第二十四節 魔法使いは思考する(2/2)

 カフェテリアの受付で頼んだ「てりマヨスパゲッティ」を食べる。照り焼きチキンとマヨネーズといった日本らしい組み合わせだが、案外ソースがパスタに絡んで美味しい。上にふりかけてあった刻み海苔も、いいアクセントになっている。今度、竜に作ってもらおう。向かいに座っている沙羅は、何事もないように真っ赤なうどんを美味しそうに啜っている。その姿に驚愕し、思わず固まる。


「……辛くないのか?」

「もちろん辛いですよ?」

「えっ」

「でも唐辛子は凄いんですよ?唐辛子に含まれているカプサイシンは中枢神経を刺激して、アドレナリンを分泌します。このアドレナリンは脂肪燃焼作用を活発にする働きがあって、代謝を促進させたりするなどの効果があるんです。つまり発汗が促され、ダイエットにも有効とされているのです!それに他にもいろんな効能が……」

「あの、沙羅、少しその……」


 彼女の熱弁ぶりに圧倒され、身を引いてしまう。熱心な姿は良いかもしれないが、こう熱くなっている彼女の対応には、いつも手を焼いている。ただこのように話の腰を折るように、落ち着くよう促せばの物分かりの良い彼女は素直に落ち着く。机に乗り出さんとしていた勢いを落ち着かせ、一つ謝罪をしてから、恥ずかしそうに微笑む沙羅である。


「ごめんなさい、私ってばまた……」

「落ち着いてくれたならいいが……。学校で得た知識か?」

「いえ、これは自分で本を読んだり勉強して学んで得たことです」


 そう言って、沙羅はまたうどんを食べ始める。顔色一つ変えずに食べているところを見ると、本当に彼女が激辛好きなのだとわかる。汗もかいているが、化粧が落ちている様子はない。ウォータープルーフというやつなのだろうか。


「……一つ、訪ねてもいいだろうか」

「いいですよ」

「学校とは……いいものなのか?」

「聖さん……?」


 いつになく真剣な自分の様子に、沙羅もしっかりと向き合ってくれるようだ。箸をお盆に置いて、話を聞いてくれる姿勢を見せてくれた。パスタ皿にフォークを置き、静かに告げ始める。


 ―――私達以外の人との交流と言うか、そういうのは刺激になっていいもんだよ?


 以前、そう香織に言われてから実はずっと考えていたのだ。本当にそれは良いものなのだろうかと。

 亮介と関わるようになってから、自分は変わってないように思っていたが、変わったと言われることが多くなった。見知らぬ人との関わりが増えた。それに対して、最初こそは鬱陶しいと感じていた。しかし最近になって、それ程苦でもなくなったような気持ちになっていることに気付いた。正直、この自分の心境の変化に自分自身で混乱しているのだ。

 日本に来てすぐの頃から、ただ人目につかないように隠れるように生きてきた。言い方を変えれば、自分の大切な人を最小限に抑えておいた。学校なんて以ての外だ、とすら思っていた。もし行ってしまったら、今まで自分がとっていた行動が無意味なものになる。そう考えているのに、何故か最近、それにとても関心を向けている自分がいる。それが酷く不安定で、どうしたら良いのかわからずにいる。

 そんな胸の内を吐露した。


「現役大学生の沙羅なら、学校のことなどに詳しいだろうと思った」

「それで、学校はいいものなのかって聞きたくなったんですね」

「申し訳ない……。その、タイミングとやらを掴めずに、こんな時に聞いてしまった……」

「大丈夫ですよ、気になさらないでください」


 小さく笑ってから、沙羅はそうですね、と語る。


「いいかどうかは、人から言われて決められるものじゃないと思います。学校で嫌な思いをした人はいいものじゃないって言いますし、その逆も然りです。でも、私の実体験から言わせていただくなら、学校はとても楽しかったですよ」


 とても満足そうに微笑む彼女の笑顔が、春の木漏れ日のように優しい。それから沙羅が語り出したのは、自らの学校での思い出だった。

 楽しかったことや辛かったことが多くあったが、中でも一番楽しそうに語ったのはそこで出会えた友人たちについてだった。高校生の時に出会った友人は、一生の友達だという沙羅。卒業後に進路は別々になってしまったが、今でも連絡し合って遊んでいると言う。素の自分のままで一緒にいられる仲で、支えにもなっている。とても大切な人達だと語る沙羅は、眩しかった。


「聖さんの求めているような、明確な答えは言えないんですが……。私は、学校に通ってよかった、そう思っています」

「そうか……感謝する、参考になった」

「そうであったなら、良かったです」


 そうは言ったが、心の中ではまだ迷いが生じる。大切なものは多ければ多いほど、失った時の喪失感や虚無感は強い。はたして、自分はのだろうかと。

 そこまで考えて、はたと気付かされる。自分は、今何を考えたのだ。これでは自分から大切なものを増やすことを、求めているようではないか。

 そんな思考を放棄するように、聖は残りのパスタを食べる。ちなみに、沙羅の器は綺麗さっぱり空になっていた。




 その日の夜のこと。いつものように香織さんの部屋で夕飯を食べ終わり部屋に戻ろうとした。しかしその前に、香織と竜に、話があると呼び止められる。何の話だろうかと、片付けを手伝いながら考えた。

 片付け後、それぞれ夕食後のコーヒーなど用意してから、席に着く。そんなに緊張しなくてもいい、とは言われる。しかし目の前に香織と竜が座っていて、その向かいに自分だけ座っているというこの状況。悪いことをしたわけではないのに、説教を受ける子供みたいではないか、と変に畏まってしまう。


「話したい内容は、これについてです」


 そう言って、竜がテーブルに置いたのは青い封筒だ。そこには編入案内の文字と送り元であろう、西の山の下高校の文字が印刷されていた。その文字に、思わず息が止まる。昼間の沙羅との話し合いの後のこれだ、心の内を見抜かれているようで。


「こ、れは……」

「エル、私が前にあんたに言ったこと、覚えてる?」

「……香織さんたち以外の人との交流の、ことか?」

「そう。実はこの話、半月程前にしようとは思ってたんだけど……色々時間とかが合わなくてね。タイミングを見計らってたんだ」


 結局こんな遅くになったけどね、と苦笑する香織。この話、実はリリーは知っていたようだ。たまたまリリーが封筒を見つけてしまい、竜に問い詰めたそうだ。隣でふよふよ浮かんでいた彼女だが、目線を合わせてごめんね、と謝罪する。


「……俺が家にいると、香織さんが落ち着かないのならば……」

「ああ違う違う!そんなんじゃないよ、勘違いしないの。あんた達が手伝ってくれていることには感謝してもしきれないよ」

「そう、か……?」

「当り前さね。私がそんな恩知らずだと思ってるなら、そっちに怒るよ」

「も、申し訳ない……」


 その会話のお陰か、少し緊張がほぐれた。息を一つ吐いて、その封筒を眺める。


「貴方の年齢ですから、大学か通信制学校か迷っていたんです。ですが、貴方には直に人と触れて、様々なことを学んでほしい……。なので私と香織さんで、内々に相談はしていたんです」

「レーア……」

「日本に亡命してきて5年……ずっと、隠れるように生きていましたが、貴方にはもっと、明るい世界を知ってほしいのです」


 その竜の笑みの意味を理解し、しばし俯く。

 本当にいいのだろうか。今まで自分はに見つからないように、極めて静かに隠れるように生きてきた。その生活は苦ではない。寧ろ、それが当然だと思っていた。それが、自分が外に出ることで大切な人達が、何かに巻き込まれてしまうのではないか。それを考えると、素直に行きたいとは言えない。


「大丈夫ですよ」

「えっ……」

「私達は、エルが考えているほど弱くはありません」


 その言葉が、優しく自分の中に染み渡るように響く。いつも竜は、自分の不安を理解して解決してくれる言葉をくれる。


「今すぐ答えは出さなくてもいいよ。でも、頭の片隅では考えておいてくれる?行く行かないは強制しないし、どっちに転んでも、私達はそれを受け入れるからさ」

「香織さん……」

「こういうのは悩んで悩んで、後悔のないように決めるもんだからね」

「……すまない」


 話はこれだけ、とその場は解散となる。竜と共に部屋に戻って、寝る前にこれだけは伝えようと、彼に言葉をかけた。


「レーア」

「なんですか?」

「……、感謝する。その、機会を与えてくれて」

「……!ええ、ゆっくり考えて下さいね」

「ああ。その……おやすみなさい」

「おやすみなさい」


 嬉しそうな竜の言葉を背に受けて、聖は敷いておいた布団に潜り込んで思考を巡らすのであった。

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