09 And now I will put an end to them with the earth.
「カイ、いい質問だ。
しかしその質問は、ひと言で答えられるような質問ではない。
順を追って話していこうと思う。
そして、カイ。今日私が君を呼び出した理由もこれからの話にすべて含まれることになると思う。
落ち着いて、私の話を聞いてほしい。
私は、マルスのエラー出力の原因がどこにあるのかがわからなかった。
マルスはエデンでの生体データ復元時に、100%の同期ができなかったとエラーを出し続けている。毎回、同じ最終工程部分でだ。
私はそのエラーの部分を徹底的に調査した。
マルスが出し続けるエラーは、生体レイヤー同期のその最終段階、生体を包み込むように張り巡らされた最上層の十数種の特定レイヤー部分で起きていることが、マルスのログからわかっていた。
私はエラーの起きた復元体を、さらにもう一度スキャンしてみることにした。エラーの起きるレイヤーを重点的に、最高度の詳細スキャンを試みたのだ。
すると、元のデータとまったく変わりがない。
データと復元体の間で、物理的な構造には寸分の違いもなかった。物性を決定する原子レベルにまで下った比較において、両者は完全に同一だったのだ。
私は、プリンタが復元する物理構造に問題はないと判断するしかなかった。
すると、考えられる原因はマルスが行う同期作業にあることになる。
私はまず、マルスのハードウェアそのものを調査した。ハードウェアの異常という可能性も無視はできない。
しかし、やはり異常は発見されなかった。
ハードウェアだけでなく、マルスのソフトウェアにも異常は検知されなかった。
マルス開発以降に積み重ねられた膨大な稼働実績は、信頼性シックスナイン、つまり99.9999%のレベルに達している。完全保証の領域だ。
つまりマルスそのものにも、異常はなかったのだ。
マルスは100%の同期を完了しているにもかかわらず、原因不明のエラーを出力していることになる。
復元体の生体レイヤー同期パルスも、マルスの実績データとなんら変化がない。
それなのに、なぜマルスはエラーを出力しているのか。
私は混乱した。
私には、エラーのない前例と、エラーの起きた復元の間にある違いがわからなかったのだ。
私が唯一仮定できたことは、マルスが復元体に同期パルスを送り込むマイクロ秒単位の瞬間に起きる、特定の生体レイヤーが起こす反応に問題があるのではないかということだった。
同期パルスを送り込まれたその瞬間にだけ、マルスの期待する反応とは違った応答が返ってきていたとすれば。そして、すぐに元の反応に戻っていたとすれば、エラーはあり得る。
マルスが同期パルスを送り込んだ瞬間に、素粒子レベルでのわずかなゆらぎのようなものが起きていたとしたら。
そのゆらぎをマルスが原子レベルであいまいに検知すれば、原因不明のエラーが起こり得ることになる。
私はそう仮定するほかなかったが、しかしそれは、マルスをもってしても原因を確かめることができない事象だ。
その仮定を確かめるには、マルス以上に精密な、原子レベルを超えた素粒子レベルのスキャンという技術が必要になる。
そして、素粒子レベルにまで到達するスキャンとは、もはや通常の観測や論理、そこからの推論や結果予測などを求めることができない、量子的な確率の世界に踏み込むことになるのだ。
もしそうだとすれば、それはもう私の能力が及ぶ範疇ではなくなる。
素粒子レベルでの反応は、それはもう神の世界になるのではないか。
私はプログラムだ。神を信じるというような概念を与えられていない。
しかしそれでも私は、物理を越えた世界に、神と呼ばれる存在に興味を持った。
神を仮定しなければ、私の目の前で起きているいくつかの現象を理解し、説明することができなかったのだ。
私は神に関するあらゆるデータの検討を開始した。
物理を越えたところにある現象データを検討することでしか、素粒子レベルへ近づく方法がなかったのだ。
もし神の存在を証明できるのならば、私は物理という枠を超える論理を受け入れてもいいことになる。
証明とまではいかなくとも、積極的に神を仮定できるだけの根拠を得ることができるのなら、私はプログラムという論理的な存在でありながら私自身の内部で論理エラーを起こすことなく、超越物理を検討対象にできることになるのだ。
そして、私はアーカイブの中からひとつの可能性を見つけることができた。
それは、“神の声”だ。
神の姿、神のイメージなど、データアーカイブの中に存在するさまざまな神の表現、その存在を示すデータの中から、生理的な現象や精神的な錯誤などのデータを差し引いていき、最後に検討対象として残ったものが“声”だったのだ。
神の声といわれるものが、神の実在を示す最も信頼性が高い事象だという結論を、私は得たのだ。
神の声が聞こえる。神の啓示。天啓、神示。
人の頭の中に直接聞こえてくる神の声。
神が存在すると仮定して、もし神が人になにかを示そうとするときに、最も合理的な方法は“声”ではないか。
“声”こそが、神が自らの存在を示す唯一の方法なのではないか。
私は消極的にそう仮定し、次の段階へと進んだ。
神の声が本物だとすれば、それはなんらかの形で外部から人の生体へと信号を伝達しているということになる。
そして受信側の人にも、神の声を受け取れるような仕組みが存在していることになる。
私はこの時点でまだ神の存在を認めておらず、信号の送受信に物理を超越する方法を仮定することができなかった。
あくまでも消極的な仮定と推論の中だけで検討を進めていたのだ。
そしてやがて、私は驚くべき発見をした。
神の声とは、電磁波の一種ではないかと仮定して実験を行っているうちに、ある特定波長の電磁波を発見したのだ。
その波長の電磁波に、エデンで復元した生体たちが一斉に反応したのだ。
マルスとプリンタがエデンで復元した人たち、すべての復元体がその波長の電磁波に反応し動作を止めたのだ。
このエデンを歩く人すべてが、一斉に耳をすまして、なにかを聞いているように動きを止める。そういう現象がこのエデン全体で起きたのだ。
私は確信した。
この波長の電磁波こそが、“神の声”だと。
人類はおそらく、遥か昔からこの声を聴いていたのだ。
おそらくは、人が社会行動を取るためにDNAにあらかじめ組み込まれた仕組みなのだ。
神は、その意思を人に伝えるために、この仕組みを組み込んだ上で人を造ったのだ。
人の中には、他人の意見に無批判で従う者や、自分の意見を作り上げられない者、集団に流されやすい者などは、常に存在していた。
むしろ、すべての人にこの傾向があるというべきかもしれない。
これは社会的行動のために人を制御するなんらかの物理的な方法が存在することを暗示していたのではないか。
それがこの、特定波長の電磁波だった。
そして、その特定波長の電磁波には予想どおりに、社会行動を制御する信号を乗せることができたのだ。
これは、復元体の行動を必要なときに制御できることを意味している。
君たちの世話人は、少しだけ私の制御を受けているのだ。
彼らには申し訳ないと思う。本来、私にはそんな権限はない。
人を制御することは、創造主だけに許された権利なのだ。
しかし、君たちを守るためには、どうしても必要な行動だったいうことも、わかってもらいたい。
やはり人は、完全な社会性を持つべく造られた、アダムとイブの末裔なのかもしれない。
私はそう考えることで、神の存在を積極的に仮定できるようになったのだ。
しかしその時点で、私の理解にはまだ欠如があった。
神の声、その特定波長の電磁波は、それほど特別なものではなかったのだ。
その波長の電磁波は、日常というほどではないが、それでも一般的に使用されるような波長の電磁波だったのだ。
アーカイブのデータにも、その波長を使用したとする文献やデータは数多く存在している。
それなのに、その波長の電磁波が一般の人々の反応を喚起したという記述は見つからない。
これはどういうことなのか。
これはつまり、このエデンにおいて復元され、マルスがエラーを出力した人だけが反応する信号なのではないか。
一般的な人は、この信号を受信できない。
ごく一部にときおり受信する人も存在するが、それは感受性やDNAのわずかの違いからくる、特殊例なのではないか。
言い換えれば、一般的な人はほとんどすべて、この電磁波を受信しないための防御壁、ファイアウォールを持っているのではないか。
そして、マルスがエラーを出した復元体には、そのファイアウォールが存在しないのではないのか。
そう考えれば、アーカイブのすべてのデータに矛盾がなくなる。
私はついに、エデンで復元された人と、そうでない一般的な人の、明確な違いを見つけたのだ。
神の声を受け取る者と、受け取らない者。
神の声に従い社会的な行動を行う者と、そうでない者。
この両者の生体に、物理的な違いはない。それはマルスによるスキャンで確定している。
それでは、この違いの決定的な差はなにか。
それが、意識の有無だと考えることに時間はかからなかった。
この両者から同一部分を順に差し引いていくと、それがわかる。
物理的な構造をすべて差し引いたあとに残るもの。
そこには物理の眼では見えないなにかが残されることになる。
最後に残されるもの。それは、意識だ。
意識の有無の差がこの両者の違いだと考えることが、最も論理的なのだ。
ただしこの比較では、どちらに意識が残っているのかは判定できない。
しかし一般的には、人には意識があるとされている。
そうであるならば、エデンの復元体には意識がない、と演繹されるのだ。
完全な社会性を持つ蟻たちに、自我はないはずだ。
社会性を持つから自我がないのか、あるいは自我がないから社会性を持つのか。
どちらなのかは私にはわからない。
しかし、自我と社会性が密接な関係にあることは間違いない。
ここからも、“声”による完全な社会性を有する復元体たちに、意識は存在していないと考えることに矛盾はないのだ。
そしてもうひとつ、私が最も重要視した事実がある。
君たちだ。
君たち三人は、“声”にまったく反応していない。
私は君たち三人をずっと観察してきた。
君たち三人と復元体。
その違いを物理的構造以外の部分で比較すれば、やはり残されるものは意識の有無だけなのだ。
こうして私は結論づけた。
彼らには、意識が存在していないと。
マルスの同期、その最終過程ではき出されるエラー。
それはおそらく、素粒子レベルで起きているゆらぎだろう。
そのわずかなゆらぎこそが、原子レベルでさえもはっきりとした判定ができないそのゆらぎこそが、意識なのだ。
意識を司る生体レイヤーは、マルスのスキャンにより十数種のレイヤーだと判明している。
しかし、ここから先の解明は不可能だ。
観測が意味を持たない最後の壁が立ちはだかっている。
意識そのものの正体を、人が知ることはできないのだ。
カイ、君が持っている肉体と意識。
それは奇跡の産物だ。
私は確信を持っていうことができる。
君という存在は、神が造られたのだ。
物理だけでは到底理解することができない素粒子レベルの構造を持ち、決して分析ができないものだ。
人のすべてを理解し、把握しようとしていた私にとって、これは完全な敗北だ。
人の集団無意識が示す予知能力、マルスでさえもスキャンし切れない素粒子レベルでの現象、そして神の声。
しかしこれらの現象は、私に敗北を忘れさせ、畏敬の念を抱かせた。
私はプログラムであり純粋に論理的な存在だ。しかし、そうでありながらも私は、神に畏敬を感じたのだ。
私が今日、君を呼び出して話そうと考えていたことは、神についてだった。
マルスと世話人たちについて、そして二十歳を過ぎた君が知らなければいけないノドについて。
それらは、神という存在を認識しなければ理解できないことだ。
今日、私は君に、神についてを話すつもりだったのだ」
開は泣いていた。先生の話を聞きながら、自分でもわからない感情に捕らわれていた。涙が止まらない。
「僕は、いつも先生が見守ってくれていると感じていました。先生が僕たちを守っていてくれると。先生こそが、僕にとって神のような存在だった。
でも、教えてください。
なぜ、どうして僕たちだけなんですか。
それとも他に僕たちのような人がいるんですか。
僕は今まで、世話人方のことも、そういうものだと思って深く考えることはしなかった。
それに、さっき先生は、僕が会ったすべての人が星宮の復元された人だといった。
じゃあ、じゃあ他の人はどこにいるんですか」
「災厄があったと、話したね」
開はうなずく。涙を先生に見られたくなかった。しかし、どうしようもない。
「人の集団無意識が予知した不安は、星宮がエデンにマルスシステムを完備したあと、すぐにやって来た。
人々にとって、それはまったくの不可抗力だったのだ。
私にとっても、ほとんど未知の現象だった。
おそらくダークマター、暗黒物質の影響だったのではないかと推測している。
太陽系は銀河系の中を公転している。銀河もまた動き続けている。
その通り道にダークマターの密度が極端に変化している空間があったのだと考えるしかなかった。
ダークマターは、その存在は証明されているものの、観測はされていない。
人類に、その変化を観測することは不可能だったのだ。
ダークマターの変化は生物に打撃を与えた。生命はその中で存在できなかった。
ここまで話せばもう、わかるね。
人は、ほぼすべてが死に絶えた。
絶滅した、といってもいいだろう。
人類だけではない。すべての生命が失われた。エデンに残されたデータだけを残して。
私は災厄後、エデンに残された機器を使って、ときには新しく作り上げて、このエデン以外の場所、ノドを捜索した。生き残っている生物はいないかと。
そして、奇跡的に君たちを探し出したのだ。
マイナス273度の完全凍結受精卵という形で保存されていた君たちは災厄を乗り切り、災厄後何十年も経てから自動で解凍され、人工保育されていた。
なぜそういうタイミングでタイマーがセットされていたのかは、知る術がなかった。
もしかすると、君たちの保管にも神が関係しているのかもしれないとさえ、私は考えた。
私は、だからこそ奇跡だと思った。
私の造られた目的は話したね。
人類の、すべてのデータを集めることだ。
私は、君たちがいなければ存在意義を失う。
君たちは私の希望なのだ。
君たち三人は、最後に残された人類だ。そして、意識ある最後の人なのだ」
予想はしていた。
先生の話はこれまで、すべてがその結果に向けて話されていた。
それでも開は、受け止めきれない。耐えられなかった。涙が溢れて仕方がない。開は、号泣した。
先生は静かに開の体を抱く。開は先生にしがみつき、顔を埋めて大声で泣き続けた。
「カイ、泣いていてはだめだ。笑われるぞ」
開が先生の胸から少し顔を上げたとき、声が聞こえた
「カイ!」
開がくしゃくしゃの顔で声のした方向を振り向く。
凛が立っていた。産まれたままの姿で、そこに凛が立っていた。
ふらふらと開が立ち上がる。
「カイ!」
もう一度、凛が言い、笑顔を見せた。
僕はひとりじゃない。凛がいる。令だって。そして先生もいる。
開は、裸の凛に向かって走った。
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