第二話:無輝点の転回点。

 朝食の用意。一日の全てを始めるために必要な、朝一番の栄養補給の為の準備。それを成すため、シェフを前にして、マルコは演説をするように、はきはきと命令を出す。


「昨日も言いました通り、今日の朝と昼のメニューはなるべくエネルギー重視でお願いします。夜はその半分で結構です。私はお昼は必要ありませんので。ええ、モーリスさんが来た時には呼んでください、私がご当主様に変わって応対しますので。では、今日も一日よろしくお願いします」

「こちらこそ。……ああ、ガスタルディさん。エールとチーズ、それと胡椒が……そうですね、早くて再来週あたり、長く見積もっても来月には無くなりそうなので、それらの注文もアナンドさんに頼んでください、お願いします」

「かしこまりました。お呼びの際は周りの方へ聞けば、すぐにわかると思います。では、良い一日を」

「良い一日を」


 そう互いに言い交し、マルコはかつかつと足音を鳴らしてスタッフルームを後にする。

 その部屋を出た先の廊下には、まだ太陽の光が満ち切っておらずやや寂しさを感じる。もちろん、右を見ても左を見ても誰もおらず、特に何を思うことも無く、ただ彼はカーペットの上を進み、順々に窓を開けて行く。


 そうして廊下の窓を開けてまわり、ようやく一周すると、階段から降りてきた女性は、やや眠たげな表情を浮かべながら、マルコに話しかけた。


「おはよう、マルコ」

「ええ、おはようございます。ソフィアさん」


 花弁を揺らす程度の風でもなびく、透き通るような細く長い白金色の髪。翡翠と藍玉が混ざったような瞳の色。何もかも映しだしそうな、やや桃色がかった白い色の肌。そんな彼女の姿がどこか、自分の反対にあるような、ともかく彼には、そう思えた。


「ソフィーでいいって言ってるのに、本当に聞かないわね。あなたって」

「はは……今更なのかも知れませんが、本当にソフィアさんは綺麗ですよね」

「あら、お世辞なんてめずらしい。でもまあ嬉しいわ、ありがとう。けれど、今更って何かしら。もしかして、まだ寝ぼけているなんてわけじゃないでしょうね」

「ははは、意外とそうかもしれません」

「……笑ってごまかすのが好きね、あなたは。それと、寝足りないのなら素直に寝ていたほうがいいわよ。今のあなた、寝不足だもの。残りの仕事は私に任せなさいな」

「お気遣いいただき、ありがとうございます。ですが、これは僕の仕事ですから。あなたはあなたのお仕事をお願いします」

「そう、わかったわ。では、今日も頑張りましょうね」

「ええ、もちろんそのつもりです」


 そう言い交わし、互いに廊下を進む。

 そうして、二人は食堂へと入った。






 久しぶりに会った。そんな淡白な感想を出さずにはいられなかった。

 何の装飾も無い黒いスーツと黒い帽子、大きな鞄。それを持った彼は、マルコと同じようにして、ご無沙汰と言って、話を始めた。


「マリアとかセヴンスとか……いや、ここでは控えるべきか。どうだい、その後は」

「よくやってくれますよ、二人とも。ああ、ジブリールに関しては自立して、今は世界中を飛び回ってます。シャーロットもそのうち、でしょうね。性格は庭師としても微妙なところですが。シャルルも似た感じです」


 花畑を進みつつ、身振り手振りを交えながら、会話を進める。


「まあ、あいつはまだがきんちょだからな。多少は扱いに困るだろうが、何とか頼むよ。一線級の召使いに成れそうなやつは、この屋敷以外にほとんど回さねーくらい優遇してやってるんだ。もちろん色物にはなっちまうが、それに変えても一級品になる上物だろうよ」

「それに関しましては、素直にありがたいです。当主様からも、お礼の言葉を預かっておりますし。マナセさんには頭が上がりませんよ」

「そりゃどうも」


 そう、突き放すように言って、スーツの内ポケットに入っていた煙草とライターを持って、彼は何気なくそれに火をつけようとしたが、ふと時計を見てすっと控える。彼は少し不機嫌そうに頭を掻いてから、再び口を開いた。


「こっちとしては、ダイヤモンドの原石とそれにふさわしい金を交換してるだけだからな。あくまでも等価交換をするための場であって、商品にも対価にもそれ以上は求めてねーよ。あと軽々しく下の名前で呼ぶな。フルダでいいんだよ、あくまでも仕事としてきてるだけだからな」

「それは失礼しました。ですがフルダさん、今日は休みでは?」

「ああ。そうなんだが……まあ、なんだ。そろそろこの屋敷にも人が増えてきただろうと思ってな。いやなに、だからといって、今まで送ったやつを返せー……なんて、馬鹿みてーな事は言わねーしやらねーよ? だが、人材管理ができてんのか気になってな。こちらとしては労働環境は実に気になるところだ。ダイヤモンドがお釈迦になって帰ってきた日にゃ困るのはお互いだろ」


 マナセはその後も長ったらしく言葉を並べ立てるが、マルコは少し顎に手を当てて考えるようなしぐさをした後、合点が言ったような表情をして、はははと笑った。


「なるほど、つまり彼女たちの事が気になってるわけですか」


 それを聞いた途端だった。

 わずかにマナセは頬を紅潮させて、マルコの発言を即座に否定する。


「ちげーよてめー! ホント馬鹿かお前は! それ以上のことはねーって言ったろーが! 俺はあいつらに対して別にその、保護者だとか監督者だとか、そういう立場じゃねーんだよ。だからそれ以上の感情は持たねーの!」

「そういうつっけんどんな態度をするのに、いちいち心配もするから、イサカさんから『つんでれ』と呼ばれるんですよ」

「『つんでれ』ってなんだよ! それにあの女忘れは関係ねーだろうが!」

「なんでも、素直じゃなくてそっけない態度をとるけど、なんだかんだで他人を手伝ってあげたり、心配してあげる人のことらしいですよ」


 その説明に対して、マナセはどくづくように余計な事をと言って時計を確認し、今度こそ煙草に火をつけようとする。

 しかしそんな彼の目の前に、ブローディアを持ったシャーロットが花畑から飛び出して、互いに互いを気づいた様子だった。


「マナセさん、久しぶり!」

「シエルじゃねーか。元気だったかー? しかしまー、また大きくなって……ちゃんと旨い飯は食ってるか? いじめられたりしてねーか? 怪我とか病気とか無かったよな? 仕事とか辛かったりしないか? ああ、そういやこれ、桃の飴なんだけどよ、お前にあげるわ。にしてもまー、ほんと大きくなったなー。あー、こうしてがきを卒業すると思うとなんだか……」


 そのまま、でれでれとだらしない表情をしながらシャーロットの頭をわしゃわしゃと撫でまわすマナセ。そんな彼をみてマルコは、そういうところではないかと思ったが、それを口にすることは無く、なんとなく笑って、彼と彼女を見ているのだった。






 執務室。複数の業務用書類がファイルや封筒で管理されている、館の一室。

 その部屋の中の、作業机の上で、彼は数枚の領収書と、数枚の契約書と、数枚の案内書と、数枚の報告書と、数枚の御礼状。その全てに目を通して、何があったのか、何を買ったのか、何が無いのか、何が必要なのか、それらをすべてまとめ上げる。そうしてまた、数枚の用紙を書きあげて、それを茶封筒に入れて、懐の中へ仕舞いこんだ。

 それが終わると今度は、懐からメモを、注文書を引出から取り出して、筆を走らせる。


(林檎と、桃と、さくらんぼ。それと米がいるのか。この、米麹っていうのは、麦芽とは違うのかな。一応、後で聞かないと)

(今度は……布、アルコール、ガーゼ。あとは薬剤が数種類。これはいつも通り問題無し、と)


 そうしてそのまま、メモに書かれた単語をすらすらと写していく。


 ようやく書類まとめが終わった頃、大体午後二時半程度を、時計の長針と短針は指していた。


(……遅いな、モーリスさん)


 シェフに頼んでいたはずの面会人、モーリスが来ない。もしくは、自分に対する呼び出しがかからない。

 モーリスという人物は、この館では補いきれないものを外部から仕入れる際に頼りにしている行商人で、人材紹介人であるマナセとは違い、基本的には物品のみを取り扱っている。いつも白いシャツと赤いネクタイを、煙水晶でできた眼鏡を常にかけ、二メートルはあるはずの食堂のドアに、少し背伸びをすれば届くほどの大柄で筋骨隆々――加えて屋敷の使用人の感想では、ハゲヒゲが最も似合う――黒人男性のことだ。

 マルコはそんな彼が来ないことを不思議に思い、席を立って、シェフがいるであろう調理室へ向かった。






 赤紫色のカーペットが敷かれた廊下。その上を、すたり、すたりと進む。足取りが少し重い。軽いのだが、重い。こういった状態を元気がないというのだろうか。だからこそなのか、彼は自身の鼻腔を刺激した匂いに気づいて、その場に立ちどまった。


(まだ、料理をしてる? いや、今から誰か食べるのか)


 昼の食事はもう終わり、食器を洗っているはずのキッチンから漂う、チーズや卵、ハムを軽く焼いたような匂いと、ガーリックオイルの弾ける音。そこに交じる、牛乳を煮詰めたような僅かな甘い匂い。それらが鼻を通して混じり、口内に入り込んで唾液腺を刺激する。その匂いと音につられてか、しかしそれを疑問に思い、彼はふらりと食事室を覗いた。

 その部屋にいたのはマナセと、その隣に座るモーリス。彼らは笑いあいながら、楽しげに会話を進めていく。しかし途中でマルコが見ていることに気づいたのか、二人とも彼の方を見て、モーリスはここに座れと言わんばかりに上座の椅子を引き、マナセはマルコの肩を押して、その椅子へ無理やり座らせる。

 机の上には緑の内布が見えるバスケットの中にあるナイフとフォークが数組と、百合のような白さの皿。その隣に置かれた、花弁のように薄いワイングラス。


「あの、これは一体」


 戸惑いを隠せないマルコとは逆に、朗笑するモーリスを見てマルコは問いかける。しかし、その問いにモーリスは笑って、再び自分の席についた。


「マル、俺らの仲じゃないか。商談は飯の後に、その方が楽しいだろう?」

「……まあ、モーリスさんが良いなら」


 そうして、マルコはあきらめた様に笑って、彼らと他愛もない話を始めるのだった。











 半日ほど歩いてようやく見える、この庭の一応の境界である深い森。

 まんべんなく日の当たる芝生の庭とは、線を引かれたかのように区切られており、所狭しと生い茂る木々と雑草は、直上に座する太陽の光すらも遮り、地面には暗い影を落としている。

 その一歩手前。彼は表情を浅く強張らせ、宝石を手のひらの上に載せて、ただ立っている。


 薄く剥かれた桃の皮のような石竹色。不純物の全くない梅酒のような蜂蜜色。渓谷の川底から抜き出したような翡翠色。夜明け前の空のような瑠璃色。薄く光の差し込んだ紫水晶のような花紫色。口紅で塗りたくったような深紅色。それら全てが水のように混ざり合いながら、陽光を浴びる度に色を変え、夢幻のような極彩色を主張する。

 ふっと彼が息を吐くと、それに呼応するかのように宝石は光り輝き、たちまち、燃え尽きる直前のような夕焼けへと―――全てが深海へと沈んだような真夜中へと―――深海に届く一筋の光のような朝焼けへと、景色を塗り替えて往く。風は吹きすさび、芝生は大きく揺れながら、その背丈を伸ばしてゆく。その背丈が彼女の腰辺りまで来た時に、その世界は進む足を止めたかのように変調を止め、森のざわめきだけがその鳴りを潜めない。


 彼女は、宝石を白シャツの胸ポケットに入れ、黒く艶めいたケープを羽織り直して、新調されたままのような革靴で、森へと進む。

 玉虫色の瞳がその先を見据え、宇宙を閉じ込めたような髪色が後を曳くようになびいて、彼女はふと振り返り、草原の上に横たわる彼を見置いて、再び前を向き、深淵へと沈み、溺れ、解けるように、森へと歩みを進めた。


 夜明けはまだ、遠くにある。

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