第二節 魔法使いに遇いまして(2/2)

「ちょっと、待って真由美さん!」


 リリーの制止を無視して、真由美は怒りを表す。

 真由美の空気が歪みに歪んだ。周りの木々が揺れて、座っていたベンチが音を立てて軋み始める。般若のような表情とは、今の彼女のことを言うのだろう、と青年はどこか冷静に見ていた。


「アンタみたいな、アンタみたいな事情を理解しようとしない奴になんか関わりたくないの!帰って!!」


 歪んだ空気が更に歪む。そして彼女は怒りを蒔く。


「なんで私、あの時殺されなきゃならなかったの?あんな犯人グループとは一切関係なかったのに、ねぇどうして?なんで平々凡々に暮らしている子供のアンタたちが生き延びて、私が殺されなきゃならなかったのよ!?」


 真由美の怒りは遂に木々を薙ぎ倒すまでの力を持つようになってしまった。


「殺してやる……殺してやる、殺してやる!!」


 その声に答えるように、薙ぎ倒された木々が亮介を目掛けて飛んでくる。咄嗟のことで反応できない亮介は覚悟を決め、目を閉じた。


 だけどいくら待っても、痛みを感じない。これが、死んだっていうことなのか?


 そう思いつつも、亮介は恐る恐る目を開ける。目の前には、自分を拒否した彼が仁王立ちをして左手を前に出していた。

 彼は一言、呟いた。


「……風よ、止まれ」


 彼が呟いた瞬間、彼の足元が赤く光り、風がぴたりと止んだ。

 亮介は混乱する脳で、必死に答えを探そうとした。真由美は冷たい視線を彼に向ける。


「なんでそいつ、助けるのよ?そいつはね、なんの理由も聞かずに、私になんの説明もしてくれずに私を成仏させようとしたのよ?!成仏しない霊にも都合があるのに、一方的に除霊しますだなんて……ふざけるんじゃないわ!アンタの勝手を私に押し付けないで!」


 また折れた木々が向かってくる。真由美の霊力で動いたのだろう、躊躇いもなく向かってきた。

 彼女のその言葉で、彼は何故真由美が亮介に対して攻撃的なのかを理解する。彼は一瞬亮介を睨み、しかしすぐに真由美に向き直る。そしてまた呟く。


「風よ、包め」


 その言葉に答えるように、風が彼と亮介を包み、向かってきた木々を弾き返す。


「やめろ……それ以上暴れると、悪霊になるぞ」

「いいわよ別に。悪霊になって、それこそ私を殺した犯人たちを呪ってやる!!私はね、あの日彼と一緒に住む筈だったマンションの敷金を払いに行って、婚姻届を出す筈だったの!結婚する予定だったの!!」


 嘆く真由美。それを黙って聞く彼。


「なのに、私は勝手に殺されて!恨んで当然でしょ?呪おうとして何が悪いの!?罰を与えてやる!」

「本当にそうか……?」


 彼はまっすぐ真由美を見つめる。言葉にこそ出さないが、真由美のことを心配しているようだ。そんな彼を睨んでいた真由美だが、徐々に空気が元に戻り始めていく。

 気が付けば、彼女はへたりこんで泣いていた。


「本当に、そんなことをしたいと思っているのか……?」


 彼はゆっくり近付いて、真由美に問いかけた。それに対して、彼女はふるふると首を横に振った。


「……ううん、違うの……私、悔しかった。寂しかった……もうずっと、彼に気付いてもらえない自分が悔しくて、だからずっと彼の傍にいたくて……」

「だから、あんなに除霊されるのを拒否してたんすね……」


 いつの間にか、隣に亮介がいた。亮介の言葉に頷いてから、真由美は語る。


「寂しくて、よく彼と一緒に来ていたこの公園にいるようになったわ。でも、やっぱり彼は私に全く気付かなかった。だから、たまに悪戯をしていたんだけど……つい先日、彼がアンタの除霊相談所に相談しに行ったのを見ちゃったの」


 それを聞いて、何か思い出す亮介。


「もしかして、その男性の名前って井口雅也って言いませんか……?」

「ええ、そうよ」

「なんでアンタが知ってるのよ?」


 すかさずリリーが突っ込んできた。


「先日、うちの家を訪ねてきたんす。その時話していて……あ、でもあの時こう言ってましたよ」


 ―――「その悪戯をしてくる霊は、きっと俺が付き合っていた彼女だと思うんです。彼女には、行かなければならない場所がある。なのに、俺に縛られてそこに行けないのは、俺にとっても辛いんです。彼女のためにも、俺から離させるべきなんだと思います……」


 その言葉を聞いた真由美は口の中で彼の名を呼んだ。

 亮介は言い終わると、懐から封筒を出した。


「これ、井口さんから……いつか彼女に遇ったとき、読んで欲しいと渡されたんす。その、代読してもいいっすか?」

「……ええ、お願い」


 真由美は笑い、亮介を優しく見つめた。彼も静かに聞くことにしたようだ。

 では、と始めて亮介は封を切り手紙を広げて代読を始めた。


「真由美へ。真由美を失ってから、俺の人生には光がなかった。なんで守ってやれなかったのかと、今でも後悔している。あの時殺されたのが、なんで俺じゃなくて真由美だったのかと毎日思っていた。そんな暗い人生の中で、時々奇妙なことが起きた。それはよく、真由美と来ていた公園にいる時なんだけど、何もないのに服を掴まれたり、ベンチに座ると肩が暖かくなったりしていたんだ」


 その言葉に、真由美は目に涙を溜めていた。リリーは優しい表情で呟く。


「……雅也さん、わかってたんだね」

「ああ……」


 頷く彼。亮介は続けた。


「真由美が傍にいる、そう思えてならなかった。こんなにも真由美に想えてもらっていた俺は幸福者だ。だけど、嬉しい反面心配もした。俺の傍に居続けると、真由美は本来帰らなければならない場所に帰れなくなるんじゃないか、そう思った。だから、あえて俺から離させようと頼み込んだ。別に嫌いになったわけじゃないし、忘れたいわけでもない。ただ、帰ってあげないと、真由美の家族も寂しがっているから。いままで傍にいてくれて有難う。天国に行ったら、真由美の新しい人生を生きてほしい。これが俺の最後の我が儘。……真由美、今でも愛してる。だから、さようなら」


 井口雅也、そう言って手紙をしまう亮介。真由美はぼろぼろ泣いていた。


「私……こんなに、も、彼に想われていたのね……わかってくれ、てたんだね」


 泣き崩れる真由美に、リリーは近付いて頭を撫でる。その様子を穏やかな表情で見る亮介と、何も言わずにただ見ている彼。

 暫く泣いてから落ち着いたのか、真由美はどこか晴れやかな表情になっていた。


「ありがとう、伝えてくれて。……私、行くわ。彼のためにも、行かなくちゃ」

「……決めたんだな」

「彼の思っていたことがわかったんだもん。これ以上嬉しいことはないわ」


 花のように笑うとは、このことだろうか。真由美はふわりと優しく笑う。そして亮介に近付いた。


「ごめんなさいね、あんな手荒なことして」

「いいえ、俺の方こそすみませんでした。ロクに話も聞かないで……」


 慌てて謝る亮介。そろそろ行くと、真由美は亮介に向かった。


「お願い」

「はいっす」


 そうして成仏させる手順を組み始める亮介。それを待っている間、真由美は彼に言う。


「本当にありがとう。貴方に止めてもらってなかったら私、彼も家族の皆も泣かせていたかも……改めてお礼を言わせてもらうわね」

「別に構わない……」

「……最後に、名前だけ聞かせて?忘れないように」


 真由美は笑う。彼は一寸間を置いてから、


「立花聖だ……」


 そう、告げた。


「聖……いい名前ね。ありがとう。亮介君と仲良くするのよ?さようなら……」


 それだけ言うと、真由美は光の粒子に変わり、風と一緒に消えてしまった。

 その光景をただ見ていた聖と亮介。


 南風が暖かく吹いた、2月14日の夕暮れ時の出来事だった。

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