第4話 カラダ
(5)
朝七時。
俺と千春は起床する。
目覚めを悪くする不快な音の正体は言わずともしれず。
「おはようときくん」
目を擦りながら布団から這い出るとそのまま服を脱ごうと腹を出した。
「ここで脱いだら次の生理は来ないと思え」
冗談で言ったつもりだったそのセリフは千春を静止させるのに充分だった。
ようやく自分のしようとしている事に気がついたのか、顔を赤らめ頬を膨らませていた。
「なななな、なんで私はときくんの前で脱ごうと……」
「寝ぼけてたんだろ。早く着替えてこい」
「それにどうして私、ときくんの部屋に!?」
そうだ。昨日千春は親の部屋で寝ていたはずだ。
「ま、いつものことだろ。泊まりに来るときはいつも妹の部屋で寝るのに、何故か毎回朝起きると俺の布団に入ってきてるもんな」
無自覚にそれを行うことに最初は驚いたが、今ではもう慣れたものだ。
千春は呆れ顔の俺を見て、うっと呻き座りこもうとする。
「眠気が冷めたならさっさと支度をする!」
すかさず母親のような物腰で言いつけ、出ていけと言う代わりに指でドアを指す。
「はーい」
物分りが良くてよろしい!
俺は千春が部屋から出ていくや否や着替えを始めてすね毛を剃る。
個人的に毛が多いのは好きではない。
「こんなもんか」
見事なまでにツルピカだ。
そうこうしているうちに千春も着替えを終えたようで、一階の洗面台から俺を呼ぶ声が聞こえる。
「はいはーい!今行くよ!」
内容まではよく聞き取れなかったが内容は分かっている。
彼女はとにかく鈍い。学校ではその鈍感ヒロインのテンプレみたいな行動は全く無いのだが、俺と一緒にいる時だけダメ女になってしまうのは何故だろうか。
そんなことを考えながら下に降り、声のする方に向う。
「うーん、とれない……」
予想通りーというか彼女が来ると必ずこうなるのだがードライヤーの電気コードを体に絡ませ、どこかで見た、触手に巻かれるエロゲのヒロインみたいな姿になってしまっている。
「毎度毎度、ただのコードを芸術的エロスに仕立て上げる才能があると感心するよ」
「え、えろっ!?ときくんってば……」
「はいちゃっちゃと支度しますよーっと」
手馴れた手つきでコードを解き、これまた手馴れた手つきで髪を整え始める。
アシメントリーと言われる髪型をセットしてから左前髪を鈴蘭のリボンで束ね、残りの髪を後ろに流す。
俺は目の前のお嬢さまにこの一連の流れを幾度となく執り行ってきた。
彼女のカバーは何でもできる。
「よし。おっけー」
ぽん、と頭に手を置いてうん、と頷いた。
我ながら完璧である。
「ありがとう!いつもお母さんに頼ってるから自分じゃ上手くできないんだよねー……」
「知ってる」
そう言うとどうしてか千春は満足そうに笑った。
どうして……いや、やめておこう。
ーーーーーーーーーーーーー
登校は千春が先に出て俺が後から追いかける。
このスタイルは中学からずっと変わらない。
もし誰かに一緒に登校しているところなんて見られでもしたら、学年全員の男子からブーイングを受けることになるだろう。
それほどまでに人気があるのだ。
授業が終わると、今度は俺が先に帰路を辿り千春が付いて来る。
単純だが中学から今まで一度も幼馴染だと気付かれたことは無い。
帰宅すると彼女は俺に甘えてくる。それを跳ね除けて昨日同様に夕食を食べ風呂に入る。
時刻は九時五〇分。
テレビに夢中な千春に適当な理由を作って外に出る。相変わらず雪は止まない。
マフラーを口元まで巻き上げ、黒地のダッフルコートのボタンを留める。
そこから5分と経たずに心霊スポットに到着した。
中に入ると黒い人影が一つ。
「お、逃げずによく来てくれたね」
嬉しそうに笑う彼からはやはり不気味なオーラが放たれている。
「逃げた先は死だからな」
「わかってるじゃないか」
口元は緩んでいるが目は冷徹のままだ。
危険な香りがプンプンするが、面白そうな匂いも漂ってくる。
「で、なんの要件なんだ」
着替えていないのか、服装が昨日と全く同じだ。しかし、それとは別に大きく変わったものがあった。それは、首元にある大きな火傷の跡。
「察しのいい君なら分かると思うが、この傷痕も関係している」
「勿体ぶらずに早く言え」
「そうだね。もう時間が無い。そこまで差し迫っている」
男は余裕の口振りだが、不安そうにあたりを見渡している。
表情からどこか焦りも見える。
「何を焦っている」
「……鋭すぎるのもどうかと思うが、まあいい」
ひと呼吸おいて。
「君には魔法を与えよう」
これまた耳を疑うことを言い出した。
「魔法だと?」
真剣な眼差しでそんなことを言われても俄に信じ難い。しかし、自分は人間じゃないという言葉を信じてしまった以上、もう何を言われようとも受け入れるしかない。
「話は後だ。付いてこい」
男はやたらと焦った様子で俺を手招きする。
ここで俺がもたもたしていると何か危険に晒されるのだろうと感じ、黙って付いていくことにした。
彼は首元の火傷を手で抑えながら早足で歩く。
この仕草で理解した。立っているだけで人を恐怖に導くこの男に恐怖を与える者。その何者かがこちらに向かっているのだ。それから逃れようと懸命に足を動かしているのだろう。
「うっ……」
ビルの二階へ上がったところで細身の男が悲痛の声を上げた。
「どうした!?」
見ると、火傷の跡から血が流れている。
「またおかしなことを言っていると思うかも知れないが……私は……呪いの魔術にかかってしまっている……」
「なんだよそれ!どうすればいい!?」
おかしなことも何も、目の前で顔面蒼白の野郎を見たらどんな状況でもヤバイと察することは出来る。それにもう俺はこいつの存在を認めたのだ。余計な心配はいらない。
それより、もしも呪いをかけた男が俺を目視したら容赦無く殺しに来るだろう。何としてもそれだけは阻止しなければならない。
最悪、こいつが死のうとも。
「中々酷いことを考えるじゃないか……」
忘れていた。こいつは心が読めるんだった。
「まぁいい。君が僕の後継者となってくれるならね」
後継者?一人で話を進めていないで俺にも分かるように説明してもらいたいものだ。
「口で言うより体験してもらった方が早いと思ってね。右手を手を出してもらえるか」
俺はこの男の言う通りにしか行動出来ないことに苛立ちを覚えた。
自由に人を翻弄し続けてきた俺が、今はこの男に振り回されている。日常から少しでも離れると、自分だけでは何も出来ないという歯がゆさを感じた。
「もうすぐ奴が来る……いいか、君の中に魔法の取扱説明書を送り込む。何も覚えようとしなくていい。脳が、感覚が全てを指示してくれる」
そう言うと男は手首の脈をナイフで深く削った。
どす黒い赤色の液体が手首から手先にかけて流れ落ちている。
「な……何をして……」
そして今度は、削った手首と逆の手で俺の左手を力強く握った。
振りほどこうにも解けない。尋常ではない力が細い左手に伝わっている。
男は赤く染まったナイフをこちらに向け、自分の時と同様に手首の脈を切った。
「いっ……!」
急激な痛みにはっきりとした声が出ない。
手首の脈が波を打って衝撃を脳に伝えてくる。
そして、細身の男はその血塗れの右手を俺の左手に覆い被せ、ぶつぶつと何やら唱えていた。
きっと、これが魔法の詠唱というものなのだろう。
一〇秒程で詠唱は終了し、それと同時に細身の男の血液が自分の中に流れ込んで来た。すぐに脳内に直接電撃が走るような感覚に見舞われた。
身体中が痺れ、血液が急速に流れ始めるのが分かる。
例えるなら、腕枕をしたまま寝て朝起きたら血が通っていなく、無理やり腕を下に下ろした時のような。
心臓の鼓動が加速し、胸に手を当てなくても音が聞こえた。生命維持の最重要部分が体の異常を訴えている。
朦朧とする意識の中、俺はこれから先どうなるのだろうと好奇心を溢れさせていた。
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