第二話:”メイド服”とエプロンドレス。
メイド服とは、主に女性の使用人が着用し、主従関係をわかりやすく区別するための制服のようなもので、名の通りメイドと呼ばれる職業の者が着用することが多い。それ故に、下位の職業の者として軽蔑されることもある。
そして一方、東洋のある国で俗にそう呼ばれている服もまた、本来制服――もっとも、その国ではお仕着せと呼ばれるものが主流だが――ではあったが、その国では娯楽の対象としても興じられ、メイド服はある種独特の形へと進化を遂げていた。本来の用途である制服はもちろんとして、それは趣味嗜好であったり、観賞用のものであったり、風俗用のものであったり、色々なものがあったが専らメイド服と言われて扱われるのは後者の方であり……。
「マルコさんっ! メイド服ってこんなのじゃないよね!?」
あまりに丈が短く、風が吹けば下着が見えそうになるスカート。一方上着は半袖だが、同じく丈が短くへそがちらりと見えそうになっている。そして明らかに作業向けではないエプロンは、小さいながらもフリルが大量にあしらっており、どう考えても汚してはいけないような素材が使われている。
一度動けば、それだけでひらりとめくれてしまいそうな、そのスカートを強く引っ張りながらアリーチェは必死にマルコに訴えかける。が、彼はやや紅潮しながら目をそらすだけで、責任転嫁を始めるのだった。
「えっとそれは、仕立て人のイサカさんに聞いてもらって。というか、目のやり場に困るので、とりあえず着替えてもらって」
「着替えなんてないよっ! 昨日の服はもうソフィーさんに預けちゃったもん!」
アリーチェは、マルコに対して予備の服があれば貸してほしいとせがむが、彼は困った顔をして必死に目をそらすばかりで、僕に言われても困るだとか、きっと他にもあるんじゃないかだとか、良ければ僕の服を貸そうかなどとのたまうばかりで、はっきりとしたことを言わずに逃げ続ける。
やがて、その場に居ることすら恥ずかしくなったのか、アリーチェはイザベルに救いを求め始めた。
彼女に対してイザベルはというと、元からそういった服を持っていたのか、長袖ロングスカートの本式エプロンドレスを着こなし、ヘッドドレスといいフォーマルグローブといい、全てが良く似合っていた。だからこそ、もしかすれば予備の物を持っているのではないかとアリーチェは踏んだのだ。
「だからさっ、私の服とあなたの服交換しようよっ。ねっ、ねえっ」
とは、言ったものの。
「流石にサイズが合わないよ。私よりあなたの方が大きいんだから……」
そう、イザベルに至極納得のいく理由を述べられて、やんわりと拒否され、アリーチェはううと声を漏らす。そして数秒後、逃げるように部屋に籠ると、マルコに自分のサイズに一番あった服を何でもいいから持ってきてと、叫ぶようにして必死に頼み込む。マルコは少し考えた後、急いで取りに行ってきますと言って、すぐさまその場から走り出した。
そしてイザベルは一人、困った顔をしながら庭に咲いていたポーチュラカに目線を落とし、ただそれを見つめて色々な思いに更けていた。
綿麻でできた東洋の男性服を着こなした女性。自分自身が世話をしている花畑の中を、のらりくらりと歩いている彼女は、頭には手ぬぐいを巻いていて、首よりも少し長めの、漆のような色の髪を、力芝の様に小さく束ねている。そうした、ゆるりとした格好と雰囲気をまとわせながら、育ちの悪い花や邪魔になる枝を見つけては、手慣れた手つきで巾着袋から取り出したハサミでそれらを剪定し、時々サルビアの唇花を引き抜いて蜜を吸う。
そうして彼女が花畑を進んでいると、どうやら花の前に座るイザベルを見つけたらしく、その花が好きなのかと言い、すっと隣に座って、すぐさま彼女が見ていたポーチュラカの花の茎をハサミで切り、彼女へ手渡す。
イザベルが、やや申し訳なさそうにそれを受け取ったのを見て察したのか、彼女は心配はいらないと言ってハサミを巾着へ仕舞う。
「また植えればいい。花ってのは元来楽しむもんだ、思うように楽しむが良いさ」
「……はい」
彼女に訊ねかけ花を手渡したのは、イロハ・イサカという東洋の国の庭師であり、職人だった。
イザベルとアリーチェは昨日の食事会で彼女とは面を合わせたが、まず驚いたのは彼女が女性という事だった。なにしろとても女性とは思えないような、男性のような凛然さ、面構え、心持ち、そして口調をしており、むしろマルコの方が女々しく思えるほどのものだったからだ。言うなれば女傑というか、もし男装をすればまず女性とは思えないような人物だった。
そして性格に関してはかなり二面性があり、一つはこだわることにはこだわり通し、どんなに手間のかかることでも投げ出さず、最高の質に仕上がるまで妥協はしないこと。しかしもう一つは前者の短所というか、人物像に追加するならば、ともかく彼女は生来の男気質であり、好みも何もかもが男性のそれに近しいものだった。そして、妥協をしない性格。それらが相まってできた結果が、先のアリーチェだったというわけだ。
「でも、これが似合うのはアリスの方だと思います」
そう言って、イザベルはポーチュラカの茎を土に埋め、イサカに軽く頭を下げる。すると彼女は、良く知ってるじゃないかと言って、ベルの頭をわしゃわしゃと撫でまわす。そして、袖に入れていたクワの実をイザベルに渡すと、一理あるが惜しいなと言って、もう一つのクワの実を咥えながら話を続ける。
「見方を変えればあんたもなかなか悪くない。マツバボタンの花言葉は可憐ってのもある。そういう意味じゃ、むしろイザベルの方が似合うかもな」
「……あ、ありがとう、ございます」
そうぽつりと、こぼす様に礼を言うと、イサカはその言葉をしっかりと聞いたらしく、ますますわしゃわしゃと音を立てて頭を撫でまわし、ぐにぐにと頬を揉む。しかしイザベルが照れ臭そうにやめてくださいと言うと、すぐに撫でまわすのをやめ、さっと謝ってから朗らかに、助言の様に彼女へ告げる。
「イザベルは、そうだな。淡くて儚い可愛さがある。だからこそ可憐だと思うのだが、別に弱々しいとかそういう意味じゃないぞ。守りたくなるというか、保護欲をそそられる」
彼女は続けて、今の私には無縁なものだろうがなとぼやいていたが、まるで気にしていないかのように笑って、果柄を舌の上でくるくると回している。
そんな彼女を見てイザベルは、「でも」と言って、しかしやはりいうべきではないかと思ったのか、少し悩んだようだったが、思い切ったようにイサカに言葉を投げかける。
「イサカさんは、凛々しくて
「どうしてそう思う?」
イサカは加えていた果柄をつまみ、指で挟みながらそう問いかける。
「あんまり、人を見る目は無いですけど、なんとなくそう思いました」
「……そうか」
ありがとう。彼女はただそう言って立ち上がり、じゃあまたと行ってその場を去る。
イザベルは彼女に聞こえないようにしてこちらこそと呟くと、彼女にはそれが聞こえたらしく、すぐに立ち止まって振り返り、お世辞はほどほどになと言って手を振り、姿を見せた時と同じようにのらりくらりと歩いて行って、やがて花畑の中に埋もれて見えなくなった。しかし、彼女の姿が見えなくなったと同時に、イザベルはあることに気づいた。
「あ、アリスの服」
それに気づいたとき、もう姿の見えないイロハの姿を探すことを諦めて、イザベルは申し訳なさそうな顔をしつつ、あのメイド服を思い出し、「少し、変な人なのかも」と呟いた。
花畑を前にしてアリーチェは、くるくると回ったり、跳ねたり、とにかく喜びをあらわにしていた。
サイズはやや大きめだが、という程度で済んでいるワンピース。その上に重ねられたエプロンの端部には、あのメイド服と同じような、しかし粛々としたようなデザインのレースがあしらわれ、かなり使い込まれているらしく少しへたってはいるが、それでもきちんと手入れがされている。そして何よりも、メイドキャップが非常にシンプルで、まるでヴェールの様に軽くかぶることができるように織られている。それがアリーチェの琴線に触れたらしく、何度もかぶったり外したり、匂いをかいだり、触り心地や使い心地、被り心地を試している。
それほどに、彼女は喜び、何度も何度もありがとうとマルコへ礼を言っていた。
しかし、それに着替え、満足したのはいいが、別の疑問がアリーチェとイザベルの中に生まれていた。その疑問を先読みして、マルコが答える。
「ソフィーさんが過去に着ていた服です。多少古くはありますが、よろしかったでしょうか」
「うん、私こういうのが着たかったの! ありがとうマルコさんっ」
どうやら、かなり興奮しているらしく、アリーチェは未だに飛び跳ねている。その様子をマルコとイザベルは、和んだようにして眺めている。
暫くしてマルコが今から指示を出しますと言うと、イザベルもアリーチェも彼に向き直り、すぐさま話を聞く体勢を整える。それを確認してから、彼は口を開いた。
「……えっと、つまり、この期間が終われば、正式にここのメイドさんになれるかもってこと、だよね」
「うん、そういう事みたいだね。でもほとんど決まったようなものって言ってたから、研修期間みたいなものだと思っておけばいいと思うよ」
そう言って、ひとつひとつのことに確認を取りながら、二人は道を進む。
マルコ曰く、これから一週間は適性検査期間として、庭師の仕事やメイドとしての仕事の垣根なく、受けた指示を的確にこなしてもらい、その結果によってここでどう過ごすかを複数人で考え、どのような配置をするのかを決める。しかし、ほぼ決まっているようなものなので心配しなくてもいいらしく、彼もそこまで深くは話をしなかった。
そしてその話の後、彼は午後の予定をイザベルに伝え、家令……スチュワードが待っていると言って、すぐに何処かへ行ってしまった。
「じゃあ、この後は門の掃除ってなってるみたいだから、そろそろ行こうか」
「うんっ、行こう!」
そう、未だに興奮さめやらない様子で、アリーチェはイザベルの手をぎゅっと握っていた。
ひよひよと鳥が鳴いている。生い茂る草木と、赤煉瓦の門の裏側で、ぴっと背を張る長身痩躯の男性を、アリーチェは前にしていた。
すっと下した長髪。所々に、緑色の何かが染みたような白衣を身に纏い、ぼろぼろの肩掛けカバンの肩ひもを握り、気をつけの姿勢で立つ姿は、白衣を着ただけの武道家にも思えるほどに貫禄がある。彼は、自分よりも何頭身も低い彼女に、自ら屈んで目線を合わせ、不機嫌そうに口を開いた。
「遅いよ。自分、待つの嫌い」
「……え、と。ごめんなさ、い?」
戸惑うような物言いをする彼女に対してため息を吐き、まあ、マルコがあれでは仕方無いかもしれないねと、微妙な片言で凄んだような態度をとる彼は、アクロワと言う人物ではなかった。
彼女がそのことに関して疑問に思っているのか、彼はすぐさまそれに気づいたらしく、自己紹介を始めた。
「言い忘れた。私はチャン・ツィ。チャンでいい。普段は薬師とか商人とかやってる。今日はイサカと会いに来た。マルコはアクロワに連行された。代わりに案内してほしい」
「いえ、あの、私は掃除を、その」
戸惑うアリーチェ。そんな彼女の言葉を切るようにして、イザベルは割って入る。
「わかりました、ご案内いたします。ただ、執事長へ確認を取るため少々お時間をいただきたいと思います。よろしいでしょうか」
「うん、よろしいよ。では待つけど、あまり待たせないでね」
「かしこまりました」
そう言ってイザベルは、スカートのすそを持って一礼し、小走りでどこかに行ってしまう。
……イザベルが居なくなったことで、場の空気が滞る。そんな空気の中で、ただ閑古鳥が鳴き、やがてチャンは口を開いた。
「アリスというのか、君は」
「え、あ、いや、本当はアリーチェ、です」
「そうか」
「…………」
「…………」
「あ、えっと、私はアリーチェ・クリミナーレっていいます。アリスと、呼んでいただければ」
「そうか。マルコが君の事を言っていた。だから確認した」
「そ、そうでしたか」
「…………」
「…………」
「会話、苦手か」
「まあ、はい」
「いや、違うな。私が、怖いのか」
「……その、はい」
「そうか。それはすまない。よく言われる。イロハはそんな事は無いと言うのだが」
「あ、あはは」
「…………」
「…………」
「少し喋りが過ぎた。若い子を見ると、口が軽くなる」
(えっ今ので?)
「イサカ・イロハは自分と旧来の付き合い。彼女の作ったものを自分が世に流し、私も彼女もそれで利益を得る。ただそれだけ。しかし、ビジネスで無くとも、彼女はいい女だ」
「…………」
「…………」
「あ、イロハさんが、好きなんですか?」
「否定はしない、むしろ肯定する。しかし、そういったことをわざわざ聞いてくれるな、無粋だ」
「あ、え、ごめんなさい」
「口が悪くなっただけだ、悪意はない。謝るな」
「は、はあ」
「…………」
「…………」
曖昧に返事をしてしまい、再び場が沈黙する。今度は閑古鳥すらも鳴かず、すっと風が通るだけで、落ち葉が風に流されてゆくだけだった。
彼と、ぎこちなく続ける会話の中で、アリーチェはこう思った。
(ベル、早く帰ってきて……! 私こういう空気苦手なの……!)
しかし、アリーチェの想いとは裏腹に、彼に話しかけられてはまた話し、間を置いてはまた自分から話し、そして黙る。そんな会話を、その後三十分ほど、といっても彼女の体感的には一時間近く、糸電話越しかのように、それはもうぎこちなく続けることになるのだった。
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