第二十八節 魔法使いは受け入れる(2/2)

 タクシーの乗ること数分、目的の市民病院に到着する。緊急外来の入り口付近に、亮介が待っていた。彼は聖たちを見つけると、小さく笑う。その目の周りと鼻先が、赤く染まっていた。まさか、とは思った。だが直接訊ねるのははばかれた。遠回しに探りを入れる。


「……雇い主に連絡は入れたのか?」

「はい。病院に着いたときに、連絡は入れたみたいっす……」

「……そやつ、まだここにいるか?」

「います……」


 それを確認し、中に入ろうとした聖に竜が優しく制止をかけた。不思議に思い竜を見上げれば、彼は軽く首を横に振った。そして声が脳裏に静かに、浸透するように響く。


『今は……あの子のそばに、いてあげてください』

『レーア……』

『深い事情は知りません。ですがあの子には今、誰かが隣にいてあげないと。私が代わりに、貴方の伝えたいことを代弁しておきますから……』

『頼めるのか?』

『ええ』


 確かに今の状態の亮介を一人にしておいては、彼自身がどうなるかわからない。竜の言葉にも一理あると感じ、素直にその言葉に甘えることにした。自身の言いたいことを竜に伝えて一言、頼むと依頼した。一言一句漏らさなかった竜は、頷いてから亮介に近づいた。


「一度、俺にお会いしてますよね。聖の従兄弟の立花竜と申します」

「あ、えっと……神楽坂亮介、です。聖さんには俺、世話になりっぱなしで……」

「俺もあなたのことは聖から聞いてます。……今日はもう遅いですし、帰った方がよろしいですよ。聖が送ってくださるようですし」


 タクシー代は聖に預けてあるから、と伝える竜。亮介は不安そうに聖を見る。視線がぶつかり、彼は小さく頷いた。そのことに安堵したのだろう、亮介は小さく息を吐いてからわかった、と了承した。そのまま竜は病院の中に入り、入り口には自分と亮介の2人だけとなった。暫く沈黙が続いていたが、聖が先に声をかけた。


「行くぞ」

「あっ、はいっす……」


 病院を出て、暫く歩く。深夜の1時過ぎの、車の通り少ない歩道を歩く。人もいなく、静かな道だ。言葉を交わすこともなく、ただゆっくりと歩いている。ふと横から吹く風に、視線を向ける。どうやら近くに海浜公園があるようだ。少し考えてから、亮介に言った。


「おい、少し寄り道するぞ」

「えっ……?」

「いいから、来い」


 有無を言わさず、強引に自分についてくるように促せば亮介はそのままついてきた。両脇には雑木林。そこを切り開くようにある、レンガで舗装された道を進む。そのまま歩き続けると、やがて視界が開ける。

 月明かりに照らされて、海面が光る。静かな海の奥に見える、ビル街。マンションや会社らしきビルに、所々に灯りが灯っている。しかしそこから響いてくるのは喧騒ではなく、安心感を与えるさざ波だけ。風が少ない今日のような日だと、こんなにも綺麗なのかと吸い込まれそうな程、深い藍の海。海浜公園らしきそこにはベンチが並んであり、自分達に一番近いベンチに座る。隣に座るように促す。やや混乱していたが、亮介も大人しく座った。そのまま何を話すでもなく、ただその風景を眺める。何分経っただろうか、ぽつりぽつり、亮介が呟くように話を始めた。


「手術を、受けて……数時間は、無事だった、んすよ……。ICUの中だったけど、それでも……榊原さんは、生きてて……。俺、明日見舞いにいくつも、りで……。それな、のに。急に容体、急変してっ……」

「そうか……」

「俺が、少し離れたら……あっという、間だった、みたいで……。だから俺、病院内を探しまくったっす。探して、探して……」


 でも、と続けた。


「結局何処にも、榊原さんはいなかったっす……見つけられな、かったっす……。それで、やっぱり俺は……」


 顔を上げた亮介の表情は、ほぼ泣き笑いのそれだった。無理矢理にも、自分の前では笑っているつもりなのだろうか。それが嫌に痛々しく聖に突き刺さる。思わずこちらの表情まで歪むほどに、だ。


「修行、頑張らないとなって……!こんな、自分の親しい人物の霊魂すら見つけられないで……。一人前なん、て遠いなぁって」

「……自分の気持ちを殺すばかりで、取り繕うだけの阿呆なら、確かに一人前と呼ぶには程遠い」

「そんな、取り繕うなんて器用なこと俺には……」

「黙れ。手が白くなるまで握りしめておいてよく言う」


 聖は横目で亮介の、血の気がなくなっている手を一瞥して言う。真っ白になるまで握られた拳が、彼の本当の気持ちを物語っているようだ。指摘された亮介は拳を解きつつ大袈裟だと苦笑するが、その言葉は聞き流す。


「泣きたくない時に泣く奴は馬鹿に入る部類だがな、泣ける時に泣かぬ奴は大馬鹿者だ」

「聖さ、ん……」

「今だけなら、肩を貸してやる。あやつは貴様にとって、唯一の理解者だったのだろう?」


 視線だけ向けながらそう言えば、亮介の表情は悲痛に歪んだ。いつもの煩く感じる明るさも、今は影すら見えなかった。それ程までに榊原は亮介にとって、かけがえのない大切な存在だったのだとわかる。嗚咽をこらえてはいたが、やがて決壊したダムのように泣き叫び始めた。幼子のように泣きじゃくり、聖の肩に顔を埋めて、ただひたすらに泣き続ける。それを嘲りども憐れみともせずに、聖はただ亮介の頭に手を置く。

 いつもの自分らしくない、とは重々承知している。あろうことか、今まで煩わしく思っていた相手を慰めて、肩まで貸している。こんな状況に陥ってしまった亮介のことを、哀れんでいるわけではない。ただ、自分の気持ちに正直にいてもらいたいと思ったのだ。あとは身体が勝手に動いた、としか言えない。それにしても、榊原とやらはこうなることがわかっていて、それでも彼の守りたいものを守ったというのだろうか。自分が殺されるかもしれないと、そう気付いていたにも関わらず。

 だとするならば、


「(守りたい相手を泣かせておきながら、その文句を言う機会すら与えずに死ぬとは。とんだ大馬鹿者め……)」


 そう感じずにはいられなかった。

 暫くの間、静かな空間に亮介の泣き声だけが木霊していた。




 どのくらいたっただろうか。月が大分進んだ頃、落ち着いた亮介が聖の方から離れる。その顔は酷いものだったが、憑き物が落ちたようにスッキリとしていた。


「すみませんっす……。でも、お陰でちょっと軽くなったっす」

「もういいのか」

「はいっす。悔しいけど……今の俺には、榊原さんのことを想って、忘れないように生きることしかできないっす。だったらもう、泣いてられないなって」


 その言葉を聞いて、亮介が本当に成長していると実感している。最初に遇った頃は自分のことばかりを優先して、霊魂のことを全く考えてなかったというのに。彼の考え方の矯正は出来ていたのかと、心のどこかで安心感と満足感を感じていた。小さく笑ってから、そうか、と立ち上がる。


「俺、帰りますね。ありがとうございますっす、聖さん」

「礼を言われることは何もしてないが?」

「なんとなく言いたくなったんすよ」

「阿呆が」


 こんな他愛もないやりとりが出来るほど、自分は亮介に関わってから変わったのかと、初めて自覚した。

 どうせ帰り道は同じ方角だ。そもそも自分が住んでいるあったか荘と、亮介の神楽坂家は同じ団地内にある。帰り道も一緒だった。自分も一緒に帰ろうと告げれば、いつもの煩いほどの明るい声で、嬉しさを表現する。今何時だと思っていると一喝すれば、素直に謝ってきた。

 バスも電車も、すでに最終便は終わっている。タクシーで帰ろうと意見が一致し、電話で送迎を頼んだ。少し、雲行も怪しくなっていた。




 タクシーの料金は折半し、神楽坂家の近くのコンビニで降りることにした。どうせ歩いてすぐなのだから、と。しかし恐らく、本音は別にあるのだろう。たとえば、


「家の者に知られるのが怖いか」


 なんて、複雑な家庭環境を指摘してみる。亮介は明らかに動揺したようで、身体が大きく跳ねた。


「まぁ構わん。俺も貴様の愚兄に遇いたくはない」

「師範と、なにか……?」

「個人的に奴が気に食わん」


 初対面の時から気に食わないと思っていたが、今回の一件で更にその気持ちが強くなった。それに元々、滝の洗脳のような修行から亮介を救うために修行に付き合っている。そんな元凶となった人物と亮介を鉢合わせにすることすら、腹が立って仕方ないのだ。亮介にとっては兄であり師匠なのだろうが、それだけは認めたくはない。それに今回榊原が殺された原因も、元を辿れば滝であることに間違いない。

 ふつふつと怒りが湧いてきたが、今ここにいるわけではないのだからと自分を落ち着かせる。しかし人間、会いたくないと思っている時に限って遇ってしまうのである。神楽坂家の前に、滝が立っていたのだ。彼は聖たちを確認すると、不機嫌な態度を包み隠そうともせずに、怒鳴ってきた。


「オイオイ落ちこぼれェ!今何時だと思ってやがるんだ、ぁあ!?」

「……師範、声が大きいです。近所迷惑に……」

「うるっせぇな、テメェがこんな時間に帰ってくるからだろうが!修行報告すらまともに出来ねぇのか!?」


 そんな、亮介に対する態度を見るのは二度目だが、違和感を感じる。いや、感じざるを得なかった。彼の背後に、巨大な魑魅魍魎が憑いているのが見えたからだ。隣の亮介も、それには気付いているだろう。額から汗が流れていた。彼が恐る恐る、それについて尋ねる。


「師範……その、後ろに……」

「あ?榊原のヤローに憑りつかせていたのに、死にやがって。オカゲサマで俺に跳ね返ってきたんだよ!こんの地縛霊共、折角自分らの恨みを向けられる人材に出会わせてやったってのに……この恩知らずが……!!」


 亮介が一瞬固まる。恐らく今の滝の発言で、事の一部が理解できてしまったのだろう。握りしめた拳が小刻みに震えているのを、見てしまった。彼は息を一つ吐いてから、ゆっくりと問いただす。


「師範……それ、どういうことですか……?榊原さんに、なにを、したんですか……?」

「はぁあ?地縛霊を!憑りつかせてやってたんだよ!!あのヤローうちに雇われてんのに、俺の命令なぞ聞きもしねぇ。それどころか、俺の行動を逐一親父に報告するわ俺の行動をいちいち監視するわ。挙句の果てに俺に説教しやがって!次期当主の、この俺に!」

「そんな、理由で……?そんな理由で、榊原さんを苦しめてたんすか……!?」

「それもこれも、亮介!!テメェがのうのうと生きてるからだ!」

「俺……!?」


 滝の表情は、既に狂気に満ち満ちている。とても正常な人間とは思えなかった。目はギョロギョロと蛇のように動いている。憎しみも哀願も、すべての負の感情を混ぜ合わせて箱に押し込めたような、しかし本人はそれを楽しそうにしている、理解しがたい表情。背筋が凍るような不気味さを感じるが、今はそれよりも別の感情の方が勝っていた。


「あれだけ何回も霊を憑りつかせた人間で襲わせたってのに、受けた傷は手の甲を切られただけ。どんだけしぶといんだよテメェ……」

「え……それって……」


 その言葉の先を予想してしまい、聖は静かに怒りを募らせる。


「お前を殺す俺の計画、何回潰しゃあ気が済むのかねぇ!?」


 にんまりと歪んで笑い、滝は宣言するようにそう告げたのであった。

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