第三話:そして魔法使いは目覚める。
正しい意味での『外』に出るのは、何年ぶりだろうか。
彼は、まるで自らの身を守るための鎧のように、スーツにそでを通し、七個・七色の宝石が埋め込まれたラペルピンで、フラワーホールと胸ポケットをつなぐ。その上からコートを羽織り、カラスの羽根を三枚差した中折帽をかぶって、誰かを待つように腰ほどの杖を床に突く。
「ご主人様、用意が整いました」
「わかった。では、往こうか」
マルコは、懐から取り出した透明なコルク瓶の栓を開け、中に満ちていた黒い煙のような液体を床に零す。そうして零れた液体を中心に床に黒色が広がっていき、やがてそれは部屋中を侵してゆく。そうして、マルコと青年は黒色に飲まれ、ただただ沈んでいった。
Made_in_"Ruined_Heaven":Lost_moment,in_the_"Himmel".
黒い靄に覆われた森、黒い雲に覆われた空、黒ずんだ大理石の柱。それに支えられる、崩れかけたバルコニー。その中からは仄暗く、黄色みを持った光が漏れており、そこに映る踊るような影が、中の喧騒をさらに想像させる。
彼の前で、受付嬢と話を進める青年は、そんな事も気にせずに、しばらくして館の中へと入ってゆく。そんな青年の後を追うように彼も受付嬢と話を始めた。
「最近の情勢はどうです、大体はこちら側でも察していますが……よろしくは無いようで」
「ええ。お察しの通り、あまり良いとは言えませんね。シーナ人民国は際限なく工業化を推し進め、我らがフラン王国も、ユーサース連盟の盟主であるアメリア共和国も、少しばかりその勢いを不安視しています。ですが、社交場にそれを持ち込むのを良く思わない人もいます。どうか、なるたけ避けられますよう」
「ははは、もちろんですよ。では、良い夜を」
良い夜を。彼女は反復するようにそう言ってマルコを見送り、彼は点々と暗く灯った岩塩ランプの光を肩に受け、廊下を進んで行った。
退廃的な活気。ごちゃごちゃと用意された食べ物は、どれもこれも中途半端に食い残されており、そんなものをほっぽりおいて、お世辞にも流麗とは言えないダンスを繰り返す肥え太った中年は、端整な顔の端々に嫌そうな表情を浮かべている女性と無理やりに手を繋ぎ、時折女性の赤いワンピースの上から臀部を弄ったりと、なんともまあみっともなく、はしたなく、彼から言わせれば見苦しいとしか言いようのない振る舞いを、まるで周囲の目が無いかのように、汚く笑って続けている。
一方それから目をそらせば、白いスーツに白いスラックスに着せられて、短い足を組んで机に肘をつき、赤ワインをジュースのようにがあっと飲み干して、べらべらと油でも塗られたばかりのようなエンジンのように、口から隠す気も無い謙遜に満ちた自慢話を吐き出しつつける男。
(反吐が出るな、相変わらず)
口には出さないが、少し不機嫌に見えていたらしい。
いつの間にか背後に居た青年がマルコの肩に手を置いて、同じく不機嫌そうな表情を見せる。
「反吐が出るかい。まあ気にするな、世間話をするだけだからな。君も適当に楽しいでおけ。二時間後には帰るぞ」
「かしこまりました、ご主人様」
マルコは頭を軽く下げ、青年はそんな彼をおいて、適当に軽く手を振って、どこかの政府高官らしき者のところへと向かってゆく。彼のその背から目を外し、反対の方向へとあても無く歩きだす。
豪華絢爛につるされたシャンデリアが、人の体で埋まる赤いカーペットの表面を、隙間をぬって照らし、時折揺らめいてはドレスの影に隠れ、また現れる。そうして、部屋の中とは切り離されたような外へと、彼は息抜きに出ようとした。
しかし、丁度外で葉巻をふかしている男性と目があい、マルコは彼と少し距離を置いて、表面がぽろぽろと崩れそうな柱の一歩手前ですっと立ち、景色を眺める。
数十分ほどして、葉巻をふかしていた男性はその吸い殻をアッシュトレイに落とし、マルコに話し掛けるように、しかし明確な対象を示さずに、独り言を零す。
「ここ数年で、戦況もまた酷くなったものだ。ルーシャ帝国は戦線を南下させ、アフィカ大陸は内戦の火が消えない。……戦争の錠前が無くなってからというもの、際限なく世界は荒れて行く。私の愛した世界は、こんなにも硝煙の匂いがしただろうか」
「……魔法使いは居ない、童話の世界は数百年前に消え去った。今や火薬こそが武力の権威だ。そうしたのは、ほかでもない自分たちでしょう」
その返答とも取れない、お返しのようなマルコの言葉に、男性はふっと笑って、そう言えばそうだったと言い、火の消えた葉巻を再び咥え、シガーマッチをしゅっと鳴らして葉巻を炙る。
「君の世界は、童話の世界は未だにあるのかね」
「……ええ。もしもお越しになるのでしたら、魔法の招待券でも差し上げますが」
「いいや、不要だよ」
男性は食い気味に、マルコの話を切る。
「私はその世界には、童話の世界にはふさわしくない人間だ。人を焼いたような匂いが滲み付いた人間が、花の茎ような華奢な世界に居れるわけがあるまい」
「花の茎の中にも、棘はあります。例えば、自分のような」
皮肉気に笑って、彼は自分を指さす。
そんな彼に、同調するように男性は笑い、それもそうだと言って、小指ほどに短くなった葉巻を指に挟んだ。
童話の世界。戦争の世界。元々、世界の目的が違うのだから、あの男が愛した世界と言うのは存在しないのだ。
今の自分が住む童話の世界は、童話の世界でしかなく、今の彼が済む戦争の世界は、戦争の世界でしかなく、ただそれが成されるだけの世界なのだ。
(元々、魔法使いとして生まれた自分が、そんな世界に居ることなんて、出来る筈が無かったんだ)
魔法使い。戦争の世界において、ジョーカーとも言える存在。
それは人だけに限らず、海豚であろうと、鴉であろうと、犬であろうと、知能を持ってさえいれば、その力を存分に振るうことのできる、異端の存在。右手を仰げば白亜の城を砂へと帰し、左手を翳せば荒野を大森林へと成す。歴史の外からの強制的な干渉すらも行える、世界の修正力の片鱗。
そんな力が代償無しで扱えるはずもなく、死ぬべきだった者を延命しようと、結局死ぬことに変わりは無く、それどころか、延命した分だけ誰かの寿命が短くなるという、何とも薄情に尽きる物だという、魔法とは程遠い産物。それが、そんな力を持つ者が、魔法使いと呼ばれている。
その考えに至り、結局何をしても無意味だということを言い訳に、諦めてしまった夢が、今こうして世界を滅ぼそうとしている。いや、自分がその夢を諦めたから、世界が滅びそうにないっている、なんて直結的な答えは出せないのだが、魔法使いである自分がそう思ってしまったからこそ、そうなってしまったかもしれないと思うと、その可能性を否定することはできない。
(自分は、何をすればよかったんだろうか)
その疑問が浮かんだ時、自分はふと、気づかぬ間に動いていた足を止め、視線を前へと向け、あるモノを見た。
(―――世界の、境界)
途中で森は途絶え、丈の長い草が、誰かを隠すように、僕を包んでいた。
魔法使い。そんな第一印象を、誰もが抱いた。
「愚弟、マルコ・ガスタルディの姉、マルセル・ガスタルディと申します。暫くの間とはなると思いますが、よろしくお願いします」
彼女は、宝石のような冷やかさを含んだ口調で、胸に手を当てて軽く頭を下げた。
Maid_in_"7th_heaven": @Ne-M_ABS
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