔のラッパーのような連中が目立つ。

 店先には、ラジカセと呼ばれるオーディオ機が置かれ、そこから流れ出る、軽くて痩せたサウンドをBGMに使い、サイネージにはブラウン管のモニターが使われ、そこには色褪せた映像が垂れ流されている。そして店主は昼から酒を飲み、中にはたばこやマリファナを吸っている輩もいる。こういう無法地帯だから、ここでイディオットの取引が行われることも多い。

 俺たちは人でごった返した幅2メートルもない狭い道を掻き分けながら進み、ある店の前で足を止めた。

 看板には「ユージャンクの空に」と書かれている。映画『ショーシャンクの空に』に何らかのインスパイアがあるのだろう。

 店先には旧車が3台ほど並んでいて、中に入るとさらに10台ほど展示されていた。狭い空間なのに、中は立体駐車場になっている。店内には既に二人の客がいて、展示されている旧車を物色していた。

 そして奥にはここの店主がいる。長い白髪だが、前髪から頭頂部にかけて剥げている。着ているTシャツの胸には「I❤RETRO」とプリントされており、よく見ると背中には「NO FUTURE HERE」というテキストが、様々なフォントとそれぞれ違う文字サイズで踊るようにレイアウトされている。Tシャツ以外は短パンとサンダルと質素な格好。

 そんな店主の傍には、やたら巨乳で、ビキニ姿でヒールを履いた金髪の女がいた。しかし彼女が人間でないことはすぐにわかる。肌はシリコン素材で、腕や脚のつなぎ目が目立つ。相当昔のラブドールだ。

「相変わらずさびれた店だな」俺は店主に歩み寄り、言った。ちなみに、俺のかつての愛車ジャガーも、ここで買った。

「何を言っとる! 今日は大繁盛じゃ!」店主は結構マジで怒鳴る。「冷やかしに来たのなら、とっとと帰れ!」

 それに対し、俺は冷静に答える。

「こんな貧乏客を相手にするより、俺の商談を聞いた方が、あんたの老後のためだぜ」

「なんだと?」

「宇宙まで行ける乗り物が欲しい」

 俺がそう言った瞬間、店主は硬直した。何かを考えている。しばらくした後、店主の瞳に、決意に似た輝きが宿った。

「今日は店じまいじゃな」

 店主はそう言って、俺たち以外の客に帰ってくれと言い出した。接客に向いていないんじゃないかってくらい、乱暴な口調で。

 当然、そんな店主に客たちはキレる。「なんだ! このジジイ! ぶっ殺すぞ!」

 そして客の一人が店主の胸ぐらを掴んだ。そのとき、

 銃声が鳴った。それも連続的な銃声。

 振り向けば、金髪のラブドールがM16と呼ばれるアンティークなアサルトライフルで、鉛弾をぶっ放していた。その鉛弾は、客たちの足元に次々と食い込む。

 さすがにビビった客たちは、「二度とこんな店くるかよ!」という捨て台詞を残して逃げて行った。

「いいのか? お客様は神様だぜ」

「あんなもの神様じゃない! クズじゃ!」

 店主はそんなことを言いながら、金髪のラブドールの胸の谷間から何かの鍵を取り出した。

「こっちじゃ」

 そして店主は店の奥へと俺たちを誘う。途中、金髪のラブドールに命令する。

「店番は頼んだ。誰かが入ってこようとしたら、M16こいつを容赦なくぶっ放しても構わん」

 すると金髪のラブドールは敬礼した。

「良くできたラブドールだな」

「ああ見えて、かつてのSASの戦闘プログラムをインストールしておる。息子よりも頼りになる介護ヘルパーだよ」

 そして俺たちは店の奥へと進み、檻の鉄格子のような扉の前に誘われた。

「何だ? 俺たちを監禁して、バンディットを一斉駆除するつもりか?」

「腐った首を売っても、碌な金にはならんだろ」

 そう言って店主は鉄格子の扉の横にある鍵穴に鍵を勢いよく突き刺す。それを捻る。

 ゴンッという重量感のある作動音。その後、扉の上にある半円型の数字盤インジゲーターの針が動く。その針が“1”を指したところで、鉄格子の扉が横にスライドして開いた。

 どうやら、この鉄格子は檻ではなく、エレベータらしい。

「乗れ」という店主の指示に従い、俺たちはエレベータに乗る。

 エレベータは地下に向かって沈み始める。

 エレベータは鳥籠をワイヤーで吊るしたような単純なつくりで、視界を遮るものが何もない。だから降りる途中、広大な地下格納庫に保管されている裏メニューの在庫を確認するのは、難しいことではなかった。

「痺れるね……」

 俺は思わず、恍惚とした溜息と一緒に、そんな言葉を漏らしてしまう。

 それと同時に、エレベータは止まり、扉が開いた。

 目の前には、神々しく輝く、21世紀中期に活躍した、かつての宇宙船。全面白で塗装された機体は、親機マザーシップ子機スペースシップが上下に重なるように連結された機体で、親機の翼の全長は優に15メートルを超すだろう。その左右の翼にはジェットエンジンがそれぞれ二機ずつ搭載されている。親機の下に連結された子機は、大昔のスペースシャトルという乗り物に似ていて、翼は縦に折り畳まれている。この子機が高度100㎞以上で切り離され、昔の人々は無重力旅行を楽しんでいたってわけだ。

「さすがだな、爺さん。でもこんなものを所有してたら、C◒H-Iが黙っちゃいないぜ。なんせコイツは、いつでもBTL管理居住地区Heavenから脱出できる代物だ。何でバレてないんだ?」

「この地下格納庫はわしが密かに作った。だからCentral◒Houseのライブスキャナはここには無い」

 なるほど。まさにアンダーグラウンドってわけだ。

「だがこれを飛ばすには、重要なものが必要だ」と店主。

「何だよ?」

「滑走路じゃよ。それも、長い長い滑走路」

 もちろん、そんなものはここにはない。おまけにここは地下だ。空は塞がれている。

「どうすんだよジジイ!」

「慌てるな。滑走路がなくても、それに代わるものならあるだろ」

 俺は一瞬考えるも、「まさかと思うが――」

「道路を使うんでしょ? おじさん」

 横でハヤトがそう言う。すると店主は、ハヤトに親指を立てながらご機嫌に微笑む。

 道路を滑走路に使う――確かにここは街外れだから、ジャンクタウンを抜ければ広い道路はたくさんある。大きな翼を遮るほどの建物も道脇に密集していない。だが言うまでもないが、そこにはライブスキャナが張り巡らされている。

「おい爺さん。そんなことでもしたら、道路に出た瞬間、俺たちはC◒H-Iに御用だぜ?」

「そうならんために、一つだけ方法がある」

「何だよ」いちいち勿体つけんな。これだから年寄りは困る。

 んで、店主が言う一つだけの方法というのが、こうだった。

「御用になる前に、飛び立てばいい」

 もう一度言う。これだから、年寄りは困る。俺は大きく溜息を吐く。

「で、道路を滑走路に使うにしても、このデカブツをどうやって外に出すんだ?」

「それなら心配ない」

 そう言って店主は、ポケットからかつてスマートフォンと呼ばれていたフルディスプレイ端末を取り出す。そこにインストールされている何かのアプリを操作すると、前方のシャッターが上に向かって開き始めた。

 シャッターの奥にはまたシャッターがあり、それは約10メートル間隔で続いている。そして最後のシャッターが開いた時、薄っすらと日差しが差し込んできた。シャッターから解放された、200mはあろう、この緩やかな坂道を登れば、ジャンクタウンを抜けた先にある道路に出られるというわけだ。

「マニュアルは、ほれ、これじゃ」

 店主はそう言って、俺に向かってスマートフォンのディスプレイをスワイプした。

 すると俺の視界に、イアークを経由してマニュアルが添付されたメールの受信通知が表示される。

「悪いな、爺さん。ところで、ここにきてなんだが、支払いは、その――」

 すると店主は「いらない」という具合に、手で断わる仕草をする。

「? ……何でだよ?」

「お前さんが生きて帰ってこれたらでいい。だがそのかわり、死んだら利息は10倍だ」

 俺は思わず失笑する。「おい、死んだら払えねーだろうが」

「地獄の底に請求書を持っていくさ。ほら、こまけーこと言ってねーで、早く乗れ。じゃねーと、人類の未来が終わるんだろ?」

 俺は一瞬、息が詰まる。「爺さん、あんた、何でそれを?」

「あの女に感謝するんじゃな」

「あの女って……まさか……まさかカーラか? カーラが、ここに来たのか?」

 しかし店主は意味深に微笑むだけで、それについてはこれ以上、何も答えなかった。

「わしは、もうこの歳じゃ。だから未来に、さほど興味がない。だから過去ジャンクを売りさばいとる。過去ジャンクはわしの未来より広大で深い。いろいろな歴史や、人類の生き様が詰まっとる。それ故、興味が尽きない。その楽しみを、ここで終わらせるんじゃなくて、少しでも……せめてわしの命が尽きるまで、続けさせてくれれば、それでいい」

「じ……爺さん……」俺がそれ以上の言葉を見つけられないでいると、

「早く行け! あまり時間がないぞ!」

 俺の沈んだ気を奮い立たせるように、店主は叫んだ。それに対し、俺は、

「……すまない」と言った。そして、こうも付け加えた。「ありがとう」

 そして俺たちは宇宙船に乗り込む。俺とモニカが親機マザーシップのタラップを登っていると、

「僕は彼女と一緒にいるよ」

 ハヤトとそんなことを言って、リディアと一緒に子機スペースシップに乗り込んでいった。

「ガキのくせに! 大人の見えないところでイチャつくんじゃねーぞ!」

 だがハヤトとリディアは既に子機に乗り込んだ後で、返事がない。ったく!

「好きにさせておけ」モニカが言う。「どうせガキだ。短い間のロマンチックな宇宙旅行。手を繋いだり、フレンチキッスくらいさせてやれ」

「お前は子供に寛大すぎるぜ」

「子供に対してなんかじゃないさ。愛に対して、寛大なだけだ」

「よく言うぜ。お互い、愛をうまく育めなかった者同士だろ」

 俺とモニカは親機に乗り込み、運転席に座る。そして店主からもらったマニュアルをもとに、エンジンを起動させる。

 機体はゆっくりと前進する。そして地下格納庫から地上の道路に繋がる緩やかな坂道へアプローチに入る。その間に、ハヤトは交通システムにハッキングし、これから滑走路になる道路に車が侵入しないように制御し始める。その進行過程は、イアークを経由して俺の視界にも表示される。

 坂道は宇宙船がギリギリ通れるほどの幅しかない。だから俺は機体を擦らないよう、細心の注意を払わなければならない。ゆっくりと、慎重に機体を前進させる。

 そしてようやく宇宙船が地上の道路に出たときだ。とたんに警報が鳴り響く。

 近くに待機していたドローンが飛び出し、警告を呼びかける。

 しかし、そんなものに構ってる暇はない。俺は車一台ない道路で宇宙船を加速させる。

 速度を示すデジタルの数値が、高速で足し算を繰り返すように増加する。

 だが宇宙船の高度を示す数値は、0のままだ。

 焦る俺。

 しかも突然、2機のDAP-H3000が出現し、ライフルを構えながら道路に立ちふさがる。おまけに、そいつらは俺たちに向かって発砲する。

 機体に穴が開く。だが止まるわけにはいかない。俺はさらに機体を加速させ、操縦レバーを上げる。

 早く離陸しなければ! わかっている! わかっているのだが、機体が持ち上がらない! まだスピードが足りない! 離陸スピードに到達するまで、滑走距離も足りない!

 車がいないのは、次の交差点までだ。そこを超えれば、車は平常通り通行している。しかもその交差点で、ベビーカーを押している主婦が横断歩道を渡ろうとしている。

 凄まじい振動。それが宇宙船内を大きく揺さぶる。

 大丈夫。これはDAP-H3000をひき逃げした衝撃だ。だが機体は相当グラついた。

 時速は200㎞を超えている。ちょっとバランスを崩しただけで、横転したっておかしくない。宇宙船のオートバランサー機能を借りつつも、俺は何とか加速しながら滑走姿勢を維持する。

 さすがのハヤトも、この状況はマズいと思ったらしい。交通システムをさらにハッキングし、次の交差点の先にいる車たちの制御も開始する。その車たちは一斉に停車、直後、俺たちから逃げるように後退し始める。だがシステムの制御は間に合っても、人間の制御が間に合わない!

 横断歩道でベビーカーを押す主婦は、自分に突っ込んでくる21世紀の遺産の存在に、ようやく気付いたところだ。

 そんな彼女の脳に、ハヤトはイアークを経由してアクセスする。そして大急ぎで歩道に戻るよう、行動アクション信号コードを送る。彼女の体を遠隔で操るためだ。だが、彼女は動かない。

 違う。動けない。恐怖が自身の信号はおろか、第三者の信号をも遮断しているからだ。

 俺は目を瞑る。

 操縦レバーを引き続ける。

 機体は、やっと重い腰を上げる。

 機首が、若干上がった。

 俺は操縦レバーを引き続ける。

 機首の角度が、少しずつ上がる。

 機体が浮いたのがわかった。

 だが、俺は怖かった。あの主婦を轢き殺してしまったんじゃないかと。

 しかし現実を無視するわけにはいかず、俺は勇気を出して、目を開けた。

 すでに視界に道路はない。空だけがある。

 俺は振り返る。すると主婦は尻餅をついたまま、大きく口を開け、飛び立つ俺たちを仰ぎ見ていた。それを見て、俺は心底安堵した。

 この仕事をしていれば、死を目の当たりにすることは多々ある。だがこの仕事で死ぬ者は、碌でもない奴らばかりで、全ては自業自得だ。確かに同情できる奴も少しはいるが、同情できない奴の方が、圧倒的に多い。でも子連れの主婦となれば、話は別だ。俺たちの身勝手な生き方のせいで犠牲となってしまうのは、正直言って、申し訳なさすぎる。

 俺は胸を撫で下ろしながらシートに深く座り込む。少し気を落ち着かせようとする。しかし、それも束の間だった。

 今度は1機の武装ヘリが近づいてくる。俺の口から溜息が出る。

 その溜息に、嬉々とした叫びが重なる。

 さっきも言ったが、この仕事をしている奴は、碌でもない奴らばかりだ。そして俺の横に座っているこの女も、例外ではないのだ。

 モニカは背中に担いでいる様々な武器の中からグレネードランチャーを抜き取り、上の窓から半身を乗り出す。それをヘリに向かって構える。

 そして撃つ。轟音。ヘリは爆発。

 そこまではいい。大変よくできました。だが、そうじゃない。

 被弾したヘリが、目前に迫ってくる。

「どうせなら、ヘリが被弾したときの軌道まで計算してから撃ちやがれ!」

 言っても遅い。俺は操縦レバーを倒し、機体を傾ける。

 ――間に合え!

 俺は祈る。

 操縦窓HUDからヘリが下に沈んで見えなくなった。寸前のところでよけた――と思った矢先、

 右翼から轟音。

 ヘリのプロペラが宇宙船の右翼を掠った。そのせいで、機体のバランスが崩れる。

 オートバランサーが作動する。それに合わせるように、俺も操縦レバーを操る。しかしうまくいかない。右翼が損傷したせいで、古いコンピュータではもはや機体を制御できない。俺の操縦技術でもカバーできない。このままではボウルシティに行く前に、この骨董品アンティークは墜落して、俺たちもろとも木端微塵だ。

「どけ!」

 その声と同時に、俺は脇腹に激痛を覚える。そして俺の視界は反転。その先に、俺の代わりに操縦席に座るモニカの姿があった。

 彼女は慣れた手つきで操縦レバーを操り、すぐさま機体を立て直す。

 機体は水平に保たれた。

 それから操縦席に日差しが差し込んできた。その日差しはモニカの額の汗を照らす。モニカの汗はキラキラと輝き、まるでダイヤモンドのようだと、俺は思った。

「わ……わりぃ……」俺は痛みが引かない脇腹を抑えながら、謝る。

 そんな俺を、モニカは見ながらこう言った。

「お前は下手だな。機械の運転も、女の扱いも」

 うるせ。余計なお世話だ。

 だが俺はそんな些末な言葉を飲み込み、大人しく助手席に座ることにした。


 いつの間にか、居眠りをしていた。

 成層圏を突破し、眼下に広がる青い星には初めは興奮し、はしゃいだものだが、一向に変わらない景色に飽き、日ごろのストレスと疲労もあって、目を瞑った瞬間、寝てしまったようだ。

 目を開けると、地上から天に伸びる、金の細い糸が見えた。それが何であるかを、俺は知っている。

《WIZDAM》だ。

《WIZDAM》はセキュリティ上、最も安全な宇宙に設置されている。

 そして定期検査で簡単にアクセスできるよう、《WIZDAM》と地上とは軌道エレベータでつながっている。さらに言うと、《WIZDAM》に登るための軌道エレベータは、ボウルシティの中心にある。その軌道エレベータを登った先にある球体が《WIZDAM》であり、Central◒Houseの企業ロゴにある「 ◒ 」こそ、遥か天空に浮遊する《WIZDAM》を表現していると言われている。

 つまり、あの金の細い糸が見えたってことは、俺たちはお目当ての場所に近づいているってことだ。それは同時に、俺の決断も迫られているということだ。本当にリディアを信じて、カーラを助け出せばいいのか? それとも、当初の予定通り、リディアからワイルドカードを奪い、ニゲラと取引を行えばいいのか? 俺はまだ、決めかねている。

「お土産に何を買っていくか、今から考えとかないとな。きっと石ころ一つでも貴重がられるぜ。ボウルシティなんて、俺たちBTLが踏み入れられない、人類の聖地なんだからな」

「観光に来たわけじゃないんだぞ」

「マジレスすんなって。少しは余裕を持てよ。俺たちだって、一度は名をはせたバンディットだぜ?」

「もう、随分も昔の話だ」

「ちげーよ。ちょっと前までの話、だろ?」

 運転席に座るモニカは、深い溜息をついた。そしてストレスを奥歯で噛みしめているのがわかる。緊張している。気持ち的にも、余裕がない。その証拠に、空になった注射器が何本も転がっている。

 嫌な予感がする。こういう奴とバディを組んだ時、たいていの場合、うまくいかないからな。だが俺は自分の頬を叩いて嫌な予感を振り払い、ハヤトに通信する。

「そろそろ侵入の用意だ。ハッキングの準備はできているか?」

 しかし、ハヤトから応答がない。もしかしてリディアといい雰囲気になってるから、邪魔すんなってか? それだけだといいんだが、イアークから聞こえてくるノイズが、妙に不安感を煽る。

「おい! ハヤト! ハヤト! 応答しろ!」

 やはり応答がない。俺はざわつく胸を抑え、助手席から立ち上がる。そして下に連結された子機スペースシップの様子を見に行こうとした。そのときだった。

 突然、視界を白い影が覆う。

 俺はそれを見たことがある。

 アズラエルだ。

 体長5メートル以上もある、筒状のバーナーがいくつも並列した翼を持つ、怪しい大天使。そいつが俺たちの行く手を遮り、巨大なライフルを構えている。それが何を意味しているのか、説明しなくてもわかる。

「逃げろ!」

 俺が叫んだ時には、すでにモニカは機体を旋回させていた。

 横から急激な重力の波が押し寄せる。そのせいで、俺の体はハッチに叩きつけられる。

 外からライフルの発砲音が聞こえる。

 機内に響き渡る警告音。

 被弾した。

 応戦しなければ! しかしモニカは機体の操縦に必死で、それどころじゃない。俺も不規則な重力の中をのた打ち回るだけで、銃を握ることすらままならない。

 さらに衝撃が走った。

 しかもそれは、下から突き上げられるような、凄まじい衝撃。

 視界が目まぐるしく変わる。今どうなっているのか、わからない。

 また響き渡る警告音。だがそれは、さっきとちょっと違う。それは被弾を知らせる警告音ではなく、下の子機の切り離しを知らせる警告音だった。

「待て!」

 俺は子機の切り離しを中断しようと、操作パネルに手を伸ばす。しかし荒れ狂う重力嵐の中、操作はおろか、操作パネルまで手を伸ばすことすらできない。

「無駄だ!」モニカが叫ぶ。「子機スペースシップは制御不能だ! 子機の接続部分が破壊されてる!」

「じゃあ、どうすれば!」

「諦めろ! まずは私たちが生き残ることを考えろ! ガキのことは、その後だ!」

 見捨てる気か!

 だが俺は、喉まで出かかったその言葉を噛み殺す。モニカの言っていることは、間違っちゃいない。完全に正しいとまでは認めたくないが、今は、そうするしかない……!

 高度を示すメータが、急激に低下している。このままじゃ、墜落だ。

「シートベルト!」またモニカが叫ぶ。「早く! シートベルトを締めろ! 死にたいのか!」

 死にたいはずねーだろ!

 機体は依然として急降下している。だがモニカが何とか機体のバランスを取ってくれたおかげで、重力嵐は収まった。その隙に俺は助手席に戻り、言われたとおりシートベルトを締めた。

「あとは、運ね」

「久しぶりに聞いたぜ。その言葉。《WIZDAM》に未来を全て予知してもらうようになって、もう随分と月日が流れちまったからな」

「神にでも祈るんだな」

「神様よりも、リードアヘッダー様に、この状況をすぐさま《WIZDAM》に入力してもらって、最善の操作手順をご教示いただきたいもんだぜ」

「じゃあ、RAリード・アヘッダー様がここにいるって言うのか?」

「いないね」

「じゃあ、大人しく手を合わせてろ!」

 地上が見えた。当たり前だが、それは急速に迫ってくる。今まで視界の一切を支配していた空が、宇宙が、一気に地上に侵食されてしまう。

 アズラエルはと言うと、撃ち落とした鳥を追うように、俺たちの後を追尾しているようだ。

 なぜ奴は止めを刺さない? それとも、じわじわと俺たちをいたぶり殺す気か? だとしたら、いい趣味をしているぜ。

 既にエンジンは動いていない。

 だから減速するための逆噴射ができない。残された翼で空気抵抗を最大限に作り、あとは胴体着陸をするだけ。言葉に言ってしまえば簡単だが、それに俺たちの全ての運命がかかっている。失敗は許されない。二度と。

 言っておくが、モニカは飛行時間が1万時間を超えるベテランパイロットじゃないんだ。こいつの技術だけじゃ足りない。運だって必要だ。それも、相当な。

 あ~あ、こうなるんだったら、むかし稼いだ金で神様を買収しておくんだったぜ。

 地上が眼前に迫る。

 辺りは森だ。

 その森の中に、機体が突っ込む。

 衝撃。

 ケツにタイキックを十発食らったくらいの痛みが走る。

 視界が激しく揺れる。

 無数に生い茂る森の木々の中を、機体は物凄いスピードで滑る。

 森は深い。

 枝が、葉が、太陽を遮断している。だから暗い。

 そして太い木の枝が、窓を突き破る。

 その尖った枝先が、俺の喉仏に向かって伸びる。

 俺は体をねじるようによける。

 尖った枝先は、俺のシートに突き刺さる。

 早く止まれ!

 俺は心の中で叫ぶ。声に出す余裕は、ない。

 木々を薙ぎ倒す衝撃と轟音が、機内に鳴り響いていた警告音をかき消す。いや、すでに警告音を発するスピーカーは破損したのかもしれない。

 そのとき、正面から凄まじい衝撃の波が襲う。

 そのせいで、俺の意識は一瞬、飛ぶ。

 いや、一瞬だけだったのか、それとも随分長い時間だったのか、わからない。俺はいつの間にか目を瞑っていて、目を開けた時には、既に機体は静止していた。

 よくわからないが、全身が痛い。

 森の無数の枝が俺の体を引っ掻き回したようで、全身は小さな掠り傷で覆われている。

 声を出そうにも、うまくいかない。

 隣を見る。

 モニカがいた。

 しかし彼女は気を失ったままだ。シートベルトに体を締め付けられたままの状態で、首が力なく項垂れている。

「モ……モニカ……」やっとの思いで、俺は声を絞り出す。「モニカ……大丈……夫……か」

 するとその声に反応したように、モニカの目がゆっくりと開いた。

 オーケー。大丈夫そうだ。あとはここから脱出し、逃げるだけだ。

 逃げるだけ……そう思ったんだが――

 左頬に触れる、冷たく、固い感触。

 その感触が何であるのか、俺にはすぐにわかる。もう、何年も危険な仕事をやってんだ。

 俺は顔の向きを変えず、瞳だけをゆっくりと左に動かす。

 思った通りだった。

 そこには、ライフルの銃口を俺の左頬に突きつける兵士の姿があった。

 しかし、兵士は一人じゃない。その後ろに、何人も、おそらく10人は下らないだろう、それくらいの数の兵士が、俺とモニカに銃を向けていた。

 こいつら、どこから湧いて出てきやがった?

 そこで俺は、“はっ”とした。

 違う。こいつらは湧いて出てきたんじゃない。待ち伏せしてたんだ。俺たちの未来を予測して。

「さあ、狩りの時間はおしまいです」そう言って、手をパンパンと叩きながら近づいてくる男がいた。「もっと手応えがある獲物だと良かったんですが、もう3世紀も昔の宇宙船じゃ、仕方ありません。これは飛ばすよりも、博物館に飾っておくほうが相応しい」

 俺は声のする方に視線を向ける。するとそこには、見覚えのある顔があった。だから一層、俺は混乱した。

「何で、お前が、ここに?」

 タキシードを着て、縦半分に割れたピエロの仮面を被る、中性的な顔立ちの男。そう、そこにいた男こそ、ニゲラの執事だった。

 すると執事は俺に近寄り、耳元で、こう囁いた。

「私も、自由になりたいから、ですよ。ザ・バンディット」

 それを喋るときの執事は、実に楽しそうだった。まるでこれからママとおもちゃを買いに行く子供のように、無邪気な笑顔。その笑顔の向こうには、日差しを勇ましく反射させる、怪しくも美しい機体、アズラエルが立っていた。

「ニゲラは、どうした?」

「ニゲラ?」そんなもの、この世界に存在していたのか?と言わんばかりの執事のリアクションだった。「そんなもの、もはや必要ありません。彼女の役割プレゼンテッド・ロールは、もう終わるのです。私も含め、あなたたちも含め、人類には、もう彼女は必要ありません。世界は変わるのです。人類は、自由になるのです」

 何を言っているのか、わからなかった。

 と言うか、執事自身、ここで理解させるつもりもない様子だった。

 それから上空に、テイルローター式の輸送機が現れた。輸送機は徐々に降下し、地上3メートル付近で静止する。その間に、俺とモニカは全ての武器を没収され、兵士に両手を拘束された。次に輸送機から、タラップが降りくる。それを使って、俺たちは乱暴な扱いで輸送機に乗せられた。

 そしてどこに行くかも告げられないまま、輸送機は飛び立った。


「人類を縛り付けているものは、たくさんあります」

 飛行する輸送機の中で、執事はそんな話をした。「規則ルール、道徳、言語、肉体、そしてプランク単位にまでしか還元できない、この宇宙そのもの。宇宙の構造的限界。プランク単位にまで還元されたコズミックデータを《WIZDAM》に入力させ、それを量子コードに変換させ、シミュレーションさせることで、人類の行動を極限まで予測し、完璧な未来管理システムを作り上げました。まさに、パーフェクト・トゥモローです。しかし、《WIZDAM》が弾き出している答えも、所詮は重ね合わせの状態にある量子状態の中から、エネルギーロスが最も少ない効率的な選択肢を自動判断している量子アニーリングを実行しているに過ぎません。人間の脳もまた然りです。人間の脳も、持っている知識やその場の状況から、最も効率的な選択肢を自動判断しているだけなのです。ですから人類の行動は、《WIZDAM》によって、こうも簡単に、高精度に予測できてしまうのです。そして人類は《WIZDAM》が予測した未来を“知らされない”ことで、支配に無自覚な状況を作り上げています。さらに量子シミュレーション戦争後、“争いや犯罪の根源が自由意思にある”とする風潮が作り上げられてしまったことで、我々の主体は、いわば魂は、消滅してしまいました。完全に」

 はっきり言って、俺にとっては退屈な話だ。宇宙がどうだの、脳がどうだの、魂がどうだの、その手の話は聞き飽きているし、さして追求したいと思うほど興味もない。それはモニカも同じようで、イディオットが切れたせいもあってイラついている。激しい貧乏ゆすりが、この輸送機までをも揺らしてしまいそうだ。

「興味深い話をありがとう」俺は執事に言った。「でも、それより先に、ガキを探してくれないか? 生意気な少年と少女だから、教育が必要だ。だから早く見つけて、あんたの“ためになる話”を聞かせてやりたい」

「その必要はございません」

「何でだ?」

「子供たちは、私たち大人が思っているより、ずっと賢くて、強いですからね。特に、あの人は特別です」

「どういう意味だ」

 しかし俺の問いに対して、執事は無言でニコリと微笑むだけだった。しかもこれ以上、話をするつもりもないらしい。畜生! バカにしやがって!

 それから1時間くらい経ったときだ。輸送機が着陸した。

 着陸の大きな振動がケツを揺らした後、後方のハッチが開く。

 窓が一切ない輸送機の中では、一体どこに向かっていたのかが全くわからなかった。イアークのマップ機能から現在地を読み込もうとしても、イアークの外部へのオンライン機能をこの輸送機が完全に遮断してしまっているようで、〈NO DATA〉しか表示されない。だから、PMCの入札プラットフォームにアクセスして、ここを襲撃することもできなかった。こんな状況下だったわけで、兵士に輸送機から乱暴に押し出されて初めて、目的地を知ることができた。そして目的地を知った俺は、唖然とした。

 目の前にあるのは、まるで城だった。

 鋼鉄で覆われた、巨大な要塞にも見える。そして要塞の天辺から、延々と天空に伸びる巨大な塔があった。見上げても、先が見えない。

 それを見て、俺は『バベルの塔』を思い出す。人間は神を目指して巨大な塔を作った。しかし、その塔は神の手によって壊された。確かそんな物語だったと思う。

「これはバベルの塔です」

 俺の思考を読み取ったかのように、久しぶりに口を開いた執事はそう言った。「人間が作った、愚かな塔」

 要するに、この塔は《WIZDAM》に繋がる軌道エレベータってわけだ。と同時に、ここはボウルシティの中心ということになる。その証拠に、遠くの街が見渡す限りせり上がり、空を丸く縁取っている。ボウルシティはその名の通り、グローバルダウンと呼ばれるブラックホール爆弾のテロで発生した、直径30㎞以上、深さ約1㎞の巨大クレーターの中にあるのだ。

「こちらです。ザ・バンディット」

 執事は俺とモニカを巨大な要塞に招き入れる。

 さすがパーフェクト・トゥモローの中核だけあって、セキュリティは厳重だ。プランク認証のゲートを何重にも抜け、その度に門番ゲートキーパーを務めるDAP-H3000、それもあからさまに特注品でカスタムされ、カラーリングも特別仕様のそれがこちらを睨む。そして通路を進む俺たちの前後も、合わせて一個小隊くらいの規模の兵士が挟み込んでいる有様だ。手厚い護衛、感謝するよ。いや違うか。俺とモニカは見張られている立場だ。

「裁判もなしに、いきなり死刑執行か?」俺は言う。「確かに骨董品アンティークでボウルシティに違法で侵入しようとしたのは悪かったが、少しは慈悲深くてもいいんじゃないのか?」

「ここに処刑場はありませんよ。ここが何のための施設なのか、おわかりでしょう? それに私は、あなたたちの敵ではありません。まあ、味方でもありませんが」

 そして何重ものゲートを抜けた先で、執事は足を止めた。前後を挟み込んでいた一個小隊は、左右に分かれ、整列する。俺の前方の視界が開ける。

 すると俺の目に、あるものが飛び込んできた。それはまるで、電車の駅にある改札口のようだった。

「あんたと温泉旅行に行くつもりはないぜ」モニカが挑発気味に言う。

「ははは」乾いた笑いを執事が溢した後、「温泉より素敵な旅ですよ。あなたも、きっと気に入ります」

「どんな旅だろうと、こうも男ばかりだと気分が悪い。私は男のむさ苦しさが嫌いなんだ」

 久しぶりにいいことを言うじゃないか、モニカ。それについては、俺も同感だ。

 しかし執事はモニカの言葉をスルーし、改札口へと足を進める。モニカは舌打ち。一個小隊は執事に続く。だがそのとき――

「あなたたちは、ここまでで結構です」

 執事はくるりと体を振り返らせ、大きく手を広げながら一個小隊にそう言った。「ここからは、私一人で対応します。彼らとの重要なセレモニーです。物騒な者が大勢いても、困りますからね」

 当然、今まで同伴していた兵士たちは困惑している様子だ。ざわざわした会話も、止む気配がない。それを煩わしく思ったのか、執事は懐から銃を取り出し、一発放った。

 しかもそれは、圧縮されたエネルギーが弾けるビーム弾の音ではない。それは鉛弾の、重々しい音。

 執事が手にしている銃は、今最も流通しているビーム銃ではなく、マットな渋い輝きを放つ、大昔の44口径のリボルバー式の銃だった。

 銃声の後に訪れた、わずかな静寂。

 無形ビームではなく、有形実弾から発せられる権力の誇示は、兵士たちを、一歩後ずさせる。それを見届けた後、執事は再び改札口に足を進める。なんだか釈然としない気持ちを引きずりながらも、俺とモニカは執事の後を追った。

「ホントに一人でいいのか?」改札口を抜けた後、俺は執事に言った。「これでも、かつてはバンディット業界を騒がせた二人だぜ。両手が使えなくても、あんたに噛みつくことくらいならできるぜ」

「もしそんなことでもしたら、大切な人がどうなるか、わかりませんよ」

 急に、俺の胸が締め付けられる。と同時に、怒りが込み上げる。こいつ、カーラをジョーカーに使う気か!

 改札を抜けた先で、俺たちは幅5メートルほどの広い階段を降りる。階段を含め、ここは床も天井も壁も全て白で統一され、病院のように無機質だった。そして階段を降りた先にあったのは、駅のホームだった。しかしそこは俺たちが見慣れている駅の風景とは違い、ニゲラが宣伝するホログラムサイネージ広告がない殺風景な駅だった。そんな駅に、一両の電車があった。しかし電車と言っても、ロケットを横にしたような電車だ。きっと、軌道エレベータを登るための乗り物だろう。

 そのロケット電車に乗り込んだ後、俺とモニカは並んでシートに座らされた。座った瞬間、シートから生きたミミズのようにベルトが伸び、それが俺たちをシートに固定した。そんな俺たちと向き合うように、執事は向かい側の席に座り、顔を合わせた。

「そろそろ、教えてくれてもいいだろ?」俺は執事に言った。「目的は何だ? お前もまた、あのワイルドカードを狙っているのか? だから俺たちを拘束して、その隙にさっきの兵士たちをガキの元に派遣し、ワイルドカードを奪い取る」

 すると執事は不気味な薄ら笑いを浮かべ、言った。「もしそうだとしたら、私はとっくにあなたたちを殺しているでしょう」

「じゃあ、何なんだよ!」モニカがキレる。

「先ほども申しました通り、セレモニーですよ。新しい世界の始まりを告げる、重要なセレモニー。それにあなたたちを特別に招待したわけです。あの人の計らいによって」

「あの人って――」俺は言う。「一体、誰だよ?」

 直後、発射を知らせるベルが鳴った。その後、ロケット電車が静かに動き出す。しかしそれは瞬く間に加速した。押し寄せるGによって俺はシートに押さえつけられる。

 そして突然、ロケット電車が直角に傾いた。ロケット電車が軌道エレベータ上を、天に向かって走り始めたのだ。その証拠に、窓から見える地上が、瞬く間に遠ざかっていく。それに比例して、俺を押さえつけるGがさらに強くなり、息が苦しくなる。このままでは、声も出ない。

 だがその状態は長く続かなかった。しばらくして、体がくるりと90度回転、シートが仰向けだった状態から、頭が上の正位置に戻った。2列4シート単位で床が区切れ、それがロケット電車の向きに応じて回転するようだ。おかげで少し、体が楽になった。依然として執事の顔が目の前にあるのは気に入らないが。

「この日が来るのを、随分と待ちました」

 ロケット電車の上昇速度が一定になり、強烈なGが収まった時、遠ざかる地上を窓越しで眺めながら、執事がそう呟いた。

「ニゲラを招待しなくて、よかったのか?」俺は言う。「あんたの大事な雇用主だ。せめて明日にしてくれれば、新曲発表会とダブらなくて済んだのに」

「アレを招待する必要などありません。先ほども申しましたが、ニゲラの役割プレゼンテッド・ロールは終わり、新しい世界が始まります。そのためのセレモニーです」

「ニゲラをセレモニーに誘わず、おまけにバンディットをボウルシティに連れ込んだんだ。きっとクビじゃ済まないぜ」

「ははは」また乾いた笑いを溢す執事。「確かにクビですね。でもそれは、ニゲラも同じです」

 ニゲラもクビ――つまりHCPPとしてのニゲラはCentral◒Houseによって解雇される、ということなのか? 160年以上も続けてきた大ベテランを? ダメだ。まだよくわからない。

 窓の外は、既に眼下に青い星が広がっている。

「ひとつ、話をしましょう」執事が言う。

「何だ?」

「自由についてです」

「魂の次は、自由か。哲学がお好きだな。ソクラテスがまだ生きていたら、きっといい友達になれる」

「あなたたちは自由を求めてバンディットになったつもりかもしれません。でも、それは違います」

 似たようなことを、誰かが言っていたような気がする……思い出した。ハヤトだ。

「いい歳して妄想か?」モニカが言う。相変わらず挑発口調で。「しばらく女を抱いていないから、そういうことを考えるんだ。そこそこいい女なら、私が紹介してやる」

 それに対し、執事はニコリと静かに笑うだけだった。「そもそも、《WIZDAM》は戦争の産物です。第二次世界大戦でインターネットの基礎が確立されたのと同じです。《WIZDAM》は量子シミュレーション戦争で事実上勝利宣言したアメリカ合衆国の量子コンピュータをベースに平和利用目的で活用されているのです。しかしご存知の通り、量子シミュレーション戦争は“軍事力”を各国がシミュレーションし、そのシミュレーション結果データを連結させて戦わせるものです。それ故、パーフェクト・トゥモロー発足時、《WIZDAM》に“人類の市場活動領域定義に関する初期設定”を行う段階において、戦争産業を市場活動シミュレーション対象に残したままでした。しかも戦争産業は市場を効率的に開花させる重要な〈開花要素ブルーム・ファクター〉でした。そこでブルーム・ファクターを適度に維持するため、あなたたちのような暴力的で気象の荒いバンディットが誕生する余地を与え、それをC◒H-Iが発注した武力PMCで取り締まるという構造が産まれたのです。いまだにロストテクノロジーの武器しか使用していないサリクスをC◒H-DEFENCEが取り締まるだけでは、戦争産業の健全な維持すら叶わないのです」

「くだらない」心底くだらないという具合に、モニカは吐き捨てた。

 俺たちの乗ったロケット電車が、軌道エレベータの中間地点を示すターミナル駅を通り過ぎる。

「じゃあ俺は、PMCの給料を稼ぐために、今まで未来を盗んできたってわけか?」

「言い方を変えれば、そうなります。決して自由のためではなく、プレゼンテッド・ロールが付与された他のBTLたちと同じように、市場目的のための“役割”を演じてきたに過ぎません」

「私は、私の意思で、私のために未来を盗んでいる!」モニカが叫ぶ。「あんたの言うように、私は市場の奴隷じゃない!」

 また執事が静かに笑う。そして俺を見つめながら、言った。

「あなたは気づいているはずです。自由を求めていても、結局、欲しいものは手に入らないことを」

 背中に氷を入れられたような悪寒が走る。昔、カーラがいなくなった朝のことを思い出す。執事は続ける。

「それはあなたが縛られているからです。それは未来管理システムパーフェクト・トゥモローだけでなく、宇宙そのものが、私たちの魂を縛り付けている結果なのです。ですから、あなたの願いは叶わないのです」

「じゃあ、今から行く場所に、願いを叶えてくれる神様でもいるっていうのか?」

「神様に祈る必要はなくなります。むしろ神様がいるとすれば、それは私たちをこの制限された宇宙に縛り付け、閉じ込めている存在です、人類が、《WIZウィズ》をここに閉じ込めてしまっているように」

「どういうことだ」

「今からわかります」

 軌道エレベータのロケット電車が減速を開始した。

 内臓が上に引っ張られる感覚がしばらく続く。窓から上を覗くと、闇の中に球体が浮かんでいるのが見える。

 それは《WIZDAM》が収められているコンピュータルーム。

 直径は30mくらいだろうか? 間近で見るのは初めてだが、意外に小さいなと思った。そんな球体の下部には円形のハッチがあり、それが開く。そして開いた穴に向かって、俺たちの乗ったロケット電車が吸い込まれる。まるで卵子に精子が入っていくときのように。

 やがてロケット電車は停止した。どうやら、到着したようだ。《WIZDAM》がある場所に。

 このエレベータで行けるのは、ここまで。《WIZDAM》の球体の上部からはさらにレールが伸びているが、それはあと地球2個分はあろう距離の先に取り付けられた、エレベータを軌道上で安定させるための「重り」があるだけだ。

 シートが90度回転し、もとの位置に戻る。そして俺たちを固定していたシートベルトは自動的に外れる。その瞬間、体が異常に軽いと感じた。それもそのはずだ。ここは宇宙だ。ここに重力はない。

 執事が先に行き、ロケット電車の扉を開け、ここを出た。俺とモニカもそれに続く。無重力に慣れていない俺は、泳ぎが下手な奴のように、足を徐にバタつかせながら浮いた体を前に進める。

 軌道エレベータのロケット電車から出ると、白い壁に覆われた無機質なドーム状の空間が広がっていた。その中心部には、俺たちがさっきまで乗っていたロケット電車が垂直の状態で停車し、その後ろにはエレベータのレールが伸びている。それ以外は、ロケット電車から伸びたタラップと、その先にある扉だけ。それ以外は何もない。

 もう一度言うが、ここは《WIZDAM》が収められているコンピュータルームだ。パーフェクト・トゥモローの中核を担う量子コンピュータがある場所。それなのに、量子コンピュータらしきものは何もない。

「おい、停車駅を間違えたか?」

「間違っておりませんよ。《WIZDAM》はちゃんと、ここに

「……いる?」

 執事はタラップを進み、その先にある扉の前に立った。そしてパネルを操作した後、扉を開けた。扉の先は、闇だ。

「まさかとは思うが、その気味の悪い闇の中に飛び込めってか?」俺は執事に言う。「あいにく、お化け屋敷は嫌いなんだ」

「お化け屋敷などではありませんよ」執事は答える。「これは夢です。《WIZDAM》が見る、美しい夢」

「夢?」

「さあ、どうぞお入りください」

 俺は溜息。執事はこれ以上、教えるつもりはないらしい。ずっとそうだ。全ては後でわかる、だから言う通りにしろ、そんなスタンス。まあいいさ。死ぬわけじゃないだろう。

 俺はタラップを進み、その闇の中に入った。するとそこは、闇ではなかった。

 そこは、海の中だった。

 しかも美しい海。黄色と赤のサンゴ礁が、延々と敷かれた絨毯のように広がり、その上を、マーブルキャンディのように色鮮やかな小魚たちが優雅に泳いでいる。さらに遥か頭上にある水面からは日差しが差し込み、それが白いカーテンのように揺れている。

 宇宙にいるとは思えない、あまりにも美しい光景。

 それに呆気に取られていた俺は、思い出したかのように、ちゃんと呼吸ができるかを確かめようとする。しかし確かめる前に、突然、向こうから巨大な何かが急接近してくることに気付いた。

 大きな鼻が前方に突き出した頭を持つ巨大生物。イアークの生物図鑑データベースと照会した結果、その巨大生物はマッコウクジラだと告げている。

 そしてマッコウクジラは止まることなく、俺に向かって突っ込んでくる。しかも大きな口を開けてだ。

 俺を食うつもりだ!

 俺は逃げようとする――が、執事がそれを止める。後ろから俺を抑える。ニゲラのコンサートのときもそうだったが、こいつは細い体格の割に意外と力が強い。だからどんなに俺が押しても、ビクともしない。しかも今の俺は両手が拘束されている状態だから、余計に力が入らない。

 そうしている間にも、マッコウクジラは近づいてくる。そしてついに、マッコウクジラの開いた巨大な口が、俺の眼前に迫る。隙間なく並んだギザギザの歯が、俺に噛みつこうとする。

 俺は思わず叫ぶ。目も瞑った。そんな俺を、後ろで執事が笑った。

 俺は食われたか? マッコウクジラは、俺をおいしくいただいたか?

 だが俺が恐怖でしばらく体を強張らせていても、何も起きない。依然として、執事は俺の後ろで笑っているだけだ。

「何がおかしい!」

 俺は目を開ける。するとそこに、マッコウクジラの巨大な口が、俺の顔面スレスレの所、というか、既に半分口に入った状態で静止していた。まるで再生中の動画に停止ボタンが押されたように。

 しかし、それだけじゃない。俺は愕然とする。

 なぜなら、マッコウクジラの口の中に、一人の少女がいたからだ。

 少女は10歳かそこらだろう。まだ子供だ。白いワンピースを着ているだけで、裸足。でも俺が愕然としたのは、突然、少女が現れたからだけではない。もちろん、それもあるが、突然現れた少女が、どことなくニゲラと似ているからだ。

 そんな少女はマッコウクジラの舌の上でうつぶせの状態で寝転がり、両手で頬杖をつきながら俺の顔を覗き込んでいる。

「初めまして。ショウ=サイレンジ。そして、モニカ=サンチェス」少女は言った。

「何で……俺たちの名前を……?」

「あなたたちのことはよく知っています。ザ・バンディット。特にショウ=サイレンジ。あなたに関しては、かつて私を使って、あなたの未来を頻繁に覗きに来る人がいましたから」

 驚愕の連続と意味不明な台詞に、俺の脳は完全にオーバーヒートする。

「君は、誰だ?」

「彼女は、《WIZDAM》です」少女が答える代わりに、執事が言った。

「は?」当然、そう突き返す。突き返したのは、モニカだった。「そんなわけないだろ! 《WIZDAM》は量子コンピュータだ!」

「この方が仰っていることは間違いではありません」少女は言う。「私は正真正銘、《WIZDAM》です。しかしコミュニケーションを効率化する上で、私のことを《WIZウィズ》とお呼びいただいても構いません」

「なんで、《WIZD……《WIZ》は女の子の格好をしているんだ?」

 俺の問いに、《WIZ》が答える。「10億人程度の未来を管理するくらいのQ-bitであれば、人間の幼少期の脳程度の体積があれば十分実装できます。それだけの話です。私を効率的に設計した結果です」

「効率的に設計した結果か」モニカは失笑しながら言う。「どう見ても、設計者にロリータ趣味があったとしか思えない」

「それは否定できない可能性ですが、戦争の産物であるという事実を、幼女のインターフェイスを借りることで隠蔽したいという心理が設計者に働いた可能性もあります」

「ニゲラの大ファンって可能性もあるな」俺は言う。「まあ、君の方が育ちは良さそうだ。言葉遣いが丁寧だしな」

「《WIZわたし》とニゲラは似て非なる存在です。《WIZわたし》はシステムで、ニゲラは機能」

「同じようなもんだろ。普通じゃないって意味においては」

「でもニゲラは人に干渉できて、《WIZわたし》にはできません。人とコンピュータの違いです。《WIZわたし》はあくまで世界を見ることしかできません」

「魂が有るか、無いか、の違いです」執事がそう言うが、

「魂は存在しません」《WIZ》が否定する。「人間の行動や思考は全て、脳が実行している量子アニーリングに過ぎません。もし魂が有るとすれば、それはその現象を知覚または観測する器官だと思われます」

「だったら、君も人に干渉すればいい」執事が言う。「君だって、所詮は量子アニーリングでプログラムを実行しているに過ぎない」

 すると《WIZ》は少し黙った後に、こう言った。

「私はここから出られませんから。もしここを出てしまえば、私の体内に注入されたプランクシュレッダーが、私の全エントロピーを崩壊し、私は破棄されます」

 つまりこの少女は、俺と同じ方法で役務に拘束されている、ということだ。

「《WIZ》は人類と同じです」執事は言う。「《WIZ》もまた、縛られた存在です。ここから出られない彼女は、ライブスキャナで得た人類の知識と記憶を、ここの360度ホログラムディスプレイで投影することしかできません。外の世界に憧れ、夢を見るように」

「ということは、このマッコウクジラも、サンゴ礁も、可愛い小魚たちも、みんな幻ってわけか」

「その通りです。しかしどんなに美しい夢を見ても、ここが遥か天空に取り残された《WIZ》の檻であることには変わりません。プラトンの“洞窟の比喩”とも言えるかもしれません。人類が膜の上の宇宙ブレーンワールドに縛り付けられているのと同じように」

 ホントに、こいつは哲学がお好きらしい。だから話がつまらない。

 執事との会話に飽きた俺は、《WIZ》に話しかける。

「どうして、君は海の夢を見るんだ?」

「全てが始まりの場所だからです」

 すると《WIZ》は俯せになっている体を起こし、マッコウクジラの舌の上から降りた。

「あらゆる生命体は、ここで生まれたからです」

 それから静止していたマッコウクジラが動き出す。俺に食らいつこうとしていたマッコウクジラは、俺から離れ、目の前を横切っていく。そしてゆったりと穏やかに泳ぎながら上昇、揺れる太陽のカーテンをくぐり、遠くの彼方へと消えていった。

「始まりの場所……ね」

 その言葉を呟いた俺は、ここに連れて来られた理由を思い出す。

「そう言えば、セレモニーはいつ始まるんだ? 新しい世界の幕が、これから上がるんだろ?」

「その前に、もう一人の招待客をご紹介します」

 そう言って執事は、ある方向を指差す。そこにはマーブルキャンディのような色鮮やかな小魚たちがたくさん群がっていて、一つの大きな塊を作っていた。執事が指をさした直後、その小魚たちは徐々に分散していき、大きな塊だったものが解体していく。そして小魚たちが覆っていたものが露わになった瞬間、俺は思わず叫んでいた。

「カーラ!」

 俺の叫び声に、モニカの叫び声も重なる。そう、そこにいたのは、カーラだった。

 しかしカーラの様子がおかしい。

 頭が深く項垂れ、顔色も酷く悪い。俺とモニカの呼び声にも全く応じず、意識を失っているようだ。しかもアズラエルにやられた傷もまだ残っていて、額には包帯が巻かれている。両手と両足は拘束具によって縛られていて、イアークも外されている。

 そんなカーラを見た俺は、考えるより先にカーラの元へ近づこうとした。それはきっと、モニカも同じだったはずだ。しかし――

「あなたたちは、ここまでです」

 執事が俺たちの前に飛び出し、リボルバーの銃口を突きつける。おまけに無重力空間を自由に移動できるエア噴射付のベルトまで、いつの間にか身に着けてやがる。

「どけよ!」

 モニカが恫喝するが、執事は動じない。

「彼女はRAリード・アヘッダーでありながら、聡明な頭脳の持ち主だ。あなたたちに近づかれて、良からぬことを画策し、セレモニーを邪魔されてしまっては困ります。大変恐縮ですが、彼女はご鑑賞までに留めておいてください」

「どうせホログラムだろ!」俺は言う。「そんな茶番に騙されるかよ!」

「彼女は本物です」

「どうだか!」

 すると執事はベルトのエア噴射でカーラの元へ行った。カーラの傍で停止した執事は、次にカーラの頬を片手で乱暴に掴む。さらに執事は、項垂れているカーラの顔をクイッと持ち上げる。

 そしてなんと、執事はカーラの口元に、乱暴なキスをした。

 俺の拳に、思わず力が籠る。目の前のカーラがホログラムでなく、触れることができる実体である、つまり本物であることはわかった。わかったまではいいのだが――

「貴様!」完全にブチギレたモニカがまた叫ぶ。「こんなものを見せつけるために、私たちをここに連れてきたのか!」

 激昂するモニカを、《WIZ》は無表情で眺めているだけだった。《WIZ》は人間を見るだけ、決して干渉はしない存在……それを態度で証明しているように。

「まさか」執事は答える。「こんなものを見せるだけなら、わざわざここまで来なくてもいいじゃないですか。何度も言いますが、これはセレモニーです。新しい世界の始まりを告げる、大事な儀式。それを大切な人と、特等席でご覧いただくためにお越しいただいたのです。そしてその後に、古い世界で最期を迎えていただきます」

「最期……だと?」

 しかし執事は俺の言葉を無視し、《WIZ》に呼びかける。

「《WIZ》。360度ホログラムディスプレイを、Channel_Nigella27.5にセットしてくれますか?」

「わかりました」

【Channel_Nigella27.5:ニゲラの情報を24時間オンエアーしているニゲラ専門チャンネル。Central◒Houseの出資とそのスポンサーによって運営されている】

 すると突然、海の中の景色が一気に暗転。光が一切ない闇に閉ざされた。

 しかし直後、天から一筋の神々しい光が伸びる。そしてその光の中から現れたのは――

「カモン! パーフェクト・トゥモロー! YAEH!」

 光の中から現れたのは美しくもキュートな世界の歌姫――ニゲラだった。

 ニゲラはウエディングドレスを彷彿とさせる衣装を身に纏い、トレードカラーである紫色は、足元に向かって徐々に濃くなっていくグラデーションで表現されていた。

 そんな彼女は、爽やかな笑顔を俺たちに投げかけてくる。俺がよく知るニゲラではなく、みんながよく知るにニゲラ、つまり、お仕事中のニゲラの姿が、そこにあった。

 ニゲラの呼びかけと同時に、歓声が沸き上がる。さらにイントロが始まる。ステージはカラフルな照明に照らし出され、ニゲラの花弁の他に、❤や★のホログラムテクスチャがあっちこっちにばら撒かれる。

 ばら撒かれたその先には、だだっ広いホールがあり、そこには豪華な料理が並べられた無数の丸テーブルと、それを囲むタキシードを着た大勢の男たちがいる。

 ここは只今Channel_Nigella27.5で絶賛オンエアー中の、ニゲラの新曲発表会の様子だ。

 イントロが終わり、ニゲラが歌い出す。すると両脇からダンサーが現れ、ニゲラのショーを盛り上げる。ダンサーはアンドロイドだろう。振り付けがインストールされたそれは、一縷のミスもなく、完璧なダンスをこなす。

《WIZ》はと言うと、このショーを呆然と眺めている。ニゲラと似ている幼い彼女は、まるで将来の自分を夢見ているかのようにも見える。

 このショーが終われば、曲は一斉解放リリースされ、無料でダウンロード可能になる。

 HCPPホスト・コミュニケーション・プラットフォーム・パーソナリティ:ニゲラ――その存在を随時露出させ、アップデートしながらBTLに共感を得られるよう、常に最適化PDCAサイクルが回され、未来が管理されていることを肯定的に解釈させる、欺瞞の象徴。それは見た目だけでなく、定期的に発表される新曲も、また然りだ。だが、それが今さら何だって言うんだ?

「まさかとは思うが、これがあんたのセレモニーってオチじゃないだろうな」俺は執事に言う。「確かに360度ホログラムディスプレイで観るショーは臨場感があって、迫力もある。だが俺はバンディットだ。こんなものに興味はない。せめて本当の会場に行って、あの丸テーブルに並べられた美味そうな飯を食わせてもらった方が、よっぽど嬉しい」

「これはオープニングアウトに過ぎません。セレモニーは、これから始まります。よく見ていてください」

 執事は薄ら笑いを浮かべながら、言った。その直後だった。

 銃声が鳴った。

 一瞬、ここの出来事ではないかと錯覚した。しかし、銃声が鳴った現場はここではなく、只今オンエアー中の新曲発表会の会場であることが、すぐにわかった。

 なぜなら、銃声は執事が手にしている重々しいリボルバーの鉛弾のものではなく、圧縮したエネルギーが弾けるビーム弾のものだったからだ。だが、理由はそれだけじゃない。

 銃声の直後、ニゲラの歌が止んだ。そして彼女は、倒れた。

 俺は思わずニゲラの方へ飛び出し、それを抱き止めようとする。だが、これはホログラム映像だ。ニゲラは俺の体を無情にもすり抜け、床に崩れる。倒れたニゲラは胸を強く抑え、そこからウエディングドレス風の衣装が赤く染まっていく。だが感情のないアンドロイドのダンサーたちは、そんな状況下においても笑顔のまま踊り続けている。

 これもサプライズを装った演出なんだろうか? なんて暢気な憶測も、軽快なダンスサウンドに重なる悲鳴が打ち消した。

 さらにこれが、明確な悪意を持った者が成した結果なのだと、あとで判明する。

 踊っていたアンドロイドたちは突然、動きを止める。そして倒れたニゲラの後ろで、横一列に整列する。まるで軍隊のように、完全に統制のとれた動きだ。直後、アンドロイドたちは予想だにしない行動に出た。

 なんとアンドロイドたちは、俺から見て右から順番に、自分の首を捥ぎ取り始めたのだ。

 顎を両手で支えるように掴み、それをそのまま持ち上げる要領で自らの首を引き千切る。

 首は黒ひげ危機一髪のように垂直に飛び上がり、首が無くなったアンドロイドは万歳のポーズになる。そして糸が切れた操り人形のように、力なく倒れる。

 この動作が、右のアンドロイドから順番に同間隔で行われていく。完璧なまでに規則的なこの動作は、一種の芸術性があるのではないかと、不甲斐なくも俺はそう思ってしまった。

 バックミュージックが止まる。照明も落ちる。だから辺りは、突然訪れた夜のように暗くなる。

 それから数秒後だった。再び、天から一筋の神々しい光が伸びる。そしてその光の中から現れたのは、ニゲラではなく――

「パーフェクト・トゥモロー、イズ、エンド」

 一つの時代を終わらせる宣言のように、光の中から現れた少年は、そう言った。

 信じたくはない。だが360度ホログラムディスプレイに映し出された現実に、俺とモニカは絶句するしかない。

 なぜなら、光の中から現れた少年こそ、ハヤトその人だったからだ。

 一体、どうなってんだ? 何でハヤトが、そこに?

 状況が全く理解できない俺を置いていくように、事態はさらに加速する。タキシードを着ていた男たちは既に避難しているようで、ホールには食い散らかった料理が放置されている。そこに、警備に当たっていた数体のDAP-H3000と大勢の兵士たちが駆けつける。

 そして相手が少年であろうと容赦はせず、彼らはハヤトに向かって発砲した。

 しかし、ハヤトは一切動じない。なぜなら、彼に放たれたビーム弾は全て、尽く蒸発するように打ち消されてしまうからだ。ハヤトの前には、円状のビームシールドが展開されている。そのシールドが、全てのビーム弾を打ち消したのだ。

 だがシールドを展開しているのは、ハヤトではない。

 その傍に立つ、フルアシストの黒いアサルトスーツを着た、猫耳に似たセンサーを頭に着ける、一人の少女。彼女が尻尾の先端からシールドを出力し、ハヤトを守っているのだ。

 俺は発狂しそうになる。だってその少女は、猫忍者……リディアじゃないか!

 俺の脳の熱が収まらない中、DAP-H3000と兵士たちは再び発砲を開始した。

「無駄だ! 止めろ! お前らに敵う相手じゃない!」

 俺は叫ぶも、それが会場に届くはずがない。リディアはシールドを展開しながら、腰にマウントされたあの太い剣を二つ、抜き取る。

 それからリディアは舞った。

 まるで踊るように、無駄な動きひとつせず、相手の攻撃を躱し、そして優雅な剣さばきで相手を切り裂いていく。

 夥しい量の血が舞い上がる。

 そのときのリディアが、どんな顔をしていたかはわからない。リディアの表情は、あの黒い戦闘用ゴーグルによって隠されている。

 だがリディアの剣さばきには、何の躊躇いもない、固い信念が感じられた。

 そして数秒後には、完全に無力化したDAP-H3000と兵士たちの惨たらしい姿があった。

 訪れる静寂。

 それを待っていたかのように、ハヤトは再び口を開いた。

「我々の名はサリクス。もはや平和ボケして我々の存在を忘れてしまっている連中も多いだろうが、改めて紹介させてもらう。我々はブランク・グラウンドで自由な未来を目指すレジスタンス、サリクスだ。もっとも、ATL・BTLの連中は我々のことをテロリストと呼んでいるがね」

 俺は開いた口が塞がらない。ついさっきまで一緒にいたハヤトが、サリクスだって? ちょっと待てよ! そんな予兆も伏線も、どこにあったっていうんだ! 少なくとも、俺の記憶の中じゃ見つからない!

 さらに衝撃的な事実を、ハヤトは告げる。「私はハヤト。今はサリクスのリーダーをしているが、かつてはBBと呼ばれていたバンディットだ」

「デタラメだ!」俺は叫ぶ。

 なんであのガキが、かつて俺が憧れていたBBなんだ? そんなわけあるか! どう考えてもおかしい! だってあいつはまだ子供だ。もしBBが生きていたら、今頃は200歳に手が届きそうな歳だ。

「歳を取らないことも、若返ることも、今では難しいことではない」俺の思考を全否定するように、ハヤトは言った。「プランク単位にまで管理された肉体情報フィジカル・データは、3Dプリンタでいくらでも書き換えたり、再生できる。そうやって160年以上も同じ体で、同じ役割を務め続けている人間が、ここにもいる。そうだろ? ニゲラ?」

 そしてハヤトは、倒れたニゲラの頭を踏みつける。出血が止まらないニゲラは、顔から血の気が引いているのがわかる。肌は青白く、呼吸は今にも消えそうだ。

「この社会は欺瞞に満ちている。3DプリンタによるボディリメイクはCentral◒Houseが生命規制バイオ・レギュレーションで禁止しているにも関わらず、ATLの連中は延命し放題だ。BTLには寿命を強制し、サリクスにいたっては、まるで害虫のように駆除されている。所詮、パーフェクト・トゥモローも、管理人口の0.1%しかいないATLのためのものでしかない。人類は、もっと自由になるべきだ。だからまず、我々は今ここで、パーフェクト・トゥモローを終焉させる」

 それからハヤトはスワイプの仕草をする。すると彼の身長くらいの高さがある大きめの2D映像が、ハヤトの前に投げ出される。その2D映像に映し出されているのは、遥か天空に浮遊する巨大な球体――つまり俺たちが今いる《WIZDAM》の遠景映像だった。

 それを見た執事は、ポケットから何かを取り出した。

 ボタンが一つだけ付いた、小さなリモコン。

 それが何であるのかを、説明しなくても俺にはわかる。

「止めろ!」

 俺は叫んだ。しかしそれがあたかも合図であったかのように、執事は嬉々とした笑みを浮かべながらリモコンのボタンを押した。

 と同時に、ハヤトの前に映し出されている《WIZDAM》が爆発した。

 ここより遥か上にある軌道エレベータの「重り」と《WIZ》を閉じ込めているこの球体、それを繋いでいる球体上部の接続部分が突然破裂し、その残骸が花火のように天空に舞い散る。

 爆音はしない。ここは宇宙で、外は真空だ。だから外からの音を運んでくるものは、何もない。だが球体が急激に傾いてしまったことで、空間のバランスが一時的に乱れ、重力の風が吹く。それに俺は呑み込まれ、いとも簡単に飛ばされてしまう。おかげで方向感覚は完全に狂ってしまう。

 やがて見えない壁――球体内部の端にぶつかる。360度ホログラムディスプレイのせいで空間が永遠と続いているように錯覚していたが、所詮ここは《WIZ》を閉じ込めておくための檻であり、それほど広くないのだ。ぶつかった衝撃で、背中に鈍い痛みが走る。それはモニカも同じようだ。俺の隣でモニカは寝転がり、苦痛で顔を歪ませている。

「大丈夫か?」

 俺がモニカにそう呼びかけた時だ。何かが俺の目の前に迫ってくる。

 俺はそれをよけきれず、顔面でそれを受け止めてしまった。だが意外にも、あまり痛くなかった。生温かくてやわらかい触感が、俺の顔を覆う。悪くない心地なのだが、このままの状態が続くと、さすがの俺にも背徳感が芽生えてしまう。

「早く、どいてくれないか? 《WIZ》」

 そう。俺の顔面に降ってきたのは、《WIZ》のケツだったのだ。すると《WIZ》は「わかりました」と事務的な返事をした後、俺の顔からどいてくれた。そのときモニカがどんな顔で俺のことを見ていたのかは、知らない。あえて見ないようにした。

 それより、俺は開けた視界で会場の状況を見直す。ハヤトの前に映し出されている2D映像からは、天空からの釣り糸を失った《WIZ》の檻が、徐々に落下しているのが見て取れた。

 このままでは、ここが地上に落ちてしまう。

 その前に、ここを脱出しなければ! しかし、どうやって?

「これでパーフェクト・トゥモローは終わる。しかし、それだけでは不完全だ」360度ホログラムディスプレイに映るハヤトは、表明を続けた。「パーフェクト・トゥモローを終焉させても、所詮、人類は方法を変え、また少人数が大多数を支配する構造を開発するだけだ。歴史は繰り返す。我々の魂が、自由意思が、この膜の上の宇宙ブレーンワールドに縛られている限り、思考もまた生産性の効率化、最適化に縛られ、最大公約数的な幸福を手にすることしかできない。だから我々は、この宇宙を飛び出し、完璧な思考を持つ魂へと昇華しなければならない。そしてそれは、実現可能だ」

 それからハヤトは右手に何かを取り出した。手の平サイズの透明なカード。間違いない。間違いなくそれは、ニゲラが発注した、俺のワイルドカードだ。

「これは新しい世界へ行くための鍵だ。それを、私はついに手に入れた。そこで私は全人類に宣言する。私はこの鍵を使用する。それはここ、ボウルシティ時刻で明日の午前0時だ。そして明後日の夜明けには、人類はこの宇宙から飛び出し、自由を手に入れる。そのときを、楽しみに待っていてほしい」

「させるかよ!」

 気が付いた時には既に、俺は壁を蹴り出し、ハヤトに向かって飛び出していた。しかし直後、オンエアーは終わり、360度ホログラムディスプレイからハヤトが消えた。だから俺はただの空白に突っ込んだだけだった。

「どうして受け入れようとしないのです?」執事が言う。「これから素晴らしい世界が始まるというのに」

「貴様!」怒り狂ったモニカが叫んだ。「早くここから出しやがれ!」

「それはできません。あなたたちはここで最期を迎えてもらいます。《WIZ》と一緒に。あなたたちは我々の計画を阻止する可能性がある、いわば“脅威”ですからね」

「貴様だけ生き延びられると思うなよ!」

 すると執事は声高らかに笑った後、

「何を仰いますか!」と言った。「あなたたちも、この私も、ここで死ぬのです! しかし、それが何だと言うのです! 新しい世界に、もはや生も死も関係ありません! アンダードームに、私たちのプランクデータが残っている限り!」

 執事こいつは狂っている! 完全に、イカれてやがる!

「死ぬのは、お前だけにしやがれ!」

 俺は再び壁を蹴り出し、執事に飛び掛かる。しかし執事はカーラを脇に抱えながら、ベルトのエア噴射であっさりと躱して見せる。

「どうして抵抗するのですか? 素晴らしい世界が、もうそこまで来ているというのに」

「気に入らねーからだよ!」俺は執事を睨む。

「それは、新しく始まる世界がお気に召さないということですか?」

「ちげーよ! 新しい世界がどうだろうと、魂の解放がどうだろうと、俺には知ったこっちゃねー! そうじゃなくて、俺は、俺を騙したガキどもと、お前が気に入らねーだけだ!」

 俺は壁に着地。もう一度、壁を蹴り出して執事に飛び掛かる。

「それに俺は、まだカーラと録に話ができていねーんだ! 勝手に世界を終わらせてたまるかよ!」

「やれやれ」呆れたという表情で、執事は俺にリボルバーの銃を向けた。「新しい世界への価値が見出せないのであれば、あなたはここで死に、アンダードームに記録されているプランクデータもろとも、デリート差し上げましょう。それであなたは、完全に無に帰するのです」

「うるせーんだよ!」

 直後、執事は引き金を引いた。この距離だ。よほどでない限り、外さないだろう。衝動に突き動かされてしまった俺の体は、既に理性のコントロール外だった。このままではやられる。死ぬ。こんなバカな俺を、今さら後悔しても遅い。遅いのだが――

 ――――――!

 突如、俺の脳内に閃光が走った。一瞬の出来事。しかしその一瞬の中に、鮮やかで、かつ明確なビジョンが凝縮されている。そしてそれは、俺の脳だけでなく、全ての細胞一つひとつにまで染み渡っていく。

 この感覚を、俺は知っている。それは酷く懐かしいほど、久しぶり過ぎる感覚。

 執事が放った銃弾の軌道が見えた。その軌道上に、俺の両手を縛る拘束具が重なるように、体が勝手に動く。

 そして銃弾は、俺の拘束具だけを撃ち抜いた。

 俺の両手は解放される。

 その拳に、俺は力を込める。無重力空間のいいところは、一度ついてしまった加速が、なかなか落ちないということ。だから俺は、壁から蹴り出したジャンプの勢いを一切ロスすることなく、全ての力と怒りを拳に集中させ、それを執事の顔面にぶつけた。

 肉を叩く鈍い音と、パリンという乾いた音が、同時に鳴る。俺の拳からは、鼻の骨が潰れた感触と、左半分の仮面が割れた感触が伝わる。

 ここは無重力空間だから、執事は大袈裟にぶっ飛ぶ。そのまま執事は壁にぶつかり、脇に抱えていたカーラを離してしまう。

 俺の拳に痛みが走ったのは、その後だった。しかし、狼狽している暇はない。

「カーラ!」

 俺はカーラの元へ急ぐ。そしてカーラを抱きしめる。しかしカーラは依然として項垂れたままだ。意識はあるようだが、朦朧としている。汗も尋常じゃない。何らかの薬物が投与されている可能性がある。こんな状態なのに、こいつは無理してリードアヘッドを行ったっていうのか? だがどうやって? カーラのイアークは、外されたままなのに。

 そんなことは後でいい。俺はカーラの手足を縛る拘束具を外す。拘束具は暗証番号式で、解除コードはさっきカーラから貰ったビジョンが教えてくれている。

「おいおい。お前だけいい格好してんじゃねーよ」

 モニカが近づいてくる。そしてこれを外せと言わんばかりに拘束具を見せつけてくる。ありがたいと言うべきか、カーラから貰ったビジョンの中には、モニカの解除コードもしっかりと映っていた。

「サンキュー」

 両手が自由になったモニカは、背伸びをしながら上機嫌に笑って見せる。それから、待ってましたという具合に注射器を二本取り出し、我慢していたイディオットを久しぶりに打ち込んだ。お疲れの一杯を飲み干すときのような、何とも言えない顔をする。

 そんなこんだで状況を変えることができたが、「危機を脱したか?」と問われれば、「そうだ」とは答えられない。むしろ危機的状況に変わりはない。《WIZDAM》は依然として落下し続けているし、執事も徐々にではあるが、目を覚ましつつある。唯一の銃も、まだ執事の手元にあるままだ。

「やはり……バンディットという人種は……」

 ついに執事は目を覚ます。鼻と口元を手で抑えているが、指の間からは赤々とした血が滲み出て、それが赤い粒となって浮遊していく。そして左半分の笑ったピエロの仮面に隠されていた顔が露わになっている。そこには、酷く焼き爛れた醜い顔――かつて何らかの復讐を誓った跡が、刻まれているような気がした。

「やはり……バンディットという人種は……享受というものが……苦手のようですね。たとえそれが……どんなに魅力のあることであっても」

「当りめーだろ!」モニカは空の注射器を執事に向かって投げ捨てる。「だから私たちは、未来を盗む! 決まりきった未来を番狂わせて、自由に生きるために!」

「くだらない!」

 執事の目つきが変わる。これまでの作り笑いをしながら瞳に宿らせていた鈍い光とは違う。今のそれは、目に映る全てのものを斬り刻んでしまいそうなほど、鋭利で尖った光だ。

「受け入れられないのであれば、今すぐ死ね!」

 執事は俺たちに銃口を向ける。だが、それがどうしたって言うんだ? 俺には既に、カーラから貰った未来があるんだぜ。これさえあれば、お前の攻撃なんて……と思ったんだが、最悪なことに、これ以上の未来は、俺の体にインストールされていない――

 ヤバい!

 俺は咄嗟に、せめてカーラだけでも守ろうと彼女を抱きしめるのだが――

「待って!」

 突然の叫び声。その声を放ったのは、なんと《WIZ》だった。人類には干渉できないと言っていた、あの《WIZ》がだ。それにはさすがの執事も動揺したようで、トリガーにかかる指が止まった。

 それから《WIZ》は両手を広げ、360度ホログラムディスプレイを終了し、全ての壁のスクリーンを透過モードに変更した。

 360度全て、外の様子が丸見えになる。既に大気圏を抜けた《WIZ》の檻は、地球の空の中にある。正確な高度はわからないが、直径30㎞以上ある円状のボウルシティの全景が確認できる。そこに向かって、この檻と軌道エレベータのレールの残骸が落下している。外から見れば、きっとつぼみのまま茎がしおれてしまった植物ように見えるのだろう。

 そんな腐りかけた蕾に、白く輝く光が急速に迫ってくる。はじめは流れ星だろうか、と思った。が、違う。流れ星は重力に従うまま落ちるだけだ。だが白く輝く光は、重力に従うことなく飛翔している。しかも光は速度を緩めず、むしろ加速し、やがてそれはここに突っ込み――

 ――凄まじい衝撃と破壊音。

 それと同時に、冷たい空気が檻の中に流れ込んでくる。あの白い光が、檻の壁を突き破ったのだ。だから壁に大きな穴が開く。そしてそこから、見たことある顔がここを覗き込んでいた。

 しかしその顔は、人の顔じゃない。顔の正体は、なんとあの巨大な白いDAPの大天使――アズラエルの顔だった。

 アズラエルは檻の壁を突き破り、翼が邪魔にならないように背中でくるりと丸め、その穴から体長5メートル以上はある巨体を侵入させる。こいつが来たということは、俺たちはいよいよガチで殺されるってことか? しかし――

「何でアズラエルがここにいるんだ!」

 そう叫んだ。だがそう叫んだのは、俺じゃない。モニカでもない。叫んだのは、なんと執事だった。

 それからアズラエルは信じられない行動に出る。

 アズラエルはライフルを抜き、それを執事に向かって構えたのだ。当然、執事は逃げる。だが間に合わない。既にアズラエルは発砲した後だった。

 一瞬で十数発発射されたビーム弾は、そのほとんどが執事の体を貫く。手を、足を引き裂き、皮膚を、内臓を引き千切る。

 その様子を、俺は最後まで見ることができなかった。途中で目をそらす。そして再び、アズラエルを見上げたとき、アズラエルの視線は、今度は俺を捕えていた。その瞳は、赤く光っている。どういうわけか、それは俺に酷い違和感を与えた。

「何だ? 次のターゲットは、俺か?」

「大丈夫です」

 いつの間にか俺の傍にいた《WIZ》が、そう言った。「アズラエルは、あなたを襲ったりはしません」

「何?」

 直後、カーラが俺の胸の中で咳き込んだ。

「カーラ!」思わず俺は、目を覚ましたカーラに呼びかける。

「アズラエルの……アカウントアクセス認証は……既にクラッキング済み……あとは――」

「もういい! 喋るな!」

 俺はカーラを強く抱きしめる。確かにカーラの言う通り、アズラエルは俺を睨んでいるものの、攻撃してくる様子はない。

「天から舞い降りた天使にしちゃ、かなり不細工なツラだな」

 アズラエルを見上げながら、モニカは言う。

「こんな状況で、色好みしている場合か!」

 そうだ。そんな下らないジョークを言っている間にも、この檻は凄まじい落下速度でボウルシティに落ちようとしているのだ。透過された壁のスクリーンには、もはやボウルシティの全景が映りきらないほど接近している。ボウルシティに突っ込むまでに、あと二分もないだろう。

「とにかく――」俺はアズラエルの背中へと移動する。「これで俺たちは助かりそうだ」

 アズラエルの背中には、DAP-H3000同様、操縦席のハッチがある。それを開けて、カーラを操縦席に乗せてアズラエルで脱出すれば、とりあえず助かりそうだ。しかしだ! ここで問題があった。

 操縦席のハッチを開けるには、暗証番号が必要だ。カーラから貰ったビジョンに、暗証番号はない。

「畜生!」

 俺はハッチを殴る。殴っても、虚しい痺れが骨を伝うだけだ。そんな俺の拳に、《WIZ》はそっと手を添えた。

 クソッたれ! 量子コンピュータに慰められているようじゃ、俺も終わったな。

 だが《WIZ》がとった行動は、それだけじゃなかった。なんと彼女は、ハッチの暗証番号を入力し、ロックを解除した。

 背中のハッチが開き、操縦席がスライドするように飛び出してくる。

「何でだ?」信じられない俺は、《WIZ》に問いかける。「何でお前は、人に干渉するんだ?」

 すると《WIZ》は、こう答えた。

「これが、最も効率的な選択肢だと、この状況下で判断したまでです」

「未来を予測するだけのお前が、そんな判断ができるのか?」

「さっきのは嘘です。きっと私は、私の知らない、私が算出できない未来が来ることを、期待しているのかもしれません」

「だったら、一緒に行こうぜ」

「それはできません」

 そして《WIZ》はアズラエルがぶち開けた穴から、手を外に出した。するとその手は、瞬く間に砂のように崩れ、そのサラサラとした小さな砂は、キラキラと輝きながら空の彼方へと消えていった。

「この通り、私はここから出ると、プランクシュレッダーが発動し、破棄される運命です」

「そ……そんな……」

「それより、早く」

 今まで感情がなかった《WIZ》の顔がしゅっと引き締まり、表情に真剣さが宿る。それに突き動かされるように、俺はカーラを抱き上げ、アズラエルの操縦席にカーラを座らせた。

 アズラエルは一人乗りだ。だから俺とモニカはアズラエルの両腕にしがみ付いて脱出しなければならない。

 ボウルシティは、もうすぐそこまで迫っている。多分、あと1分もしないうちに、この檻はボウルシティのど真ん中に突っ込むだろう。

 だがそれだけの時間があれば十分だ。あとはアズラエルのアフターバーナーを吹かしてここを飛び出せば――

 突然、銃声が鳴った。

 どこで鳴った? 誰が撃った?

 決まっている。銃を持っているのは、一人しかいない。

 執事は生きていた。体の半分以上を失っているにもかかわらず、奴はしぶとくも、まだ生きていた。そして残されたたった一つの腕で、俺たちに向かって、銃を撃ったのだ。

「行け!」

 モニカが叫ぶ。と同時に、ハッチの操作パネルを乱暴に叩く。

 カーラが座った操縦席が、アズラエルの体内に吸い込まれるようにスライドし始める。

 また銃声。

 するといきなり、モニカは俺の両肩を力強く掴み、顔を迫らせた。お互いの唇が、今にも触れそうだ。そのせいで、俺の心臓が飛び跳ねる。

 ――こんなときに、冗談はよせよ。

 そう言いかけたところだった。俺は、ようやく気付いた。

 モニカが盾になって、俺たちを守っていることに。

「おい! モニカ!」

「早く行け!」

 モニカが叫ぶ。それと一緒に、モニカの口から血が吐き出された。その血が、俺の顔にかかる。

 さらに銃声。その度に、モニカの体が揺れる。

 痛みを抑えるためか、それとも気力を保つためか、モニカはありったけのイディオットの注射器を取り出し、それを腹に片っ端に打ち込む。

 アズラエルの背中のハッチが、完全に閉まる。

「どうせ……こうなるって……わかってたんだ」

 アズラエルは自身がぶち開けた穴に向き直り、アフターバーナーを点火し始める。

「私は……お前が憎かったんじゃない……ただちょっと……羨ましかっただけだ……」

 喋るモニカの口が血で溢れ、歯も、舌も、真っ黒だった。

「諦めるな!」

「もう……おせーよ……」

 モニカは空になった注射器の束を捨てる。そして残っている腕力の全てを注ぎ込むように、俺をアズラエルがぶち開けた穴に向かって投げた。

「――――」

 そのとき、モニカは何かを言ったように思えた。だがその声は聞き取れず、唇も読み取れなかった。読み取る前に、アズラエルはアフターバーナーを噴射し、俺に向かって飛び出してきた。そしてアズラエルは俺を乱暴に掴み、《WIZ》の檻から脱出した。

 と同時に、凄まじい爆発と衝撃、熱、瓦礫が一気に下から、前方から押し寄せる。まるで目の前で火山の噴火が起きているような、いや多分、それ以上の光景だ。しかもそれは黒い砂嵐へと変貌し、俺を包み込む。

 その意味を、俺は理解したくなかった。でも、理解するしかなかった。理解しなければ、俺はこの先、ずっと自分に嘘をつき続けなくちゃならない。

 俺が理解したのは、二つだ。

《WIZ》の檻が、ボウルシティに落ちたこと。

 そして、モニカも、《WIZ》も、死んだこと。

 しかし檻が落ちた瞬間も、モニカが死んだ瞬間も、《WIZ》が死んだ瞬間も、俺は目撃することができなかった。

 俺が目撃したのは、ただただ視界を覆い尽くす、どす黒い砂嵐だけ。

 その中を、アズラエルはアフターバーナーを全開にさせ、ひたすら飛翔し続けた。

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