第2話 邂逅

 牢屋に入って一か月ほどが経過した。


 あの男の言っていた通り、ここへ立ち寄る人間は誰一人としていなかった。


 外へ出ようにも、鉄の扉は何をしても開く気配はない。

 覗き窓から外を見ても何もなく、ただ草原が広がっているだけ。


 その時点でここがどこなのか分からなくなり混乱したが、人が寄らないのはそのせいだったのだ。


 食料も何もないこの牢屋で俺は餓死するんじゃないかと初めは思っていたが、一か月経っても飢えを覚える事はなかった。


 試しにここ数日は睡眠をとらずに過ごしているが、体に不調を覚える気配も全くない。

 つまり、この世界は生命活動が必要とされていないのだと思われる。


 それらの事実から、俺は一つの仮説を立ててみた。


 まず、この世界が現実世界ではないという事。


 これは間違いなく当て嵌まるだろう。


 人間は食って寝なければ生きていけない生物だ。

 それが必要ない時点で、ここが俺の知っている世界でない事は想像できる。


 次に、ここがどのような世界なのか。


 それに関しては、俺が生み出した夢の世界ではないだろうかと推察している。


 それ以外では説明がつかないし、何より男が言っていたことがひっかかっているのだ。


『いち早く後悔から立ち直る事を願っている』


 この言葉から分かるのは、俺が何か後悔をするような事をしたということだ。

 深層心理にそれが反映され、俺は今こうして閉じ込められているのではないだろうか。


 一か月も閉じ込められて誰とも接触できない状況など、普通だったら発狂しているかもしれない。

 しかし、心に不安は残るものの、俺はこうして冷静に物事を考察できている。


 つまり、これは俺の見ている夢の世界で、何かを懺悔するためにこの世界に閉じ込められているのではないだろうか、というのが俺の仮説だ。


 記憶がないのは疑問に思うが、それは思い出していくしかないだろう。


「本当に何もないな……」


 ただ、思い出そうにもきっかけがなければ何も思い出せない。

 環境音すら自然な物ばかりで、人の気配すら感じる事がないほどだ。


 考えるしかできないこの状況で、本当に俺は記憶を取り戻すことが出来るのだろうか。


「ねえ、こんなところで何してるんだい?」


 唐突に、上から声が降ってきた。

 慌てて声のする方を見ると、遥か上にある15cmほどの窓から一人の少女がこちらを覗き込んでいる。


 絹のような滑らかな肌に、すっきりとした顔立ち。

 紺碧のように美しい瞳はしっかりと俺を見据え、美しい白髪はとても美しくたなびいている。


 俺はその少女の可愛らしさに見蕩れつつ、どこか懐かしいと思うような感情を抱いていた。


「ねえ、聞こえてる?」

「っああ。聞こえてる」


 俺は我に返ったように少女に返答する。


 久しぶりに会った人間に動揺し、その可愛らしさについ見蕩れてしまっていた。


「君は何でこんなところにいるんだい? この辺りには何もないのに、そんなところにいてつまらなくない?」


 少女は小首をかしげながら俺に問いかける。


 その仕草一つとってもすごく可愛らしい。


「ここにいてもつまらないが、ここから出ることが出来ないんだ。自分が何でここにいるか分からない。初めて会った男は俺次第で出られると言ってたが、記憶がないからかその手掛かりすら掴めてない状況だ」

「っ……記憶がないんだね。ここに来る人達の中にはそういう人もいる。君もその中の一人ってだけだから、不安に思う事はないよ」

「ここがどんなところか、お前は知っているのか?」


 俺は少し期待を持って、少女に問いかける。


 ここがどんなところか知ることが出来れば、俺の記憶を取り戻す手掛かりになるかもしれない。


 それに、この少女に感じた懐かしさも気になる。


 もしかしたら、俺はこの少女の事を知っていたのかもしれない。


「私の名前はアリス。お前なんて呼ばないで、アリスって呼んで。君の名前は……」

「あ、ああ。俺の名前はイアンだ。よろしく頼む、アリス」

「うん。よろしくね、イアン」


 アリスの微笑みに、俺は少し胸の鼓動が早まった。


 ここに閉じ込められてから初めて覚えた感情。


 アリスの微笑みが、俺にはとても輝いているように見えた。


「質問してもらって悪いんだけど、もう時間みたいだ。また来るから、その質問はまた今度で」


 アリスは名残惜しそうにそう言うと、くるりと回転してその窓から消えてしまう。


「ま、待ってくれ! また、また来てくれるのか!?」


 俺は必死にアリスへ問いかける。


 その時俺が感じていたのは、もう二度とアリスが来なくなってしまうのではないかという不安。

 なぜだか分からないが、俺はアリスに行ってほしくないと思っていた。


 この感情がどこからきているのか分からない。


 でも、俺はアリスと離れたくないと思っていた。


「絶対に来るよ。だから、安心して」


 そんな言葉を残して、アリスは姿を消していった。


 懐かしさを覚えたという事は、俺に何か関係する人物なのかもしれない。

 ただ、アリスが俺の事を知らなかったという事は、俺の記憶にアリスは存在していないのだろう。


 しかし、俺はそれでもいい気がしていた。


 一目惚れなのだろう、胸の高鳴りも未だ収まらず、完全にアリスに心を奪われている。

 俺は過去に関係なく、アリスが来る事を心から望んでいた。


 アリスは絶対に来てくれると言ったが、次はいつ来てくれるのだろうか。


 俺は暗い牢獄の中で一人、アリスを待ちわびる。

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