05 The tree of the knowledge of good and evil

「なんだ、飲み物がないじゃないか」

 先生はそういうと、手を挙げて店員を呼んだ。そして開に聞く。

「ビールかお酒を飲んでみるかい?」

 開は驚いて聞き返した。

「いいんですか。制限されている飲み物ですけど」

「君は先日、二十歳になったはずだ。アルコールの制限は二十歳で解除されるよ」

 令はそのことを知らなかった。飲料としてのアルコールに興味がなかったため、制限解除を調べることもしていなかったのだ。

「慣れないと美味しいと思うのは難しいかもしれないが、やはり経験は必要だ。まずはビールを飲んでみようか。ただし、飲み過ぎてはいけない。今日は君に話を聞いてもらいたいのだから」

 先生はそういうと、近づいてきた店員にビールとお酒、そして数種類の料理を注文した。

 どうして飲み過ぎると話が聞けないのか開にはわからなったが、先生がそういうのなら気をつけようと思う。

「さて、ではどこから話せばいいのかな。君は、なにか質問はないかい。今日はきちんと答えるよ。もちろん制限範囲内でだが。しかし、二十歳を越えて制限されることはとても少ない」

 タコ足を持ってきたときと同じ店員が、まずは飲み物を運んできた。しかし先ほどの威勢の良さはない。先生がいるからかなと、開は思う。

 どんな質問をすればいいのか、咄嗟には思いつかなかった。

 どんな質問をすれば、先生は喜んでくれるのだろう。

 開は考えて、その時間稼ぎのために前に置かれたビールのジョッキを持ち上げた。口をつけて、少しだけ飲んでみる。ビールは、とんでもなく苦く、舌がぴりぴりとした。

 我慢して今度は少し多めに喉に流し込んでみる。すると不思議に、美味しくはないが少しだけ気持ちよさを感じた。開は、なるほどと思う。こういう飲み物なのか。

 胃の中がわずかに暖かくなる感じがする。アルコールという物質についての知識はあるが、それがこういう感覚を生み出すものだということを、開ははじめて知った。

 その光景を先生は微笑みながら眺めていた。

 お酒を徳利からお猪口に注いで、口に持って行く。先生は開を急かせるような素振りは見せず、開の思うままに任せるつもりのようだった。

「先生は、あの、どうしてどんぐりなんですか。どうして姿を今まで見せてくれなかったんですか」

 思いついたことを聞いてみる。

 先生は先生であり、どんぐりだろうが背広を着ていようが、開にはどちらでも良かったのだが、今はそれしか質問を思いつかなかった。

「なるほど。もっともな疑問だね。今はこうして君の前にいるわけだから、今までに姿を見せてもよかったはずだという疑問だね」

 先生がお猪口をぐいっとあおる。

「あまりややこしい言い回しは、今日はしないでおこう。つまりね、私からすればどんぐりも今のこの姿も、どちらも同じということなんだ」

 それでも開には先生の話していることがよくわからなかった。

「もっとはっきりといおうか。要するに、どんぐりもこの姿も、私自身の姿ではない」

 ああ、やっぱり、というのが開の感想だった。

 そういう気はしていたのだ。今、目の前に座っている先生は、どんぐりと同じで本当の先生の姿ではない。

「先生には、本当の姿というものはあるんですか」

 次に出てくる当然の質問を、先生に投げかけてみる。

「うん。姿という概念が物理的な意味で使われているなら、私にも本当の姿はあるよ。

 君も知っている学校の地下に、私はいる。地下4500メートルに造られている部屋に安置された、機械という形でね。

 ついでに私の名前を教えておこうか。私は、トルと呼ばれている。ToLだ。いや、呼ばれていた、かな。そう呼ばれていた、コンピュータシステムだ」

 そう聞いて、不思議に開は安心した。なんとなくそうではないかと考えていたことだったからだ。

 先生は僕たちと同じ人間ではない。でも、やはり先生は先生であり、間違えることがないだろうという信頼が、より確かになっただけだった。

 でもそうすると、目の前に座っているこの人は、いったい誰なのだろう。

「うん、その反応を見ると、それほどショックは受けてないみたいだね。それでいい。そういう心が得られるまでに、二十年という時間が必要だったのだから」

 店員が分厚い手袋をして、円筒形の七輪を持ってきた。テーブルの中央に置かれた七輪の中で、練炭が赤々と輝いている。

 別の店員が皿に盛りつけたホルモンを数皿テーブルに並べた。

 また別の店員が両手にふたつの皿を持ってきた。片手に牛スジ肉の味噌煮込み、もう片手にはぶつ切りの刺身だった。

 それでテーブルはほぼ一杯になり、なにかを片づけなければ次の注文はできないだろう。

 先生がテーブルに置かれていた醤油の瓶を持ち上げて、刺身に直接かけていく。瓶を置くと、今度はホルモンの一皿を掴み、七輪に乗せられた網の上に一気に流し落とした。

「さあ、食べたまえ。このホルモン焼きも刺身も、世話人にはなかなか出せないものだろう」

 先生はホルモンが焼けるのを待つつもりか、お酒を再びお猪口に注いだ。

 開も、ジョッキを持ち上げてビールを口に含む。

 まだ慣れないビールの喉ごしに戸惑いながらも箸を持つと、一口大にぶつ切りされた白身魚の刺身を口に運んだ。こりこりとしたその刺身がどんな魚なのか開にはわからなかったが、それでもこれまでに食べた刺身の中では、一番に旨いといってよかった。

「どうだい。旨いだろう」

「はい、おいしいです」

 開は素直に答える。

「それでね、カイ。突然で申し訳ないのだが、君が今感じた旨さは、それは一体どんなものか説明ができるかな」

 その質問に、開の手が止まった。先生の質問の意味がわからなかった。

「ええと、単純に旨いと感じました。こりこりしていて魚の味が濃いというのかな」

 先生も箸を持ち上げて、刺身を一切れ食べる。

「君のいおうとしていることは、わかる。

 もちろん、私自身は味を感じる機能がないので、この男の舌が感じているだろうことを成分などから類推しているだけなのだがね。

 それでも、おそらく私が姿を借りているこの男は、この刺身の味を旨いと表現するだろう」

 やはり、先生がなにをいおうとしているのか、開は把握できない。黙って先生の言葉の続きを待つ。

「問題はね、カイ。君が感じた旨さと、この男がいうだろう旨さというものは、本当に同じものだろうか、というところなんだ」

「同じ刺身を食べたのですから、同じ旨さを感じた、と思いますが」

「話を簡単にしてみよう。

 君が砂糖をなめたとする。君はもちろん甘いと感じるはずだ。

 同じ砂糖を、そうだな、リンになめさせたとしよう。彼女も甘いというだろう。

 しかし、リンが感じた甘いは、君が感じた甘いと同一だということを、どうしたら証明できるのだろうか。

 仮に、いいかい仮に、だよ、リンが先天的な味覚異常であったとしよう。

 リンは君の思う甘いを、実は君の思う辛いという感覚として感じていたとしたらどうだろう。それでも、彼女はその味の感覚を、甘いと名づけて認識するはずだ。

 そして、リンは辛いものを食べたとき、君の思う甘いという感覚を認識しながら、顔をしかめる。

 リンにとって、危険だと感じられる味が、君の感じる甘いであっても、なんらおかしくはない」

 先生の話すことが少しわかってきた。開もそのようなことをなん度か考えたことがあったからだ。

 自分が赤いと感じる色は、他人も同じ色で見えているのだろうか。

 もしかしたら青く見えている色を、赤いという名称で呼んでいるのではないか。

 先天的に赤と青が逆転して見える人にとってはそれが当たり前のことであり、逆転していることにさえ気がつかないだろう。

 したがって、そこに対外的な問題は発生しない。そして、その逆転を証明する術は、ない。

 それでも、開にはまだ趣旨がわからなかった。先生はどうしてこんな話をしているのだろうか。

 先生が箸で、焼けてきたホルモンを裏返す。その中の一切れを摘んで、口に放り込む。

「いきなりややこしい話をはじめて、すまない。ただ、今の話は覚えていてほしい。今日、私が君に話したいことの本質部分に関わる話だからだ」


 つわり?

 凛の体が硬直した。え、つわりなの? 思わず下腹に手をあてがう。

 妊娠については、本で読んだ知識があるだけだ。

 妊娠中の女性は、見たことも会ったこともない。幼い子どもでさえ、凛は見たことがなかった。妊娠、出産を連想させる現実を、凛はこれまで眼にしたことがなかったのだ。

 つわり。妊娠初期に現れる一連の症状。

 倦怠感、頭痛、眠気。吐き気と嘔吐。知識が文章化されて頭の中に流れる。しかしそれは、あくまでも本で得た知識であって現実感はない。

 つわり。妊娠? 私が?

 予想外だった。考えたこともなかった。

 セックスの結果として妊娠があるということは知っていたが、それが自分にも適用されるとは思ってもいなかったのだ。

 思考が停まるのが自分でわかる。頭が、なにをどう考えていいのか判断できないのだ。

 子どもが、今おなかの中にいる。自分以外の生命が、おなかの中で蠢いている。

 開との間にできた子ども、という感覚よりも先に、凛が感じたものは恐怖だった。

 得体の知れないなにかが、体の中にいる。

 背筋に悪寒が走った。全身に鳥肌が立った。

 それがどこから来る反応なのかは、自分でもわからない。ただ純粋に、恐怖を感じていた。

「お大事にしてくださいませ。それでは私はこれで」

 障子の向こうから香苗の声が聞こえる。

 突然、がらがらがしゃんと勢いよく開けられた玄関扉の音が家中に鳴り響いた。

「あらまあ」という香苗の、ひどく間の抜けた声が聞こえた。

「リン! リン、出てこい!」

 令が叫んでいた。


「人とは、いったいなんだろう。人が人であるということは、どういうことなのだろう」

 先生はホルモンをつつきながら、独り言のように話しはじめた。

 開も同じようにホルモンをつつく。先生の言葉に耳を傾けながら、七輪の網に新しいホルモンを皿から流し落とす。

「プログラムである私が、こんなことを話すのはおかしいかな」

 先生は刺身を箸で掴むと、微笑みながらそう言った。

「いえ、そんなことはありません」

 そう応えながらも、開にはよくわからなかった。

 開にとって先生はどんなことがあっても、先生だ。しかし、プログラムで動いている先生が、どうしてそんなことを考えているのだろうとは思う。

「前に、聖書の講義をしたことを覚えているかな。創世記だ」

 今日のお昼、凛が草原で叫んだ「さあ、野原へ行こう」という言葉が思い出される。

「覚えています。聖書と、仏教の教えについて、先生は講義してくれました」

「近いうちにこういう会合を持つことがわかっていたからね。レイとリンにも、やがて話さなければいけないことだ」

 凛も、まもなく二十歳になるのだ。

「主はエデンの園に、アダムとイブを造られた。エデンの園は楽園だったという。

 アダムとイブはお互いに裸だったが、恥ずかしがることはなかった。彼らには羞恥心がなかったのだ。

 羞恥心がないということが、どういうことを意味しているかわかるかい」

 開は考える。

 恥ずかしくないということ。楽かもしれないと、まず考えた。しかしすぐに、羞恥心がない世界が本当に成り立つのだろうかとも思う。

 恥ずかしさ、そのための躊躇、気後れ、遠慮、気遣い。そういったものがすべてない世界ということだ。

 そうだとすると、どんな世界になるのだろう。

「羞恥心は、自分というものを確認するためには最も簡単な心の動きだよ。

 恥ずかしいとはすなわち、自己保身の現れだ。

 自分自身がかわいい、私は自分を守りたい。

 それが恥ずかしいに繋がる。そういう気持ちのことを、羞恥心と呼んでいるわけだからね」

 開の理解を待っているのか、先生は一呼吸置いてからいった。

「つまり、羞恥心がない世界に、自分という概念はない」

 先生は牛スジ肉の味噌煮込みを口に運ぶ。

「自分というものがない世界。

 それが、主が造られたエデンという場所だ。

 アダムとイブには、自分という感覚はなかったに違いない。

 自分という感覚がない世界が想像できるかい。もっとも、君は今日、わずかだがその世界に触れているね」

 先生に続いて牛スジ肉を噛んでいた開は、先生の言葉にふと思いつく。

「それは、もしかしたら、蟻ですか」

「そうだ、蟻だ。高度な社会性を有する、あの蟻たちのことだよ。

 彼らにはおそらく自分という感覚はない。もちろん羞恥心もない。

 常に群れで行動するためには、個体が自我を持つことはデメリットにしかならないからね」

 先生も、いや、先生が姿を借りているその男も、牛スジ肉に苦戦しているようだ。話しながらもずっと噛み続けている。

「だからおそらく、主の理想は、人を完全な社会性生物として創造することではなかったかと、私は思う。

 蟻のように一糸乱れずに、群れとして行動ができる生物としての人。

 それが、楽園であるエデンに配置されたアダムとイブの本当の姿であり、主の望みだった」

「でも先生、僕はこうして先生と話している。自分の中で考えて、自分の気持ちで話しています。神様は、それがいけないことだと考えているんですか」

 先生の話はあくまでも聖書の解釈に過ぎない。それがわかっていながらも、開はなんとなく自分を否定されたような気がした。どこかでやはり、先生がプログラムだと知った影響があるのかとも思う。


「知っての通り、アダムとイブの話には続きがある」

 先生は開の質問には答えずに、また話しはじめた。

「蛇にそそのかされたイブが、知恵の樹の実に手を出してしまうんだ。そしてアダムにも食べさせる。

 その瞬間、ふたりはお互いが裸であったことを知る。そしてイチジクの葉で腰を覆う。

 恥ずかしくなったわけだ。つまり羞恥心を知ったのだ。

 それは、自分という存在をはじめて認識したということだろう。

 それを知って主はお怒りになり、ふたりをエデンの園から追放してしまう。

 羞恥心を覚えて自分という存在を認識したことが、アダムとイブの罪だったわけだ。これが人の原罪だという解釈もある。

 エデンの中央に植えられていた知恵の樹、その果実は自我の認識そのものだと考えていい」

 先生はホルモンを網の上でつつきながら、開の眼を見つめた。

「しかし、いいかい。人が人であるということは、自分という認識を持つことと同義だ。

 人である絶対条件は、自分を認識しているか否かだよ。

 でなければ、それこそ蟻と同じになってしまう。

 人は、自分を認識できるからこそ、人なんだ。

 しかし主は、それを罪だと考えた。主は、人が人であることを理想とは考えていないのだ。

 だから、私は思うんだ。人が人であることを罪とする主と、人が人であることを勧めた蛇と、はたしてどちらが神で、どちらが悪魔だったのだろうか、とね」

 開は先生の話に引き込まれる。

 聖書のことは先生の講義のあとで数冊の本を眺めたくらいの知識しかない開だが、それでも先生の話は自分がなに者かということを考えさせてくれる。

 先生がホルモンの最後の皿を七輪に流す。開は忘れていたビールを持ち上げるが、思い直してテーブルに置いた。アルコールが思考を麻痺させるという感じが、少しわかってきたからだ。


「不思議なもので、仏教にも同じような考え方がある。

 人間はどこか、自らを否定するような考え方に憧れるところがあるのかもしれないね」

 今までならおそらく聞き流していただろう人間という言葉に、開はぴくりと反応して、目の前の先生を見る。

「仏教には悟りという概念があることは知っているね。

 悟りを開くとはどういう状態かを簡単に言葉にすると、生死の迷いや苦しみ、数多くの煩悩のすべてがなくなり、他我の境界さえ消え失せた至福の境地、ということだ。

 ここでいわれている数々の苦しみは、自分というものを認識しているからこそ表れてくるものだよ。

 死の恐怖。病気の不安。様々な悲しみや欲望。すべて個体としての自分を意識するからこそ、存在するものだ。

 だから、自分をなくすことが救いへの道だと説いているわけだね。他我の区別をなくす、とはっきりと書かれているくらいだ。

 しかし、先ほども話した通り、自分を自分として認識することが、人が人であるための絶対条件でもあるわけだ。

 そうなると、つまり悟りとは、人ではない別のものになること、だと考えていい。

 聖書では、人が人であることを罪として、その救いを神とキリストに求めた。

 初期仏教では、人が人であることを自らの努力でやめようとした。

 その違いはあるにせよ、いずれも人が人であるということが、自分という認識が、間違いの元だとしている。

 その間違いを正すためには、他我の境界をなくさなければならない。

 他我の境界がなくなるということは、それはすなわち、完全な社会性と等しい。エデンに造られた、羞恥心のないアダムとイブの状態だよ。

 それが、悟りという仏教での最高の境地なんだ。

 主が造られたエデンと、釈迦が求めた境地は、実は同じ場所だったのだ。

 そしてそこで理想とされたものは、人が人でなくなる完全な社会性生物の世界だ。

 そう、蟻のようにね」

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