第二十二節 魔法使いと親心その2(2/2)

 神楽坂除霊相談所は、大きな日本家屋の一角にあった。正門を通り抜ければ、立派な日本庭園が出迎えた。車は屋敷の前で停まり、後部座席のドアが開いた。


「英之助様は屋敷でお待ちです」

「……」


 秘書の男は車を片付けるために、聖が車から降りたのを確認してもう一度車に乗って走らせた。聖は屋敷に入る前に周囲を一瞥する。

 成程、一見すれば確かに厳かな日本庭園に豪華な日本家屋だ。霊力や魔力がない一般人から見れば、ここに相談しに訪れれば悩みが解決しそうな雰囲気を感じることだろう。だがこれは……。


「(結界か……)」


 何者であろうとも阻む拒絶の結界が張られているのを、彼は確かに感じていた。ますます聖のいらつきは募る。ただ、ここにずっといるわけにもいかない。行くしかあるまい、と腹を括って聖は屋敷に入った。


 広い玄関には、お手伝いだろうか、中年の女性が待っていた。秘書の男と同じように聖に一礼する。


「お待ちしておりました。ご案内します」

「……」


 お手伝いの後を歩き、聖は屋敷を進む。綺麗に手入れされているはずの庭園がガラス張りされた戸から見えるが、彼にとってそれは気味の悪いものにしか見えなかった。もっと綺麗で美しい庭を知っているからだ。

 ずいぶん進んだだろうか、ある部屋の一角でお手伝いは止まって襖に向かって声をかけた。


「英之助様、お連れいたしました」

「わかった。入れなさい」


 襖の奥からは威厳のある声が返ってきた。返事を聞いたお手伝いは襖を引いて、聖に入るように促した。

 襖の奥に広がる部屋は洋装になっていて、畳の上に豪華そうな絨毯が敷いてある。その上に置かれた低めの長テーブルに、ソファー。応接間のつもりなのだろうか。

 座っていた男性は立ち上がると聖に向かって言う。


「お客人、ようこそ神楽坂除霊相談所へ。といっても、今日は休みなんだがね。まぁお座りなさい。話があるのだよ」

「……」


 名乗りもしないでよくもまぁ。なんて不快感は心の奥にしまって、男と向かい合うようにして対面のソファーに座る。男もお手伝いにお茶を用意するように指示してから再び座る。手首には数珠があり、この男自身からも並々ならぬ霊力を感じていた。


「まずは自己紹介といこう。私の名は神楽坂英之助。代々続いている神楽坂家の当主、この相談所の代表取締役といったところかな。キミの名を教えてくれないか」

「フン、よくもぬけぬけと。調べさせておいて教えてくれとは、滑稽だな?」

「はは、それは確かに。だが、キミの口から直接聞きたいのだよ」


 この男、食えないやつだな。


「立花聖……これで満足か」

「うむ、すまなかったな。聖か、良い名だな。さぞ良識のあるご両親なのだな」

「……話とは、こんな無駄話のことか?」


 正直、この場所から一秒でも早く立ち去りたい聖は、皮肉も交えながら英之助に噛みつく。そんな態度に、何か気に障るようなことでもしただろうかと冗談を返す英之助。その態度に、ますます不信感が募っていく。そんな態度に、失礼したと詫びた英之助が顔を上げると、当主らしい厳格な表情になっていた。成程、確かに当主というのは嘘ではないらしい。


「……うちの馬鹿息子が、世話になっているようだな」

「あの半人前の除霊師のことか」

「そうだ。あれに、何を吹き込んだのかね?」

「吹き込んだ、ときたか。やはり、貴様は度し難い阿呆のようだな」


 吐き出すように答えて、彼はやはり亮介の面倒を引き受けたのは正解だと感じた。もし自分が修行を見ると告げなければ、あの男は間違った道を進むことになったのだろう、とも。

 確かに霊魂のためにあの男の世話を引き受けたが、今は何故だがこやつらには任せられん。あの男のためにも、とすら思っていた。


「俺は貴様らの、霊魂をもののようにしか捉えん考えが嫌いでな。現世に留まった霊魂の事情を顧みず、自分たちの都合のままに強制的に除霊するなど、除霊師の風上にも置けん。看板を降ろしたほうがいいのではないか?きっちりとした除霊師に刺される前にな」

「霊魂をもののように、か。生憎だが、少なくとも私はそうは捉えているつもりはないのだがね?」

「何処までも道化師を演じるか貴様。ならば何故、貴様の長兄とやらはあれ程までに横暴なのだ?」


 その問いに、少し意外だと思ったのだろうか。英之助はあやつに会ったのかと訊ねた。


「ああ、偶然だがな。俺にも霊が憑りついているから、と頼んでもいないのに除霊をされるところだったぞ」

「そうか……それはうちの者が失礼した」

「よく言う。貴様の長兄を育てたのは貴様であろう?その意識を植え付けたのもな……霊魂なぞ、ただのモノだ、という意識をな」


 突き刺すような視線と言葉を英之助に投げかけるが、彼はそれに対して哀しそうに目を伏せた。そんな思っていた反応とは違うことに若干動揺はするが、足を組んで返しの言葉を待つ。

 何故そんな表情をする?今言った言葉の中に間違いがあるとでもいうのだろうか?


「何か勘違いをしているようだが、私はそのように育てたつもりはない。霊魂とは本来、尊ぶべき存在だ。そんな尊ぶべき霊魂が彷徨っているのであれば、声をかけて導くことこそ除霊師たるもの。自分の都合で除霊など、言語道断」

「なに……?」


 今、何と言ったのか。

 この男の考えは、自分と同じように自分の都合よりも霊魂の事情を優先するというのか。では何故、


「では何故、貴様の長兄はあんなにも傍若無人なのだ?」

「……あれは天性の霊感を持った稀な存在だ。私の修行を受けるまでもなく、潜在的に除霊の方法を知っていたのだろう、幼子の時にはすでにその術を取得していた。……当時は私も若かったゆえに、霊魂を尊ぶべきものだということを口頭でしか伝えなかったのだ。それが最大の過ちだった……まさか、あれ程まで酷い人材になるとは思わなかった」

「そこは自覚しているのだな」

「自分の子だ、私の育て方を間違えたことを他の誰にも責任転嫁するつもりはない」

「そうか」


 せめて次男の亮介には彼のような除霊師にはなってほしくない、その一心で厳しく育てていた。しかし一向にその才能を開花しない亮介に、英之助は焦燥を感じていた。そんな時に、滝が彼の師範になるということを相談もしないで半ば強制的に決めてしまった。霊力の強さが家系内の強さであるという神楽坂家では、滝は英之助に次ぐ霊力の持ち主。しかも老いが入り始めた自分では、もはや滝には敵わないらしい。

 滝を師にしてから修行をしていた亮介は、言い渡された修行の中でその霊力を低下させることになっていたのだ。それはそうだろう、強制的に除霊なんかしてその者に影響がないわけがない。英之助自身はそのことに危機感すら覚えていたのだという。しかし自分ではどうすることも出来ずに、相変わらず厳しく接することしかできなかった。

 そんな状況がしばらく続いていたある日、亮介の霊力が高まった状態になっていると気付いた。それは偶然ではなく、ある日を境にそれは段々と確実なものになっていた。その状況が気になった英之助は秘書に調査を依頼し、そして聖に辿り着いたのだという。一度しっかりと話をしてみたいと思い、今回屋敷に招いたのだという。


「秘書の報告通り、とても良い眼の持ち主だ。霊力ではないが、何か特殊な力を私でも感じる。透き通って心地の良い力だ。その力のお陰で、あの馬鹿息子が成長しているとは……これでは親失格の烙印を押されても仕方あるまい」

「なにか勘違いしているようだが、俺が貴様の息子を見ているのはただ単に霊魂のためだ。半人前なのに無理矢理除霊させられる霊魂が不憫だと、そう思ってな。だがそれを抜いても実際、あやつ自身は霊は泣いて成仏するよりも、笑って成仏したほうが断然いい、その方法を知りたいと懇願したからこそ俺は引き受けた」


 貴様の願望は引き継げたみたいだぞ、そう伝えれば英之助は厳格な表情を和らげてそうかと感慨深そうに呟いていた。

 そんな英之助を見て、聖は自分の考えの浅はかさを恥じた。一部を見て全体を評価するなど、愚の骨頂だったのだと。それを素直に謝れば、そう思わせた原因は自分にもあるから、と顔を上げるように頼んだ。


「……私がキミと直と話したいと思ったのは確かに興味本位でもあるが、頼みがあったのだ」

「頼みだと?」

「本来頼める立場ではないということは、十分理解している。だが、キミ以外の者には頼めないのも事実……聞いてはくれまいか」

「……話だけは聞こう」

「感謝する」


 数日後、神楽坂家の次期当主を決める儀式がある。このままでいくと、次期当主は滝になってしまうことだろう。しかし、それは英之助は最も望まないことだという。自分の教えを破り、傍若無人に振る舞う滝にその座が渡れば、長年続いた神楽坂家に泥を塗ってしまうことになる。これは先代のみならず、先祖までも侮辱することになろう。だから彼に、ある物を預かっていてほしいという。


「預かりもの?」

「そう、これだ」


 英之助は応接間の棚の中に入れて保管しているという桐箱を取り出し、聖に見せた。

 中には美しい色のした数珠と、何枚かの札が入っていた。


「これは先祖代々、この神楽坂家に伝わる数珠と封印札。この家の当主になるものが引き継ぎ、守り続ける品だ。これを、キミに預かっていてもらいたい。そしてあの馬鹿息子が除霊師の何たるかを完全に理解したとき、渡してほしい」

「何故そのようなことをする?」

「……当主決めの日に、私はあの子を破門させる」

「なに?」


 引き継ぐために必要な数珠と札がなくなれば、当主は決まらず家は廃れることだろう。だが、家に泥を塗られることがわかっていながら、滝に家系を預けることはできない。ならばいっそのこと、失くしたと嘘をつき、その犯人を亮介に仕立て上げる。それを理由に破門を言い渡せばこの家にも滝にも関わることが出来なくなるが、その分自由を与えることができる。獅子の子落としだと思うだろう、その解釈は正しい。子供のためにあえて辛い道を歩ませるのだから、と。


「親の我儘に付き合わせてしまうことになるが、頼めないだろうか?これが、私のできる最大限の手だ」


 親というのは、酷なものなのだな。子のために、子を傷付けるなど。

 関わり合いたくはないが、この男の言っていることも理解できる。あの滝とかいう男に家系が渡ってしまえば、さらに酷いことが起きるだろうことは安易に予想がつく。致し方あるまい、と呟いて桐箱に手を置いた。


「引き受けた。その時が来るまでは、俺が必ず守り抜けよう」

「ああ、ありがたい。感謝するよ、聖くん」


 そう笑った英之助の表情は、立派な父親の顔をしていた。

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