第2話:絶望中年
――― 何の感覚もなくなり、暖かい風が吹き始めたので、ゆっくりと目を開けた。俺が期待する文字と紙の机の前ではなく、どこかのホテルのようだった。作りは非常に簡素で、如何にもビジネスホテルといった模様だった。
そしてベッドに座る肥り気味な中年の男が一人、バスローブを着て缶の発泡酒片手に有料テレビを眺めていた。……セーラーか、いい趣味してるな、おっさん。
先ほどあんなことがあったので、話しかけるのが億劫だったが、男が独り言のように呟いた。
「まったく、家族に会えないのがこんなにも辛いとはねえ……」
「どうしたんですか?」
つい聞いてしまった。
「……出張、出張、帰ってきたらまた出張。まあ万年営業課長にはお似合いかな」
男は自嘲気味に漏らした。
「それは辛いですね」
「ああ、辛いとも。家族の関わりが金だけなんて、とても寂しい。こんなことなら、夢を追いかけておけばよかったよ」
「それは、どんな夢なんですか?」
有料テレビはたった今終わったようで、その画面をピタっと止めた。男はリモコンを操作し無料テレビに戻して、遠い目をしながらニュースを優しく眺め始めた。
「どんな、どんなか……。そうだなあ。僕はね、小説家になりたかったんだ。文字には色んな意味があって、色んな書き方があって、絵も音楽もセンスのない僕には、これが自分を表現する唯一の方法だったんだ」
「なんで続けなかったんですか?」
少し失礼かなって思ったが、意外なことに男は素直に言葉を紡いでくれた。
「……だれも、僕の作品を認めてくれなかったのさ。何度もコンクールに出した。何度も出版社に持ち込んだよ。だけどね、だれも見向きもしなかったのさ」
男は目を落としながら、体を震わせ言葉を吐き出した。男は自分を表現したものを否定された、つまり自分を否定されたのだ。それ以来、自分を出すのが怖くなって、さらには自己否定を繰り返すようになったらしい。
「だがね、こんな僕でも、妻になってくれる優しいお母さんのような女性がいたんだ。それが嬉しくてね、本当に嬉しくてね……」
男は太った指で、じんわりと赤くなった目頭を押さえた。微かに嗚咽が漏れている。
俺はこれ以上どうにも声が出せず、その光景を子供を見るような目で静かに眺めていた。
突然、テレビがうるさくなった。どうやら事故現場の映像を流しているようだ。男も指を開きおずおずとその映像を見ていた。野次馬の豚小屋のような喧騒と、炎上する家と烈火の輝きが耳と目に焼き付けた。淡々と情報を流していくアナウンサー。画面端に三名の無機質に写真が映し出された。
途端、男性の動きが目覚まし時計の針のようにピタッと止まる。そして男は弾かれたかのように、顔から血が出んばかりに指で引っ掻きながら、カアッと口をかっ開き、地震の如く震える口で、溢れ出る洪水を垂らしながら嗚咽と共に言葉を吐いた。
「あ……あ……あ……うそだ……うそだと、いって。くれ……」
まさか。
「そんなことが……ああ……」
それは。
「ボクの……か、ぞ、くが……」
言葉に出すのも辛いことだっただろう。それ以降、男はひたすらに嘆くことしかできなかった。俺は耐えかねて、目をギュッとつむりながら後ろを振り向き、扉を開けた。落ちる感覚がした。―――
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