第4話 決意

 アリスと出会ってから一か月ほど、彼女は毎日ここへ訪れてくれた。


 そのたびにアリスといろいろな話をし、そのたびに俺はアリスの事を好きになっていった。

 一日の内の僅かな時間でも、俺の恋心はどんどん膨らんでいく。


 しかし、それと同時に少しずつ恐怖を覚えていた。


 それは、俺が過去に行なった罪。


 俺は過去に殺人を犯し、それを後悔してここへ投獄されている。

 人によって後悔する理由はいろいろあると思うが、殺人というのはレベルが違う。


 もし、この事をアリスが知った時、俺は嫌われてしまうんじゃないか。

 もう二度とここへ訪れてくれなくなるんじゃないか。


 そんな恐怖が、アリスへの恋心と一緒に育ってきている。


 いまだに記憶が戻る気配はない。


 アリスは自分の事をいろいろと話してくれるのに対し、俺はアリスに自分の事を一つも話せていない。

 アリスの事を知りたいと思うように、アリスは俺の事を知りたがっているんじゃないだろうか。


 いや、それはちょっと違う。


 アリスに自分の事を知ってもらいたい。

 俺はそんな気持ちが強くなり始めていた。


 しかし、俺の事なんて殺人を犯してここにいるという事ぐらいしか思い浮かばない。


 嫌われたくないという気持ちと、自分を知ってもらいたいという気持ち。


 この葛藤に苛まれながら、俺はこの一か月を過ごしてきた。

 だが、その葛藤も今日で終わる。


 俺は過去に、自分が何をしたのかをアリスに話そうと決意したのだ。


 嫌われるのは怖い。


 けど、俺はそれ以上に、アリスに俺の事を知ってもらいたかったのだ。


「アリス、今日は少し、俺の話を聞いてもらいたいんだ」


 別れの時間が差し迫る中、俺はアリスへ話を切り出した。


「もしかして、記憶が戻ったのかい?」


 俺の言葉を聞いたアリスは、なぜか不安そうな表情を浮かべて問いかける。


 俺の恋心が覚める事を恐れているのかもしれない。


 しかし、俺はたとえ記憶が戻っても、アリスに対する恋心は冷めないと思っている。


「いや、記憶は戻ってないんだが、俺の過去の後悔に関係する話だ」

「……聞こうか」


 アリスは神妙な面持ちで俺を見つめていた。

 言葉に出してしまった以上、言わなければならない。


 心臓がかつてないほどに動揺している。

 嫌われたくない、話すな、ずっとこのままでいいじゃないか。


 そんな思考が支配するが、もう話すと決めたのだ。


 覚悟を決めろ、俺。


 俺は大きく深呼吸をし、アリスを見据え、震える声で言葉を紡ぐ。


「俺は過去に殺人を犯しているらしい。初めて男に会った時に言われたんだが、その殺人を後悔してここにいる、と。今まで怖くて言えなかったが、俺は殺人犯なんだ。だから、だから……アリスはこんな俺を、どう思う……」


 言葉尻が弱くなり、俺はアリスを見ることが出来なくなって下を向く。


 言ってしまった。

 これでもう、引き返す事は出来なくなった。


 もしかしたら、これで嫌われるかもしれない。

 嫌われた時の事ばかりが脳裏をよぎり、ぐるぐると負の感情ばかりが渦を巻く。


 アリスは沈黙したまま口を開かない。

 無言の間が続き、時の流れが止まってしまったのではないかという錯覚にすら陥る。


 やはり、話さない方が良かったのだろうか。


 永遠にも思える時間の後、アリスはゆっくりと口を開いた。


「いいんじゃないかな」


 アリスのその言葉に、俺は勢いよく顔を上げていた。


 アリスは優しく微笑んでおり、柔らかな表情で俺を見つめている。


「私は別にいいと思う。殺人を犯したと言っても、君はここに入るぐらい後悔しているんだ。この牢獄は人生を捧げられるほどの後悔をした人しか入れない。きっと、その殺人は君が望んだものじゃなく、何かわけがあって行なわれたものなんだ。だから、私はそれを否定しない。それに、私はどんなことがあっても、君の事が大好きだよ」


 その言葉を聞いた瞬間、俺は涙が溢れてきていた。


 アリスは過去を聞いてもなお、俺の事を好きだと言ってくれた。


 先ほどまでとは正反対に、正の感情が入り乱れて訳が分からなくなる。


 アリスは俺のすべてを受け入れてくれる。


 そう確信した時、俺は一つの願い事が出来た。


「俺は記憶を取り戻したい。記憶を取り戻してここから出て、アリスと一緒に暮らしたい」


 今までは僅かな間でも満足していたが、もうそれだけでは抑えられない程に感情が高ぶっている。


 僅かな間じゃなく、いつでもアリスと一緒にいたい。

 アリスの隣に立ち、アリスと同じ光景を見て、アリスと共に笑い合いたい。


 そんな気持ちが、心の底から溢れ出している。


「……記憶を取り戻す必要はあるのかな」


 しかし、アリスは暗い表情でそう呟く。


「私は君といられるだけで幸せだ。もし記憶を取り戻したら、良くも悪くも関係が変わってしまうだろう。もしそうなった時、君が私に目を向けなくなった時、私はこの時間が失われるのが怖いんだ……」


 記憶を取り戻して俺が変わってしまう事を、アリスは恐れている。


 アリスの言うように、俺のアリスへ抱く感情は記憶を取り戻して変わってしまうかもしれない。


 ただ、俺は確信していた。


「大丈夫。俺は絶対に変わらない。記憶のない俺も、記憶のある俺も、それは間違いなく俺なんだ。だから、俺がアリスを嫌いになるなんてことはない。だから、信じてくれ。記憶が戻ってもずっと、俺と一緒にいてくれ」


 理由を説明する事は出来ない。

 今の俺には何もないし、今まで積み重ねてきた経験も失われている。


 それでも、俺は確信に近いものを抱いていた。

 それを説明する事は出来ないが、記憶を取り戻しても想いは絶対に変わらないと、俺の心は訴えかけている。


 こんな何もない俺を認めてくれたアリスと、何もない俺を好きだと言ってくれたアリスと、共に歩んでいきたいと思った。


「っ私も同じ気持ちだ。君といたい。ずっと君といたい。じゃあ、記憶を取り戻すために頑張らないといけないね」


 アリスは微笑みながらそう言ってくれる。


 これで、俺がしなければいけない事は決まった。


 記憶を取り戻してここを出る。


 出来るだけ早く、それを達成しないといけない。


「そろそろ時間だ。私は行かないと」


 アリスがそう呟き、俺は心が締め付けられる。


 もっと一緒にいたい。


 だが、ここでそれを言ってアリスを困らせるわけにはいかない。


「明日も来てくれるか?」

「絶対に来る。約束だ」

「待ってる」

「ああ。じゃあまた」


 俺の別れを聞き終えたアリスは、いつものように窓から姿を消した。


 今日はいつものように心が冷たくならない。


 アリスが俺を受け入れてくれたからなのだろう、今の俺は期待に満ち溢れている。


 ここから出て、アリスと共に外の世界を歩む。


 それを実現させるため、俺は記憶を取り戻さなければならない。


 俺は夢を実現させるため、思考の海へと身を投げ出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る