第三十三節 魔法使いと学校生活(1/2)

 その日の天候は晴天。雲ひとつない青空と、春先の優しい太陽の光が天上を覆っている。

 学校での本格的な授業が始まってから、三日ほど経つ。聖も少しずつだが、学校生活に慣れてきた。学校なんて、いつ以来だろうか。少なくとも日本に亡命してきてからは、このような体験はしたことがなかった。

 学校生活なんてとんでもない、と思っていた。ある理由で日本に亡命してきて、隠れるように生きてきたのに。人との交流、ましてや学生という身元の特定がしやすい真似なんて、とも。人付き合いは昔から苦手だ。出来ることなら、あまり自分から人に関わりたくない。以前はそう考え、行動していた。しかし亮介と関わって、学校生活を送り始めて、彼の中で何かが芽生え始めていた。



 本日の体育の時間は、新学期が始まって初めてということもあり、体力テストなどを行うことになった。男子は今回は体育館内で、握力などを測定するらしい。授業終了20分前までに各々で終わらせ、最後は反復横跳びを二人一組で行うとのこと。ちなみに女子はグラウンドで1000メートルの測定だ。教師の説明の後、いくつかのグループに別れ始めた。

 亮介と行動を共にすることになってから、そこに俊や勉も加わった四人で行動することが多くなった。以前なら関わるなと一蹴していた。だが今は内心面倒だと思いつつも、その二人を許容している自分がいる。これが心境の変化というやつだろうか。


「まず簡単に終わるやつからやってしまおうぜ」

「握力から始めて、長座体前屈のあとの上体起こしでいいかな」

「ふむ、最後に上体起こしを持ってくるのには賛成だ」


 亮介と俊、勉の会話を他所に、聖は渡された用紙を見ていた。初めて見る文字列だ。これを測定して、一体どうなるというのだろうか。そんな自問自答を繰り返していたが、不意に呼ばれる声に引き戻される。


「聖さんも、それでいいっすか?」

「あ、ああ……。構わん」

「じゃあ始めようぜ」


 俊につられるように、聖も体力テストを始めた。そこで、自分が思っていたよりも貧弱だったということを実感させられる。それを顕著に感じさせられたのは、長座体前屈の時だった。


「立花ほら、まだいけるだろ?」

「ぐっ……やめ、切れる……!!」


 俊に背中を押されながら、身体を伸ばそうとする。しかし聖の身体は全く伸びず、ぷるぷると子犬のように震えていた。結局、必死に手を伸ばしてもつま先には届かなかった。肩で息をしながら呼吸を整える聖に、勉が背中をさする。


「大丈夫か?」

「すまん……」

「入院生活も長かったのだろう?あまり無理はしなくとも良いのだぞ」


 勉の言葉に、曖昧な言葉ではぐらかすように返す。実際、入院生活はしていないのだが。嘘をついていることに少なからず良心は痛むが、それを飲み込む。ちらりと亮介を見れば、手の第二関節まで上履きの裏に付いていた。若いというものは良いなと、ぼそり呟いた言葉が切なく自分の中で響く。その後の上体起こしでも、自分がどれだけ筋力がないのかを実感してしまった聖であった。


 昼休み。香織から、今日は買い弁をして欲しいと朝方言われていた。調達のため亮介と共に購買へ向かう。まだ昼休みが始まった直後だったためか、生徒の数は多くない。内心ホッとしながら、並べられているパンを見る。隣の亮介は目的のものがあったのだろう、すぐさまそれを手に取り会計をしている。

 目に映る様々なパン。ビニールに包まれたそれらは、成程学生用ともあって見た目が大きい。とりあえず惣菜パンと菓子パンを一つずつ買おう。塩焼きそばパンとやらが気になった。焼きそばパンといえば、普通はソース焼きそばではないだろうか。菓子パンは苺のデニッシュにしよう。心惹かれた。それらを無事購入したあと、生徒たちが一斉に向かってきたことには内心驚いた。心臓に悪い。

 無事に教室に戻ると、俊も勉もそれぞれ昼食を食べ始めていた。聖と亮介もそれぞれ席に座り、購買で購入したパンを食べ始める。塩焼きそばパンが意外に美味しい。学校生活四日目、亮介と俊、勉が談笑しているのを聞いているだけが多かった聖。彼らからの質問に答えるのが面倒で、黙っているだけだった。しかし流石に、四日目となってはそれも通じなくなっていた。先程の体育での出来事から、俊が彼に尋ねた。


「立花って身体固かったな。入院前からそんなだったんか?というか入院前って何処にいたん?」

「……何故、答えねばならん」

「またそれかよ。立花は俺たちと友達になりたくねぇのー?」

「話が見えん」


 塩焼きそばパンを食べながら一瞥する聖。お茶を飲んでから、俊はつまり、と話し始める。


「聞いたことねぇか?高校で出来た友達は一生の友達だって。俺は満喫したいわけよこの高校生活を。満喫するには充実した環境だろ、あと友人関係!この二つが揃ってこその一度しかない学生生活だぜ?」

「俺に何の関係がある」

「だーもう話切るな!充実した友人関係ってことで、俺は立花と友達になりてぇ。友達になりたい奴のことは知りたくなる。そんで俺のことも知ってもらう!そうすりゃお互いのことわかって色々踏み込んだ話だったり、相談だったりも出来るだろ。わかるか?」


 わかるか、と尋ねられても困る。理解できるかできないかではなく、それを思い付くことがなかった。想像をしたことがなかった。「高校で出来た友達は一生の友達」という俊の言葉。以前、沙羅と出かけた際にも聞いた言葉だ。それだけではない。行きつけになった、初老のマスターがいる喫茶店でも言われた。学校生活はきっと貴重な時間になる、と。

 俊の言葉に、亮介も勉も同意しているのだろうか。俊に対して珍しく良いことを言うな、などと茶化している。


「そういうわけ。だからお前は、今から関係あるんだからな?」

「言葉足らずだが、俺も大方俊と同意見だ。お前に興味がある、と言ったら語弊があるかもしれんが……。仲良くなりたい、とは思っているぞ」

「俺も!もっと聖さんのこと知りたいっすからね」


 明るすぎる奴は嫌いだ。自分には似合わないから。その光が怖いから。そう思っていた、以前は。だが少しずつでも、それに触れていってもいいだろうか。溜息を吐いてから、それでも突き放すのではなく。


「俺なぞ、大して面白みもないがな」


 そう答えれば、三人は笑いながら聖を受け入れた。


「それで、さっきの質問だけどさ。入院前とか運動とかしてたんだろ?」

「……やっていたのは、射撃とアーチェリーと乗馬───」

「待て待て待て待て、何処ぞの貴族かよそれ!?」


 的確な俊のツッコミが入る。

 そうは言われても事実なのだから、仕方ない。そう答えれば、次元が違うだのなんだのと言われる。解せない。


「そういえば聖さん、いつもしている指輪ってどうしたんすか?してないみたいっすけど……」


 この中では付き合いの長い亮介が、聖の手の違和感に気付く。いつも左手中指に嵌めている指輪が、今は嵌められていないことが気になったのか。それにしても、よく見ているなと何処か感心する。そしてワイシャツの内側からチェーンが切れないよう引っ張り、三人に見せた。トップを指輪にしている、所謂ペンダントだ。亮介は成程と納得し、俊と勉は初めて見るその綺麗な指輪に、目を輝かせた。

 本来なら指に嵌めたいところだが、今は学生という身である。生徒指導などのチェックで引っかかり、それを没収されてはたまったものではない。そもそも身につけずに、家に置けば良いのだろうが。譲り受けてからずっと共にあったため、距離を置くことに不安を感じてしまう。ならば最低限隠せるようにと、ペンダントにしたのだ。因みにペンダントにするという知恵は、沙羅がくれたものである。


「立花!彼女いるのか!?」

「たわけ、これは父からの譲り物だ」

「お父上から。ということは相当な資産家か?」


 勉の問いに、思わず言葉に詰まる。一瞬の妙な間が流れた。


「……父も、母も。俺にはいない」


 母親は亡くなった。父親に関してはいない、というよりは寧ろ、


「(殺されたがな……)」


 その表現の方が正しかった。

 今でも鮮明に思い出す、その時の光景。少しだけ俯いて、下唇を噛む。

 聖の言葉に、亮介たちも思わずかける言葉を失っていた。勉が謝罪してきたが、気にすることではないと返す。


「じゃあ立花、お前今一人暮らしなのか?」

「いや……年上の従兄弟が、面倒を見てくれている」

「そっか……。辛いのに話してくれてサンキュな」


 笑ってから聖の肩にポン、と手を置く俊。指輪を大事にしろ、と気遣う勉。この二人は、存外悪い人物ではないようだと思えた。

 そのやりとりを見ていた亮介は、そうだと何か思いついたようだ。


「俊、今日って部活ある?」

「ん?今日はないな」

「勉は生徒会は?」

「俺も右に同じく、だ」

「なんだなんだ?放課後何処か行こうってか?」


 俊の言葉にそうだと頷くと、亮介は言った。


 ―――「放課後、みんなで遊び行こう!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る