第1話 子どもな心
二〇九九年二月。
もうすぐ高校二年生になる俺はいつものように真っ直ぐ家に帰る。
東京は例年になく雪が降り積もり、人々の足を重くした。電車やバスは一時運行停止で母さんの帰りは遅くなるようだ。父さんは張り込みだかなんだかでしばらく戻らないし妹も修学旅行に行っている。今日は家に俺一人だけ。
と、いうことはつまり、父さんの部屋に長居出来るということ!今日こそ多くの情報を盗んでやる!雪バンザイ!
赤信号を待つ間、そんなことを考えながら耳までかかった紺色の髪の毛を整えていた。今日も二重かつキリッとした目が自分を引きたてている。
信号が青になるのを合図に足取りを早めて帰宅した。
「指差し確認!車なし!声なし!神谷の表札よーし!カーテン閉まってる!玄関の電気消えてる!いよし!」
茶色のショルダーバッグからそそくさと鍵を取り出し、勢いよく刺して左に回した。
「鍵よーし!……ん?あ、あれ?」
本来なら左に回した直後に、重鈍い金属音と軽いがしっかりとした硬さが手に伝わってくるはずなのだが……。
いくら回しても鍵は空を切るのみ。
考えられるのは泥棒か、もしくは……。
俺は恐る恐るドアを開け顔を強ばらせ、自室に繋がる階段と右に広がるバスルーム、そして手前のリビングを確認した。
リビングに繋がる扉は閉められているが、ガラスから光が抜けてきているのがわかった。
音を立てずに靴を脱ぐ……ところでこの状況を理解した。
「ただいま~……」
ドアを開けて気のないただいまを言うと、俺の心とは正反対の明るい返事が飛んできた。
「あ、おかえりときくん!」
クラス一の美少女で超モテモテの現役JKだ。茶色がかったミディアムロングのアシメで、右サイドの前髪部分は鈴蘭のリボンで束ねられている。その結んだ髪を前に垂らし、残りは耳にかけて後ろへ流していた。左サイドは装飾されておらず、ナチュラルな感じが見る人に清楚味を与えた。
ぱっちりとした目はその娘の優しさを表に出し、多くの者を虜にするにはピッタリな容姿をしている。
身長はさほど高くないがそれがまた可愛さを強調した。
「なんでお前が家にいるんだ……ほら、早く帰れよ」
人の家で何をしていたか知らないが、速やかに退場していただきたかったので、なるべく厳しい口調で言い放った。
「ひ、酷い!幼馴染みなんだからもっと優しくしてよね!」
上下にはねてピンクのTシャツを靡かせながら叫んでいる。
「うるせーな、こっちはお前なんかに構ってる暇なんてないから。はいしっし」
本気で怒っているのか、頬を赤らめながら前屈みになって怒鳴ってきた。
この顔は学校では見せない、本気の顔だ。
「そこまで言うの……?」
すぐに拗ねる。まだ心が子供なのだ。
「ごめんごめん……。で、お前は人の家で何やってんだ」
呆れた顔を彼女に向ける。
いい加減すぐに怒ったり泣いたりするのをやめて欲しい。正直に言うと面倒だ。
「あ、うん……。ごめんね!何でもないの!もう用事は済んだし、帰る……ね」
「あ、おい」
帰れと言いつつも反射的に呼び止めてしまった。
自分できついことを言っておいてこいつの泣きそうな顔を見ると心が痛くなってしまうのは何なのか。これも面倒くさい。
「面倒臭い女だって、顔に出てる……!」
千春は力強く扉を開け、ブーツを掴んで走って出ていった。
こういうところも嫌いだ。
大きく溜息を吐き、冷蔵庫の中にあるはずの昨日の残り物を探しにキッチンへ向かった。
「ん?何かいい匂いがするな」
キッチンの扉を開けるとそこにはカレーが盛られており、手作りであろう少し焦げ目のあるカップケーキが置いてあった。
「俺の分と、千春の分の飯……」
はっと自分のしてしまったことに気がついた。
俺たちの料理をわざわざ作ってくれていて、それでもって千春お手製のカップケーキまで用意してくれていた。そんな彼女に向かってさっさと帰れとあしらってしまった自分の愚かさに嫌気がさした。
「あー世話が焼ける!」
世話が焼けるのはどっちだろうか。
心の片隅でそう思うが、首を振って掻き消し千春の元へと急いだ。
千春の家は大通りを挟んだ向かいの家で、うちと同じくらい大きな物件である。その建物の片隅に小さな影を見つけた。
点滅中の青信号に向かってダッシュし、ギリギリで千春側の歩道に着く。
息を切らしながら左を見ると、一人で蹲る可憐な少女が泣いているのが見えた。
「千春」
優しく声をかけ、隣に腰を下ろした。
千春は黙ったままだ。
「夕飯作ってくれてたんだな。ありがとう」
千春は膝に顔を埋めたまま小さく頷き、豪快に鼻水を啜った。
汚い!というのは声に出さず、何故外にいるのかを聞いてみることにする。
「今日はおじさんとおばさんいないの?鍵はどうした?」
「2人とも仕事で遅くなるって……。でも鍵忘れちゃったからおばさんに電話したの」
「忘れたって、千春はそういところあるからなぁ」
「そしたら、今夜はおばさんも雪と残業で会社に泊まるからもときをよろしくねって」
「なるほどね。本当に悪かったよ」
空を見上げるといつの間にか日は沈んでいた。その代わりに銀色に煌めく結晶が宙を舞っていた。
「ほら、顔を上げてみろよ」
千春は俺の言葉に従いゆっくりと顔を持ち上げた。
「まただね」
「あぁ……。今年は雪が多いな」
「東京なのに」
そう言うとまた頭を下げ、今度は寒そうに身体を震わせた。
今夜の気温は8℃で雪の冷たさも混じりかなり冷え込んでいる。このまま外にいては二人人とも明日の学校は休むことになるだろう。
俺はそれでも構わないが、真面目な千春はそういうわけにはいかないだろう。
「風邪ひくから家に戻るぞ」
俺は千春の手を掴んで引っ張りあげる。しかしその手の冷たさに驚いて離しそうになってしまった。
「ごめん、冷たいよね」
千春はすぐ謝る癖がある。
俺は離しそうになった冷たい手を握り直し、黙って上着のポッケに突っ込んだ。
「ありがとう」
千春の礼に応える代わりに体を引き寄せ、寒くないようにと密着させた。
俺は千春のことが好きではない。だが、その好きではないは恋人とかの方であって、人としては好きだ。
面倒くさいのは欠点だが、それがまた彼女の魅力でもあるのだろう。
俺はこいつが放っておけない。
「寂しかったら泊まって行ってもいいよ」
でも俺は、彼女を恋人にしたいとは思えない。
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