青春には、砂糖とミルクが必要不可欠

古瀬 雪

珈琲にミルクと砂糖を。

青春は珈琲のようなものだ。


青春なんて言葉は、子供たちに夢を与えるための方便でしかない。

若い彼らには苦味の良さなど分かるわけもなく、ただ苦いまま。

だが、そこにミルクや砂糖を加えるとどうだろう。

今まで苦いだけだったものが甘味を増し飲みやすくなる。


きっとこれが、夢にまで見た理想の青春なのだ。


『青春には、砂糖とミルクが必要不可欠』


誰かが、誰かに声を掛ける。

なあ、知っているか?

そんな常套文句で始まる話は、決して面白いものではない。


これは、とある中学生の最後の夏の話だ。

とある強豪中学サッカー部にエースと名高い少年が居た。

小柄ながらも、その瞬発力とテクニックで、点を決めていく様は、未来のスーパースターとしてサッカーファンを湧かせた。

だが、少年に事件が起こった。

チームでの紅白戦、少年を止めようとチームメイトがとった行動は、決して褒められるものではなかった。

無理にボールを取ろうと前に出たチームメイトに、少年は衝突し足を踏まれ、少年は足を骨折した。

夏、最後の大会は直ぐに迫っていた。

もちろん、出られるわけなく。結果は一回戦敗退。

主軸の選手が抜けた穴は、大きく、チームのやる気すら奪っていった。


いつの間にか、未来のスーパースターとして期待されていた少年はひっそりと姿を消し、一年と少しが経った。


新たな出会いを求めるように桜は咲く。


春の陽気は、時の流れに逆らうように揺らめいていた。

揺らめく陽気に切り込むかのように、自転車をこぐ音が急な坂道の上から降りてくる。


「遅刻だああああ!」


眠っていた猫も、用水路の白鷺も慌てて飛び跳ねる。

若者風に言えば激チャとでも言うのだろう。

必死な形相で、自転車をこぐ、少女・・の姿はアンバランスさを醸し出していた。


少女。

いや、この呼び方は改めたほうがいい。

男子生徒の服を着ながらも、ふわりとしたメープル色の癖っ毛、まん丸な目をした美少女。

だが、彼は少女ではなく少年だ。今年で高校二年生、青年といったほうが正しいか。


少年、久遠にとって今日は特別な日だった。

久遠は、中学生までこの街に住んでいた。だがとある事情により別の地域へ、一年の月日が経ち、再びこの街へ戻ってきた。

今日は、この街の高校への転学初日。久遠は初日から遅刻は不味いと自転車を飛ばす。


久遠が学び舎の門をくぐったのは、指定された時間の二分前だった。


__やばいやばい、間に合わない……!


転学初日に遅刻魔の烙印を押されるのは気に食わない。


久遠は、自転車を駐輪所に止め、目にも留まらぬ速さで駆け出した。

玄関口から入る、なんて選択肢はなかった。

開けてある窓から軽々と、登校してきた生徒がまばらにいる教室へ侵入する。


「えっ!?」


窓際に居た少女が、驚いた声をあげる。


「ごめん!」


久遠は、少女に謝りながらもその勢いを緩めることなく、教室を出て行った。

教室にいた生徒たちは、おのおのが困惑した様子で顔を見合わせる。


そんな状況を作り出した久遠は、数十秒後、肩で息をしながら職員室の前に居た。

指定された時間より一分前だ。

久遠はぎりぎり間に合ったと安堵に息を落とす。


ノックをして、久遠は職員室の引き戸を開ける。


「あ、高槻さん!」


小柄な女教師がとてとて小走りで近づいてくる。

久遠の担任になる、茜沢 ゆうこだ。


「遅いから、少し心配したわ」


人懐っこい笑みを浮かべるゆうこ。

久遠も癒されるな、と失礼なことを考えながら曖昧な笑みを浮かべる


「さっ、行きましょ」


ゆうこの弾んだ声に押されるように、久遠はゆうこの後ろをついていく。


朝霧高校、二年B組。

久遠がこれから通うこととなる教室の前に立つ。


「ちょっと待っててね」

「はい」


ゆうこはそう言い、教室の中へ入っていく。

教室内の喧騒が止み、ゆうこの一言が新たな喧騒を生み出した。


「なんと、今日は学園モノ……もとい漫画で定番の転校生を紹介します!」


久遠の耳にも届く、教室内のざわめき。

久遠は、緊張を掻き消すかのように静かに息を吐く。


「じゃあ、高槻さん入ってきて」


ゆうこの声とともに久遠は扉を開ける。

クラスメイトの視線が自然と久遠に集中する。


「えっ?男?女?」


誰が呟いたであろうその一言は、クラス全員の気持ちを代弁していた。

久遠は、容姿は完全に美少女。だが身にまとっているのは男子生徒の制服。

ゆうこは、自身とまったく同じ反応をするクラスに、苦笑いを浮かべていた。

久遠は、もう慣れたことなのかまったく動じていない。


「じゃ、じゃあ自己紹介お願い」

「はい。高槻 久遠です。こんな容姿ですが、男です」

「今日から、新しいクラスメイトだぞー!仲良くねー!」


右手を高く掲げるゆうこ。テンションのおかしいゆうこに、久遠は苦笑を浮かべる。

それはクラスの者たちも同じようで、どこか生温かい目でゆうこを見ていた。


「うっ……じゃ、じゃあSHRを始めます……」


顔を赤く染めた、ゆうこの声が合図だったかのようにチャイムが鳴り響いた。



「あー、疲れた」


クラスメイトの質問責め。別クラス別学年からの居心地の悪い視線を受けて久遠は、中庭の木陰に避難していた。

木々に囲まれたベンチは、久遠を周囲から遮ってくれる。


__にしても。


久遠は、直ぐ隣の芝生にシートを敷いて、読書をする少女を見る。

集中しているようで、久遠の存在に気づいていないようだ。


__本の虫か。


黒猫を想像させる黒髪に黄色にも見える瞳を持つ少女。

ミステリアス、クール、無愛想。

どんな言葉が似合うだろうか、と久遠は思考を巡らせる。


「なんですか?人の顔をじろじろと」


しばらくして、久遠の視線に気づいた少女は、文庫本に栞を閉じて、久遠を睨みつけるように、見る。

そんな姿も、警戒する猫のようで、久遠は思わず苦笑する。


「ごめんごめん、あまりにも集中していたから気になってね。それ何の本?」

「……文芸少女という作品で、これはシリーズ第一作目です」

「面白いの?」

「はい、とっても。何度も読み返したくなります」


愛おしそうに文庫本を抱く少女。

それほど、その作品が、本が大好きなんだろうと久遠は、思った。


「何ですか、その生温かい目は馬鹿にしているんですか?」

「してないよ。ただ」

「ただ?」


「何かをそんなに好きになれるって素敵だなって」

「歯の浮くようなセリフですね。気持ち悪いです」

「ひどい」


少女に容赦ない一言に、一蹴され、久遠は、ひどいと苦笑する。


「そういえば、貴方は?貴方みたいな特徴しかない人、見かけたら忘れないと思うのですが」

「ああ、そりゃ、今日転校してきたからね。俺は高槻 久遠。よろしく」

「ああ、なるほど。中途半端な時期に大変ですね。私は、望月 唯です。読書を邪魔しない程度によろしくお願いします」


つっけんどんな態度の唯に、久遠は手を差し出す。

唯は、少し躊躇しながらもその手を取った。その頬は、照れているのか少し赤い。


キーンコーン。

昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。

久遠は、ぱっと唯の手を離す。


「やばい、話しすぎた。じゃあまた今度ね!」


慌てて、中庭から出て行く久遠。


「なんだったんですか……」


久遠が居なくなった中庭で、チャイムの音を聞きながら、唯はまだ温もりを残す右手を何度も握った。



久遠の多忙な一日が終わり、空が茜色に染まった頃。

伸びた電柱の影に重なって一つの影法師が、帰路へついた久遠を見ていた。


久遠は、人影を見て足を止める。

誰そ彼とはよく言ったものだ。夕焼けは人の顔をも隠す。


人影は、明らかに久遠を凝視していた。少し寒気を覚えた久遠は、人影に声をかける。


「誰だ?」


「くーくん」


人影は、懐かしいあだ名で久遠の名前を呼んで、近づいてきた。久遠がその人物を誰か認識したのは、少女が久遠の直ぐ近くに来た時だった。


「桜……?」

「うん!」


神崎 桜。

ポニーテールが活発さを感じさせる女性にしては身長の高い少女。

久遠の幼馴染の一人だ。


「何か用?」


久遠が少し低い声で、要件を聞く。

すると桜は悲しそうな顔をして、曖昧な笑みを浮かべた。


「まだしゅーくんのこと……許せない?」


日向 俊。

桜と久遠の幼馴染だ。

俊、桜、久遠の三人は、親が仲良いのもあり、幼い頃からいつも一緒に過ごしてきた。


「許せないも何も。あれは事故。勝手にうじうじしてんのは俊のほうだろ?」


久遠と俊には、一つ、共に誓い合った夢があった。

それは、二人が大好きだったサッカーの日本代表として同じグラウンドに立つこと。桜に、一番いい席で試合を見せること。

俊も久遠も夢を叶えるために、大好きなサッカーのために、己を磨き上げ、強豪の中学に入り二人ともレギュラー入りを果たした。

だが。


「責めるならあいつだけじゃなくて、俺が出れなくなったぐらいで士気を低くするあいつを含めたチームメイト全員だ」

「うん。監督もそう言ってた」

「じゃあ、これでこの話はおしまい、しゅーりょー」


話を強引に切った久遠。思い出したかのように、手を叩く。


「そういえば桜はなんで俺が帰ってきたこと知ってたん?」


久遠の問いかけに、桜は目を丸くして久遠に詰め寄る。


「この制服、見えないの!?同じ高校!しゅーくんも私も!」

「えっ!?まじか!学校で言ってくれれば良かったのに」

「しゅーくんがこの世の終わりみたいな顔してたから言えないよ……しゅーくんも私もどヘタレだから……」

「えっ?なんなん、責められるとでも思ったん?」


悪い笑みを浮かべる久遠。

桜は、やっぱりくーくんは変わらないなぁ、とほっとしたように笑みを浮かべた。


「あ、桜と俊は、何組なん?」

「Aだよ」

「りょーかい、明日、俊にサプライズしてやろう」

「あー、またしゅーくんの胃が」

「今日、俺に話しかけてこなかった罰だ!」


悪役のように高笑いする久遠。

そんな久遠を桜は、心底嬉しそうに見ていた。


次の日。

窓から入り込む、春一番の突風に邪な考えを巡らせる男子生徒、女子生徒の間をすり抜けて久遠は、二年A組の教室の前にいた。


久遠は、携帯を取り出して、桜にメールを打つ。


『私が来た』

『了解。しゅーくん捕縛完了』


その返事を見て、久遠は教室の扉を開ける。


「うぇっ!?」


突然、現れた闖入者に教室の視線が集まる中、桜は笑みを、俊は、驚きに目を見開いていた。

短く切り揃えた髪の、美青年。

見飽きた顔に、久遠はにっこりと悪魔のような笑みを浮かべる。


「ヘタレ回収です。ちょっと日向を借りていきますね」


四面楚歌。

俊の周りにいる癖が強そうな女生徒たちから桜と俊を引き剥がし、久遠は俊を中庭へ連れて行く。

俊は、借りてきた猫のようにおとなしくなってしまっている。


人目のつかない場所と久遠が考えた場のは、昨日唯が居た中庭だった。


「久しぶり、俊」


後ろに星がつきそうな弾んだ声に俊は顔を青くする。


「ああ、久しぶり……」


そのしおらしい態度に、久遠の顔が曇る。


負い目、そんなものを感じるのは勝手だ。だが感じたまま終わってしまっては何も学べない、学ばない。


久遠は、表情に出さないが怒っていた。この一年間、彼が前を向いていなかったことに。


「なあ、俊。お前、ほんっとうにうざいな」


ぴくっ、俊の肩が跳ねる。


「あの怪我は俺の責任だ。お前なら突っ込んでこないだろうと、高を括って突っ込んだ俺の責任だ」

「だ、だけど!」

「だけどもへったくれもねえ。俺がサッカーを辞めたのも、全部俺の意思だ」


久遠の言葉に、桜も俊もぎょっとする。二人は久遠が誰よりもサッカーが好きなことを知っているから。県外の高校へ行った時もサッカーがどこかで続けていると思っていたから。


それは二人も知らなかった、それからの久遠の話だった。


「俺は、サッカーをやめた。理由なんていくらでもあるが、一番の理由はこれだ」


久遠がズボンの裾をめくりあげる。


「っ!?」


二人の驚きも当たり前だろう。

久遠の足には、大きな、凄惨な傷跡が残っていた。だがそれは明らかに俊のつけた傷跡ではない。


「事故にあった。飲酒運転の車に轢かれてな。走るぐらいなら大丈夫だけどサッカーは続けられないって。足の負担が大きすぎるらしくてな」


「そ、そんな……」

「そんな顔すんなよ。」


俊は、一人、下を向いて、歯を食いしばっていた。目尻には涙が溜まっている。


「じゃ、じゃあ俺は、お前の最後のサッカーをめちゃくちゃに!」

「だからあれは事故だって「違う!!」


俊の声が中庭に響く。


「違うんだ……」


俊は、嗚咽を漏らしながらぽつり、と話し始めた。


「俺は久遠が、絶対的エースの称号が羨ましかった……親父からは久遠の話ばかり、俺はほとんど褒められたことなんてない……、いつかお前が俺の全てを奪ってしまうんじゃないかっていつも、いつも思っていた。そしてあの日、ボールを持って駆けるお前を見て、思ってしまった!!」


『ここで久遠が怪我をすれば俺を見てもらえるんじゃないかって』


「もちろん……直ぐに搔き消した。だけど……気づけば、引き寄せられるように、俺は久遠の足を踏み砕いていた」


「全部、全部、俺が悪いんだ……この俺が!!」


悲痛な叫びだった。


だが、その叫びを聞いて、もっとも悲痛な顔で俊を見ていたのは久遠だった。

俊の叫びの答えに、久遠は、俊の襟を掴む。


「ふざけんな!てめえがどう思ってようが、知らないけどよ。俺は、お前がずっと羨ましかったぞ」


「良いよな!イケメンで、高身長で、人脈も、あって、多趣味で何事もそつなくこなせて!それに対して俺はどうだ!いつも女だと間違えられる!身長は低い!こんな性格だ、友達だって少ない!容量も悪い!もう、興味を持てるものなんてなくなった!!」


「久遠……」

「くーちゃん」


「分かっててくれよ、俺にはサッカーしかないんだ……サッカーだけが俺の取り柄だったんだ……俊が、桜が、いつも俺の前を当たり前のように走ってるお前らが羨ましいよ……俺はお前を責めない、終わっちまったもんは仕方がないからな、だけど俺の気持ちを少しだけでも、分かっててほしかった……」


少し、一人にさせてくれ。


久遠の言葉は、二人に重くのしかかった。



「あー、やっちまった」


久遠は、中庭のベンチで一人、項垂れていた。久遠の計画では仲直りして終了だった。だが久遠は怒りに呑み込まれ、仲直りどころではなくなってしまった。


「これからどうするか」

「読書はどうでしょう?」

「うわっ!?」


突然、隣で聞こえた声に久遠は飛び跳ねる。

草むらの影から出てきたのは、久遠が昨日出会った少女 望月 唯だった。


「い、いつからそこに……?」

「久しぶり、俊の辺りからです」

「最初からじゃん……」

「……とりあえず涙は拭いてください、みっともないです」

「……ありがとう」


久遠にハンカチを渡す唯。

久遠はハンカチを受け取り、涙を拭う。


「いや、恥ずかしいところ見せちゃったね」

「いえ、下手に格好つけて許すより、は良いと思います。心に響きました」

「そ、そうか」


「で、です。貴方は興味を持てるものなんてないと仰いましたが、それはまた一から探せばいいと思うのです。だから読書なんてどうでしょう?」

「読書?」

「はい、本の世界は何もかもを忘れさせてくれます」

「なんだか、怪しげな宗教の勧誘みたいだね」

「気になったなら、部活棟一階の文芸部部室へ放課後お越しください」

「でも、今はそういう気分じゃないから」

「こなかったら、演劇部に次の劇の題材として今日の一幕を」

「行かせてください!」


さらっと脅しを掛けてくる唯に、久遠は冷や汗を流す。


「よろしいでしょう」


唯は満足そうに頷く。


「では放課後、また」


本を抱いて、唯は小走りで校舎に入っていく。

その後ろ姿は、どこか嬉しそうにも見える。

久遠も先ほどの陰鬱とした顔はどこにやら、普段通りの顔に、少しの赤みを残しつつ、教室へ戻った。


転校二日目も無事に終わり、放課後、久遠は巨大な部活棟へ来ていた。

多種多様な部活があるこの高校では目当ての部室を探すことすら困難だ。

久遠も、本を読みながら部活棟の前に立つ唯がいなかったらきっと迷っていただろう。


「望月さん」

「あー、あー、望月さんなんて知らないです。唯です。唯と呼ぶのです」


唯は、基本的に無愛想な少女だが、それは表面だけで内面はお茶目な女の子だ。

きっと、慌てる姿が見たいのだろう、だがそうはさせない、と久遠は意気込む。

久遠は、出来るだけ余裕ぶって唯の名を呼ぶ。


「唯」

「変態ですか?」

「なんで!?」

「また出会って二日で、名前を呼び捨てにするなんて、汚された気分です」

「いや、呼べって言ったのは、唯じゃん」

「しれっと名前呼びで定着させようとしてますね。いいでしょう。私は寛大なので許してあげましょう」


手招きしながら文芸部の扉を開ける唯。

開けた瞬間に、本の香りが久遠の鼻孔をくすぐる。そこには大量の本が積まれていた。正確には本棚に入りきらなかった本が積まれていた。

久遠は足の踏み場もない狭い部屋に、押し込まれる。


「これじゃ、どこに何があるか分からなくない?」

「大丈夫です。全部把握しているので」


久遠は、思わず手に取りそうになった手元の本を元の場所に戻す。

唯は、本棚から一冊の本を取り出す。


「はい、これを読んでみてください」


『青春と羽毛』

作者 柚月 ちい。


久遠が、唯に手渡されたのは一冊の文庫本だった。

唯は、自身の隣、少し空いたスペースに置いてあるソファを、手でぽんぽんと叩く。


穴あきが目立つソファの上で、久遠は本を開いた。


青春とは珈琲のようなものだ。


そんな見出しで始まった文に、久遠は吸い込まれるように読み入ってしまう。


「青春を嘘と言ったり、真実と言ったり、忙しい作者さんだと思いませんか?でも、拙いながらも必死で書き上げたであろう、この文章は私の宝物なんです」


だから私は、この一瞬を、全力で過ごそうと願うのだ。


一時間程度だっただろう。

薄い本は、とても厚く。

その作者の全てが込められていた。


青春を嘆き、青春に救いを求める、一人の少女の話。

傷つきながらもまっすぐ突き進む少女の姿に久遠は感銘を受けた。


久遠は、本を閉じる。

涙は自然と溢れるものなのだと、初めて知った。

袖で拭おうとした涙は、唯に遮られ、ハンカチの感触を感じながら久遠は、赤くなった顔を隠すように、顔を背ける。


「年下の女の子に涙を拭かれるのは流石に恥ずかしい……」

「いいじゃないですか。これも青春です」

「便利だな、青春って」

「はい、便利です」


久遠と唯は笑い合う。

きっとこの本を読んだものにしか分からず、読んだものでも分からない、二人は、そんな奇妙な絆で結ばれた。


空も、薄暗くなってきた午後六時過ぎ。

唯と久遠は部室を出る。

校門前で、頬をかきながら照れくさそうに久遠は、唯に言葉をかける。


「あー、えっと唯?」

「なんです?」

「俺の思い違いだったら恥ずかしいが、きっとお前は俺を励まそうとしてくれたんだと思う」

「……はい」


「その、なんていうか……ありがとう」


羞恥で顔を真っ赤に染める久遠。

そんな久遠がおかしくてか唯は腹を抱えて笑う。


「わ、笑うことないだろ!」

「ふふっ、だって真面目な顔でそんなこと言うんですもん……久遠先輩?」

「な、なんだ?」

「今度、何か奢ってください」


それでチャラです、という風にくるりとまわって久遠に背を向け、バス停へ向かう唯。


「りょうかい」


久遠も、つけないといけないけじめのために携帯を取り出した。



『桜、第二公園で待ってる。いじけ虫も連れてこい』

『合点承知!』


メールを送信し、第二公園へ向かう。

そこは久遠たちの思い出の場所だった。

三人は小学生の頃から何かと、この小さな公園に集まり一緒に遊んでいた。

他の公園では二つしかないブランコが三つあることも理由の一つだったかもしれない。


久遠は、公園でブランコをこぎながら俊と桜を待っていた。


十分ほど経って二人はやってきた。

俊は桜に引きずられていて、久遠は苦笑を漏らす。


「くーくん、連れてきたよ!」

「なんか昔を思い出すな」


そんな様子を見て、久遠は昔のことを思い出す。


「小学生低学年ぐらいだっけか。こうやって桜が俊が引きずられて連れてこられたことあったよな。あれは、俊が俺のおもちゃを壊したかなんかだっけか」

「あー、あったあった!水族館で買ったおもちゃが壊しちゃって、ピーピー泣いてた」

「あ、あれは、桜が俺を身代わりに!」

「あれれー、そうだっけ?」

「そうだろ!とぼけるな!」


「それは初耳だな。ま、あとで桜にはお仕置きするとして……」

「うぇ!?」



久遠は、言葉を止め、俊を見据える。


「お前はどうしたいのか教えてくれ」


謝りたいのか、許してほしいのか、それとも許してほしくないのか。


久遠の瞳に射抜かれ、俊は右手を強く握る。そして何かを決意したかのように、久遠の前に出る。


「俺を殴れ!!気が済むまで!!だけど!!許してくれ!!あとまた三人で遊びに行ったり、話とか、お昼とかも……」


威勢の良かった言葉がだんだん尻すぼみになっていくのに堪えきれず、久遠と桜は、吹き出し、腹を抱えて笑いだす。


「おまっ、もっとしゃんと決めろよ!ドラマだとカットだぞ」

「それでこそ、しゅーくんって感じするけど」


「うぅ……」


顔を真っ赤にして俯く俊。

そんな俊の肩を久遠は軽く叩く。


「これでチャラだ。うじうじ考えても仕方ねえって教えてもらったしな」

「いや、でも、これだけで許されていいわけ……」

「じゃあ殴ってほしいか?」

「それは……」


正直な俊の態度がツボに入ったらしく桜はまた笑い出す。

ツボの浅い桜。気弱な俊。軽口を叩く久遠。

いつもの三人組の姿がそこにあった。


かくして一年越しの仲違いは、終幕を迎えた。



「匂いが甘いです」


中庭で本の虫になっている唯。

その隣では当たり前のように久遠が蜂蜜パンを頬張っていた。


「虫だから丁度いいだろ」

「そうですか、って私は人なんですが?」

「本の、虫だろ?虫だけに」

「は?」

「さーせん」


あれから二ヶ月ほどが経った。

軽口を叩き合いながら、昼休み、放課後を過ごす。これが二人の日常となりつつあった。


「知っていますか? 文庫本の大きさは縦約15センチ、横約10センチらしいです、たった15センチの間に書かれた一文一文が小説を、物語を構成しているなんて、なんだかロマンチックだと思いませんか?」

「メルヘンだな。まったく思わない」


久遠の素っ気ない返しに、唯は頬を膨らませ、抗議をしようとするが開いた口に、蜂蜜パンを突っ込まれる。


「もぐもぐ、そうやって、甘いもので人を騙そうと、もぐもぐ」

「行儀悪い」


まるで餌付けだ。

蜂蜜パンを飲み込んだ唯は、本を読みながらふと思い出したことを口にする。


「そういえば、久遠のファンクラブができたそうですね」

「げほっげっほ」


突然の爆弾発言に思わず、ココアを吹き出してしまう久遠。

唯は、本をガードしつつ、久遠に抗議の視線を向ける。


「すまんって、なんだファンクラブって!」

「ファンクラブはファンクラブですが……男子女子共々人気があるとかなんとか。因みに会員ナンバー3です」


会員ナンバー3と書かれたプレートを取り出す唯。ファンクラブ会長の名が神崎桜、副会長が日向 俊となっているが、久遠は見ていないことにした。


「意味がわかんねえ!」

「面白いですよね」

「お前絶対楽しんでんだろ!」

「面白いですから」


意味わかんねえ、と顔を覆う久遠。


「女の子にモテモテになるかもですよ」

「まじで!?」


予想外の食いつきに、唯は若干引きながら不機嫌そうに頬を膨らませる。


「私がいるのでモテモテになっても意味ありませんけどね!!」


失言だ。唯は慌てて口を覆うが、しっかりと先ほどの言葉は、久遠の耳に届いていた。


「あ、えっ、ああ、そ、そうだな!」

「そうですよね!!」


よく分からない返しをする久遠、唯も肯定し、冗談なんて言い訳が通用しない雰囲気になってしまった。


キーンコーン。

気まずそうに顔を背ける二人。

そんな二人を救う、いや、問題を先延ばしにするチャイムが鳴り響く。


「唯、放課後また」

「……はい」



心ここに在らず。

きっと午後の授業の彼らはその言葉が一番似合う有様だった。

黒板に頭をぶつけたり、何もないところで躓いたり。


二人の心は、放課後にしか向いていなかった。


やっとやってきた放課後を知らせるチャイム。

二人は慌てて、文芸部の部室へ向かう。部員が少なく実質休部中の部室には、二人の部員が集まる。


一人は、まるで少女のような姿をした男子生徒。走ってきたのか頬が上気し、肩で息をしている。

一人は、無愛想で、小柄な少女。赤くなった顔を隠すように本を顔に近づけている。珍しく表情が、柔らかく感じるのは勘違いではないだろう。


「あ、あの!」


二人の言葉が重なり合う。

足下の本を避けながら、久遠は唯の前に来る。唯は、ぽんぽんと自身の隣を叩く。

唯の隣に腰掛ける久遠。


唯の手には一冊の本があった。

『青春と羽毛』


「あ、その本」

「これ、差し上げます」

「いいのか?」

「いいんですよ、貴方に持っていて貰いたいんです」


唯から本を受け取った久遠。

久遠は、本を、鞄にしまい。何度か息を整えると、唯に頭をさげる。


「好きだ」


久遠の言葉は、狭い部室にことん、と落ちた。


唯が吐息を漏らすまでに、時計の針がどれほど動いただろう。

きっと数秒、十数秒、だが久遠には、その間が永久のように長く感じた。


「青春なんて珈琲のように苦いものだと思っていました。ですが少しのミルクやシロップでここまで甘くなるものなんですね」


久遠にも聞き覚えのあるフレーズ。

青春の羽毛の主人公が好きを自覚した時の言葉だった。


「先輩はだらしないですから私が管理してあげないと」


「……お手柔らかに」


目じりに涙を溜めた久遠。唯は、それをごしごしとハンカチで拭う。

そして互いに微笑み合う。


こうして晴れて二人は恋人となった。


青春と羽毛の作者。柚月 ちいの新刊が出たのは二人が恋人となった一ヶ月後だった。


新刊を二人で買いに来た唯と久遠。

久遠が、15センチの青春とつけられた作品を手に取る。


『大きな怪我を負い、引退を余儀なくされた(美少女顔の)野球少年。少年が再び、街へ戻った時、停まっていた時が動き出す』


久遠が、どこかで、と小首を傾げる。

そしてゆづき ちいというペンネームにデジャヴを覚えた。


「ゆづきちい ちづき……ゆい……」



「流石に偶然か……」


一応、唯に聞いておこうと、久遠が隣を見るとひゅーひゅーと下手な口笛を吹く唯。


「……冗談だよな?」

「あはは……」


暫し沈黙が流れる。

久遠のジトーっとした目と沈黙に耐え切れなかったのか、頬を赤く染めた唯は、声を張り上げる。


「え、ええそうですよ。私ですよ作者は!ええ!何か問題でも!!」


そうまくしあげた唯。

耳まで真っ赤に染まっている。

久遠は、そんな唯の姿に、思わず苦笑をする。


「自分の本を傷心中の相手に、勧めるとか勇気あるな」

「うっせーですよ。結果的に貴方は、立ち直ったんだから結果オーライです」

「ああ、そうだな」


屈託のない笑みを浮かべる久遠。

暫しの間、久遠の笑みに見惚れていた唯は、はっとし、照れを隠すように15センチの青春を一冊取り久遠の胸に押しつける。


「こ、この物語の青春は15センチの間に書かれた文で構成されているんです。ロマンチックだと思いませんか?」

「メルヘンだな。偶には良い」


二人は笑い合う。

これは青春の話だ。

虚像で塗り固められた青春という苦い飲み物は、少しのミルクとシロップでここまで甘くすることが出来るのだ。

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青春には、砂糖とミルクが必要不可欠 古瀬 雪 @nuko96

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