第二十一節 魔法使いと親心その2(1/2)

 その日は久し振りな穏やかな日だった。冬の寒さもだいぶ和らいで、春の陽射しを思わせるかのような温かな日だ。

 今日は亮介からの電話もなく、聖自身とてもリラックスしている。それは隣で浮いているリリーも同じらしく、平和だねと呟く。今日は香織も用事があるらしく、朝から出掛けている。ただ家にいても時間が勿体無いかと結論づけて、彼は出掛ける準備をした。

 何処に行くとは決めてない。久し振りに目的もなく散歩してもいいだろう、そう思ったらしい。


「出掛けるの?」

「ああ」

「なら私も一緒に行く!」

「……勝手にしろ」

「ふふ、勝手にさせていただきます!」


 楽しそうに笑うリリーをよそに、黒いジャケットを羽織って火の元を点検する。安全であることを確認してから、部屋の鍵をかけて、散歩に出掛ける。


 風はまだ冷たいが、ひと月前に比べたら大分暖かくなったものだ。寒いのが苦手でもあった聖は、早く春が来て欲しいと願うばかりであった。

 しばらく歩くと、落ち着いた雰囲気が漂うカフェが目に入る。フルールとは似てるようで違う雰囲気に、思わず立ち止まって凝視している。そんな様子を面白おかしく眺めていたリリーが、入ればいいのに、と声をかける。

 それに対して、そうだなと呟いて、これが新地開拓というものかと少しズレた結論を出した聖。導かれるように、その店に入った。


 カランコロン、と扉を開ければ鈴が鳴る。外観だけではなく内装も落ち着いた雰囲気で統一されていた。静かな空気に漂うジャズの音楽、綺麗に磨き上げられているカウンター、全体の彩度を落とすことによって感じる大人な空間。まるで一昔前の時代にタイムスリップしたかのような錯覚を覚えた。

 カウンターには初老の男性がカトラリーを磨いていた。男性は聖に気付くとくしゃり、と笑った。


「ようこそ、いらっしゃいませ。初めてのお客様ですな?」


 どうぞ、と手招きする男性の向かいに座った聖はぽつりと呟く。


「落ち着いた、よい空間だ……。貴殿の趣向か」

「ほほ、お若いのに面白い言葉遣いをなさるのですねぇ。ええ、亡くなった家内と考えた内装にございます」

「そうだったのか……それは、失礼した」

「お気になさらずに。さぁ、こちらがメニューです。お決まりになられましたら、お呼びください」


 メニューを渡した男性、マスターは笑うと、再びカトラリー拭きを始める。

 手書きの文字に、ラミネートされたメニュー表からは温かさも感じる。初めてだが、良いところに来たと聖は商品を頼む前から満足していた。リリーも思うことは同じらしく、とても上機嫌のようだ。とても素敵なマスターだね、と語る。

 メニューに目を通していると「マスターのオススメ」と、大きく書かれた文字。どうやらこの店のオススメの品はマスター特製プリンらしい。比較的甘いものは好きな自分も興味を惹かれる。これにしよう。


「すまない、頼めるか」

「はい、お決まりになられましたか?」

「ブレンドコーヒーと、この特製プリンを頼む」

「承りました」


 注文を受けたマスターは手動式のミルに一杯分のコーヒー豆を入れて豆を挽く。使っている豆も良いものなのだろう、新鮮な香りがカウンターまで届く。挽いた豆をこの店ではサイフォンで淹れるらしい。見た目にも美しいサイフォンは、しっかりと手入れがされている証拠だ。ゆっくりじっくりとフラスコ内に淹れられたコーヒーはそれは美しい色で、気分を落ち着かせるモカベースの香りが鼻孔を擽る。

 冷蔵庫から冷やされたココットを取り出して、専用の器に盛りつけられる。シンプルながらも見た目から滑らかそうな優しい色合いをしたプリンは、マスターの人柄の良さを体現しているようだった。


「お待たせいたしました。当店自慢のブレンドコーヒーと特製プリンでございます」

「ああ」


 目の前に差し出されたコーヒーもプリンも、食べるのが勿体ないくらい美しい品である。だが、時間が経てば新鮮さがなくなる。まずは一口、コーヒーを飲んだ。

 モカベースの、恐らくブレンドされた豆なのだろう。深いコクがあり、飲んだ後の余韻を長く感じることができる。なんともバランスの良い風味だ。ほう、と一息つくにはちょうど良い。

 そしてオススメであるプリンにスプーンをいれた。ぷるん、とした柔らかい弾力にスが入ってない美しい表面。あたたかな淡い黄色に映える濃い色のカラメルソース。口の中に入れればコクのある玉子と生クリームのまろやかな味わいに、舌触りの滑らかな食感。甘いだけではなく、カラメルソースがアクセントになっていて飽きがない。しかし互いが喧嘩をせずに引き立てあいながら与える優しい味わいは、成程これは確かにオススメにするのも頷ける一品だ。


「美味いな……」

「ありがとうございます」


 彼のなんの面白みもない感想にも感謝の言葉をかけるマスターに、聖自身安心感さえ覚えた。今度、レーアもこの店に連れてこようか。きっとマスターと仲良くなれるだろう。


 自分はそういった人と人との繋がり方はわからない。羨ましい、と思ったことはないが、生きていくうえでは便利なのだろうな、とは思う。だがいかんせん、生来こんな性格ゆえにどう対処していいのかがわからないのが現状だ。修行に付き合っている、あの半人前の除霊師である亮介のコミュニケーション能力に劣ってすらいる。それは疑いようのない事実だし、それに対してどうこう思うわけでもない。


「ところでお客様は、この近くにお住まいなのですか?」

「何故だ?」

「いえ、私もこの街に住んでずいぶん長いのですが、大抵の住人の顔は覚えております。ですがお客様とは初めてですので、もしかして隣町からわざわざおいでくださったのかな、と思ったのです」


 老人の気まぐれと思ってください、と。


「そうか……一応、俺もこの街に住んではいる。が、越してきた身なのでな。わからんことも多い」

「左様でございましたか。ここは良い街でございます。穏やかで、平和で、人と人の繋がりを深く感じれる場所です。私と家内が出会ったのもこの街でしてねぇ。この店を始めたのも、家内との夢だったからにございます。人と人の繋がりを、もっと身近に感じたいから、と。よく家内が申しておりました」


 ふふ、と笑うマスター。自分のことを話しているときの表情はすごく穏やかで、聞いていて心地の良いものだ。人と人との繋がり、か。


「成程、道理で居心地の良い場所だ。多くの思い出がこの店には詰まっているのだろう」

「ありがとうございます。お食事中に申し訳ありませんね、初めてのお客様とはお話ししたい癖がついてしまいまして」

「貴殿となら構わん」

「そう言って下さると幸いです」


 サイフォンを片付けながら笑うマスター。本当に淡い光を持っているのだな、と思う。最愛の妻を亡くしても悲観するのではなく、受け入れて前に進んでいる。それは年の功なのか、マスター自身の意志の強さなのかはわからない。けど、眩しい。どうしてそんなに強いのか。どうしてそんなに明るく振舞えるのだろうか。

 自分には、できない。理解はできても受け入れることはできなかった。


「エル?大丈夫?」


 心配して自分のところに降りてくるリリー。マスターに気付かれないよう小声で返事をすれば、なら良かった、と安心したようだ。


「この街に住んでいるということは、学校は西山の下高校ですかな?」

「学校?」

「おや、卒業生でしたか?」

「いや……学校には通ってはいない」

「そうだったのですね。学校は良いものですよ、沢山の思い出ができます」


 思い出など……失った時、一番つらいものになるだろうに。

 ……あの亮介とやらも、通っているのだろうか。


 そこまで考えて、彼は軽く頭を振る。何故一瞬でもあやつのことを考えたのだろう。あやつとはただ、修行を見るうえで付き合っているだけだ。それ以外で関わる必要などない。そうだ、それでいい。


「考えてはおこう」

「ええ、きっとお客様にとって貴重な時間になりますよ」


 残りのコーヒーとプリンを味わいながら、そんなマスターとの他愛ない会話をしばし楽しんだ聖。何時間たっただろうか、十分楽しんだ彼はお会計をすることにした。


「良い時間だった。また邪魔してもいいか?」

「はい、どうぞおいでくださいませ。お待ちしております」

「そうか。では、失礼する」

「ありがとうございました」


 カランコロン、と鈴がまた鳴る。

 外は相変わらず日差しが暖かかった。さてこのあとはどうするか、と考えていた時だった。どこか不安そうに回りを見回していたリリーが言う。


「エルごめん、なんか嫌な空気だから私先に帰るね!」

「リリー?」


 言うが早いか、彼が彼女のいたところを見たときにはリリーはすでに空遠いところへ逃げるように飛んで行った。それを確認した聖に前に、黒い車が停まる。今度は何だとそちらを見れば、黒いスーツを着た若い男が降りてきた。男は迷いなく聖の前まで歩いてくると、一礼をしてから彼に話しかけた。


「立花聖様ですね?」

「……何者だ、貴様」


 聖は警戒心を露わにする。自分は名乗っていないのにも関わらず、目の前の男は自分の名前を言い当てたのだ。顔見知りでもない男にそんな対応をされて、聖は左手をズボンのポケットにしまう。いつでも魔法でこの場を切り抜けるためだった。


「失礼しました。私は神楽坂英之助様の秘書にございます」

「神楽坂……?」

「はい。この街で除霊相談所を生業とされております神楽坂家の当代当主、英之助様が聖様とお話がしたいと申されております。申し訳ありませんがご足労願えますか?」


 神楽坂、除霊相談所と聞いて、彼は先日目にした神楽坂除霊相談所のチラシを思い出す。あのいけ好かない場所の当主が何故自分に?いや、それ以前にあの亮介とやらの親族がなんの用だ?疑問は尽きないが、行かないわけにもいかなかった。どうしても文句の一つでも言わなければ気が済まなかった。


「いいだろう、貴様の主とやらに会ってやろう。連れていけ」

「承りました。それではお乗りください、ご案内します」


 男に促されて車の後ろ座席に座った聖。運転席に座った秘書の男が、ゆっくりと神楽坂除霊相談所まで車を走らせるのであった。

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