第3話 恋

 アリスと初めて出会った翌日の事。


 俺が思っていた以上に早く、アリスはこの牢獄に足を運んでくれた。


 昨日と同じで窓からこちら覗き、昨日聞けなかったことについて話をしてくれている。


「ここは過去に後悔を乗り越えられなかった人が入る牢屋なんだ。だから、その後悔を乗り越えられれば、ここから出ていくことが出来る。初めに会ったっていう男の人は、その事を言っていたんだろうね」

「過去の後悔を乗り越える……」


 それはつまり、俺が過去に後悔するような事をしていて、それを乗り越えられなかったからここにいるという事になる。


 俺がここにいる理由は、俺自身が思い出せない過去を乗り越えるため。


 記憶を取り戻さない限り、俺はずっとここにいなければいけないという事になる。


「そもそもこの世界はいったい何なんだ? 腹も減らなければ体を壊す事もない。俺は夢の世界だと思っていたんだが、それにも確証が持てない」

「一つ言っておくけど、ここは夢の世界なんかじゃないよ。記憶が戻れば、ここがどんな世界なのか、どうしてここに閉じ込められているのか、全部が分かると思う」

「この世界の事は教えてくれないのか?」

「……うん。私からは話せない。ここにいる人たちには、この世界の事を話しちゃいけない事になってる。それをしちゃうと、みんな過去と同じ道を辿る事になるからね。ここにいる人達は、自分の力で過去を乗り越えないと意味がないから」


 アリスはこの世界の事に関して教えられないという事だが、そこから読み取れることもある。

 この世界といったという事は、やはりここは現実世界とかけ離れているという事だ。


 夢の世界であることは否定されたし、それ以外の世界というのに思い当たるものがない。

 ただ、これは記憶が戻れば分かる事だという。


 つまり、俺がここでしなければいけないのは、記憶を取り戻す事だ。


「記憶を取り戻さないといけないということは分かった。でも、今の俺にはその手掛かりがないんだ。どうすれば記憶が取り戻せるかもわからない」

「ここには何もないからね。でも、ここには死という概念が存在してない。だから焦らず、ゆっくり思い出していけばいいさ。私も出来る限り付き合おう」

「付き合ってくれるのか?」

「うん」


 アリスは俺と出会って間もないのに、俺の記憶を取り戻すのを手伝ってくれるという。


 手伝ってくれたところで、アリスには何の得もないはずだ。

 それでも手伝ってくれるというのは、純粋に喜ばしいものである。


「アリスは優しいな。でも、牢屋にいる俺に返せるものなんて何もないぞ?」

「別に返してもらおうなんて思ってないよ。私は純粋に、君といたいだけなんだ」


 その言葉に、俺は昨日感じたような胸の高鳴りを覚えた。

 体中が熱を帯び、頬も火照っているのを感じてしまう。


 その言葉はいったいどういう事なのだろうか。


 俺は特別な感情を持ってアリスと共にいたいと思っていたが、アリスも俺と同じだったのだろうか。


「一目惚れってやつなのかな。あんな感情を抱いたのは生涯で君だけだった。だから私は君と一緒にいたい。手伝う理由にしては少し弱いかな?」


 少し不安そうな表情をしてアリスはこちらを見つめてくる。


 だが、俺はその言葉に天にも昇るような思いが溢れ出ていた。


 俺の勘違いではなく、アリスも俺と同じ感情を抱いていたという喜びが、俺の心の中を満たしていく。


「……いや、とても嬉しい。俺も同じ気持ちを持っていたから」

「っそうか。君もそう思ってくれていたんだね。私も嬉しいよ」


 互いの頬が赤く染まり、無言の時間が続く。


 両想いだったというのはとても嬉しいが、同時に気恥ずかしさが込み上げてきて言葉が出てこない。


 だが、ここで話を途切れさせるのは男としても恰好が悪い気がする。


 気はずさしさを押してでも、ここは話題を振らなければ。


「アリスはこの世界で生活してるんだよな。もしよかったら、どんな生活をしているのか教えてくれないか? 差しさわりのない範囲でいいから、もっとアリスの事を知りたいんだ」

「う、うん。世界の根幹に関わらない事なら」


 アリスは恥ずかしがりながらも、自分がどんな生活を送っているのかを教えてくれた。

 どうやらこの世界では、現実世界と変わらない人の営みが行なわれているらしい。


 普通の生活を送る中で、こんな事があった、あんな事があったと語るアリスの姿はとても可愛らしく、聞いていてとても楽しいものだった。


「あ、もう時間だ……」


 楽し気に話してアリスが唐突にそんな事を口にする。


 昨日もそんな言葉を口にしていたが、もしかしてと思い、俺はアリスに問いかける。


「ここにいられる時間は決まっているのか?」

「そうなんだ。寂しいけど、今日はもうここを出ないといけない」


 そう口にしたアリスの表情は本当に寂し気で、この時間が終わってしまう事に名残惜しさを感じているように見える。


「また来てくれるか?」


 そう決められている事なら仕方がない。


 俺はアリスがここから離れられるよう、そしてまた来てくれるよう、期待を込めて問いかける。


「うん。絶対にまた来る。だから待ってて」


 アリスはそう言いながら小指を立てた。

 それに合わせて俺も小指を立て、以心伝心したように同時に指を結ぶ。


 射界15cm越しの約束。


 たとえ手は届かなくても、俺達は心で繋がり合っている。

 そう感じた瞬間だった。


「じゃあまた」

「待ってる」


 小指を解くと、アリスはゆっくりとここを離れていく。


 そして、俺は牢屋に一人取り残された。


 寒くもないのに、不思議と俺は身体が冷えていくのを感じる。


 次にアリスと会うのが待ち遠しい。


 俺は冷えていく身体を震わせながら、アリスの訪問を待ち焦がれた。

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