第八節 魔法使いと親心(2/2)

 一通り聞いた香織はただ一言、成程と呟く。


「そんなことがねぇ……」

「……ああ。腹立たしい奴だ……」

「そっか。でもおかしいねぇ、私が知る限りだとその亮介って子は相談所にいたことないらしいけど」


 首をかしげる香織。聖は受け流すが、内心気になっていた。本人は自覚していないらしいが。


「香織さん、その相談所って昔からあったの?」

「長いらしいね。もう100年近く続いているらしいけど……なんでも神楽坂家は代々霊能力の血をひくらしくてね、当代当主の神楽坂英之助って言うんだけどその人が当主になってからは、神楽坂家は更に勢い付いたって言われてるよ」


 やけに詳しい香織に感心する2人。聖は再びチラシに目を落とす。

 そこには堂々たる風格で「あなたの見えない悩みを解決致します」との文字。亮介のやり方を知っていた彼は、少しの怒りを覚えた。

 あんな霊の意見をねじ曲げてまで無理矢理除霊させるなど……。

 亮介は恐らく相談役を任されていない修行中の身。それ以上の除霊師から教えを受けているとなると、その者は亮介以上に卑劣なやり方をしているに違いない。ただのノルマ、物扱いしているのだろう。


「くだらん……」


 吐き捨てるように言う聖を見て、香織は小さく笑う。これはなんだ、デジャヴだろうか。

 急に笑った香織に驚き、思わずリリーが訊ねる。


「なにかおかしかったですか?」

「ん?いやね、エルさ……あんた変わったね」

「……変わった?」


 昨晩、竜にも似たようなことを言われたような気がする。


「そこまで怒ってるあんたを見たのは初めてだよ。なんていうか、人間味が増したね」

「人間味?」

「今までが人間じゃなかったなんて言わないよ?ただね、あんたには感情の起伏があんまりなかった。時々何を考えてるのか、わからないときがあったけど」


 良かったよ、そう呟く。


「私達以外の人との交流と言うか、そういうのは刺激になっていいもんだよ?」

「……心に留めておこう」


 そう返事をする聖。その様子に、嬉しそうに香織は笑った。

 丁度サスペンスも終わり、夕飯の準備にするからと立ち上がる。


「エル、お使い頼まれてもいいかい?今日は麻婆豆腐丼にしたいから、豆腐と素を買ってきてほしいんだけど……」

「了解した」

「私もいきまーす!」


 快く返事をする2人に礼を言うと、いつも通りお金と報酬代わりのオレンジヨーグルトを渡す。


「じゃ、お願いね」

「ああ……いってくる」

「いってきます!」

「いってらっしゃい」


 笑顔で聖とリリーを見送った香織。嬉しそうに目を細め、呟く。


「今日はプチ祝いだね」


 お酒あったかしら、そう考えながらお米を研ぎ始めるのであった。



 その夜。店の鍵閉め当番だった竜の帰りは遅かった。時計は既に10時を回ろうとしていた。こんな時間になると、下の住人は寝ているだろうと考え、聖と彼の部屋に真っ直ぐ入ることにした。


「ただいま帰りました」

「ああ……おかえり」


 部屋には暖房を着けて暖まっている聖が出迎えた。その様子に笑顔で返す竜。


「はい、ただいま。エル」


 コートを脱ぎ、変化の術を解いた竜。黒髪のショートが、艶やかなブロンドヘアーになった。その術は体力も使うのか、彼は一つため息をついた。


「レーア」


 不意に呼ばれ、反応に遅れたが彼は聖に顔を向けた。


「どうかしましたか?」

「香織さんが……帰ったら部屋に来てくれと。伝言を預かっていた……」

「香織さんが、ですか?」


 なんだろう、思い当たる節はない。


「わかりました。なら、少し出てきますね」

「ああ……俺は多分、寝るから……暖房は、消しておく」

「ええ、お願いしますね」


 そう言うと、竜は香織と拓海の部屋に向かった。


「香織さん、私です。レーアです」


 錆びたインターホンを押して、返事を待つ。少しすると内側から鍵が開いて、香織が出迎える。


「ああレーア、おかえり。お仕事お疲れさま。さぁ、入った入った」

「では、お邪魔します」


 中に入ると椅子に座るよう告げられた。

 竜は帰りが遅くなる場合、夕飯を一緒にすることはできない。なので夕飯が出来上がり竜が帰ってこないことがわかると、決まって香織は竜の分の夕飯を聖に渡す。

 渡された夕飯は聖と竜の部屋に持っていかれ、帰ってきた竜はそれを温めて食べるシステムになっている。

 香織が竜を呼ぶ時は、決まって彼女が晩酌をするときだ。既にテーブルには2人分のグラスが用意されていた。

 香織は作ってあった麻婆豆腐を温め、炊飯器にある温かいご飯を丼によそう。5年一緒に住んでいると、おのずと住民が食べる量などもわかってくる。

 彼にとって丁度いい量をよそい、温まった麻婆豆腐をかければ食欲を掻き立てる香辛料の匂いがたちまち立ち込めた。

 冷蔵庫からお新香とビール瓶を取り出せば、夕飯と晩酌の用意が終わる。


「お待たせレーア」

「すみません、ありがとうございます」

「そんな事気にしなくていいの。あんたはよく頑張ってくれているんだから。まずは……ね?」


 彼女がビール瓶を楽しげに持てば、彼は苦笑してグラスを傾けた。

 コポコポと気持ちよい音を立てながら注がれていく黄金の液体。程よく泡が立つ様子は見ていて楽しいものである。

 同じように竜が香織のグラスにビールを注ぎ、乾杯をした。体が冷えていたのに、喉を通るビールを冷たさが心地よく感じる。一旦口を離して、グラスを置いた。


「久し振りのビールも、美味しいものですね」

「ふふ、そうだね。ほら、冷めない内に食べな」

「ありがとうございます。いただきます」

「召し上がれ」


 熱々の麻婆豆腐丼を口にすれば、香辛料の辛味が刺激して一気に体温が戻る感覚が押し寄せた。豆腐間違って噛んでしまうと火傷してしまうほどに、熱を取り戻していたようだ。


「あつっ」

「間違って豆腐でも咬んだかい?」

「はい……」


 そんな様子が楽しいのか、香織は酒が進んでいた。竜も仕事終わりで疲れた体に効くのか、ビールを飲みつつ目の前の麻婆豆腐丼に舌鼓を打つ。


「それにしても、香織さんが晩酌とは……何か良いことでもあったんですか?」

「まぁね。いや、今日お昼にエル達と一緒にいたんだけど……あの子、怒ることもあるんだって改めて思って、嬉しくなっちゃって」

「ああ、もしかしてエルが気に食わない男の子がいるということですか?私も昨晩聞きましたよ」


 嬉しそうに笑い、竜はグラスにビールを注ぐ。香織は彼のそんな様子にやっぱりね、と確信めいた言葉を出す。


「今朝のあんたも、どこか嬉しそうだったからね。良いことでもあったんだなぁて思ったのよ」

「よくわかりましたね」

「女の勘ってものさ」

「恐れ入ります」


 しばしの談笑を楽しむ2人である。ちなみに拓海は残業らしく、今夜は家には帰れないそうだ。


 ビール瓶の中身はほとんどなくなっていた。


「でも、子供の変化が見れるって嬉しいもんだねぇ」


 酔いが少し回ってきたのだろうか、香織の頬が火照っている。懐古に目を細め、何処か哀愁を感じさせた。


「5年だよ?あの子のことわかり始めるまでにかかった年月。あまりにも時間かかりすぎかな?」

「そんなことはありませんよ。私でさえ、エルのことをわかるまで時間はかかりましたし……」


 気にしないでください、

 そう言葉を投げ掛けて笑う竜。その言葉に励まされたのか、彼女は口の中で感謝の言葉を投げた。

 傾けたビール瓶は、香織に最後の一滴を与える。それが入ったグラスを軽く回して、中を見る。

 蛍光灯に照らされたグラスは、淡く優しい光に満ちていた。慈愛とまではいかないにしろ、それに似た光である。


「そうね……まだ5年だものね」

「ええ。焦らなくてもいいんですよ……そういうものは、全て時間が教えてくれます」

「ふふ、そういうもの?」

「そういうものです」


 2人の親はどこか悪戯に笑い、そしてお互い楽しそうである。

 ちなみに、この2人の酒の肴にされていることに露ほど気付いていない本人。疲れていたのか、今はすっかり夢の中である。

 そういえば、香織が切り出した。


「あの話だけど、エルにはもうした?」

「それが、昨晩話そうと思ったんですが……タイミングを失ってしまって」


 バツが悪そうに顔を伏せる竜。次は香織が気にすることないと、先程自分に投げ掛けてくれた言葉を返す。


「まぁまだ時間はあるし、急ぐことじゃないからね」

「そうですね。それに、決めるのはエルですし」

「そういうこと。焦らず、ゆっくり……ね」

「……はい」


 満足そうに笑う2人。もうしばらく、談笑は続いていた。

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