第七節 魔法使いと親心(1/2)
2月の夜は寒い。吹き抜ける風はもちろん、空も冷たく、薄着で外に出ようものなら容赦なく寒さが襲いかかってくる。風呂上がりだとしても、その寒さは一瞬にして暖かさを奪うのであった。
そんな寒い冬空の下、あったか荘の2階にある自分達の部屋に戻る聖の姿。寒そうに両腕を抱えて錆びた階段を上がっていく。あったか荘にある共同の風呂場は1階にあるため、わざわざ外に出ないと風呂にすら入れない状況なのである。
髪は乾かし風邪を引かないようにしたものの、冷たい夜風は容赦なく聖の体温を奪う。短くて遠い部屋までの道のり。
「は……くしゅ!」
とにかく寒い。下手をしたら風邪を引きそうだ。雪が降っていなかっただけ、まだマシであった。
ようやく部屋の前にたどり着き、酷く冷えたステンレス製のドアノブをひねる。
部屋に入ると、灯油ストーブのお陰で十分に暖められた空気が待っていた。もう一度くしゃみをして、聖は部屋に上がった。
「おかえりなさい」
部屋では、先に風呂を済ませて家計簿をつけていた竜が出迎えてくれた。
「寒い……」
「何か飲まれますか?」
用意しますよ、そう言ってくれる竜に甘えることにした聖。ちなみに、リリーは一足先にあったか荘の屋根裏で寝ていた。霊が寝るのかどうかと言う疑問は、今は忘れることにしよう。
「ホットココアを……」
「わかりました」
笑って、頼まれたそれを用意し始める竜。聖は灯油ストーブの目の前にしゃがみこんで、冷えた手足を暖めていた。
聖が使っているマグカップに牛乳を入れて、一度温める。チン、と少し昔ながらの音が鳴るとそこに顆粒ココアを適量混ぜ入れる。
途端に、温かくて甘い香りが漂った。
「出来ましたよ」
「ああ……」
用意されたココアからは、安心感を与える雰囲気を感じた。竜と向かい合う形で座り、一口ココアを口にした。竜も、用意したカモミールティーを口にする。
ほう、と一息ついてまたココアを飲む聖。目の前の竜は、途中だった家計簿をまた書き始めた。ココアを口にしながら、聖は最近の出来事を振り返っていた。
毎年なにも変わらずに1年が過ぎると思っていた。あの亮介とかいう男に会うまでは。最近あの男に、どうもリズムが狂わされている気がしていた。一度ならず二度までも、亮介と関わってろくな目に会ったことがない。しかも、自分の行動は省みずにこちらの神経を逆撫でるような言動。
正直嫌いなタイプである。ヘラヘラと笑い、無駄に明るく押し付けがましい。それが生理的に合わないのかはたまた別の理由なのか、それは当の聖もわからなかった。ただ腹が立つ、それだけの理由な筈なのだが、何故か腑に落ちない。
それがまた、聖のストレスの一因にもなっていた。
駄目だ、どうも最近調子がおかしい。ため息をついてから軽く頭を振るい、三度ココアを口にする。
そして、また息をついた時だった。
「何かあったんですか?」
静かに、でも確信に近いような口調で、竜が聖に声をかける。不意だったため、聖は思わず動きを止めた。
前を見ると、笑う竜の顔。見透かされているようなエメラルドの瞳が、いやに優しかった。
「最近、なにかあったんでしょう?気付いていないでしょうが、魔力が乱れていましたよ」
魔法使いは、己の精神状態に変化して体に流れている魔力の流れも変わる。精神状態が安定していればしているほど滞りなく流れ、その逆になると魔力は上手く流れないのだ。
「……そんなに、酷かったのか?」
「ええ。特に先週の水曜日だったでしょうか、酷く乱れていましたよ」
先週の水曜日といえば、確か交通事故に遭って家族と別れてしまっていた、男性の霊に会っていたあの時である。確かにあの時は乱れる要素が大いにあった。ただ、そのことはバレないようにと、極力魔力を抑えていたのだが……。
「そうか……」
「無理にとは言いませんが……良かったら、話してください」
聞きますよ、そう優しく笑う竜。その行為を無下にはできなかった。またココアを口にしてから、静かに聖は語る。
最近の出来事、妙な男に付きまとわれていること、その男と一緒にいるとろくなことがないこと。愚痴まがいな語りになっていたが、それでも竜は黙って聞いていた。そして、話は先週の水曜の話題になる。
「命を無駄にさせるようなことをさせていた……自分の都合を押し付けようとしていたその男に、どうも気分を害されている」
「そうなんですか……」
「そんなことをしようとしている奴とは、関わり合いたくもない」
吐き捨てるように呟いて、ため息をつく聖。マグカップを握る力が強くなっていた。
5年ほど前から、聖の命に対する考えは執念に近いものを漂わせていた。何故そこまでの意識を持たせるのか、彼の瞳からは読み取れない。
彼の話を黙って聞いていた竜だったが、突然小さく笑う。その不可解な笑いに、聖は思わず眉をひそめた。自分は真剣に話したのに、何故笑うのか。
「レーア……」
「すみません、つい……。貴方がそこまで他人に反応するのは、久々でしたからね」
優しく笑い、竜は語るように言い始める。
「今まで、あまり人と関わろうとしなかった貴方が、感情はどうであれ他人に気を持っていかれてる……いいことです」
「俺は顔も見たくないほど嫌いだが……」
皮肉るように呟き、最後の一口となっていたココアを飲み干す聖。それをなだめながら、竜は続ける。
「エル、声無き声を聞いて手伝いをすることはいいことです。それは限られた人にしか出来ないことですからね。ですが生きている人と関わるのも、生きていく上では大事なことなのですよ」
それを忘れてはいけませんよ、と。
その言葉を聞いて、左手の中指に填めているルビーの指輪を見つめた。石は中に薔薇の紋章が彫られている珍しい石だ。
わかっている、呟いた聖の瞳は何を物語っていたか。理解できたのは目の前にいた竜ぐらいだろう。息を吐いて目を閉じる。何を思い浮かべていたのだろう、目を開けた聖の表情はどこか懐古な雰囲気を漂わせていた。
「ココア、美味かった……ごちそうさま」
「マグカップは流しに置いたままでいいですよ、あとで一緒に洗います」
「ああ……」
眠くなってきたのか、聖は自分の寝室へ向かう。襖を開け、入る前に竜へ振り向いて、
「ごちそうさま。それと……おやすみ」
それだけ言うと部屋に入ってしまった。
「ええ、おやすみなさい」
そう返すと、カモミールティーを飲んで傍らに置いてある青い封筒を手に取る。
そこに書かれていたのは、編入案内の文字。送り元は西の山の下高校。
「言うタイミング、逃してしまいましたね」
ぽつり、呟いた竜は苦笑する。また時間とタイミングが合った時に言えばいいと判断し、同じ場所に封筒を戻す。そして、書きかけだった家計簿を再びつけはじめるのであった。
翌日、一通りの家事をこなした香織と聖は、香織と拓海の部屋にいた。電気代の節約らしい。因みに傍にいたリリーは、食い入るようにテレビとにらめっこをしている。サスペンスを見る少女の霊魂というのは、サスペンスよりはちょっとしたホラーである。
一方聖は、チラシの紙一枚で箱を折る方法について香織に手解きを受けていた。豆知識というものだろう。
「そう、それで次はここを折って……」
「こう、か……?」
言われた通りに折っていくが、お世辞にも綺麗な折り方とは言えない出来だ。時々リリーの茶々が入る。一方香織は初めてなんだからと、優しくフォローしてくれていた。
四苦八苦しながら漸く出来たカラ箱入れ。箱の形にはなったものの、シワが目立っていた。しかしそれも愛嬌と言うものだろう。
「初めてにしちゃ、よく出来たじゃない」
「精進する……」
「そう?なら頑張んな」
香織は笑うと、本日何個目かのカラ箱入れを作り始める。流石慣れているだけあり、手際がいい。聖も2個目を作ろうとチラシに手を伸ばし、止まった。そのチラシを手にとり目を落とすと、何処か覚えがある文字が並んでいた。
そんな様子をリリーが気にする。ふよふよ近くまで飛んで、彼が凝視しているチラシを見た。
「神楽坂除霊相談所?」
「ああ、またそのチラシ入ってたんだねぇ。ここら辺じゃ有名だよ。厄払いや除霊を、神社よりも安い料金でしてくれるって」
「神楽坂?あれ、なんか聞き覚えが……あ!?」
唸ってたリリーが声をあげる。何か思い当たったようだ。
「神楽坂って、あの憑き物男子!?」
「どういうこと?」
事情が分からない香織に、リリーが個人的な感想も交えながら説明するのであった。
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