第十節 魔法使いと除霊師(2/2)
全く持って腹が立つ。あの男にも、その弟にも。最初から関わるべきではないと思っていたが、ここまで自分のリズムを狂わされると我慢も限界に近かった。
……いや、違う。彼をここまで腹立たせているのは、何より自分自身に対してであった。何より家族同然のリリーに手を出されかけたとき、何も出来なかった。それが悔しくて、何より腹立たしい。落ち着かせるために息を吐く。
「俺は無力だな……」
ぽつり呟けば、その言葉が重く胸に残る。左手の中指に嵌めている指輪を一瞥して、軽く頭を振った。
家に戻ったら、彼女に謝ろう。きっと彼女はそれを気に留めるなと言うかもしれないけれど。
またゆっくり歩き始めようとしたら、服の裾が引っ張られる感覚に視線を後ろに向けた。
「やっぱり見えてる!」
太陽のように笑う、年端も幼い男の子。身体が半透明であるのは、この子が霊である証拠。聖に笑いかける幼子は続けた。
「赤い目のお兄ちゃん、あそこにいるお兄ちゃん知ってる?」
そう言って指を差した先を目で追えば、そこには幾分小さく見える亮介の姿。
ピクリと眉が動くが、子供相手に感情を剥き出しにも驚くだろう。なるべく抑えて言葉を返す。
「あいつが、どうかしたのか……?」
「えっとね、僕お父さんお母さんのこと心配してたら天国に行く道がわからなくなっちゃって。それでね、あのお兄ちゃん紫色の玉のね、チェーンつけてた!」
「数珠、な」
「じゅず?」
「お前が言った紫色の玉のチェーンのことだ」
この子が言いたいのは、恐らく自分を除霊をお願いしたけど断られたのだろう。
男の子は続ける。
「お爺ちゃんのお葬式で、頭つるっつるの人が持っていたのとそっくりだったから、あのお兄ちゃんに僕を天国に連れてってってお願いしたんだけど、何を話しても答えてくれないんだ……だからね、赤い目のお兄ちゃん。あのお兄ちゃんに僕を天国に連れてってってお願いするの手伝って!」
やはり、そうきたか。
これがいくつか年を重ねている大人だったら断る理由でも考えたのだが、こんな幼子のお願いを切り捨てられるほど、彼は残酷にはなれなかった。
真っ直ぐな瞳が必死で、自分は霊のこの瞳に弱いのだと再認識させられた。
「……わかった。なら、ここで少しの間だけ待っていてくれるか……?」
「なんで?」
「俺はあいつがお前の話を聞いてやれるようにする。そうしたら、お前が改めてあいつにお願いしろ……自分の旅立ちは自分でスタートしなければならん」
「ほえー。わかった!僕、待ってる!お留守番得意だもん」
中々理解力がある子供でよかったと、聖は心の中で思った。たまにいる、聞き分けが出来ない大人の霊よりよっぽど大人だ。
内心関心ながら、若干重い足取りで亮介の元へ向かう聖。毎回ならば、自分の姿が見えただけで煩わしく思うくらいに笑う彼だが、今はどうやら違うようだ。ずっと下を向いたまま、銅像のようにピクリとも動かない。
彼が聖に気付いたのは、視界に聖の足元が入ったときだった。ゆっくり顔を上げて、覇気のない笑顔を自分に向ける。
「あ、聖さん……」
「……」
しまった。近付いたはいいが、どうやって話しかけたらいいのかわからない。
言葉が出ないまま亮介の前に立っている聖。一見クールな立ち振舞いに見えるが当の本人は必死に頭の中で言葉を探していた。
「……なにをしている」
……よかった、言葉が見つかった。
「えっと、ちょっと考え事っす」
苦笑して頭を軽くかいた亮介。様子が違うのは明らかだ。そのことも気がかりだが、今は別の用事がある。
「……あの子供が貴様に成仏してくれと頼んでいる。さっさとやれ」
「俺に成仏を……?」
彼に言われて辺りを見渡してみれば、こちらの様子を伺う子供が一人。あの子のことかと理解したが、首を横に振った。除霊師として修行をしているならば、あの子供の霊は言い方は悪くなるが修行道具となる。
それにも関わらず断るとはどういった了見か。
「成仏は聖さんがやってあげてください。俺には無理っすよ」
「俺は除霊は出来ん。それに、あやつは貴様に頼んでいる」
「それは嬉しいんすけど……自信ないっす」
相変わらず苦笑するばかりの亮介に、どうやらまず原因を突き止めなければならないと考えた聖。聞くのも億劫だったが、あの子供の霊のためなら仕方ないと腹を括った。
「あの男に言われたことを気にでもしているのか」
「ああ、滝兄さんのことっすか?まぁ滝兄さんはいつも俺にはああいう態度っすから大丈夫なんすけど……でも……」
「なんだ」
口ごもり、視線をさ迷わせる亮介を逃がさないとばかりに聖は見ている。暫く唸ったあと、捻り出すように言葉を続ける。
「ふと思ったんっすよ。俺の除霊って間違ってるのかなぁって」
「……」
意外だ。この男、考えなしの馬鹿ではなかったのか。
そんな聖の感想はいざ知らず、左手に持っていた数珠を見つめる亮介の瞳は憂いを帯びている。
「俺の家は、俺以外は皆優れた除霊師っす。昔から家族の除霊を見てきたんすけど、除霊されている霊は皆泣いてるんです」
その言葉で、神楽坂除霊相談所がどれほど霊に対して残酷なのかを理解した聖。
あの滝という男と遇って話を聞いてからまさかとは思っていたが、家族全員が自分の都合だけで除霊をしているのだろうか。
「俺は、霊が泣いているのは嬉しいからだって思ってました。この間まで、そう思ってた」
数珠を握る力が強くなる。無意識なのかどうかは理解しかねた。
「でも、この間聖さんが話していた霊は笑ってた。初めてだったんす!霊が笑って成仏したのを見るのが初めてで、なんかこう、胸の辺りが温かかったんす!」
亮介の瞳がまた輝く。それを聞いて、聖の心境も変化していた。
「俺、なんで霊が笑ったのかどうしても知りたいんすよ。俺には出来ないことだから。でも聖さんなら出来るかなって……」
……この男は、まだ間に合うのかもしれない。幸いこの男は修行中の身であって、修行次第では少くともこの男の兄のようにはならない可能性がある。
ついさっきまで、霊を泣かせるこの男が大嫌いだった。いや、正直今でも嫌いだ。相変わらず能天気で馬鹿みたいに明るくて。自分の都合だけで成仏させるようなやり方をする呆れた除霊師だと思っていた。
だが、あの滝という男がこの男の修行を指示しているのだとしたら?霊に対して高圧的な態度を取れと指示されて、それに仕方なく従っているのだとしたら?
他人との関わりなんて持つ必要がないと思っていた聖に、一つのきっかけが生まれつつあった。
「……貴様は、霊を泣かせるために除霊師になりたいのか?」
単純明解な質問。だがこれは聖にとっては大事な質問だった。その問いに直ぐ様亮介は反応する。
「まさか!笑って成仏できるなら、そっちの方が断然いいっすよ!!」
決めた。
この男を、必ずあの滝よりも優秀な除霊師にしてやろう。だが決してこの男のためではない。自分のためでもない。霊のためだ。
そう自分に言い訳して聖は亮介に言った。
「なら、貴様に教えてやる……」
「え?」
何事かと呆けた顔で自分を見る亮介を尻目に、聖は続けた。
「……貴様に霊を泣かせない方法を教えると言っている低能」
「本当っすか?!」
漸く聖の言葉を理解したようだ。飛びかかる勢いで立ち上がり、目を爛々と輝かせて彼を向く。
呆れた立ち直りの早さだ。その立ち回りに鬱陶しさを感じつつも、答える。
「さっきからそう言っているのがわからんか」
「あっスイマセン!でも、ありがとうございます!」
さっきまでの暗さは何処へ行ったのやら。初めて会ったあの時のように、眩しいくらいの笑顔を向ける。
そしていつの間にか、手を握られ勢いよく上下に振っている。正直痛い。というか、何故断りもなしに人の手をシェイクする。いつまでこの状況なのだろうか。
いい加減痛みを感じたので睨みながらやめろと一言言えば、慌てて謝りその手を離した。
「嬉しいっす!聖さんに除霊のコツを教えてもらえるなんて光栄っす!!」
「黙れ。耳元で叫ぶな」
声のボリュームまで2割増しているようだ。耳がキンキンする。
ため息をつき、ただしと言いながら亮介に向き合う。
ひとつだけ釘を差さねばならないことがあったのだ。
「ただし、俺の目の前でまた霊を泣かせるような真似をしたら二度と俺に話しかけるな。近付くことも許さん……いいな」
剣のある視線と言葉に、言われた亮介も何かを感じ取ったようだ。笑いながらも真っ直ぐ聖を見て、一言。
「わかりました。必ず守ります!」
答えを受け取り、一先ず安心した聖。踵を返し、随分待たせてしまったあの子供の霊の元へと亮介を連れて向かうのであった。
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