従者の観察記録
郊外から少し外れた場所にある、カフェレストランフルール。リーズナブルで本格的なフレンチやスイーツが味わえると評判の店である。店で使っている野菜は店主の岡崎香織の自家菜園で作っているもので、生で食べても美味しいと女性客に人気である。
彼……立花竜は、そこで働いていた。主に厨房で料理を担当している。この店で働き始めて、今年で5年目だ。眉目秀麗で、彼目当てにフルールに来る客すらいるらしい。
今日は2月14日、所謂バレンタインデー。スーパーではチョコレートの売上が増し、飲食店もバレンタインフェアなるものを催している。
言わずもがなフルールもバレンタイン限定メニューを出していた。そのお陰か、お昼近くになるとカップルや女性客で店は大にぎわいになり、厨房は戦場と化していた。
「竜、3番テーブルのバレンタインランチ出来た?」
「はい、今出来ました」
焼き上がった鶏肉のソテーにチョコレートソースをかけて、盛り付けが終わる。
盛り付けが崩れないように運び、彼はホールを担当している香織に料理を渡す。
「3番のランチお願いします」
「ええ、ありがとう。次もお願いね」
「はい」
賑わう店内では、チョコレートを渡したり、友達同士で持ってきたチョコレートを交換し合う光景が見られたそうだ。中には、会計時に店員にチョコを渡してほしいと頼み込む客もいて、その日のフルールの売上は前年を大きく上回ったのであった。
2月14日、夜10時。
店は夜9時までの営業であったため、店内は昼間と打って変わって物静かだ。
厨房には、竜ともう一人の男性がいた。今日の店の、鍵閉め当番である。
「しっかし、今日は疲れたな。お疲れ竜」
親しげに話しかけてくれる男性の名は川野修平。フルールに勤めて8年くらいであり、竜の先輩に当たる人物だ。竜に仕事を教えたのは彼である。
敬語を嫌う彼は、後から入ってきた竜に敬語で話すなと釘を差していた。
「ああ、お前もお疲れ。修平」
なので、竜はその言葉に甘えてため口をきいているのであった。
「おう、ありがとな。しかしまぁ、毎度のことながら疲れるよな」
「今日はバレンタインだからな。仕方ないだろう? 」
苦笑いをしながら、最後のグラスを拭き終わる。元にあった場所に戻し、ダスターを洗う竜。
そうだよバレンタインなんだよな、そう呟きながら修平は厨房の一角を見る。
「お前、今年また数増えたんじゃないか?」
半ば呆れながら言う修平に何も言い返せない竜。一角にあったのは、客が渡していったチョコレートの山。しかも全て竜宛になっている。その量は作業台の約3分の2を占めている。いくらなんでも多すぎるし、何より一人で食べきれる自信など皆無だ。
修平は色とりどりの用紙にラッピングされた箱を一つ取り、
「羨ましい野郎だなっ」
「いたっ!? 」
八つ当たり気味に箱を竜に投げつけるのであった。
閉店作業も終わり、2人は店の戸締まりを行う。最後の窓を閉めて、店を出る。
「よし、鍵閉め終わり。どうだ竜、これから一杯行かないか?」
「すまない、これから寄る所があって……」
その答えに大袈裟に肩を落とす修平だが、すぐに切り替えた。
「そうか、仕方ないな。ならまた明日な? 」
「ありがとう。次は必ず」
笑って店をあとにする竜。夜遅い時間では花屋など当然やっているはずもなく、仕方なく近所のスーパーへ向かった。花を買い、銀行強盗立て籠り事件現場にある献花台へ立ち寄る。
未だに灯りが点っており、供えられた花たちを哀しく照らしている。その光景の前で、静かに佇む彼の表情は険しくも淋しさを漂わせていた。
「ブラッディーバレンタイン、か……」
一体誰がそう命名したのだろうか。今となっては知ることは出来ないが、なんともふざけたネーミングをしてくれたものだ。彼の心には、少しの怒りの炎がちらつく。
だが、この怒りをぶつけたとしても何もならないとわかっている。
どうか静かに眠っていてほしい。そう思いながら手を合わせた。
雨が降り続いていた。
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