第1章

第一節 魔法使いに遇いまして(1/2)

 今日は今年一番の寒気が日本に流れているらしい。青年は言葉にこそ出さないが寒いと感じていた。


 その日は、女の子なら誰もが注目しているバレンタイン当日、2月14日。

 先日から街はバレンタインムード一色であり、街中ではカップル達が行き交っていた。そんな中を、不釣り合いな青年が一人。

 黒いコートを羽織り、紙パックのオレンジヨーグルトを飲みながら歩く青年は、街の様子に全く興味を示さない。小脇には花屋で買ったのだろうか、花束を抱えている。


 その花はプレゼント用と言うには、あまりにも質素すぎる。白い紙で束ねてあるところを見ると、墓参りに行くのだろうか。

 しばらく歩いて、青年はある場所で歩を止めた。


 そこには脚立式のテントが張られており、用意されているテーブルには色とりどりな花と、線香が焚いてあった。つまりは、献花台である。その場所の背後は銀行であり、静かにその場所を見守っている。

 その場所は5年程前に起きた、とある事件の現場であった。



 5年前、連続銀行強盗の事件があった。犯人は複数人であり、さらに顔を隠して犯行に及んでいたため、捜査も滞り、警察の手も焼かせていた。2月14日も同じ手口で犯行に及ぼうとしたところで、犯人達の尻尾を掴んでいた警察が動いた。

 客に成りすました警官の一人が犯人を逮捕しようとした時、その犯人グループの別の一人が持っていた銃で警官を射殺したのだ。


 そしてそこから、事件は急展開した。

 警官が射殺されたことで、その場は混乱状態に陥った。逃げ惑う人々や、喚きだす店員。威嚇として銃を発砲する犯人グループ。ただの銀行強盗が、殺人犯に変わった瞬間であった。


 そこから犯人グループは、銀行にいた店員と客を人質に取り、立て篭もりを始めた。さらに、自分達の要望に応えずに対応した警察相手に、容赦なく人質を殺していた。人質を殺していくうちに、犯人は錯乱状態になり、ついに銃を乱射。その隙をついて、警察は漸く突入し、生き残った複数人を保護した。警察の追手を逃れた残りの犯人は、5年経った今もなお逃走中。

 世間に大きな衝撃を与えた事件の一つであったこの立て篭もり事件は、2月14日に起きたことから、こう呼ばれるようになった。


 ―――ブラッディーバレンタイン


 なんともおかしく例えたものだと、遺族は憤慨したが、時の流れは残酷なものでその呼び方が定着してしまった。



 そして、月日がたった5年後の今日。その青年は静かに持っていた花束を置く。複雑な面持ちで花束や飾られてある遺影を見る彼は、静かにその場を去ろうとする。


「花、今年もまた増えていたね」

「……そうだな」


 傍にいた少女に相づちを打ち、踵を返そうとしたその時だった。


「あの……」


 声のした方を振り返ってみれば、そこにはある青年がいた。クセのある髪と、お人よしそうな瞳を持つ青年だ。


「その、去年も花束を置いてった人っすよね? 俺、見ていたんです」


 青年は笑うと、先ほど彼がそうしたように花を置いて手を合わせた。


「それだけじゃなくても、あの事件現場にいたっすよね? 子供の時の記憶だから曖昧なんすけど、貴方のことはよく覚えています」


 彼に向かい、また笑う青年。彼は青年に対して興味のなさそうな表情だ。人と関わるのを避けているのか。

 その時、彼の傍にいた少女が口を開く。


「あ、思い出した! あんたもしかして、あの時の物憑き子供!? 」


 何かを思い出したように青年に指を指す。

 それに驚いた青年は少女を見て、


「ここ、コスプレ会場じゃないっすよ? 」

「失礼ね、これは私の正装なの!! 」


 その様子を、通行人がまじまじと見る。


「何あの子? 」

「何一人で話してるの? 」

「可愛そうな子ね」


 そんな通行人の様子に気が付いたのか、青年は黙り込んでから、彼にもう一回笑う。


「えっと、ともかく自己紹介を……。俺は、神楽坂亮介って言います」


 そういって差し出された右手。彼はそれに対して握り返さずもしないで踵を返した。


「え、あの……」


 青年のその対応に狼狽える亮介。しかし、それを気にも留めずに彼は歩いて行ってしまった。




 青年と別れ、歩いていた彼に少女は声をかける。


「良かったのエル? 」

「奴……数珠を持っていたからな。下手をしたら、お前が成仏されるところだった……」


 エルと呼ばれた彼は、ぶっきらぼうに言う。少女は納得した様子を見せると、ふわりと笑う。


「ありがと。でもよく見ていたね! 」


 少女、リリー・ベルは彼の後ろにふわふわと浮いていた。

 彼女は霊感が強い人や一部の人にしか見えない、所謂幽霊である。彼をエルと呼び、何かと彼についている成仏できていない霊であった。


「……それに、気になる奴も見つけた」

「気になる奴? 」

「これから会いに行く……お前と同じ、霊だがな」

「珍しいね、エルが他人に興味深くなるなんて」


 そう言われた彼は、小さく煩いと呟いた。

 そして着いたのは、先程の銀行から割りと近くにある自然公園だった。都会の中にある小さな緑は、どこか懐かしさを感じさせる匂いがする。その公園の奥にあるベンチの前で止まる彼。

 ベンチには、一人の女性が座っていた。女性は彼に気付くと、


「……どちら様? 」


 綺麗な顔立ちの女性だ。彼をまっすぐ見て笑う。

 女性の問いに何も答えない彼。彼女はくすりと笑い、


「まぁいいわ。私に気付く人なんて珍しいから、許してあげる」


 そう、気さくに話した。


「……、何故まだ人間界ここに留まっている」

「ストレートに聞くのね……まぁいいわ。でもその前に自己紹介させて?私は田中真由美。5年前のブラッディーバレンタインで犠牲者になっちゃったの」


 どうやら真由美というこの女性は、自分が既に死んでいることを理解しているようだった。

 そして、思い返すように当時の事を淡々と語り出す。


「驚いたわ。だって、気付いたら遺体の私が隣で白目向いて倒れていたんだからね。一緒にいた彼は、私を抱き締めながら必死に私を呼んでいてくれたなぁ」


 彼女の話を遮ることなく、彼は真由美の話を聞いていた。静かに聞いてくれる彼を居心地よく感じたのか、真由美は他にも自分の彼氏とののろけ話をしたり、懐かしいような表情で家族の話もする。

 暫く話して気が済んだようで、真由美は改めて彼を見る。


「なんでまだ成仏しないのか、聞きたいのよね?それはね……」

「あれ、さっきの!? 」


 突然聞こえる男の声。

 振り向けば、先程彼が一方的に別れた男……亮介がこちらに向かって走ってきていた。

 男を見て、面倒だと言わんばかりな表情になる彼。そして、真由美の表情は冷たいものに変わっていた。


「なんっでアンタがここにいるのよ! 」


 走ってきた亮介に噛みつくリリー。それに答えようと息を整える亮介。


「そうよ……なんでアンタがここにいるのよ! 」


 それと同時に真由美の空気が一気に歪み、冷たくなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る